2016年8月26日

功徳と罪科

卑しい人は人を不幸にひきずりおろし、卑しい人の子もまた卑しい。卑しい人間と関わるな。卑しい人間は罪を犯して恥じる事もなく繁殖するが、その子も親もまた地獄に至る。この世では業から逃れられる者はない。罪を犯した者は、業に祟られているのだ。人は功徳によって救われ、罪によって破滅する。卑しい人間が繁殖しているならその社会はさらに悪くなる。繁殖しているからといって尊いのではない。卑しい親の子供は、生まれながら地獄に至る。
 尊い人を見つけられなければ、一人で孤立していよ。尊い人のみが幸福だからだ。功徳を積んだ者を報いない社会は、亡びの最中にある。業は必ず因果を結ぶ。功徳を積んだ人はいかなる場合にあっても救われている。人は、尊くなければ幸福ではない。下賎な人間に関わって汚名や不幸をなすりつけられたといって嘆くな。その下賎な人は君をよごしたのではなく、己の身を卑しくしたのだ。下賎な者の子供も卑しい。卑しい者の人生の全ての部分、そして末路は必ずや不幸である。業を見よ。人は業の中にある。
 尊い子は幸福であり、卑しい子は不幸である。親の遺伝した尊卑は子の遺伝した尊卑であり、親の教育もまた親の尊卑を超えない。業を理解しない親は卑しく浅ましい、罪科のある振る舞いをし、その子もまた生まれながらに親の悪業のゆえ永久に世界で呪われている。
 人は、正しい業の元では常に、尊い結果を得る。また悪しき業の元では常に、卑しい結果を得る。下賎な人間に被害を受けた者は、その下賎さの一部にふれて恐れおののくが、最も不運なのは下賎な人間自身なのだ。高貴な者は功徳を積み、彼の尊さニ触れた者を幸いに導くが、最も幸運なのは高貴な者自身である。身分や肩書きは尊卑の基準ではない。卑しい天皇と尊い貧民はその幸不幸も必然である。