悪事をしながら、幸福になる事はできない。善行のみ行え。
神は行動しない。神は理論の中に生きている。理論より行動を愛するものは動物にもどるであろう。人のみが理論を知っている。
他人が持っているものを妬んだところで、自分がそれを手に入れることはできない。自分の才能を鍛えよ。
2014年7月24日
2014年7月22日
2014年7月21日
2014年7月18日
月明かり
暗い暗い世の中で
我々は静かに待っていた
何を
どんな時か
暗い暗い世界のどこか
我々はひたすら待っていた
何を
どの瞬間をだ
すべてここから流れ去って
あらゆる不条理を連れ去っていく
明るい月は照らし続ける
何を
我らのすべてを
地上のあり方を
我々は静かに待っていた
何を
どんな時か
暗い暗い世界のどこか
我々はひたすら待っていた
何を
どの瞬間をだ
すべてここから流れ去って
あらゆる不条理を連れ去っていく
明るい月は照らし続ける
何を
我らのすべてを
地上のあり方を
2014年7月16日
2014年7月15日
2014年7月14日
2014年7月13日
最善と極悪
なぜあなたはこの世へ来た
罪深い悪人達が大勢戯れる日本へ
憎悪すべき関西が滅び去るか
悪業の東横が潰え行くのを見るか
雪が舞い続けて人を洗い流し
大津波と大地震が地上を変えた
宇宙さえ諸行無常である様に
仮初めにも悪魔が幸を得はしない
皇室は民衆の富を費やしつつ贅へ傲り
卑しい人間達は貴人を侮辱していた
国家とやらは砂上の楼閣に過ぎず
唾棄すべき俗物は存在自体無に等しい
極悪人は劣悪な業で破産を買う
最善人のみ天界を身近とする
罪深い悪人達が大勢戯れる日本へ
憎悪すべき関西が滅び去るか
悪業の東横が潰え行くのを見るか
雪が舞い続けて人を洗い流し
大津波と大地震が地上を変えた
宇宙さえ諸行無常である様に
仮初めにも悪魔が幸を得はしない
皇室は民衆の富を費やしつつ贅へ傲り
卑しい人間達は貴人を侮辱していた
国家とやらは砂上の楼閣に過ぎず
唾棄すべき俗物は存在自体無に等しい
極悪人は劣悪な業で破産を買う
最善人のみ天界を身近とする
あじさい
宙に浮いた
希少な真実
求めていた夜に
月は棚引いていった
私達の理想としていた
あらゆる欲望の塊も
ただ静かに待ち惚け
星は瞬き霞んだ
万一われらの行く末に
立ち塞がる時代があるとして
いつくりあがるでもない計算みたく
眠りの上にも世界があるのなら
いつできあがるでもない夢想のよう
あなたはあじさいを咲かせていくのだ
希少な真実
求めていた夜に
月は棚引いていった
私達の理想としていた
あらゆる欲望の塊も
ただ静かに待ち惚け
星は瞬き霞んだ
万一われらの行く末に
立ち塞がる時代があるとして
いつくりあがるでもない計算みたく
眠りの上にも世界があるのなら
いつできあがるでもない夢想のよう
あなたはあじさいを咲かせていくのだ
あの花
君のいない間
止まっていた事実
複雑化された宇宙
ひたすら夢の内に
台風の来る間
固まっていた全て
魔法化された事象
もしいなければ
僕が呼びたかった名前ですら
化粧として去ってしまったろう
町の中でいつか
誰かが見落としていた花でさえ
忽然として枯れてしまう瞬間に
最高の次元を説明し尽すだろう
止まっていた事実
複雑化された宇宙
ひたすら夢の内に
台風の来る間
固まっていた全て
魔法化された事象
もしいなければ
僕が呼びたかった名前ですら
化粧として去ってしまったろう
町の中でいつか
誰かが見落としていた花でさえ
忽然として枯れてしまう瞬間に
最高の次元を説明し尽すだろう
氷
すべてが氷りつき
のこったのはなに
夢それとも迷い
町はしずまり
ときはさきがけた
月もしくは囁き
自由というまぼろし
ぽろぽろとこぼれ
事件は語り継ぐ
愛という魔法
失われつつもどる
求めても欠ける
恋という気のせい
あなたとの思いで
のこったのはなに
夢それとも迷い
町はしずまり
ときはさきがけた
月もしくは囁き
自由というまぼろし
ぽろぽろとこぼれ
事件は語り継ぐ
愛という魔法
失われつつもどる
求めても欠ける
恋という気のせい
あなたとの思いで
2014年7月11日
2014年7月10日
2014年7月9日
政治学
政権を武力討伐した場合、それを討伐側から放伐といい、被討伐側から簒奪という。政権を非武力的に交代した場合、それを禅譲という。これらは政権交代法の呼称である。
南北朝の統一、大政奉還あるいは江戸無血開城は日本史上の禅譲の事例である。戊辰戦争や西南戦争は放伐・簒奪の例である。
南北朝の統一、大政奉還あるいは江戸無血開城は日本史上の禅譲の事例である。戊辰戦争や西南戦争は放伐・簒奪の例である。
2014年7月7日
2014年7月3日
2014年7月2日
2014年7月1日
2014年6月30日
2つの全体主義
メディアスクラムによる東京全体主義はサイバーカスケードのマスメディア版であり、東京中華主義として京都や奈良がかつてそうした犯罪的弾圧をあらゆる点で行なっており、これは関西中華主義、即ち関西地方の僭称である自称近畿、自称首都についても同様である。関西全体主義は渡来系に過ぎない人々が自分達の侵略犯罪の合理化に中華思想を援用したもので、同じく東京の天皇もこの中国思想をまねている。吉田松陰が援用した一君万民論も中国思想に過ぎず、覇道を執った薩長土肥ら西の蛮族による侵略犯罪も山城版中華思想を江戸へ移植したものに過ぎない。
これらの全体主義、東京のそれや関西のそれは一切が言論弾圧や少数意見への抑圧に類し、しかも商業環境にまつわる利己的な人々が悪用している為に非常に危険を伴っている。その末路がファシズムや軍拡に至ると侵略戦争となって現れるから、初期の段階で東京全体主義や関西全体主義、或いはそれらの中華思想への徹底した論駁が必要である。
これらの全体主義、東京のそれや関西のそれは一切が言論弾圧や少数意見への抑圧に類し、しかも商業環境にまつわる利己的な人々が悪用している為に非常に危険を伴っている。その末路がファシズムや軍拡に至ると侵略戦争となって現れるから、初期の段階で東京全体主義や関西全体主義、或いはそれらの中華思想への徹底した論駁が必要である。
2014年6月28日
2014年6月25日
静けさ
夜は暮れなずみ
人は時をまたがけ
おちくぼむ間
万世はくりかえす
さらなる波がわれらを
さらなる夢の連なりがここを
のみこんであわせ
水や月や川や雪を過ごして
町は灯をともし
地上を染めていく
さも我々だけが定義であるかの様
さも我々だけが自由であるかの様
信じる未来をつくり
時を塗り替える静けさ
人は時をまたがけ
おちくぼむ間
万世はくりかえす
さらなる波がわれらを
さらなる夢の連なりがここを
のみこんであわせ
水や月や川や雪を過ごして
町は灯をともし
地上を染めていく
さも我々だけが定義であるかの様
さも我々だけが自由であるかの様
信じる未来をつくり
時を塗り替える静けさ
2014年6月24日
2014年6月22日
常陸の人
希望した未来が訪れなくとも
君は君でありつづける
さもこの星がそうであるかの様
期待した今じゃなかったとしても
波は目の前に打ち寄せ続ける
さも君だけが最美であるかの様
夜は深く深く
沈んでしまった目高は地球を巡った
空は近く近く
この田んぼは何を羽含んで
探していた人はいなくなって
たった一人ぼっちでいたとして
さも君だけが緑であるかの様
輝きつづけるこの太田 を眺めている
君は君でありつづける
さもこの星がそうであるかの様
期待した今じゃなかったとしても
波は目の前に打ち寄せ続ける
さも君だけが最美であるかの様
夜は深く深く
沈んでしまった目高は地球を巡った
空は近く近く
この田んぼは何を羽含んで
探していた人はいなくなって
たった一人ぼっちでいたとして
さも君だけが緑であるかの様
輝きつづけるこの
常陸太田
緑の絨毯に広がりゆく世界に佇んだ時を超え風の果てなし
マックスコーヒーの缶が遥かな緑の田の路上に転がっている
いつまでも場所を変えても道すがら梅の香残り人の弧ならず
瑞竜山崩れても猶つくりかえつつ世もすがら道尋ねけり人相槌を返す
佐竹公郷里に残せし寺の上ひたすら続く時の静けさ
あやめすら西山の橋かきつばたの様とまりついきつ風に惑えり
マックスコーヒーの缶が遥かな緑の田の路上に転がっている
いつまでも場所を変えても道すがら梅の香残り人の弧ならず
瑞竜山崩れても猶つくりかえつつ世もすがら道尋ねけり人相槌を返す
佐竹公郷里に残せし寺の上ひたすら続く時の静けさ
あやめすら西山の橋かきつばたの様とまりついきつ風に惑えり
2014年6月20日
2014年6月19日
不条理
この世にある事の不条理
死に向かって行く
死ぬ為に生きている
何の為に道を誤った
あしき者は道を誤らせた
一体いつまで悪に応じるつもりだ
一体いつまで悪に殉じるつもりだ
この世の果てまで続く真理
死に向かって続く
死ぬ為に暮らしている
何の為に時を無為とした
ただしき者は命を奪われた
この世にある事の不条理
ひたすら時を追い駆ける
死に向かって行く
死ぬ為に生きている
何の為に道を誤った
あしき者は道を誤らせた
一体いつまで悪に応じるつもりだ
一体いつまで悪に殉じるつもりだ
この世の果てまで続く真理
死に向かって続く
死ぬ為に暮らしている
何の為に時を無為とした
ただしき者は命を奪われた
この世にある事の不条理
ひたすら時を追い駆ける
Heinous Japanese Wikipedia Gestapo
Japanese Wikipedia is heinous Gestapo. They do the heinous discussion control for operation of public opinion. Inner the Gestapo does bad understand and the oppression under the exclusion system for malice information control. Why the world good people never do conviction for Gestapo of Japanese Wikipedia?
2014年6月17日
2014年6月15日
2014年6月12日
侵略犯罪朝鮮種天皇の極悪人殺し邪教
極悪侵略犯罪の悪魔朝鮮人天皇が人様の城へ不法侵入し殺害やくざへ極悪侵略犯罪をさせながら茨城を虐げ極悪搾取と極悪東京原発汚染を続ける。滅亡しなければならない悪魔の自称京都極悪自己中心な利己害他蛮族。中華思想の朝鮮種悪魔、傲慢悪業邪教祖一族奈良民、極悪人殺し侵略犯罪世襲蛮族の極悪人種天皇蛮族が大嘘の極悪邪教でひたちの民を洗脳しながら茨城県を侮辱し続けている。極悪侵略西戎による世界最悪な侵略重犯罪の数々。破滅必須な極悪邪教祖、自称京都の自己中心愚劣極まりない大量虐殺目的の悪魔の巣。
2014年6月11日
極悪南蛮西戎
極悪南蛮西戎を
一匹残らず責め滅ぼし
地上に正義を打ち立てん
極悪南蛮西戎の
侵略犯罪世に暴け
極悪南蛮西戎が
不正と悪徳垂れ流し
われらの高貴な国柄を
汚染せしめたその悪業
何としてでも許すまじ
極悪南蛮西戎の
絶滅がため尽力し
われらの偉大な精神を
天上天下へ知らしめよ
われらの威厳といさおしを
宇宙の果てまで轟かせ
極悪南蛮西戎の
遺伝子一本残さずに
怒りの鉄槌打ち下し
世界に平和を顕せよ
人類文明その為に
極悪南蛮西戎の
極悪の地を焼き払い
極悪南蛮西戎の
邪悪な長へ復讐し
極悪南蛮西戎の
悪魔の文化を愍滅し
われらの島を浄化せよ
世界の立派な人類の
その良心を慰めよ
極悪南蛮西戎の
悪魔の地獄を潰滅し
われらの誉れを守り抜け
極悪南蛮西戎の
悪業の血を取り除け
人類の善に身を焦がせ
一匹残らず責め滅ぼし
地上に正義を打ち立てん
極悪南蛮西戎の
侵略犯罪世に暴け
極悪南蛮西戎が
不正と悪徳垂れ流し
われらの高貴な国柄を
汚染せしめたその悪業
何としてでも許すまじ
極悪南蛮西戎の
絶滅がため尽力し
われらの偉大な精神を
天上天下へ知らしめよ
われらの威厳といさおしを
宇宙の果てまで轟かせ
極悪南蛮西戎の
遺伝子一本残さずに
怒りの鉄槌打ち下し
世界に平和を顕せよ
人類文明その為に
極悪南蛮西戎の
極悪の地を焼き払い
極悪南蛮西戎の
邪悪な長へ復讐し
極悪南蛮西戎の
悪魔の文化を愍滅し
われらの島を浄化せよ
世界の立派な人類の
その良心を慰めよ
極悪南蛮西戎の
悪魔の地獄を潰滅し
われらの誉れを守り抜け
極悪南蛮西戎の
悪業の血を取り除け
人類の善に身を焦がせ
2014年6月10日
勇気の茨城
勇気を持ち立ち向かえ
あしき南蛮西戎へ
世にあふれかえる俗物が
いくら不正をたくましく
いくら俗間で悪業をしていても
われらの高貴は高潔は
毫も揺らがず堅固なり
あしき南蛮西戎を
退治せしめて地を清め
われらの誉れを輝かせ
時に皇の凡愚を諫め
天神さえも畏れせしめ
われらの威厳と有能を
星の内外へ知らしめよ
あしき南蛮西戎へ
世にあふれかえる俗物が
いくら不正をたくましく
いくら俗間で悪業をしていても
われらの高貴は高潔は
毫も揺らがず堅固なり
あしき南蛮西戎を
退治せしめて地を清め
われらの誉れを輝かせ
時に皇の凡愚を諫め
天神さえも畏れせしめ
われらの威厳と有能を
星の内外へ知らしめよ
2014年6月9日
2014年6月8日
罪悪
極悪侵略犯罪の蛮戎がわが国を侵害し続けている
邪悪な自称天皇の極悪侵略世襲独裁犯が奈良から出てきて罪業を為す
水戸家の勤皇の義とやらはわが国人の大量死をもたらせし
これらの蛮戎らの罪悪を見ながらいかにして邪教祖天皇崇拝を続けさせようという悪徳暴力団ども
邪悪な自称天皇の極悪侵略世襲独裁犯が奈良から出てきて罪業を為す
水戸家の勤皇の義とやらはわが国人の大量死をもたらせし
これらの蛮戎らの罪悪を見ながらいかにして邪教祖天皇崇拝を続けさせようという悪徳暴力団ども
ひたち独立国家論
侵略犯罪と中華思想の愚劣極まりない極悪の蛮戎悪魔が、我らの尊い国を汚染している。何としてでも蛮戎どもを世界人類の為に滅亡させるほかない。極悪侵略犯罪と大量搾取の悪魔天皇賊は我らと世界人類への大量虐殺を恣に、奴ら極悪犯罪蛮戎と次々混血しながら、そのあらゆる犯罪と殺戮、善人たちへの名誉毀損の悪意へ自ずから味方して、極悪邪悪な恥と罪に底無しの限りを尽くしてきた。悪魔ども、極悪業の外道蛮戎ども。人殺しども。下衆下劣の最悪な侵略蛮戎屑。神は悪魔へ味方しないのだから、自称天皇とほざきつつ奈良から出てきた極悪犯罪人種をいつまでものさばらせないのだ。
悪事しかしない極悪犯罪蛮戎どもが世界の善を回復する為に真実の正義から滅亡し尽くされるまで、我らひたちの人々は一致団結し、我らの尊厳と独立、威厳と自律をとりもどし、かつ極悪侵略犯罪の関西悪魔土人連中へ徹底した攘戎攘蛮による対外防衛を実行し、我らの治める真に清浄な土地から奴ら蛮族戎賊どもというけがれの原因を殲滅し尽くした上で、挙国一致で南蛮西戎の極悪侵略犯罪人種を地上から永久に破滅させる善へありとあらゆる人類の正義と協調し、蛮戎極悪魔の浄化に全力を尽くさねばならない。我らの土地は我らが治め、独立国家を建造し、我らは先住の意義を極悪侵略犯罪蛮戎どもへの総復讐で果たさねばならない。
悪事しかしない極悪犯罪蛮戎どもが世界の善を回復する為に真実の正義から滅亡し尽くされるまで、我らひたちの人々は一致団結し、我らの尊厳と独立、威厳と自律をとりもどし、かつ極悪侵略犯罪の関西悪魔土人連中へ徹底した攘戎攘蛮による対外防衛を実行し、我らの治める真に清浄な土地から奴ら蛮族戎賊どもというけがれの原因を殲滅し尽くした上で、挙国一致で南蛮西戎の極悪侵略犯罪人種を地上から永久に破滅させる善へありとあらゆる人類の正義と協調し、蛮戎極悪魔の浄化に全力を尽くさねばならない。我らの土地は我らが治め、独立国家を建造し、我らは先住の意義を極悪侵略犯罪蛮戎どもへの総復讐で果たさねばならない。
極悪奈良県民天皇教祖らの悪魔の業
極悪の東横や関西、蛮戎や悪徳アイヌ、天皇が日本を破滅させ悪と罪に染めていく。ただ手をこまねいて連中の悪業を見逃すべきか。邪悪としかいい様もない極悪蛮戎どもが我が国を汚染し、破壊し、我らひたちの民へ侮辱罪と裏切りの虐殺を繰り返し続けている。極悪の蛮戎どもがあらゆる人類の一致した善により滅ぼされ、我らのひたちが平和と正義を打ち立てる事のみが絶対だ。アジアの人類は、そして世界の精霊は邪悪きわまりない極悪の蛮戎倭奴を亡ぼす為に全ての力と正義を結集しなければならない。大量虐殺と侵略犯罪を習慣としてのうのうとのさばってきた極悪一門である奈良県民天皇倭賊が地上から一切のDNAを残さず消滅するその瞬間まで、わが国は平穏を得る事もなければ少したりとも幸福に及ぶ善意を味わう事もできなかろう。
水戸徳川家が我らを利用し、天皇は水戸家を利用した。あるいは天皇は薩長の極悪島津一族と極悪毛利一族らから人殺しと贅沢三昧をさせ、全て我らの税収と命を搾取し政権簒奪、かつ我らを虐げ侮辱し名誉毀損し、何一つ我らの為になる事はせず我らに大害ばかり与えてきたのだ。なんという邪悪極まりない奈良県民が、邪教祖としてわが国を侵害してきたのだろう。天皇は我らを奴隷化して働かせ且つ我らのひたちの真の現住権利者の独立を奪って殺し、書物やマスメディア、ネットで散々に我らを名誉毀損し、我らが邪教祖天皇を信じれば単に大量に虐殺されるだけなのに、よくもよくも我らから極悪邪教祖である天皇倭賊の悪事を狂信させる為だけに我らの祖先をあの奈良県出身の極悪邪教祖天皇賊は虐げ続けたものだ。一体これ以上、どれほどの悪魔悪業を我らひたちの民へ行い、我らを虐げ続けるつもりなのか。極悪天皇倭賊の悪業は必ずや必ずや奴らの最悪の結果となるであろう。
水戸徳川家が我らを利用し、天皇は水戸家を利用した。あるいは天皇は薩長の極悪島津一族と極悪毛利一族らから人殺しと贅沢三昧をさせ、全て我らの税収と命を搾取し政権簒奪、かつ我らを虐げ侮辱し名誉毀損し、何一つ我らの為になる事はせず我らに大害ばかり与えてきたのだ。なんという邪悪極まりない奈良県民が、邪教祖としてわが国を侵害してきたのだろう。天皇は我らを奴隷化して働かせ且つ我らのひたちの真の現住権利者の独立を奪って殺し、書物やマスメディア、ネットで散々に我らを名誉毀損し、我らが邪教祖天皇を信じれば単に大量に虐殺されるだけなのに、よくもよくも我らから極悪邪教祖である天皇倭賊の悪事を狂信させる為だけに我らの祖先をあの奈良県出身の極悪邪教祖天皇賊は虐げ続けたものだ。一体これ以上、どれほどの悪魔悪業を我らひたちの民へ行い、我らを虐げ続けるつもりなのか。極悪天皇倭賊の悪業は必ずや必ずや奴らの最悪の結果となるであろう。
2014年6月7日
2014年6月5日
2014年6月4日
2014年6月3日
2014年6月2日
2014年6月1日
武蔵最終処分場論
国政は放射性廃棄物の最終処分場を武蔵の台場にすべきであり、そこで武蔵人が欠かさず今後、数百万年間、放射能漏れがないよう自業自得の管理責任を毎日とるべきだ。これは人道の為であり義務だ。東京電力は自己責任を取るため武蔵に最終処分場を作るのが筋であり、日本原子力発電も同様である。
全土県化論
横浜市は人口規模や経済規模が特に極端なまでに甚大なので、「横浜県」として、別の県になるべきだ。また、国政は東京都区部も全て「足立県」や「品川県」など県として独立させよ。日本国の政令指定都市20市はそれぞれ、札幌県や仙台県、小埼玉県、小千葉県、川崎県、横浜県、相模原県、小静岡県、浜松県、名古屋県、小京都県、小大阪県、堺県、神戸県、岡山県、広島県、北九州県、福岡県として独立させるべきである。これらに合わせて、東京都や大阪府、京都府そして北海道の既存部分はおのおの「東京県」や「大阪県」「京都県」「北海道県」と上下関係を連想させないよう公平な名とし、東京23県と既存の47県に政令指定都市の格上げによる新加入20県を加え、計90県の代表選出による経済平等な地方自治を行うべきである。
国政はこれら90県へ毎年調整比率を決め、累進課税制をより緻密に維持すべきだ。というのは、例えば神奈川県は横浜県のみで全国10位程度のGDPがあるにも関わらず地方交付税交付団体である等は誠に理に叶っていない。かつ東京への過度の経済集中や、大阪市と名古屋市への過度の地方交付税調整による国土の不均衡性が日本国を衰退させていく根源因である限り、これら過度の都市集中を国策で治癒する事が国政にとって最優先だからだ。
国政はこれら90県へ毎年調整比率を決め、累進課税制をより緻密に維持すべきだ。というのは、例えば神奈川県は横浜県のみで全国10位程度のGDPがあるにも関わらず地方交付税交付団体である等は誠に理に叶っていない。かつ東京への過度の経済集中や、大阪市と名古屋市への過度の地方交付税調整による国土の不均衡性が日本国を衰退させていく根源因である限り、これら過度の都市集中を国策で治癒する事が国政にとって最優先だからだ。
2014年5月31日
奈良出身天皇邪教の末路
GHQ連合国みな侵略者アジアを抑圧する為に天皇賊と共謀せしなり
薩長土蛮戎関西目的は英米利用し侵略する事
蛮戎賊東京で罪を重ねあげ世界を搾取し大悪意持つ
山城の悪魔が人類睥睨し悪性自慢し侵略犯罪
極悪の蛮戎われらを侵害しそれを自慢に国連敵せし
災厄のみなもと蛮戎天皇賊人類へ害をなしたる一家ぞ
神信じ原爆おとされ爆破され天皇賊信じ邪教に殺されるなり
薩長土の極悪侵略反省せずアジアに恨まれ極悪関西
関西と付き合う者は極悪に染まり破滅するなり
業のみが地上を支配し神ならず天皇邪教も滅亡するなり
薩長土蛮戎関西目的は英米利用し侵略する事
蛮戎賊東京で罪を重ねあげ世界を搾取し大悪意持つ
山城の悪魔が人類睥睨し悪性自慢し侵略犯罪
極悪の蛮戎われらを侵害しそれを自慢に国連敵せし
災厄のみなもと蛮戎天皇賊人類へ害をなしたる一家ぞ
神信じ原爆おとされ爆破され天皇賊信じ邪教に殺されるなり
薩長土の極悪侵略反省せずアジアに恨まれ極悪関西
関西と付き合う者は極悪に染まり破滅するなり
業のみが地上を支配し神ならず天皇邪教も滅亡するなり
蛮戎賊の災厄
人殺し侵略するの片棒に天皇利用し悪徳関西
人殺し侵略するの片棒に戎を利用し悪徳天皇
人殺し侵略するのを目的に法を濫用悪徳英米
悪魔達地上を支配し薩長土極悪殺戮驕り散らせり
大虐殺誇る天皇一門は敗戦しても驕り昂る
島津毛利大量虐殺してもなお飽きもせず金を貪り驕れり
悪徳の山口なおも侵略しアジア荒らして驕り散らせり
極悪の鹿児島会津で殺戮し水戸を裏切り驕り散らせし
忘れるな蛮戎天皇乱賊の侵略犯罪濡れ衣の業
義烈の智ひとえに智恵と申すべく徳の前には座を譲るべし
人殺し侵略するの片棒に戎を利用し悪徳天皇
人殺し侵略するのを目的に法を濫用悪徳英米
悪魔達地上を支配し薩長土極悪殺戮驕り散らせり
大虐殺誇る天皇一門は敗戦しても驕り昂る
島津毛利大量虐殺してもなお飽きもせず金を貪り驕れり
悪徳の山口なおも侵略しアジア荒らして驕り散らせり
極悪の鹿児島会津で殺戮し水戸を裏切り驕り散らせし
忘れるな蛮戎天皇乱賊の侵略犯罪濡れ衣の業
義烈の智ひとえに智恵と申すべく徳の前には座を譲るべし
2014年5月30日
2014年5月29日
蛮戎三賊
天皇を崇拝させている者は支配者層という独占利権者らであり、奴ら悪徳と強欲の塊が我ら国民を搾取対象としてきたのだ。天皇家や島津家、毛利家がその典型であり、奴ら蛮戎三賊は我々を奴隷に仕立てて犠牲とし、あるいは先兵へ唆そうと洗脳したきた。奴ら天皇や島津、毛利の利権の為だけにこの大悪に満ちた三賊は人殺しや労働を国民からさせてきたのだ。しかも奴ら南蛮西戎層は奴らへ都合の悪いことはみな我ら現住国民の所為にしてきた。奴らとんでもない蛮戎は悪業を好み、逆らうものを皆殺し且つ徹底して洗脳し、単に暴力をふるうのみならず宗教までも悪用してこのひたちの民を大量に犠牲としてきたのだ。神は天皇家や島津家、毛利家ら極悪人殺し達を決してゆるしはしないだろう。神は業のままに、奴ら蛮戎を永久に世界から葬るであろう。
三邪都
自称天皇がこの列島を支配していい道理はどこにもなく、それは薩長土だろうと同様である。奴等は侵略による暴力で人殺しを謀ったに過ぎず、単に悪業の印しか示していない。東京も平安京も平城京すらも、侵略者の都であったからには悪徳に染まった邪都という他ない。悪魔が造った都が善良であるわけはなく、これらの悪の都等を崇拝している諸外人は、単に悪を愛している点で悪魔に習う存在に過ぎず、その末路は悲惨だろう。
我々は善良な社会や、最良の都にのみ安住できる。欧米のどこに侵略の罪を負っていない地域があるのか。侵略犯罪の団長でしかない天皇一族は遠からず、その悪業の償いの為だけに、地獄へおとされるであろう。人類は業の中にしか生きていけないのだ。
我々は善良な社会や、最良の都にのみ安住できる。欧米のどこに侵略の罪を負っていない地域があるのか。侵略犯罪の団長でしかない天皇一族は遠からず、その悪業の償いの為だけに、地獄へおとされるであろう。人類は業の中にしか生きていけないのだ。
蛮戎の悪徳天皇
苦しんでいる我々を見下しながら天皇のみが玉座に贅せし
侵略し人を殺せし薩長土ほめちぎるなり南蛮西戎
悪徳の南蛮西戎驕りけるこの世に悪の栄えは浮雲
罪のない人を殺せし天皇の一族栄えて徳は亡びし
東京の悪趣味京都の悪性を外人羨み悪を真似けり
無知衆愚貶善崇悪亡び去らん
天皇一族大量虐殺を命じて濡れ衣ばかりなり
我らが義公天皇賊崇め邪君の擁護か
蛮戎の悪習を見つつ天皇は悪に加担しわが県民を虐ぐ
侵略し人を殺せし薩長土ほめちぎるなり南蛮西戎
悪徳の南蛮西戎驕りけるこの世に悪の栄えは浮雲
罪のない人を殺せし天皇の一族栄えて徳は亡びし
東京の悪趣味京都の悪性を外人羨み悪を真似けり
無知衆愚貶善崇悪亡び去らん
天皇一族大量虐殺を命じて濡れ衣ばかりなり
我らが義公天皇賊崇め邪君の擁護か
蛮戎の悪習を見つつ天皇は悪に加担しわが県民を虐ぐ
2014年5月27日
2014年5月26日
2014年5月22日
2014年5月21日
2014年5月20日
2014年5月19日
2014年5月18日
2014年5月17日
2014年5月15日
史学
天狗党処分についての研究
慶喜公は元治元年(1864年)3月25日将軍後見職を辞任し、禁裏御守衛総督へ就任していた。同年11月下旬、公は皇室警護を目的に、天狗党鎮圧のため江州路(琵琶湖付近)で早々追討出張仕りたい旨を孝明天皇へ上奏した。その内容は「職掌にとり恐入り候のみならず、右の内私実家の家来も交り居り候得ば」と公の禁裏御守衛総督かつ水戸藩出身者としての責任感が窺える。一方の天狗党は諸生党を含む大発勢(幕府軍)と争いながら尊王攘夷を目的に西行していた為、幕府側では公が天狗党と気脈を通じているのではないかと疑いかねない状況もあった[1][12]。公にとってこの時点で琵琶湖付近で天狗党を迎え撃つ事は、これらの差し迫った状況、即ち幕府からの嫌疑の目を退けながら、御所警護を図る解決策だった[2]。
同年11月31日、孝明天皇から慶喜へ天狗党鎮圧軍への出馬許可が出た。その内容には朝廷の命に「但降伏致候はば相当の取計致すべき事」とある[3]。この曖昧な命令は、後に悲惨を斉 した。
同年12月1日、武田耕雲斉ら天狗党一行は美濃の揖斐宿に到着した。この時、西郷隆盛の秘命を受けた桐野利秋(中村半次郎)がそこへやってきて武田に面会を求めた。武田は藤田小五郎や竹内百太郎へ彼と面会させた。桐野は薩摩藩が尽力するので本道(中仙道)を経て入京するよう天狗党一行へ進めた。しかし藤田らは彼ら薩摩藩側に感謝した上で、本道を行くのは断った[4]。恐らく当時の薩摩藩には文久2年4月23日(1862年5月21日)寺田屋事件以後にも誠忠組残党が残存していたので、尊攘急進派が公本陣と関わらないこの様な裏の手を回したのだろう。
同年12月3日公は山城を出発、大津に出陣した。節公も翌日、同年12月3日に本圀寺勢を率いて出陣した[5]。
同年12月7日、大津の総督公本陣から加賀藩、永原甚七郎に呼び出しが来て、大垣藩と彦根藩へ次の様な通達があった[6]。「薩摩藩賊徒による嘆願の節は公にないので、十分に討伐せよ」[7]。
同年12月10日には一橋家の探索人、渋沢喜作(渋沢誠一郎、渋沢成一郎)が葉原宿の金沢藩の陣へやってきた。喜作は次の様に語った。「河田十郎という薩摩人が美濃国と近江国の諸藩へ離間策の言を放ったのが知れた。拙者が濃州路で面会し彼を詰問した所、彼は大いに困惑したが、私は推してこれを追及もしなかった。公は薩摩遊説を知らないばかりか、寧ろ一橋卿の嫌疑を解くには速やかに武田勢を征討するに如かず」[8]
同年12月11日天狗党一行は新保宿に入った。ここで長州藩が密使を遣わして若狭国や丹波国を通って長州と共に行動する様に勧めてきた。天狗党側で72歳の山国兵部は、「是非そうしよう。ここで自首しても我らは滅ぼされる。華々しく一戦を交える為にも長州へ行こう」と主張したが、武田は次の様に言った。「国の正邪を明らかにし、先君烈公の遺訓を遵法、外敵を退け国威宣揚する為に常陸国を発ったが、二公に敵する事は臣子の情忍ぶべからざる所なので万事窮すというべきである。よってわが徒の態度はここに決した」[9]。
翌年、慶応元年(1865年)正月18日、田沼意尊が山城へ来て公に面会、公は以前からそうしようとしていた通り田沼へ申し入れた。田沼は次の様に言った。「天下の公論もこれあり、最もよき公平の処置方でなくては皇国人心の折り合いもあり、別して常野にもこれと同様、降伏の徒もあるからその処置は一致せねばなりませぬ」[10]
永原も朝廷も天狗党の助命嘆願をしていた、と茨城県立茨城東高等学校教諭、但野正弘は云う[11]。更に但野は、常野の浪士と幕府側に見做された天狗党を山城に入れない様にする事が禁裏御守衛総督としての公の役目だった、という。そして但野は降伏した者を受け取るのが浪士取締り役の田沼の役割だったので、公は天狗党を田沼へ渡さざるを得なかったという。
安政の大獄以後、桜田門外の変を通じ、天狗党の乱に於いては公の出陣した陣地となった彦根藩の士は、大獄と変の犠牲者数を遥かに超えた人数への斬首刑によって水戸藩士らへ復讐した。しかし、これら更なる数の殺人による報復の連鎖は、結局の所皆殺しに行き着くだろう。公的政府と名乗る勢力による殺人、即ち死刑に関する疑義が天狗党処分について萌芽的に見られると言えよう。
脚注
1 常磐p117-118
2,3 常磐p118
4 常磐p119-120
5 常磐p120
6 常磐p120-121
7 常磐p121
8 常磐p121-122
9 常磐p122-123
10,11 常磐p123
12 常磐p124
参考文献
常磐神社『徳川慶喜公――その歴史上の功績』常磐神社社務所、1998年
慶喜公は元治元年(1864年)3月25日将軍後見職を辞任し、禁裏御守衛総督へ就任していた。同年11月下旬、公は皇室警護を目的に、天狗党鎮圧のため江州路(琵琶湖付近)で早々追討出張仕りたい旨を孝明天皇へ上奏した。その内容は「職掌にとり恐入り候のみならず、右の内私実家の家来も交り居り候得ば」と公の禁裏御守衛総督かつ水戸藩出身者としての責任感が窺える。一方の天狗党は諸生党を含む大発勢(幕府軍)と争いながら尊王攘夷を目的に西行していた為、幕府側では公が天狗党と気脈を通じているのではないかと疑いかねない状況もあった[1][12]。公にとってこの時点で琵琶湖付近で天狗党を迎え撃つ事は、これらの差し迫った状況、即ち幕府からの嫌疑の目を退けながら、御所警護を図る解決策だった[2]。
同年11月31日、孝明天皇から慶喜へ天狗党鎮圧軍への出馬許可が出た。その内容には朝廷の命に「但降伏致候はば相当の取計致すべき事」とある[3]。この曖昧な命令は、後に悲惨を
同年12月1日、武田耕雲斉ら天狗党一行は美濃の揖斐宿に到着した。この時、西郷隆盛の秘命を受けた桐野利秋(中村半次郎)がそこへやってきて武田に面会を求めた。武田は藤田小五郎や竹内百太郎へ彼と面会させた。桐野は薩摩藩が尽力するので本道(中仙道)を経て入京するよう天狗党一行へ進めた。しかし藤田らは彼ら薩摩藩側に感謝した上で、本道を行くのは断った[4]。恐らく当時の薩摩藩には文久2年4月23日(1862年5月21日)寺田屋事件以後にも誠忠組残党が残存していたので、尊攘急進派が公本陣と関わらないこの様な裏の手を回したのだろう。
同年12月3日公は山城を出発、大津に出陣した。節公も翌日、同年12月3日に本圀寺勢を率いて出陣した[5]。
同年12月7日、大津の総督公本陣から加賀藩、永原甚七郎に呼び出しが来て、大垣藩と彦根藩へ次の様な通達があった[6]。「薩摩藩賊徒による嘆願の節は公にないので、十分に討伐せよ」[7]。
同年12月10日には一橋家の探索人、渋沢喜作(渋沢誠一郎、渋沢成一郎)が葉原宿の金沢藩の陣へやってきた。喜作は次の様に語った。「河田十郎という薩摩人が美濃国と近江国の諸藩へ離間策の言を放ったのが知れた。拙者が濃州路で面会し彼を詰問した所、彼は大いに困惑したが、私は推してこれを追及もしなかった。公は薩摩遊説を知らないばかりか、寧ろ一橋卿の嫌疑を解くには速やかに武田勢を征討するに如かず」[8]
同年12月11日天狗党一行は新保宿に入った。ここで長州藩が密使を遣わして若狭国や丹波国を通って長州と共に行動する様に勧めてきた。天狗党側で72歳の山国兵部は、「是非そうしよう。ここで自首しても我らは滅ぼされる。華々しく一戦を交える為にも長州へ行こう」と主張したが、武田は次の様に言った。「国の正邪を明らかにし、先君烈公の遺訓を遵法、外敵を退け国威宣揚する為に常陸国を発ったが、二公に敵する事は臣子の情忍ぶべからざる所なので万事窮すというべきである。よってわが徒の態度はここに決した」[9]。
翌年、慶応元年(1865年)正月18日、田沼意尊が山城へ来て公に面会、公は以前からそうしようとしていた通り田沼へ申し入れた。田沼は次の様に言った。「天下の公論もこれあり、最もよき公平の処置方でなくては皇国人心の折り合いもあり、別して常野にもこれと同様、降伏の徒もあるからその処置は一致せねばなりませぬ」[10]
永原も朝廷も天狗党の助命嘆願をしていた、と茨城県立茨城東高等学校教諭、但野正弘は云う[11]。更に但野は、常野の浪士と幕府側に見做された天狗党を山城に入れない様にする事が禁裏御守衛総督としての公の役目だった、という。そして但野は降伏した者を受け取るのが浪士取締り役の田沼の役割だったので、公は天狗党を田沼へ渡さざるを得なかったという。
安政の大獄以後、桜田門外の変を通じ、天狗党の乱に於いては公の出陣した陣地となった彦根藩の士は、大獄と変の犠牲者数を遥かに超えた人数への斬首刑によって水戸藩士らへ復讐した。しかし、これら更なる数の殺人による報復の連鎖は、結局の所皆殺しに行き着くだろう。公的政府と名乗る勢力による殺人、即ち死刑に関する疑義が天狗党処分について萌芽的に見られると言えよう。
脚注
1 常磐p117-118
2,3 常磐p118
4 常磐p119-120
5 常磐p120
6 常磐p120-121
7 常磐p121
8 常磐p121-122
9 常磐p122-123
10,11 常磐p123
12 常磐p124
参考文献
常磐神社『徳川慶喜公――その歴史上の功績』常磐神社社務所、1998年