青い空のある都市風景
2023年
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2023年11月30日
2023年11月28日
2023年11月25日
無用の情け
2023年11月24日
2023年11月22日
育ちと交際
この為に、子育てなり自己教育なりに於いては、必ず育ちをよくする事を最上の目的と考えねばならない。
育ちの良い人と育ちの悪い人は、水と油の様に退け合い、しかも、互いにやりとりするのが難しい。
2023年11月18日
2023年11月17日
人間づきあいについて
この事実は相手がもし最善の人でなくとも、次善の人についても同じなので、道徳認知について愚かな人々は、対人関係で、いっときの偶然を除いてあるいは長期でみてあまり幸せになれない傾向のある人々でもある。
また裏を返せば、人生で何かしら最悪の人をなんとか避けたり、次悪の人を退けたりできた人には、必然に、その様な人物より悪い人とさえかかわらなければ、それ以後の人生で、対人関係から良い結果を受ける可能性が高いともいえるだろう。
2023年11月15日
文明の目的
2023年11月12日
神の名
一つだけ変わらない物がある
万物が全て虚構でも
君の魂の根源にある勇気は
もし相手がどんな悪魔でも
たとえ全人類が天敵でも
なお正しい心を伝え続けるだろう
宇宙がどれほど悠遠にして無限でも
永遠に変わるべくもない事がある
あした誰もが死んでしまっても
君のみている正義は
理想の国とは何かを思い出させるだろう
たとえどんな星々にも
たったひとりですら良い存在がいなくとも
最終戦争たるべき今が終わりそうになくとも
君の信じる神の名は
最高の美徳とは何かを語りえるだろう
2023年11月6日
世迷いごと
だがその夢の中に
あらゆる宇宙がつまっていて
あなたの夜を包み込み
一面の花畑に連れていく
ありとあらゆる世迷いごとは
まるで一時のこと
もし夢が醒めてしまっても
この星が奇跡の宇宙の中を
ずっと回り続けることを願って
私はあなたに逢いにいく
もし夢が夢でも
あなたが清らかなままでいられる様に
ありとあらゆる世迷いごとを語りながら
2023年11月4日
2023年10月25日
2023年10月20日
2023年10月18日
神意と神格の現代的定義
実際、道徳性がごく高度になればそれは神意とおよそ見分けがつかない。したがって神格とは、極めて高度に鍛えられた洞察力をもつ道徳的人格そのもののことと解するのが、言葉の意味からして最も妥当な見解といえる。人より高度に道徳的な地球外知的生命の影響がはっきりしない段階では、少なくともある主観から見てある閾値をこえたこの種の道徳的人格こそが我々の人類社会に於ける神格なのであり、しかもその位格もまた、道徳性の質の高さによっている。
人がめざせる最高の人格的完成度とは、アリストテレスが『ニコマコス倫理学』でそう勧めていた様に、人生のなるだけ多くの長さを理論的生活に費やした者に期待できる特徴で、それは同時に道徳哲学の質の追求に於いて、最高度の完成をみる。人が社会的動物であるかぎり各時代のある所にはより道徳面で優れた利他性を帯びる人がありうるが、そのうち、質的に最上の善を洞察できる者が、すなわちその集団での神なのだ。
日本語で接頭語のおを重ね「おかみ」といいカミの部分に位置として「上」の文字をあてていうのは、この種の道徳性を帯びた存在がその集団の安全や幸福を設計するのに、上位の価値づけとみなすに十分なほど重要だという経験から導かれていた用法だったのだろう。その語彙の対象が通俗化し本来の道徳性を失って、ただの暴力装置となったとき、「神様」としての神聖さを失い、ただの政治屋のことに転用されたはずである。
畏れ多いものとしての「オオカミ」(狼。『日本語源大辞典』によれば一説では「大神」より)や「カミナリ」(同語源書によれば古くは「神鳴る」)などにも、おそらく古代人が逆らい難い強大な力のもちぬしや物理現象へ人為をこえた道徳性と多少あれ混同し、人の生殺与奪権をもつ超常的威力にあてていたカミという語彙のなごりがみえる、とも考えられる。
しかし、当時より知識の進歩した現代からみれば、先天設計を意味している領域に対し、道徳的平衡をとろうとする人為の担い手こそが神意をもちあわせると考えてよく、それは他者の心理や行いの人間性理解による道徳認知を甚だ鋭く、また深く帯びている、優れた倫理哲学者らのことに最もよくあてはまる。
神の恩寵から見放された日本国の衆愚政治と正義の哲学による国事革命について
この世には神の恩寵から見放された人々がいる。
人類史上、大量虐殺の被害者らは、実際その様な目にあった。彼らには往々にしてどこにも逃げ道がなかったのである。
そして神の恩寵が圧倒的に慈悲深く賢明な人から善意の救済策の比喩だとすれば、確かに、神の恩寵は有限であり、無限のものではない。その事は弱い動物らがより強い動物らからどう扱われているかを見れば十分である。同じく、人の社会にあっても、強さにおきかわった賢さの高下にあって、下にいる愚者らに上にいる賢者らがどうふるまっているかをみれば、その社会での恩寵の質と量とがわかるだろう。
もし暗愚な人々であっても彼らが美徳さえ帯びていれば、同情によって賢明な人々は何らかの救済策を講じることもある。だがもし暗愚な人々に悪徳が明らかならば、その様な処置が却って社会に公害をもたらすと多少あれ察知し、賢明な人々は救いの手を弱める事になるだろう。却って、弱いばかりかかつ悪くもある人々には、反省を促す目的か、抜本的な淘汰目的の懲罰のために彼らが悲惨な状況にあっても賢者らが更に手厳しい措置を加える事すらあるだろう。
フランシス・ベーコンは『随想録』("Essays")13章の冒頭あたりで次の様に言っている。
行き過ぎた力への欲が天使らをおちぶれさせ、行き過ぎた知識欲が人をおちぶれさせた。しかし慈しみには行き過ぎというものがない。天使も人もその為に危うくなりはしない。
The desire of power in excess caused the angels to fall; the desire of knowledge in excess caused man to fall; but in charity there is no excess, neither can angel or man come in danger by it.
ベーコンがいいたかったことは理論的な空回りにすぎない。
悪徳に満ちた人々は善に向かう根本動機がない。それは心理病質性(サイコパシー)の高い人々を間近にみてみたことがあればすぐわかることだ。彼らは元々神の恩寵の外に生きていて、当然ながら神意をおそれる様なかしこまった道徳的謙虚さも根源的にもちようがない。確かに、彼らは脳機能の障害を抱えているが、一般にその個性に開き直って生きているので、反社会的あるいは他害的ふるまいに快楽を覚えている闇四格(ダークテトラド)や、そもそもご都合主義的な利己心しかその人の本質にみいだせない闇三格(ダークトライアド)の様な人格の場合、彼らの社交的悪質さは決定的になる。
現実路線では、救うべきでなく、救われるべきでない人々が確かに生き残っており、彼らとの戦いが、この世で善良な資質に生まれついた人々、つまり生まれか育ちか利他性が高く、共感知能や道徳知能の高い人々の大きな、おそらく人生最大の課題なのである。
性善的な人々にとってこの地球のヒト社会は確かに地獄の様な場であり、それは世人一般の彼らに比べた邪悪さが、共感性や道徳性の低さからはっきりしているからである。その時、性善的な人々が邪悪な人間界から学びとれることは、いかに人類一般からの悪影響を避けるかであり、また彼ら生まれながらの相対悪役らを攻略して、中に混じっている根っから悪しき人々をいわば敵役としてどう政治的に倒して、善の勢力で世界を支配し直して行くかということなのだ。
プラトンが末期的な衆愚政治状態にあった古代アテナイで最後の希望の綱としていた理想国の語りは、この種の正義を司る王の出現を待望する理論だった。彼の主著『国事(ポリテイア)』によれば、彼は全学問の最終段階として正義を司るべき政治哲学にひいでた君主の出現を準備し、その者によって絶対政治がおこなわれ、多数支配の堕落した民衆政治ことデモクラシーを革命し、賢明な王政へ抜け出す事を自国の国事に望んでいたのだろう。そして彼の洞察は現時点、西暦2023年の日本国でも全く同じく機能すべきで、確かに、正義の根本欠落した同調圧力で動く単なる群衆心理的な多数派である民衆の間からは衆愚政治の状況しか起きえないのであり、最高の道徳と、はっきりした絶対主義をめざす政治哲学をもっている王の出現に期待するしか、現状の自堕落すぎる最悪政治ぶりから国事を救う事は多分できないのであろう。
カール・ポパーはこの種のプラトン思想を全体主義的であると批判したことがある。しかし多数支配や少数支配に妥協的な場合でも、やはり正義の理解度の人数分布、すなわち正義の多寡によって国の政体をつくりかえる必要があることは変わりがない。ある場面では単独支配が、別の場面では少数支配、あるいは多数支配が最適なのは、アリストテレスがさきにプラトン思想を批判していっていたとおりだからだ。
結局、この意味ではある道徳的閾値を超えて堕落した民衆が彼ら自身の普段のおこないの悪さの為に自滅することを避ける方法はその悪癖に伴う慣性の致命さからありえず、寧ろ賢明な君主が出現するまでの自縄自縛の腐敗段階として、彼らの日常がはっきりと悪徳の証明をし、完全に自殺的国事によって誰の目にも国というものが持続不可能にまで終わり、全く別の政体にうつりかわるしかなくなるまで、彼ら退廃した日本国民全般の間にあって彼らと殊更或いは徹底的に接触を避けてかかわらないでいることが、唯一のおのが身を守る手段なのである。もし国内残留で身の安全を確保することが原理的に不可能なら、善良な人々からノアの箱舟に乗る様、海外に進んで脱出することが道徳を喪失して狂った日本人衆愚からの難を逃れる次善の策となるのも必定といえるだろう。
世代をこえた業の拘束
最悪人道犯罪・公害ソドム東京完全征伐論――際限ない公害をまきちらす東京都という悪の巣とその必然で唯一の現実政治的末路について
底知れぬ悪業を果てなく積み重ねてきた東京都民全般にとって、破滅のみが最善で唯一の末路である。
その末路以外のどの末路もふさわしくないのは、東電主要株主である都民が搾取し続けてきた東電・福島原発公害の被害を、主権を侵害され続けながらごく一部の東電のはした金からの一部補償者を除けば全くといえるほど人権面で救済されなかったばかりか、更なる公害をおしつけられつづけている福島県とその周囲の現状が全てを説明しきっている。ごく少数の例外を除き、東京都民一般には完全に悪意、すなわち事情をしりながら他者に害をなしても己の利己心で暴利をむさぼうろとするだけのはっきりした犯意があるのである。
また東京都民全般は日本国内において悪意で公害を起こす為の悪しき存在で、激しく絶対的な強制力による外圧によらずんば外部不経済を少しも内部化するつもりがないばかりか、都内の重大人権侵害について寸分も自浄能力がないのは、国連に介入されても恬として恥じないジャニーズ問題が完全に実証している。同じ自堕落さは事実上の公共料金で局内にて子どもの権利侵害あるいは人身売買や性犯罪に該当する凄まじい人道犯罪をカネ惜しさと己どもの卑しい根性ゆえに黙認ばかりか後押しすらしていた東京のNHK本部はじめ、都内マスコミ全般だけでなく、喜んで特定最悪犯罪組織・ジャニーズ事務所に大金とおよそ絶対専制に近い強圧的・強権的ともいえる報道・芸能権力を与えていたそこに暮らす都民全般の底知れぬたちの悪さしかなんら示さない。
紛れなく、東京都民全般は日本国のみならず、世界最大の恥である。これゆえ、東京都民全体が完全に解体され、解散され、そのすみびとらが完全に二度と復活しないまでに政治的に征伐されきる事が、人道上、まず第一に必要である。
高齢者集団虐殺論者のネオナチ成田悠輔氏が、賠償金を踏み倒す無法者の悪漢ひろゆきらとともにひたすら跳梁跋扈しているのは、東京都民全般の到底自称先進国とは信じられない民度の低さを示しているのであり、その破滅的スラム状況のもたらす大公害の数々について、決して偶然に起きている現象ではないのだ。
また、日本国民一般も同様に、東京都民の悪意でばらまく虚偽と欺きにみちた疑似情報にすぐ洗脳・悪影響されるほど、批判的思考の欠如した衆愚なのが公然たる事実である。これゆえ腐敗しきってきていた東京都の政治権力を完全に奪う事をしないままで放っておいて、これほど国際的惨状をもたらすに至ったのである。
東京都内に現にたかっているのは総じて、文明界に少したりともはびこるべきでない反社会的暴徒らなのであり、その中枢に巣くう、政教分離侵害の悪しき人種差別邪教祖・天皇一味もろとも問答無用で完膚なきまでに亡ぼされるしか、狂った彼らの続けている人道犯罪に何の解決策もないのが今の現実政治なのである。

