2016年8月31日

科学論

科学は属人的ではない、属人的に知識を受けとるなかれ。

商才について

心卑しい人間とつきあうな。自分より劣った者に馴染むな。尊い人に私淑せよ。劣悪な配偶者は不平の原因である。
 金銭や贅沢の為に仕事を択ぶな。蓄財は利他の為にしか用いようがない以上、単なる負債の権利である。
 幸福は程度であり、劣悪な人間は不幸を超えない。幸福は中庸の強度であり、劣悪な人間は徳の実践に於いて極端である。善悪の中間を凡とすれば、凡のよさは善に劣る。人は善の実践においてのみ中庸を保つべきであり、凡においてではない。善の実践において中庸が最上なのは、過度の利他行動は自己犠牲として、助ける者の債権を助けられる者の負債感情に残してしまうからだ。人は善の程度に応じてのみ幸福なのである。ここでいう幸福は、最も質の高い快楽である良心の満足と等しい。最高善を完遂させた生涯は、聖なるものとなる。
 商人らは漸次亡び去る。人は商業を離れて暮らす方が優れている。聖者らは商業を拒んだ。人たるものは金銭を離れて暮らせ。最上の幸福は閑雅と全く同じものである。生業において暇と精神の余裕をえられる者は、忙殺される者より幸福である。人は各々自らに最も向いた職業に就くべきであるが、商才は一つの呪いである。蓄財は怨みと不平の原因で、商才は避けようもなく関係者に負の影響を与えるからだ。

2016年8月30日

西国利権批判

天皇の様な資本主義者や福沢の様な富国強兵論者、松陰の様な侵略主義者、西郷や板垣といった征韓論者、倒幕開国を信じる西国の欧米追従論者らはみな下賎な利己主義者にすぎず、いかなる意図によって政治に加わろうとしているかといえば単なる我欲と傲慢、自己中心な利権目的である。悪質な西国利権および天皇財閥、皇族閥、さらに多数派の横暴を一切排除する事なしに、わが国が正しい政治と幸福な国民をうみだすことはできない。

西国殲滅論

利己害他のわがままに過ぎない西国人は倒幕開国といいテロリズムやクーデターといった蛮行を自己正当化しながら、安倍政権の様な山口県出の僭主が悪政の限りを尽くしているのに我欲から支持するという、致命的な矛盾と腐敗した政治意図をもつ。西国はまた東国、韓国、中国等への侵略について一切無反省で、弱肉強食のマキャベリズムを信奉、全世界支配という邪悪な野望の前で制裁してきたアメリカに敗れた事をかりそめに後悔したふりをしている最悪の野蛮にすぎないのだ。もし陶片追放ができれば悪の枢軸である西国をパージすべきで、それができなくとも西国殲滅が吉かつ必須だ。利己的で有害な西国勢力をわが国政治から完全廃除できれば、少なくとも衆愚政または天皇独裁、皇族縁戚寡頭政下での国家滅亡をまぬがれよう。

恋情と友情

愛情が極端だと恋情であり、中庸だと友情である。同僚(利益集団)と家族(愛情集団)の中庸に趣味の友達がおり、利益にも愛情にも偏らない点で真の友である。

2016年8月29日

技術論

業、因果は永遠に影響を残す。技術は善行と関係がない。技術は道具あるいは手段である。技術を善にも悪にも用いうる。無知は罪なり。

地獄の国

最善人を貶める国は極悪人が長になる。極悪人が長の国は地獄である。衆愚の国は悪政がはびこる。最善人は忠義によって、極悪人は冤罪によって栄える。
 立候補では極悪人しか政治家にならない。傲慢な、悪徳のぬししか、立候補したがらないからだ。推薦によってしか、善政を行う謙虚な者は政治家になれない。選挙にあたっては、立候補を禁じるべきである。推薦のみによって政治家の候補者を選び出すべきである。謙虚な人間が善人である。天皇は地位を降りようとしない限り、極悪人にすぎない。最も清貧な、最も謙虚な人間が、最上の政治家である。最も清貧で、最も謙遜な人間は、目立たない場所にいる。最善の政治家は、賢い民から推薦されるのを待っている。最善の政治家は、何度も推薦されても、地位に就くのを断りさえする。何度断られても、最善の政治家を推挙せよ。どれほど自信家でも、傲慢な立候補者をしりぞけるがいい。みずから天皇と名乗るものは信用してはならない。最善の王侯貴族は、常に、謙遜している。最善の王侯貴族は、民の中で、最も清貧で、最も謙遜しているだろう。善政の国では、最も謙遜な人間が常に推薦されて政治家をする。最も清貧な人間が、最高の王侯貴族である。最も贅沢な王侯貴族、宗教権力者としての天皇は極悪の血統である。極悪の血統に世襲独裁された国は、地獄に等しい。地獄の国、悪政の国、世襲独裁が象徴の国は、覆されねば亡び去るしかない。最善の国に生まれ得ない国民は、地獄に再生する。最善の国からは、贅沢な皇族を排除せよ。最善の国は、清貧な王侯貴族しかありえない。最善の国に生まれる事が、全ての国民の目的である。

むかでの子

むかでの子水を求めて三千里

貴賎と報酬

下賎な人間は下賎な名声を得る。高貴な国は高貴な報酬を与える。知恵は最高の報酬である。清貧が高貴な名声である。真の名声は自己犠牲の代償である。富は徳目の目安ではない。富も権力も、幸福な国の目安ではない。幸福な国は民の徳性が高いのである。幸福な国では善政が行われる。最善人が育った国が、最善の政治を行うのである。最善人はよい生まれと、よい育ちが必要である。最善人のうまれ育った国は、善政を行う。人々は最善の人間を生み育てる事によって、幸福な国をつくる。腐敗した国ではあしきものが子孫を残している。次世代がよりわるく、より愚かになる国は、不幸である。人々の普段の行いこそが、幸福な国か、不幸な国かを決めているのだ。普段の行い、隠れて誹謗をする民の多い国なら、その国は陰湿な悪人がはびこる。普段の行いが陰徳を積む国では、善を行う者が生き延びる。幸福な国に生まれ育った事のない民は、不幸である。不幸の民は民自身の悪業によってそうなのだ。最善の国、至福の国は、民の普段の行いこそが最善なのである。最善の民の暮らす国にあって悪政を行いようもない。悪政が行われると嘆いている民一般は、普段の行いが悪い集団にいるのだ。よりよい国、最善の集団に属せ。最良の県に生まれ、育つべきである。最善の市に、最もよい町に生まれ育つべきである。最善の業をもつ者の都道府県、市町村が、最も幸福なのである。最善の国で生まれ育てなかった、と嘆く者は、両親の悪業を背負っているのだ。民衆政が生じる理由は、生まれ育ちのよいものがいない証拠である。民主主義とは最も堕落した政治の形である。最も生まれ育ちのよい人間は、道徳によって、人々から尊敬を受けるであろう。尊敬すべき人間のない社会は、最悪の政治を行う。道徳の高い人間、生まれ育ちのよい人間が一人でもいる社会は、尊敬すべき政治をおこなう。天皇より生まれ育ちのよい人間が生まれた県は、新たに善政をおこなう。天皇より生まれ育ちのよい人間は、天皇以上の権威と尊敬を受ける。最善の政治が最も幸福な人生をもたらすのだ。最善の政治を求めるには、みずから普段の行いを正せ。最善の政治は民全てが善良であって、最良の民の中の最善人が最高の政治を行う。悪辣な民の間で、善政を求めても無益である。悪辣な為政者に善政を期待する事はできない。尊敬すべき道徳を持つ者を、為政者にするべきだ。最善人を見つけたら、最善人に力をもたせるがいい。最善人が最大の力をもつ社会こそ、幸福な政治をするのだ。最善人は最もよい生まれ育ち。どの社会にあっても、最善人をみつけだすがいい。最善人に最高の権力を与える事が、善政の原因である。最善人を国政に推薦せよ。極悪人の立候補をくじけ。極悪人の偽りの権力を、権威を、象徴をあばくがいい。最善人が引きこもっているなら、そこは悪い国である。極悪人がでしゃばっているなら、そこは滅びる国である。善悪を見分けられない民は、愚民である。賢明な民のもとに、最善の政治がある。最善人を推薦できたくにが、幸福な社会をつくる。最善人は謙虚であり、推薦を受けねば政治を行いはしないだろう。政治家は推薦によって選ばれねばならないのだ。傲慢な人間は自ら立候補する。傲慢は悪徳である。謙虚な、最善人を推薦して権力者にせよ。最善人のつかさどる国は、幸福な政治を行う。悪政をかえたくば、傲慢な極悪人の立候補者をくじくべきだ。傲慢な立候補者たち全てを否定せよ。傲慢な立候補者たちの腐敗国政を否定せよ。最善人を推薦し続けよ。最善の国、最善の国政のもとにあってのみ、人は幸福たりうる。最善の国は国をこころから敬い、誇るであろう。最善の国は民をこころより愛するであろう。最善の国は政府のふるまいを尊敬するであろう。最善の国はどこかにあるのではない。最善の国は民のふるまいなのだ。最善の国は知恵の高い民のもとにあるものなのだ。知恵のある民を生み出すには、学問が必要である。知恵のある民をみいだすには、哲学が必要である。学業によって民は賢くなる。勉学によって最善の民が生じる。最善の国は、結局、普段の哲学次第なのだ。哲学を愛する国では、最善の政治が行われる。哲学を愛する民は、最善人を国政の長とする。最善の民をうみそだてるには、哲学を愛せ。知恵を求める者を、尊べ。知恵の高い民は、優れた子供をうみそだてる。善良な子供が、優れてよい政治家になるのだ。最善の政治とは、普段の民のおこないが、知恵の高い国の日常である。民が愚かで、学ぶ気がない国は、悪政が日常である。富によって貴くなるのではない。知恵によって貴くなるのである。富は知恵を得ようとする者の為に費やせ。富を下賎な者についやしてはならない。富を浪費した国は、悪政によって自滅していく。高貴な国は平和を保ち、下賎な国は戦争を起こす。かつて、平和によって亡びた国はない。亡びる国は戦争によって亡びたのだ。最善の政治は平和を維持し、促進する。悪政を行う宗教権力者を崇めるな。いかなる権力者も、善政を行わねば存在すべきではない。いかなる象徴も、悪政のもとでは悪の象徴にすぎない。悪の象徴を崇めるな。戦争によって平和をえることはできない。最善の政治は、永久の平和をつくる。未来永劫、戦争の惨禍のない社会では、最善人の政治が永続したのだ。最善人はよい生まれ育ちの者が1人、存在している事である。最善人が1人もいない社会のみが、戦争によって滅亡したのだ。多数派が最善人を弾圧した場合、最善人は亡命する。最善人を国政につけねばならない。最善人が他国に亡命すれば、祖国は亡びてしまう。他国からも最善人をあつめよ。あらゆる国々から、最善人をよびこめ。最善の国は、尊敬を受ける。最善人は特定の種族からのみ生まれるのではない。最善人はよい生まれだが、どの種族か、決まっていないのだ。最善人の種族が、永久不変に最善人を生むわけでもない。最善人の血統が、永久不変に最善人のままなのでもない。最善人の配偶者によって、最善人の血統も堕落しうる。最善人の配偶者も最善人でない限り、また先祖も最善人のみでない限り、最善の血統は永続しない。最善人がただ1人である限り、最善人は1代で途絶えるかもしれない。最善人が永続する可能性はごく低い。最善人の血統は、殆どの場合、1代でかえられねばならないだろう。よい生まれ、よい育ちは、時代によって変化しやすい。ある時代に最善人を生み出した文化は、未来においては必ずしもそうではない。あらゆる文化を弾圧するな。どの文化が最善人を生み出すか、未来において分からないのだ。あらゆる種族を断絶させるな。どの種族が未来において最善人を生み出すかもしれない。最善人に最大の力を与えた国は、もろもろのあしき国より幸福な時代をつくる。わが国の栄えも衰えも、最善人の推挙にかかっている。最善人を見出せば、彼の謙虚をおして、国政にあげよ。最善人が断ろうとも、最高の権力を与えよ。最善の国のみが幸福なのだ。最善の国のみが生きるに値する。程ほどの国は、最善の国より劣っている。程ほどの国の人生は、最善の国の人生より、不幸である。人は、最善の国に住みたいと欲する。最善の国では政府も、政治も、尊敬されている。最善の国では、上に立つ者は、民よりも善良なのだ。善良な民を高い地位につけよ。悪質な民に権力を与えているなら、断固として奪え。義憤をもってあしき権力者の力を奪い去るがいい。最善人が最高の力を持っていない国は、恥ずべき堕落である。極悪人が最高の権威を得ている国は、罪に値する。最善人の治める国は、諸々の尊敬すべき国ぐにから、最大の尊称を得る。果たして、最善人の国のみが、のぞましい名誉を得るのだ。最善人を貶める衆愚の国では、あらゆる汚名が全ての民にふりかかる。性格のわるい民、下賎な民の国では、汚名のみが与えられる。最善人の国のみが、全ての他国民から尊敬を受けるのだ。最善人の国は、全ての国々の幸福を願う。悪意を持った他国に対してさえも、慈恵で接する。悪意を持った国に戦によるのではなく、支援によって和解する。最善人の国はあらゆる民が住みたいとのぞむので、世界で最も栄える。最善の国は、まるで帝国の様相を呈する。だが、帝は悪徳によって尊敬されているのではない。最善の国の為政者は、公徳の高みによって尊敬されている。公徳はあらゆる才能のうち、最も政治に適した才能をいう。公徳はあらゆる民の幸を願い、実践的解決を見出す才能である。最も公徳の高い民を、政治上の最善人とみなすべきだ。最も公徳の高い者を卑しめる国では、不幸な人生が生じる。悪政は民を虐げるのだ。劣った船頭のように、悪政は民を悪業にいざなう。最善人は富によるのではない。最善人は知恵によるのである。諸々の知恵にあって、最高の知恵が、公徳である。万国の為政者ともっともふさわしく和解する人間は、最良の政治家である。敵対し、悪意を持つ国に対してさえ、悪意を持って返答するな。敵対し、悪意を持つ国、侵略や搾取を行う国に対して、有徳なふるまいをせよ。弾圧によってではなく、知恵によってまされ。最善の和解とは、常に、知恵によるのである。武力によって得た仮の平和は、すぐに失われた。侵略や征服は、恨みを残した。うらみを残した侵略や征服は、必ず復讐を呼ぶ。最善の国は、いかなる侵略や征服によってもみいだされない。最善の国は常に、平和を永続させてきた、ある集団がみいだすのだ。最善の国はもたらされるのではない、普段の民がもたらすのだ。最善の国は、生まれ育ちのよい民の集団のことである。最善の国は、遺伝と、環境において、最良である。よい場所に住み、よい遺伝をもつ民の集団が、最善者をうみだす。最善人は悪政をおこなう、あしき生まれ育ちの民からはうまれえない。不幸な国は人口を減らし、ほろびさる。幸福な国は人口をます、さかえゆく。人口が減り続ける国は、ほろびのさなかにある。あしき民は、不幸な人生に憂い、子供をうまない。よい民のもとでは、生まれ来ることは希望と約束された幸福である。あしき民の、最悪の国では、生まれ来ることは不幸の原因である。極悪人の国でうまれ来ることは、後悔のみをもたらす。生まれ育ちのわるい民は、生命を否定せざるをえないのだ。最善人を生み育てられなかった国では、死のみが希望となる。自殺の多い国では、生まれてくることが不幸なのである。最善人の治める国にあってのみ、永遠の栄えがえられる。永遠の生命は、最善人のおさめる国にある。最善の国に生まれたくば、普段の行いの清らかな県に住め。最善の国は最善の民のくらす市にある。極悪人を見出し、比較的悪質な民をみいだした地域から、外に出よ。あしき民の、悪政の地域から、亡命せよ。最善の民、最良の集団がくらす地域に移民せよ。最も幸福な人生は、最善の民、比較的善良な集団の中にあって得られる。極悪人集団がしきる国政は、常に打破されねばならない。最善人の長となる国にかわらないかぎり、悪政の国はほろぶのだ。極悪人はみずから傲慢に立候補する。最善人は決して立候補せず、謙遜している。国政に最善人をつけるには、推薦のみが手段なのだ。推薦のない選挙では、より悪政がすすむだけである。自ら最善人をみいだし、彼や彼女を推薦せよ。より最善の公徳を持つひとをみいだしたら、彼や彼女を推薦せよ。最善の国は最善人が長をしないかぎり、つくりえない。最善の国以外にうまれ来る意義はない。よりあしき国に生まれ育つほど、反面教師の道具にされるだけである。悪例扱いされ、悲惨に死ぬ人生は、不幸である。あしき人間が繁殖する国は、ますます悪くなってしまう。悪政のもとでは、より悪い人間のみが、子供を生んでいる。悪い人間が子供を生んでいる国、都道府県を、反面教師とみなせ。最善人、善良な人間が子供をうんでいる国のみが、生きるに値する。

歴史

夢を紡ごう
悪しき人々は亡びてゆく
善き人々を守り立てよう
我らは騎士だ
誇り高き武士の見上げる空は高く
だれもが忘れ去った徳を胸に歩む
変遷していく時代
俗悪な衆愚と腐敗した天皇
だれもが絶望のさなかにあって
我らは小さな洞窟に篭り
悟りを開く
果てしない海が見える
地平線まで続く稲穂
筑波山の紫の峰が霞ヶ浦に反射している
飛ぶ白鷺の羽ばたきの音だけが響く
英雄達は去り
残された我らは何をか思う
悪しき国々は亡びてゆく
善き国々と共に歩もう
我らは貴族
誇り高き芸術家だ
夢を紡ぐ仕事にあって志高く
誰もが幸を得る日に向かい羽ばたいて行く
悪しき者は亡び去る
善き魂を保て
我らは勇気
我らは指導者

2016年8月28日

最善の国と最悪の国

利己的な人間達はより不幸になるよう生かされている。生まれた利己的な子も、親より不幸になるよう生まれついている。従って利己的な人間は不幸の星のもとに生まれ、利己的な人間である事は不幸に生きている事と等しい。
 利他が幸福である事は、良心が人間の幸福を内面から産み出す源泉なのと等しく、悪意または良心の呵責、自責感、罪悪感は幸福になる事を根本から不可能にする。これらは内的制裁のしくみで、法秩序や名声、即ち刑罰や褒賞は集団の目的意識、公共道徳の為に外的制裁を行わせる。
 利己的な人は自らの幸福が利益や繁殖によって得られると信じて行動しているが、実際の結果は正反対になる。これは内的制裁が利己人の愚かさによって弱い、または良心の質が低い、中長期に因果的な思考がない、刹那的と考えられる場合に、利己のもたらす有害さが単にその人を蝕むのみならず、本来の意味で善良な、良識ある他者からあるべき好意と返礼を期待できない事によっている。利己の人は外的制裁を受ける事が往々にしてあり、それどころか、衆愚や悪い仲間からは誤った名声により虚栄を与えられ、更に悪い、酷く劣った状況に陥るのみならず、賞与としての給料や報酬が利己の誘引にされた場合、この制裁は悪事の道具にまでなる。人はこの様にして自由にあって最もよく当人の内的あるいは外的な制裁を受ける。衆愚、悪党や独裁者仲間にとって悪徳が最高の褒賞である事は、腐敗した集団の目的はその利己的な大集団、利己的な小集団や僭主に使役される事だからで、いわば悪の誘引が偽りの名声や、濡れ衣としての汚名をもたらすものだ。現に私もある極悪京都人らからの濡れ衣によって、又は東京都からの搾取によって迫害や冷遇を受けたが、これらは彼らが利己的な人間である限り、私への悪の誘引が失敗した事しか示さない。私に彼らが着せようとした汚名は彼らの汚さを証明し、私からとりあげた金銭は私の清貧を強調してしまった。結局、悪い仲間は悪人をふやし、利己的な社会を作るため日々不幸を増幅していく。そしてこの醜悪な利己社会で虚栄を極めるのも極悪人なのだ。
 裏返せば、最善人の社会が救われているのは彼らが善良な人間に報い、誉め、或いは恵む事から明らかで、しかもこの善い仲間は利他的な遺伝形質をふやそうとする限り、ますます最善さがましていく。幸福な社会は利他的な人の栄える社会で、その人々が幸せなのは、良心と名声が道徳と一致しているからと解釈できる。しかし、悪い仲間が悪徳を、善い仲間が善徳を奨励する現象との差は、本質的に当の大小集団または主がもつ道徳知能の高下、倫理的賢愚によっている。法や地位も道徳知能から導き出されるものだから、刑罰や褒賞は道徳知能の高い仲間と低い仲間、或いは道徳知能が質的に異なる集団の間では趣を異にする。つまり悪趣味とよい趣味は当の集団の道徳知能の違いなのだ。
 美は性に関する感受的な脳部位の転用であり、よい趣味は美についても道徳知能の濾過または適用を経たこの部位の反応する共通部分である。社会の美意識が個人または集団にとって違うのは、よい趣味が利他的な人の、悪趣味が利己的な人の快適さを示すのに等しい。大衆商業社会である東京や関西の信じる美が低俗または退廃的なのは、その集団の道徳知能が低く、本来醜とみなされる悪徳の表現を美と勘違いするからに過ぎない。よい趣味はよい社会と利他的な仲間をつくり、幸福を彩る物であり、その社会にあって地位や貧富は善良さと比例している。道徳知能についてより愚かな時代やより愚かな集団は、不幸な生態を示す事で世に悪例を、反面教育を与えるべくあるのだ。殺戮や侵略搾取を生業にしてきた極悪人または偽善者の天皇家が実質か名目どちらかで最高権力者や最高権威者だったり、象徴であったりする日本国社会は、なるほど悪趣味の権化で、特定の弥生人系の集団が不幸な仲間な事、そして世に住むべくもない悪魔のつどう地獄の存在する事を証明する為にあったのだ。最善人は極悪人の天皇家や彼らの悪い仲間のつどう東京や関西、そして日本国を亡ぼし、利他的な仲間による最善の国を建国するだろう。この2つの国にあっても、最善人と極悪人とは存在するが、善い国では最善人が最高の地位と名声、報酬を得ており、悪い国日本では極悪人の天皇家が最高の地位または象徴という名目君主の偽装と、最大の大金、偽りの名声を得ている。最善の国では最大報酬が利他の為に使われるので、最善人の最高の地位や名声は清貧の度合いによって測られている事だろう。逆に最悪の国日本では、天皇家という僭主が最大の私的贅沢の為だけに崇拝されているのだ。結論をいえば、弥生人系集団と天皇家は道徳知能の低さ、又は他集団との質の違いによって最悪の国日本を独裁、寡占、群れて蹂躙しようとしてきたのであり、そうしてできた不幸の地獄で破滅的な退廃生活を送りつつ悪魔の子孫を世の反例として産み出しているのだ。薩長土肥や京阪神はじめ、いじり、虐め、弱いもの虐め、弱者虐待、侵略、暴利、冤罪、匿名での誹謗、虐殺や搾取の正当化、弱肉強食といった関西人一般や西国人一般のもつ卑劣な悪習は、道徳知能の低さに起因した利己的害他的な行動により、彼らの不幸と生き地獄を強調する。彼らの西国や西国人一般の破滅や悲惨こそが、人類の高徳の証になるのは、極悪が不幸の極みの為である。

とんび

とんび啼く不条理な世をこえてぞあれと

2016年8月27日

資本主義、自由主義の極悪さ

資本主義、自由主義下にあって金持ちは下賎の証明であり、大衆の好評、人気は下衆の証拠。資本と自由は極悪人を栄えさせる。現代主要先進国群は悪魔の住処である。商人は悪であり、商業地である東京都は極悪人の集住地である。悪魔の末路は破滅だけだ。
 寄付経済は金銭の多さや量的経済効果ではなく、精神上の善行、善意の程度を目的にする。搾取によって生活する金持ち、また消費者は彼らの悪徳と悪業の程度、即ち金儲けの量と蓄財量、消費量とによって不幸となり、一様に全員が破滅しなければならない。最大の蓄財を行う世襲独裁者の天皇は最も下卑て最も下賎な存在である限り最も不幸であり、全人類からの復讐によって最も悲惨な破滅をしなければならない。

品位

人は品位に応じた人生になる。最も高貴な人生が最も幸福である。
 悪徳は自らを害する。良心の満足こそ真の幸福である。
 真の幸福は道徳的に生きている人の人生そのものだ。最も高貴な人の人生が最も幸福なのも、道徳が最も高いから。子は業の一部にすぎない。業の全体が人生の本質である。子は遺伝として、あるいは成長過程として、生まれながらに親の業を背負っている。
 より高次元な正義は争いをなくす。傷は癒えるが、罪は消えない。呪われた人への災厄は因果応報と見なされ、救われている人は同情される。
 被害者への同情は最大でなければならない。加害者への同情は最小でなければならない。

2016年8月26日

功徳と罪科

卑しい人は人を不幸にひきずりおろし、卑しい人の子もまた卑しい。卑しい人間と関わるな。卑しい人間は罪を犯して恥じる事もなく繁殖するが、その子も親もまた地獄に至る。この世では業から逃れられる者はない。罪を犯した者は、業に祟られているのだ。人は功徳によって救われ、罪によって破滅する。卑しい人間が繁殖しているならその社会はさらに悪くなる。繁殖しているからといって尊いのではない。卑しい親の子供は、生まれながら地獄に至る。
 尊い人を見つけられなければ、一人で孤立していよ。尊い人のみが幸福だからだ。功徳を積んだ者を報いない社会は、亡びの最中にある。業は必ず因果を結ぶ。功徳を積んだ人はいかなる場合にあっても救われている。人は、尊くなければ幸福ではない。下賎な人間に関わって汚名や不幸をなすりつけられたといって嘆くな。その下賎な人は君をよごしたのではなく、己の身を卑しくしたのだ。下賎な者の子供も卑しい。卑しい者の人生の全ての部分、そして末路は必ずや不幸である。業を見よ。人は業の中にある。
 尊い子は幸福であり、卑しい子は不幸である。親の遺伝した尊卑は子の遺伝した尊卑であり、親の教育もまた親の尊卑を超えない。業を理解しない親は卑しく浅ましい、罪科のある振る舞いをし、その子もまた生まれながらに親の悪業のゆえ永久に世界で呪われている。
 人は、正しい業の元では常に、尊い結果を得る。また悪しき業の元では常に、卑しい結果を得る。下賎な人間に被害を受けた者は、その下賎さの一部にふれて恐れおののくが、最も不運なのは下賎な人間自身なのだ。高貴な者は功徳を積み、彼の尊さニ触れた者を幸いに導くが、最も幸運なのは高貴な者自身である。身分や肩書きは尊卑の基準ではない。卑しい天皇と尊い貧民はその幸不幸も必然である。

商才は年収に比例している。他方、商人が天職ではない人にとって、商才や年収と幸福は比例・相関していない。逆差別、贔屓もまた差別なり。偏見は差別をつくる。人は人にした事をされる。

2016年8月25日

全徳

全徳は全知の部分集合である。
 金とは虚栄である。
 倫理は物理に従う。倫理は物理の一部である。論理、物理、倫理はそれぞれ異なる集合であり、論理は物理の、論理と物理は倫理の真部分集合である(論理⊂物理⊂倫理)。

2016年8月24日

経済学

人は農業国では善良になり、工業国では勤勉になり、商業国では不幸になる。国は農工商の段階で発展し滅亡に至る。これらは国民の行う第一次、第二次、第三次の産業比率で理解できる。商業化が進んだ国は民同士が競争的、即ち共食い的な相互害他をはじめ、滅び去る。滅びた国と対照的に、農業力の強まった国は土地生産性、人口支持力が高いままであり、民の資質は食料の過剰生産分を慈恵しうるだけ利他的になる。またこの次に暮らしに余裕を持つに至った民による技術革新によって工業化が進むと、経済成長率が高まり、民の生活は道具面で目に見えて向上する。工業化の激しい段階では潜在的経済成長率の為に民はますます勤勉になる誘引をもつ。他方、土地の工場転換により農業力が次第に弱まるとき、技術革新の速度は余裕の逓減と利益についての工業上の特化率の為に緩まる。この特定の道具についての工業化の末期において利益追求が始まると、次第に工業内部から販売効率を求め商業化する。利益に関する効率の追求は奉仕産業(サービス産業)へ転換を促し、商業化が末期に至ると物品の交換を離れ奉仕産業のみで利益を最高効率化しようと図る。情報産業それ自体は商業ではなく、交換する物品としての資料(データ)の塊の生産と頒布は工業に該当する。虚業と呼ばれる各種の産業の内、情報を入れて日用品、便宜品、贅沢品を含む物品の交換に該当しないものが、本来の人的奉仕産業である。虚業にあっては金儲け、マネーゲームと呼ばれる様、金銭の交換のみから差額を占めようとする株取引、為替取引、金貸しなどの傾向が現れ、いわゆる金利生活者が登場するが、彼らが産業の極相であり、いわば腐敗した産業人となる。即ち金利生活者が多数化するに従って過当競争的となった末期商業市場では利益の奪い合いのみが集団極性化し、働くほど貧しくなるという搾取の拡大が際限なく広まっていく。こうして商業国では人口支持力の減退と出生率の急減、即ち滅亡が始まり、最終的には自然消滅するか、近隣の農工業国から分割割譲ないし編入支配されるに至る。侵略戦争が生じるのは商業化の過剰段階で独裁者(僭主)が当人の蓄財した富を維持拡張する為、衆愚の不満を対外敵意にむけかえる目的による。殖民地侵略も同様の意図で、僭主か寡頭者によるものである。衆愚あるいは民衆の敵意は内政に向けられれば革命か、外政に向けられれば戦争となる。対外戦争で勝利したとしても国富は争いに乱費され、当国の商業的な不利さは改善されない。他国の軍需で漁夫の利を得た場合も、凡そ一時的なものにすぎず自国の民の生活に由来した産業構造を抜本的にかえるに至らない為、却って他国依存が進み政治は不自由となる。防衛戦争を行う事も国富の乱費をもたらす上に、戦争という最も不幸な状況を招来する為、極力行わない方が商業上に有利である。これらの国の末期症状は商業化の腐敗によるものであり、当国の政治の行き詰まりで生じる。
 以上にあげた産業循環論は、国を何らかの国とみなせる連邦単位にあてはめるか、県あるいは市等のより小さな単位に、もしくは地球という巨視的な単位におきかえることもできる。この循環としての産業の見方を読者は、マルクス唯物史観とは別の立場から産業についての分析を可能とする枠組みで、厳密にマクロ経済学なものというよりは社会学的な産業解釈の一方法と考えてほしい。なぜなら微視的には常に反例が生じるだろうからだ。

人と哲学

人は自己実現や超越の後にも別の人格を形成する。人は戦争を逃れてしか幸福になれない。金銭は幸福ではなく不満の原因である。不勉強な人は忙殺される。
 哲学は集団極性化の修正でなければならず、その本質は反既存宗教的か、新教的である。

2016年8月23日

西国解体論

再び長州閥並びに天皇独裁の政府と西国の弥生系帰化人らの悪意によって戦争の惨禍がくりかえされようとしていることは、彼らの感情知能あるいは道徳知能が十分に低く、利他性に欠けた有害な集団である由縁であり、悪しき日本国が、平和に報いる善き縄文系日本人の仕切る東国を除き解体され、天皇と西国民の邪悪さが白日の下に晒されながら、彼ら天皇及び弥生系西国民の集住しうる生存領域ならびに彼らの生活領域としての西国が世界から一掃され滅亡する事こそが、極東と世界の平和の為になると万国に証明するものである。