2005年9月30日

物理学

光速度不変の原理が必要な理由を解く事。

朝

澄む空気新しい朝とある秋

心

緑に溢れた公園で散歩している。君はからりと晴れた雨上がりの青空を眺めた。
 空から光が舞い落ちて来て、沿道に並んだいちょうの葉のすき間から木漏れる。少し肌寒いくらいになった風が、うすい紺色のブラウスを着けた体を吹き抜けて行くのが分かる。気持ちのよい季節だ。一年中こうだったらいい。けど、それだと楽しみが減ってしまうだろう。この星の日々という限りない演出の中で、その上下する胸の奥には、優しい鼓動を刻む心しかないのだとしても。

秩序

深い山奥にいる。複雑さを自発的にめざす自然形態のよう迷路化されたビルの地下室。ここには誰もこない。建築設備だけが絶えざる律動を、不気味に刻む。

 何を探しているでもない。何を求めているでもない。ただ先へ、先へ進むことが必要だ。底がゴム製の靴はどんな逸話も語らない。愚直に、ロボットみたく歩を進める為だけにしつらえられた、機能的で、現代的な工業製品。
 ふと、あるドアの前で止まる。扉には特徴を示すサインもない。単なる、規格通りに設置された鋼鉄の境界だ。開く。中に入る。

 そこには管理された空調のみがある。他には特にどうということもない、四角い箱型空間だ。ゆっくりと部屋の中心へ向かい、置かれていた極めて簡易的なイスに腰掛ける。エアコンがかすかに立てる空気の摩擦、蛍光灯が微小ボリュームで歌うなにかしらの電子音以外には、いかなる変調もない。空虚だけがある。壁と天井には、コンクリートの表面に薄いベージュのペイントが施されている。床は緑の滑りにくい素材で、その他に特記されうる点は無い。そして匿名的な人物として私はいる。大都市の、地下の、無辺の闇の中に紛れて。
 考える。この星に築かれた文明、生命史が何の為なのか。そして生まれてきたわけを。
 思念は抽象化された諸概念の組み合わせに解体され、ひとかたまりのエネルギーとして脳内信号を行き交(か)う。どこにも辿り着かない。どんなゴールにも達しない。理想の為の理想だけが残される。

 仕方ない。生きている事実を突き詰めるしかない。答えは恐らく時代に従うだろう。働くのだ。生活という自由をプログラミングされた機械の様に。

 しばらく時が経った後、その部屋には何も無い。静かな、整理された秩序だけがある。そこに人は含まれている。

2005年9月29日

学究法

人間をこの宇宙の形と認めれば我々が精神と呼ぶ化学反応も当然その一種と考えられる。真善美が根源的に一致するのも不思議ではない。暫しそれらが互いに食い違うのは、見方が表面的だからだろう。がそれら真善美が各々異なる学究体系をもつのも、また事実。
 科学には帰納法。哲学には演繹法を。仮証法は芸術の為に取っておこう。そう考えれば学究にまつわる大抵の混乱は未然に防げるだろう。

真理や法則は脱構築され続ける当為

宇宙論の究極は、各科学者が事実を照らし合わせ真を精査し続ける中にしかありえなそうだ。最も根本的な法則は人間自身によって絶えず脱構築され続けねばならないものだから。もし真理が自然界に既成の本質なら、科学研究を行う我々には一切の自由がないことになるだろう。
 実証主義はこれに反しない。仮説と検証の経過は得られた結果から自立しているから。

識者

その人物は、既成組織や制度から自由であり、しかもあらゆる場面で抜群の実力を発揮するのでなければ充分でない。だから有限な生の中で、自ら識者を名乗る者は傲慢に過ぎない。

自我作古

文化とは、あしき伝統を断ち切り、よき伝説を自ら創ることである。

現代日本の課題

他国のよい風習を貪欲に摂取し、自国の悪いそれを積極的に破棄して行くと同時に、創造の習慣と精神の独立が各個人に自覚されることが現代日本の課題。

ロボット風紀

戦後日本への順応とは、波風立てず、和を重んじ、自らの平均化に傾注すること。学閥階層入りを無難にこなし、上司に逆らわず、頭を下げ済みませんといい、機械的に通勤通学をくり返すこと。子供を同じしくみに馴染ませること。
 だがそれが美風か。もっと優れた大衆社会の有り様はある筈だ。

応用科学について

応用科学すなわち工学は、常に純粋科学に従属する。もし純粋科学が基底になければ工学は職人芸となんら変わりないだろう。

俗物科学

科学研究の目的は思考であり名誉ではない。

2005年9月28日

命題

解くべき命題の総体に対しあまりに残り時間が少ないと気づいたら、些事を省略せよ。

偉大

偉大になるため犠牲にしてきた過去を後悔する者は決していない。

時

人生の時は過ぎる。その誉れも罪も己にある。

大統一論は物理学の完成ではない

もし物理の基本原理として大統一論が確立しても、我々の真の目的追求が止むことはないだろう。或る基礎的枠組みが説明できても、知識そのものには生涯時間に応じた限界があるから。

聴き取り

不条理、矛盾、ありがちな葛藤、思い通りに行かない現実、打ち砕かれる夢、生活に追われて逃げて行く自由、手に入らない愛、満たされない欲望。下らない、つまらないことしかない。汚い奴が我が物顔でまかり通る世の中に嫌気が指してるのはとっくだ。と言ってできることなどほとんど無い。気がつけば時は過ぎ、所帯じみて抜き差しならぬ生計に縛られている。わかりきってる道筋だろう。あぁ、そうかもね。実際そうなんだから仕方ない。そう答えるしかない。あなたの話は続く。結局僕らは何を探してるんだ。毎日毎日毎日毎日、どんな理由でかもしらないまま、大人ぶった活動を続けている。本当に下らないよ。消え去ればいいんだ、こんな世界。

2005年9月27日

走行

どんなわけがあるにせよ我らは小さな生き物だ。下らない話を繰り返し日々を何とかやり過ごす。なぜ生きてる。何が目的なのか。幾つかの真摯な問いは生活費を稼ぐ必要の前でまるで意味を為さない。そして子供は大人になり、大人しく社会人と名乗る会社員になるのだ。誰が何といおうと。
 名も無き喧騒に苛(さいな)まれている。ここは大都会。辺りを行き過ぎる無数の人波が語りかける民主主義の原理、平等を否応なしに、感じとる。まちがいないく君はこの国を形成する主人公の1人だ、と同時に匿名的で均質な大衆の部分に過ぎない。

 そんなことは知ってる。

 声なき叫び声は無限に生成されるコンピュータゲームの雑魚キャラみたく見える、宇宙で最も高貴なはずの生命群にかき消される。歩みは進められる。太陽が産まれ、塵は集まって地球をつくる。ちょっとして動く物がたくさん闊歩し始めた。君はそして実存する。それも全て、嘘の物語。

 信号が赤に代わる。人々は各々の定位置に就く。君はたった独りきりで車道の真ん中の分離体にとりのこされた。タクシー、ダークなシートに身を包んだ不気味なライトバン、レクサス、バス、消防車、選挙の宣伝カー、スズキの軽自動車。次から次に通る丸かったり四角かったりする流れる箱がそれまでに何が起こったのかごまかす。

 信号LEDが青に換わる。ぱっくり真っ二つに割れた車間には誰の姿もない。疑いようもなく誰もいない。犬も歩かないから棒にさえ当たらない。君は走り出した。一体何に向かっているのかは分からないにしても。

2005年9月26日

徳と始原

自分はなぜ生きているのか。この問いに明晰な答えを出すには宇宙がなぜ生成されたのかから知らなければならない。我々は宇宙の形ゆえ。
 だがその間どう道徳的にやり過ごす? 定言命法は目的ではなく、文明の過程での方便でしかないのではないか。

IQ含む偏差値について

試験にかけられるのが嫌なら、自らの理論が真理か問えば良い。そうすれば君の人格性は保障されたままだろうから。そもそも、それこそすべての科学者が試みていることだ。