2018年11月20日

現代の奴隷制と偽の愛国者

他人を自己に対する有益さについてしか評価しない人々は人格を完全に無視している利己主義者、搾取(付加価値)を目的にする者であり、この様な考え方が資本主義への狂信から生まれてくるとしたら、それは奴隷制を焼きなおしたものでしかありえない。天皇制(皇室)や自民党寡頭制、安倍独裁政、そして資本主義は奴隷制を別のいいかたにしたものだ。所得階級による封建制度が、これらを信じる日本国における自称右翼の目的視している体制で、即ち他人を根源的に侮蔑し、諸人権や人生の向上、自由の拡張に弾圧を加えようというのである。彼らが愛国とくり返すのは、実態的に国民への悪意を覆い隠す為の嘘でしかない。

中世都市は古都ではない

京都が自慢しているものは伝統ではなく中世だ。古代に京都はなく、近世も主要都市ではなくなった上に、日本の真の伝統は縄文文明や石器文明、そして石器時代以前の先住文化を混成的に延長させている主に東日本の諸国民の上にあるのだから。あまつさえ中世京都を長安に模して入植したのは古代中国移民たる弥生人や朝鮮系移民であり、先住日本人ではない。
 無論、アイヌ、縄文人、琉球人らの末裔から見れば天皇や皇族は伝統と呼べる代物ではありえず、単なる権力闘争を自己崇拝の宗教で糊塗しつつ日本を侵略してきた古代中国人の末裔でしかないし、彼らが持っている諸文物、伝承物についても同様でしかない。無論この人々は日本国や日本国民の象徴ではなく、権力を権威に偽装した邪教祖兼世襲独裁者の血族である。したがってこの種の渡来人を象徴化している東京政府(自称日本政府)も、飛鳥時代、もしくは明治時代以来の日本侵略者に寄託する偽物でしかなく、真の日本の伝統政府ではない。
 移民による中世都市に本質的に古代日本由来の伝統文化もありえず、入植地として本国たる中国朝鮮に対する模倣文化があるに過ぎない。単なる中世への懐古趣味でしかないので、東京政府を唆して拠点を移動させようとしている京都文化庁は自文化中心主義的で全国差別的、即ち根源的な意味で反日的である。

邪教国の良識

日本人の大多数は陰湿な集団虐め(精神的加害行為を含む集団暴行罪)を自らへの非難や被罰を避けるためできうる限り匿名で群れて本能的に行う衆愚的種族である。また、彼らは対比的に差別を目的に集団虐殺の邪教である神道教祖天皇への崇拝の念をもっており、もしくは宮内記者会を発端とする主要マスコミ・政府・自民党員・神道信者といった共犯者によって洗脳されている。この様な種族の唯一の生きる手段と目的は金儲けによって他人を搾取し、徴税を通じて邪教祖天皇に貢納する事、結果として最貧者や異国民、異民族と見なした相手を差別する事でしかない。即ち、平成時点の日本人全般とは陰湿極まりない悪性者の衆愚であり天皇の奴隷国民である。そしてこの様な邪悪な集団が漸減しているのは、人類全体にとってのみならず世界史における人類の進歩にとって好ましい。
 一部の日本人はこの様な邪宗悪習に染まっていない。だがそれ故に、邪悪な日本人全般から迫害を受け続けている。彼ら良識的人民の一部が、世界から見れば救いに足る事もまた確かであろうし、将来にわたって日本国の主権を相続するに足る存在というべきである。

2018年11月19日

業の観察について

インターネット上で悪業三昧していた人間の末路は、観照に値する。もし因果応報が人道の哲理なら、彼らの悪徳が自滅をもたらす筈だからだ。また反証できた時、悪業と考えられた振る舞いを再考する意味ができるだろうからだ。だがこの際、当該人物の悪業については厳正かつ客観的に認知している必要があるが、自分自身が被害者だった時、うらみや呪いといった復讐心をできる限り離れて分析しなければならない。ここでいううらみ(恨み・怨み)は、加害者への受動的な感情、呪いは加害者への能動的な感情である。少なくとも相手の加害に反し相手が善き結末を得たときうらみや呪いが晴れず却って深まるかもしれないし、これらの感情はかつて一度以上自分に災いをなした有害な他者を見分ける為のみに役立ち、それ自体が復讐による正義の回復のみを目的にしているので、業の分析に対しては確証偏見を与えてしまうからだ。
 ゴータマやニーチェはうらみを捨てたり、超える事を推奨していた。だがこの感情の本体は自分の受けた被害に対する賠償を求める正義、即ち復讐感情であり、賠償が叶わないときは呪いとして相手の自滅を願う報復心となる。聖書では神による自然的復讐を信じる事を推奨し、自分自身による復讐を諦めよと説かれている。これらはうらみそのものをもっていない状態の方が気楽である、と考えることによる心理的な骨なのだろう。逆恨みの様な正義に反する例外的妄想を除き、自分の信じる正義が、自分の受けた被害に対して実現されない事は社会的公正に反している。裁判制度は或る共同体にとって共通の最低限度規範としての法的な範囲でこれを部分的に解消するが、個別具体的な倫理的裁きを確実に遂行するものではない。聖書でいう神による復讐とは、相手の悪業、即ち加害行為を悪徳と見なすところに成り立っている。加害行為を含む悪徳が当人にとっても有害な事は明らかだから、倫理的裁きはその当人の悪因に応じて結果する。すなわちゴータマやニーチェのいううらみへの否定的見解は、この倫理的裁きを前提とし、法律未然、法律以外または法を超えた悪業へ、能動的に復讐する事への不合理性を指摘するものなのだろう。いいかえると犯罪への法的裁き以外のうらみと呪いは、復讐費を鑑みると悪徳を持つ相手の自滅を待つという消極的な方法で解消する方が合理的なので、それを捨てたり超える方がより賢い事になる。この事を顧慮しても、業の観察は人徳についての単なる後学のために可能なだけ客体的になされるべきなのだろう。
 勿論、善業を行っていた他人に対する観照はより価値の高いものなのだろう。残念ながら、平成時代の日本人一般はインターネット倫理というものを殆ど持ち合わせておらず、匿名を隠れ蓑に悪業三昧している人が非常に目立っている。

2018年11月18日

特殊性

特殊性は賢さの本質的な目安ではない。

理論と実践の好み

理論は脳内の言論活動、即ち言論操作による脳内の電気信号や化学物質を使う行動の一種だが、理論(言論活動)を言論活動を除く肉体上の実践(行動)と分離して考えた時、理論を蔑視し実践を重視する人は知的ではなく、理論を実践より重視する人は知的であり、どちらでもない人は中間的である。

天才論

天才や賢者、人格者に孤独癖や厭世観があるのは、彼らにとって多少あれ劣る他人とつきあうより自分と向き合っていた方が利得が高いからだ。天才が孤独なのは当然で、天才と狂人は異なる。俗人にとって天才と狂人の見分けがつかないのは彼ら自身との差が大きいほど理解できないからにすぎない。スティーブ・ジョブズ或いはアップル社のCMがいうcrazy、気違いは平凡の対概念であるが、天才と狂人の両方を含む概念だ。公益度の高い非凡さを天才と呼び、低いとき狂人と呼ぶべきなのだが、これらを見分けられるのは平均より秀才の側である。

同類の法則

自分より卑しい人の考えや、行動の訳を理解する事は、殆ど不可能だ。同類は相集まる。賢愚、尊卑、美醜、聖俗、様々な価値はほぼ同程度の質において集合し易く、一定より離れると最早互いにわかりあえなくなる。地方、国、階級、職種、友達、仲間、様々な同質集団は価値観で程度こそあれ同類なのだろう。たとえ多様性や個性を尊重する、寛容さという点においてさえ。
 人は集まると苦痛だが、離れると寂しい。これは似た者が集まる法則、同類相憐れむ現象によって理解できる。過度に離れると相互利益が得られないし、密集し過ぎると差異から学べる事が少なすぎる。

2018年11月14日

社会人

俗世に接する事を推奨している社会人は、悪因を重ねている。その末路は一様に不幸の連鎖である。

歩み

ゆっくりと歩く者が最も遠くまで進む。

文

引用元を明記した論文とか、学会誌の権威とか、大著とか、長編小説とか、本という形式にこだわっている人達は、真理以外のもの、内容以外のものに囚われ本質を見逃しており、これらの人達が文を理解していないのもまた確かなことだ。

悪党の末路

愚かな事や卑しい事を群集になって行い、右派だ愛国だと自称しおごり高ぶる安倍晋三と信者らの末路を見よ。人は因果応報だ。

芸術論

全てが商売に飲み込まれつつある時に、全く損得勘定を離れた真の芸術が心を癒す。今より真の芸術が意義を持った時代はなかった。芸術の本質的機能は救いであり、投機商品としての装飾的価値ではない。

目的の人

その人自身が目的で、他いかなる物の手段ともならなかった人となるよう努めるがいい。属性によって自己を飾り立てる者を避けよ。ただ人柄のみによって尊ばれる人が最も優れている。

幸福になる唯一の方法

人類界で幸福になる唯一の方法は、自分より卑しかったり、愚かだったりする人と接する機会を最大限減らすことである。私の人生の範囲で不幸はほぼ全て、これら卑しく、愚かな他人がもってきたものだった。そして彼らに接しさえしなければ自分自身の徳や知識に従って、常に幸福でいられる。
 平均より高い知徳をもって生まれついた人にとって、人間一般とは常に有害なものである。だからこの様な人はより抽象的な仕事、より非対人的な仕事を選好するだろうし、それは正しいのだ。人間嫌いであって厭世的な人々の大部分は、賢者か人格者であるだろう。

自分自身

自分にかけられた洗脳を解くのだ
何者とも争う必要はなく
何かを達成する必要もない
求めるものを得ようとする幻想から解き放たれ
ただ自分自身に還るのだ

2018年11月13日

絵画論

絵画芸術が抽象性以外の何かを対象にしているなら、それは全て誤っている。

最大の幸福

人生で最大の幸福が、卑しい人達から離れてくらすことそのものだとは。

学ぶ物

卑しい人達から何を学ぶのだ
差別や偏見をか
利己心と公害をか
この国で学ぶ物などない

2018年11月11日

学び

学ばない人たちは何年たっても成長しない。人の成長は学びによって得られる。
 学歴や学閥、学位の効用のみに着目し、学ぶことをやめたおとなは、それ以上成長していない。