2016年8月28日

最善の国と最悪の国

利己的な人間達はより不幸になるよう生かされている。生まれた利己的な子も、親より不幸になるよう生まれついている。従って利己的な人間は不幸の星のもとに生まれ、利己的な人間である事は不幸に生きている事と等しい。
 利他が幸福である事は、良心が人間の幸福を内面から産み出す源泉なのと等しく、悪意または良心の呵責、自責感、罪悪感は幸福になる事を根本から不可能にする。これらは内的制裁のしくみで、法秩序や名声、即ち刑罰や褒賞は集団の目的意識、公共道徳の為に外的制裁を行わせる。
 利己的な人は自らの幸福が利益や繁殖によって得られると信じて行動しているが、実際の結果は正反対になる。これは内的制裁が利己人の愚かさによって弱い、または良心の質が低い、中長期に因果的な思考がない、刹那的と考えられる場合に、利己のもたらす有害さが単にその人を蝕むのみならず、本来の意味で善良な、良識ある他者からあるべき好意と返礼を期待できない事によっている。利己の人は外的制裁を受ける事が往々にしてあり、それどころか、衆愚や悪い仲間からは誤った名声により虚栄を与えられ、更に悪い、酷く劣った状況に陥るのみならず、賞与としての給料や報酬が利己の誘引にされた場合、この制裁は悪事の道具にまでなる。人はこの様にして自由にあって最もよく当人の内的あるいは外的な制裁を受ける。衆愚、悪党や独裁者仲間にとって悪徳が最高の褒賞である事は、腐敗した集団の目的はその利己的な大集団、利己的な小集団や僭主に使役される事だからで、いわば悪の誘引が偽りの名声や、濡れ衣としての汚名をもたらすものだ。現に私もある極悪京都人らからの濡れ衣によって、又は東京都からの搾取によって迫害や冷遇を受けたが、これらは彼らが利己的な人間である限り、私への悪の誘引が失敗した事しか示さない。私に彼らが着せようとした汚名は彼らの汚さを証明し、私からとりあげた金銭は私の清貧を強調してしまった。結局、悪い仲間は悪人をふやし、利己的な社会を作るため日々不幸を増幅していく。そしてこの醜悪な利己社会で虚栄を極めるのも極悪人なのだ。
 裏返せば、最善人の社会が救われているのは彼らが善良な人間に報い、誉め、或いは恵む事から明らかで、しかもこの善い仲間は利他的な遺伝形質をふやそうとする限り、ますます最善さがましていく。幸福な社会は利他的な人の栄える社会で、その人々が幸せなのは、良心と名声が道徳と一致しているからと解釈できる。しかし、悪い仲間が悪徳を、善い仲間が善徳を奨励する現象との差は、本質的に当の大小集団または主がもつ道徳知能の高下、倫理的賢愚によっている。法や地位も道徳知能から導き出されるものだから、刑罰や褒賞は道徳知能の高い仲間と低い仲間、或いは道徳知能が質的に異なる集団の間では趣を異にする。つまり悪趣味とよい趣味は当の集団の道徳知能の違いなのだ。
 美は性に関する感受的な脳部位の転用であり、よい趣味は美についても道徳知能の濾過または適用を経たこの部位の反応する共通部分である。社会の美意識が個人または集団にとって違うのは、よい趣味が利他的な人の、悪趣味が利己的な人の快適さを示すのに等しい。大衆商業社会である東京や関西の信じる美が低俗または退廃的なのは、その集団の道徳知能が低く、本来醜とみなされる悪徳の表現を美と勘違いするからに過ぎない。よい趣味はよい社会と利他的な仲間をつくり、幸福を彩る物であり、その社会にあって地位や貧富は善良さと比例している。道徳知能についてより愚かな時代やより愚かな集団は、不幸な生態を示す事で世に悪例を、反面教育を与えるべくあるのだ。殺戮や侵略搾取を生業にしてきた極悪人または偽善者の天皇家が実質か名目どちらかで最高権力者や最高権威者だったり、象徴であったりする日本国社会は、なるほど悪趣味の権化で、特定の弥生人系の集団が不幸な仲間な事、そして世に住むべくもない悪魔のつどう地獄の存在する事を証明する為にあったのだ。最善人は極悪人の天皇家や彼らの悪い仲間のつどう東京や関西、そして日本国を亡ぼし、利他的な仲間による最善の国を建国するだろう。この2つの国にあっても、最善人と極悪人とは存在するが、善い国では最善人が最高の地位と名声、報酬を得ており、悪い国日本では極悪人の天皇家が最高の地位または象徴という名目君主の偽装と、最大の大金、偽りの名声を得ている。最善の国では最大報酬が利他の為に使われるので、最善人の最高の地位や名声は清貧の度合いによって測られている事だろう。逆に最悪の国日本では、天皇家という僭主が最大の私的贅沢の為だけに崇拝されているのだ。結論をいえば、弥生人系集団と天皇家は道徳知能の低さ、又は他集団との質の違いによって最悪の国日本を独裁、寡占、群れて蹂躙しようとしてきたのであり、そうしてできた不幸の地獄で破滅的な退廃生活を送りつつ悪魔の子孫を世の反例として産み出しているのだ。薩長土肥や京阪神はじめ、いじり、虐め、弱いもの虐め、弱者虐待、侵略、暴利、冤罪、匿名での誹謗、虐殺や搾取の正当化、弱肉強食といった関西人一般や西国人一般のもつ卑劣な悪習は、道徳知能の低さに起因した利己的害他的な行動により、彼らの不幸と生き地獄を強調する。彼らの西国や西国人一般の破滅や悲惨こそが、人類の高徳の証になるのは、極悪が不幸の極みの為である。