2014年3月30日

春の宵

わが町に星は降るなり春の宵

2014年3月28日

庭の梅

春待ちのわが目に映る庭の梅

2014年3月26日

経済学

育児費用は教育費用に比例している。所得階層順に逆比例する育児数はこの為に生じる。

自然と人知

功徳は災いを転じて福と成す、優にこの推論は徳性が社会適応度に準じる証左である。自然物理界の偶奇に際し人間界の真理は不動である。人という種に進化がゆっくりとしている限りそうだろう。

2014年3月25日

梅

梅の散る間にも人々遊びゆき好文亭の空に風吹く

2014年3月22日

物理学

ビッグバンは存在せず、宇宙背景放射或いは原始重力波は単に爆破の起きた跡に過ぎないだろう。宇宙はそれ以前からそれ以後までも常駐的に存在していただろう。宇宙背景放射、原始重力波のみでビッグバンが存在したと推論する根拠は薄弱であり、単なる神話の焼き直しに過ぎない。

個性

卑しい身分の者の考える事はつねその身の分をこえなかった。貴種は同様に、とうとさを生まれ持っている。この遺伝差が、社会における分限を形作っている。彼らの生育条件は、適応としての個性を作り出す。

小さな悲劇

人類が置かれている場所では、人は永遠に遠く、遠すぎる故に現実へ適合しない。人はなぜ、この小さな隙間におちついて、永遠性を遠くにしか望まないのか。
 雪。物事がそこにおちついている、そしてそこからは外へ出ることもない。なぜ私がこれほど、つらい目にあわねばならないのか、誰でも説明できるものだろうか。誰にもそれはできないだろう。

政

人類は人類
いつになっても彼らは変わらない
十分に考えよ
世界にのぞみを
人は不条理にうちひしがれていた
あらゆる生き物がひどい目にあった
純粋な未来をめざし
一歩だけふみだした
途端に地上は暗転し
文明は闇のうちへ転がり込んだ
信じていた希望を忘れて
この絶望の時代が来た
あしき連中が世間を睥睨し
我が誇りをけがしてのさばっている

2014年3月20日

学歴差別禁止論

学歴差別は知能についての生得的差別と人権侵害を含む限り、法的に禁じられねばならない。企業と政府に於ける人事指標上の学歴差別へは、懲役刑及び罰金が設けられるべきである。

2014年3月18日

資本商の壟断性

優れた人間は、必ずしも彼らの社交性の故にそうなのではない。資本商は万能ではなく、著しい短期利益性、即ち利己的な視野の狭さと見通しの短さを伴う。当時的社交能のみを選択し続ける業は適応性をごく縮小した姿に限定してしまう上、この社交性はそれ自体として共同化以外の働きを持たない為に単独で無能である。生産性そのものがない、という壟断の定義以来の商業活動への反意は、資本商を限定的通義としかみせていない。

2014年3月17日

哲学の条件

言語における普遍性は、それがある形式間の討議をへる為に損耗している。この対話は共同化として、ある人類の同類集団を少なからず倫理紐帯に結ぼうとする。こうして言語の普遍性は共同化形式という、詩劇上の命題へ返されてしまう。
 言語の形式が移り変わる間には、社会課題の共有という演劇的側面が挟まれる。当期間を時代と我らはいう。時代共有化は同期化として理解できるが、ある文化素が別の社会に受け取られた時起きる。即ち同期化が、しかも普遍性という当為をめざすそれが哲学についての第一命題なのである。時をへての同期化は伝統領域をうみだし、同胞感情や共有認識を多数くみこませる。もし伝統を失えば人は、共有できるものを必要に応じてしかもちえなくなるだろう。十分な同期化が民族的意識もしくは国家的共同を、他者との間に結ばせる。同胞性の起源は、少なくとも詩劇の展開に関する限り言語の普遍性へのある意向であり、しかもその形式性は翻訳という橋を便宜としかみない。つまり詩劇は元々、言語理解度或いは語彙の流通というある文化圏の共有に由来した営為ゆえ、単なる生活の描写に他ならない。
 言語上の哲学命題は、常に詩劇的当為の問題にすぎない。その普遍性すら社会課題への対応論をこえないのである。かといって、我らの徳目が徒労になりきるわけではない。第一に、過去の伝統の再適合の試みを温故知新として捉えられる。こうして哲学史や思想史が無意味化するわけではなく、唯に再考省力の蓄積がある。社会課題に対する変容は、唯物史観を除いても哲学上の条件を様変わりさせ易い。

2014年3月16日

束の間の世界

人が去っていく場所は、永遠の世界である。そして束の間の世界に於いてのみ、業を試されている。

2014年3月14日

悲惨

偉大な先人の元で
われは望んだ
あしき人々の消えて
よき者のみ残った世界
その世に於ける個性は
愚劣な集団の中で
苦しむ君が
ただ一つ信じ続けたもの
ただ一つ
宇宙がひっくり返って
永遠の文明の下で
われはかなしむ
助かり様もない
この世に於ける悲惨

2014年3月13日

力

力によって得た権力が、力によって失われた。力は悪に侵され易く、力が正義に使われる事は殆どない。力と正義を結合させると善となる。悪とは、力と不正を結合させたものである。
 善悪を見分け得ない者は、必ずや不幸を得る。もののあわれ論を信奉する者はこうして、不幸を買う。善悪を見分け得ない者は、或いはその判断を過つ者は、力を悪に用いて自らを破滅させる。
 正義に用いられた力のみが、自他を救う唯一のものである。

義務

ウィトゲンシュタインが語り得ない事を沈黙せよ、と考えた事は、彼自身がある考えを抱いている証拠な限り、言語による人類の考えが社会秩序の命題を持つと教えるに過ぎない。この主題は始め哲学として、後に社会学或いは社会科学の真偽命題として現れ、人類を自然状態ではない何事かに誘おうとするが、実際の自然性の前には無力を呈する。人為社会の定義は、自然性の前に義務の命題或いはべきの命題を対置させて成り立つ。そしてこの人為命題の抵抗力のみが、自然状態に比べた人類の尊厳であるといえる。一般に、この人為命題は当為といわれる体系で、この場合の真は善といわれている。

弥生とアングロサクソンの蛮行

この孤独で腐った地上に、裏切り者達が銭を余して蛮行を続けている。どれ程この地上をけがせば気が済むのだろう。
 我らの誇りをけがして、地上を統べている悪魔共。侵略犯罪を恣に、人類の悪疫を広め続けるアングロサクソンと、薩長土肥京芸ら西戎の蛮行連帯。天皇は奴ら悪魔の手先として、穏やかで平和に暮らしたい人類を傷つけ続ける。悪魔共の蛮行は地の果てまでも浸し、我らを絶望させる。
 アングロサクソン種の王は裏切り者を植民地へ追放した末、再び彼らと組んで百済と倭の混血王即ち弥生王と決闘した。その犠牲になったのが我ら、日本の在来人種である縄文だった。弥生は縄文を利用し、弥生は独裁を恣に蛮行の限りを尽くした。アングロサクソン王そしてヨーロッパ人達は、植民地や異国の人種を根絶やしにしていった。
 弥生王は、華人種との対抗を演じるため縄文を悪用しようとした。薩長土肥京芸ら弥生はこの弥生王の政治闘争に加担した。韓人種並びに東アジア人達はヨーロッパ人並びにアメリカ人、そして弥生王から侵害され、領土を一時は奪われた。弥生王は独裁をその島国から外へ拡大した。弥生王はアメリカのアングロサクソンを陰で操るユダヤ人、当のアングロサクソン自身からその暴走を止められた。しかし、弥生王はその身を残すあらゆる工夫を講じた。弥生王はこうして、再び支配権を拡大する準備を着々と進めていた。

悪魔の南蛮西戎

神はなぜこの邪悪な日本へ私を置き去りにした。悪魔の天皇が贅沢の限りを尽くしながら、次々人類を殺戮していった。薩長土肥京芸は他者を他者とも思わず、侵略者百済として犯罪に蛮行の限りを尽くした。
 善人の声は天皇一族により握り潰され、暴力と専横を恣にした悪徳の権力亡者によって、成金と殺戮思想家によってなきものとされた。善悪も判断しえない衆愚が、ありとあらゆる我が侭と陰謀を働かせて人類と自然を傷つけ続けた。
 悪魔の偏見を恣とした極悪の京阪神人に東横人、名古屋人は地上を虚偽で塗り固め、商売による地方侵害を主義として悪行の限りを尽くしていった。性格の最悪な西日本人達は、この国を地獄化して嬉しそうに驕った。

悪の面々

地上から悪の薩長土肥京芸が滅亡し、地上に正義がたてられます様。悪の天皇が民衆を犠牲に植民地搾取をしながら諸国民を殺戮酷使してきた罪が、神により裁かれます様。地方の人民を侮辱し人権を侵害しながら、金をむさぼる東横京阪神名古屋の愚物達に業火があります様。罪のないイラク市民を虐殺した悪魔のアメリカとその手下どもへ、キリストの剣が裁可を下します様。

2014年3月12日

捏造

テレビに洗脳され踊らされる悪の民衆
東京マスコミ記者クラブ悪を集めて偏見捏造
福井出の田中章雄悪趣味集めて徳をけなせり
西日本人小説信じて悪の明治寡頭政治を驕りちらす