2023年2月15日

謎の気合

山本太郎は新撰組のドラマに出て勘違いしただけで所詮関西全般の性根は今も昔もこんなもの ただの自己中 『古事記』『日本書紀』以来東日本の先住人を蝦夷と呼んで自称天皇一味と共に先住権その他ひとの正しさを侵害・侵略にきまくってきていた頃からずっと 関西が謝罪や反省した場面みた試しがない

今日は、山本太郎と申します。えーっ、本当に、皆さまにお会いしたかったです。お会いしたかったですけど、正直、正直言いまして、郡山(こおりやま)、放射線量高いです。だからくるのに結構気合がいります。
――山本太郎
(のち、れいわ新撰組代表)
2011年10月15日土曜日13:00~15:00、福島県・JR郡山駅西口広場(JR郡山駅中央口前)でおこなわれた「ふくしまの子どもを守れ! 郡山デモ」にて
https://youtu.be/ufhARInF2m4

気合いる関西からきた山本氏 高天原からきた神武もだろうか

関西や東京うろつくあきんどは今日も公害ばらまいて驕る

関西からでてきた池田信夫たち東日本で原発公害

山本太郎東日本にきて色々無礼なこという関西人

道徳神ならぬウィルス

疫病でしぬべきひとはいきのこりしなずにいるべきひとはしにけり

恋人の心

ダークテトラド天使と称する悪魔さん また薄汚いぬれぎぬを山ほど持って最大の悪意を込め数多の犯罪しかけてきた 我は一命を賭して守らんわが恋人の心

炎上稼業

反社かな東京人の報道界

ユダヤ・キリスト宗教戦争こと磔の冤罪

聖バレンタイン祝う誰もかも神の作りし被造物という それならなぜにイエスをみすてた パウロのいいわけマリアに響くか

三浦ブランド服炙り

苦笑い焦げ目のついた喪服かな

成田某の汚名

ゆうすけの実名かぶって大迷惑 ヒトラーみたいな汚名まく成田

鬼ヶ島の最悪公害首都東京

大学の名前で差別の外道ども大炎上で大量虐殺未遂の言い訳ばかり

倫理なき極悪日本女ども群れながら大発情して年齢差別の大量虐殺犯に媚びへつらう

山上ガールズに次ぎ今度は大量虐殺未遂の成田ファン 救えない性悪極悪女どもが殺人鬼にばかり大発情 真っ先に人間界から滅び去るべき鬼ヶ島

欧米とまるで違う最低民度東京でマッチポンプのジェノサイド煽り炎上商法

鬼ばかりふえているらしい鬼どもの中では受験勉強が哲学だと思われているらしい 傲慢な鬼どもがナチ狂科学者を散々もちあげ 金と偽りの名誉をやって賢い賢いとぬかす思考停止の学閥崇拝 炎上商法最悪暴徒が原発公害や悪意にみちた偏見まみれで田舎差別をまきちらす 高齢者大量虐殺未遂都市鬼の東京

2023年2月14日

成田ナチスの言い逃れ

大学の名前で差別の外道ども大炎上で大量虐殺未遂の言い訳ばかり

倫理崩壊東京人

倫理なくかねを貪る東京人マッチポンプで炎上商法

経済虐殺論の

言い訳する成田と視聴率かせぐ倫理崩壊東京マスコミ

成田優生学

政権から命の選別 成田優生学 イェール・ナチスの企てる経済虐殺

都内私大の受験偏差値に

共通テストやめさせもせず怒るどこでも受かった東大卒の逆括りギレ

気球シューティング

笑えない中国気球陰謀論

すぐおわるシューティング・ゲーム代六千万円

右派の出る目

真珠湾攻撃忘れてお前だって論法 あれは罠だと言い訳ハルノート 次に飛び出る冤罪バン通報 挙句の果てには南京事件矮小化 昭和天皇無責任論 ポツダム宣言受託遅らせ国体護持交渉 いつものパターンはもう皆知ってる 次はない右派 必死で731部隊隠し NYTをリベラルメディア扱いでおでん眼鏡弁護

わが星

わが星もうしなわれゆくいたづらにながめよにふるものがたりしまに

炎上教の神々

炎上教アブナイマスター・モギナリタヒロユキ様にミウラフサイ様

大和心

安倍暗殺金をもらえる奈良の自称大和心は野蛮な自己中

ながれ星

     ながれ星 も 

 うしなわれ ゆく
      いたづら  に
 
     ながめ    よ に ふる
            ものがたり し ま に

知性のおろかしさ

知性というにべもないもの身につけてほこるおろかさひとのおごりと

前へ倣え

身分順 学歴順 次なにで並ぶ? 上皇だけは一番上ね

そらのむこう

このそらのむこうにはなにもないという だがそのむこうへとわれはゆきたい

ばらいろ

デュフィえがくばらうつくしきばらいろに

差別の根源因

男系で象徴という天皇家

裏方キャンセル

裏方の炎上業者高橋のトンズラ炎上まであと何秒

オマハの神託

福島を励ました心われは知る オマハの神託 ピクルスは抜きで

御用学者のカプリッチョ

おでん眼鏡もそっとしておくナチハンター(次の句 後日譚)

H.S. Kimという人が成田を東大で囲えとかいってたから「えっ ナチハンターって本当に変な眼鏡だけじゃなく大量虐殺論者自身も放っておくべきなの?」と(上記の)皮肉な川柳で釘指したらもとツイート消してた で追いかけてみたらまだサイコ系二枚舌を庇ってた

学界で名もなき見習い助教授と名づけジェノサイドあおる ひろゆきの一味

神奈川弁 東京弁でぶしつけに方言札くばる ヘイターひろゆき

ひろゆきが落合にかける火の粉かな 安倍御用学の古市こわごわ

仲たがい御用学者の狂騒曲

高級紙対イェールナチ

安楽死強制もあると成田いう  知らん顔の右翼 新731部隊

御用学による生態系への傷蓄積の事情通な無視

トリチウム生物濃縮しないといい傷の蓄積無視する御用学*1

―――
1) アーカイブ:https://archive.is/TIBmA

赤鬼退治

赤門を出てくる鬼のサイコパス ニューヨーカーに燃やされている

親不孝国への黒船来航

極悪の東京の下民NYTたった一記事で夜も寝られず

最悪の日本中の下卑た成田ファン親不孝ぶり世界で燃やさる

人でなし日経テレ東タッグ組む高橋弘樹の炎上マーケティング

ヘイト撒き金儲けするサイコパスひろゆき最高賢者とぬかすモギケン

たかまつなな年齢差別に便乗業明日は我が身と成田炎みる

2023年2月13日

原発60年延長で過ちて改めざる最悪政府

強欲の規制委員会世界一最悪の事故に反省もせぬ

偏差値受験崇拝の説得力

肩書でひとをみるなり「説得力」 偏差値を以て真理廃する

イェール・ナチと沖縄ヘイターの同時炎上

横這い力 謎の発言 成田御前 NYTにて燃やされて御免

低成長 内需が7割 横這い力とぬかすナチストNYT御用

大発情成田ファンども世界から白眼視され人でなしばれる

日経のきりすてにけるナチ成田 ヘイターひろゆきと天下に炎上

視聴率かせぎで何でもやる よごれの東京 NYTの一撃で総崩れおおわらわ

イェール・ナチとりあげもちあげかねもうけ高橋弘樹はトンズラするやら

極悪モブ一発退場ナチストに発情しながら薄汚く群れる

イェール・ナチに大発情の極悪衆愚 ジェノサイド煽り平気で支持する

イェール・ナチの逃げ手

逃げ手打つ成田の次の手地上波で

名環境音楽

『MOTHER2(マザー ツー)』ストイック・クラブみたいイーノかな

ハカセ業

学歴の高下駄履いて下駄批判

学位差別広める教授は学位売り

イェールでおでん眼鏡が切腹論

未来の先駆け

未来みて先駆けて咲く水戸の梅 暗きよにふるながめせしまに

いばらきサッカーフェスティバル2023で鹿島に勝った

半端ない水戸底力最強級

スパイ気球

笑えない中国気球陰謀論

水戸学の徳治主義について

正直たちが悪い相手だからとても気分が悪くなるのでやりたくはないが、内田樹の水戸学への言及部分についてもう一度、正確に批評してみよう。というのも、彼が関西人の代理人としてそれなりの発言力を持っているからには、恐らく彼の言説をうのみにする人、特に西日本勢は相当数いると予想されるからだ。

 内田は2023年1月1日『ミルの『自由論』について』というブログ記事で、ある種の象徴として比喩的に水戸学に言及した。しかし彼はこの思想体系やそれが置かれた江戸時代から現代までの文脈を十分理解していない。多分、文献自体を読んでいない。無論、水戸に直接きて理解を深めるつもりもないのだろう。
 結論からいえば内田は彼個人が根が悪辣な人格なので、よく知らない標的へ無理やりその悪性ぶりを投影しているとみられる。彼の他のブログ記事には、その様な彼の資質に言及してある箇所がある。大学時代の親友に素で、「内田って、本当に嫌な奴だな」と言われたという。文の感じ、確かにそうみえる。
 ずいぶん昔になるけれど、大学時代にクラスメートからしみじみとため息まじりに「内田って、ほんとうに嫌な奴だな」と言われたことがある。そう言ったのは温厚で、めったなことでは人の悪口を言わない友人だった。彼は100パーセント正直に心に思ったことを口にしたのである。
――内田樹の研究室(ブログ)『春日武彦『鬱屈精神科医、占いにすがる』解説』2022年12月29日
 水戸学は戦国期が終わり平和が確立された江戸時代に、隣国の明が崩壊し、亡命してきた儒学者の朱舜水が、義公こと徳川光圀に迎え入れられ、異文化交流的な化学反応を起こした所に一つの起源がある。
 朱は義公へ、日本側の皇帝にあたる天皇が、政府とは別に維持されている独特さに、理解を深めさせた。
 義公は自著『大日本史』の序文、あるいは自伝『梅里先生の碑文』に有る様に、兄に代わって家督を継いだが18歳のころ読んだ司馬遷『史記』に感銘を受け、兄の子を後継者として悌を貫いてから、司馬遷に倣い日本の皇統を明らかにしようとした史学者だった。

 義公が「易姓革命の否定」なる日本独特の伝統主義的な政治観を語った。前期水戸学の、代表的な思想史上の成果の一つだ。
 なお水戸学は前期と後期に分けて研究する事が多い。平和な時代の前期は史学、欧米植民地主義の波を受け内外に動乱が起きていった後期は政治学色が濃く、内容が相当異なるからだ。

 義公が「易姓革命の否定」を語った箇所の一つが、『古文孝経』を引き、述べた次の文だ。
 嗚呼汝哉。治国必依仁。禍始自閨門。慎勿乱五倫。朋友盡禮儀。儀且暮慮忠純。古謂君雖以不君。臣不可不臣。
――義公
徳川光圀・著、徳川綱條・編、『常山文集』巻十五、1724(享保9)年
 当時の正統的な学術言語だった漢文(真名)で『大日本史』という皇統を明らかにする正史を残そうと、義公は恐らく日本で最初に墳墓など遺跡の発掘調査を始めた為、現実的に、日本考古学の祖となるかもしれない。江戸時代前期までに知られていたのは考証学など比較文献の手法だったが彼は実地調査もした。
 研究の途中で明らかになった事のうち後世に重大な影響をもたらすだろうと予想されたのは、南北朝期の事だった。皇統が変わっていたのだ。しかし三種の神器を相続した、と考えさえすれば、血筋ではなく家の単位で同じ皇室が続いたと見なせる、と解釈した。いわゆる南朝正統論。

 義公薨去後も水戸の徳川家が集めた史学者らにより、皇統の研究は続けられ、幕末に至る。
 幕末の水戸学者らは烈公こと徳川斉昭のもとで『大日本史』の編集を続けていたが、欧米列強のアジア侵略があり、清がアヘン戦争で事実上植民地化されるなど、日本政府(徳川幕府)そのものに存続の危機が訪れた。

 1824(文政7)年、英国捕鯨船が徳川家の領地に漂着した大津浜事件があった。既に外国船が頻繁に日本の領海へ侵入している報告が政府にあまたきていた。外国語の筆談役になった際、いよいよ日本の番だと思ったのだろう藩校弘道館の学長・会沢安は、主著で後期水戸学の代表作の一つ『新論』を翌年著した。『新論』は事実上、それから199年もたつ今も、皇室含む日本政府の基本OS(Operating System、操作系)となっている。前期水戸学の、皇統について当時までに得られた極力詳しい知識をもとに、また当時の日本人が得られた全科学をもとに構築したしくみだったから、極東の政府として大変使い易かったのだ。
 『新論』は政府と天皇の関係を、日本思想史のみならず世界思想史ではじめて、はっきり同時並立たるべきものと定義した。いわばCPUとGPUを2つもつ感じだ。政府が現実政治をおこない、天皇は神権政治をおこなう。この2つが同時に起動していれば安定する、という発想は、他国に類なく極めて独創的だった。『新論』の発想は極めて新しく、正に文字通り革新的なものだった。それまで政府と天皇はどんな関係性でどう協力しあえばいいかずっと曖昧なままになっていたなかで、政府と天皇がいがみ合う必要はなく、両者の上に新たな「国体」こと日本国なる枠組みを構築すればよい、との建築は、思想の革命だった。
 会沢が『新論』で議論している事は、目の前に迫った欧米列強からの植民地侵略に急いで備えなければならない、との危機意識に他ならない。侍階級は今でいう公務員が自衛隊員を兼ねている。よって侍階級にとって自分達の仕事がどの状況に置かれているか客観的に把握するのに大変有益なので筆写で広まった。大隈重信の『大隈伯昔日譚』には、遠く佐賀の侍の家にも、本棚には必ず『新論』が納めてあったほど広く読まれ、また重要視されていたとの記述が載っている。さながら今でいうベストセラー、今の時代ならしばらく前でいう藤原正彦『国家の品格』級に、諸国へ口コミで伝わった国家論の元祖だったのだろう。
 会沢が『新論』で説く事のうち、国体と呼ぶ祭政一致論の箇所以外にも、現代以後も必ず国際的に重要視される記述はある。それは植民地主義の非難だ。のち大津からすぐ隣の五浦にいた岡倉天心が『茶の本』で語った文脈を81年先取りし、会沢は欧米による先住権侵害を悪質だと言う。それまで侍の間では令制国を治める各藩の戦国大名へ忠誠の対象が限られていたが、藩の単位を超え同じ統一国家を形作ろうとする『新論』の新OS構想がきっかけとなって、尊王攘夷の志士が各地に生まれていく。会沢は欧米の国家間競争に負けない為、いわば日本で最初に同じ「国民意識」を起動させたのだ。

 吉田松陰は遠く西の果ての萩にいたが、わざわざ奮い立って会沢に習いに東の果ての水戸へ短期留学にきた。彼がとても感銘を受けたのは無論で、また生涯、後期水戸学の影響下にあったのは『東北遊日記』『幽囚録』などに記述される事実だ。だが21歳吉田は素直な学生ではなく、69歳会沢の構想を書き換える。吉田は郷里に帰ってから水戸に習って国民意識を呼び覚ますべく日本史を教えだすが、途中で広島の僧・宇都宮黙霖に説かれ、倒幕論に転向していく。水戸学の基本OSにある政府と天皇の並立計画コードを破壊した、別のハッキングOSを自製しだしたのである。これがのち薩長藩閥の明治寡頭政治に繋がっていく。

 吉田のOSはのち彼の弟子らによって作られた日帝こと大日本帝国の政体を動かしていた。この版を我々は明治OSあるいは日帝OSと呼べる。天皇が絶対権力を握り、政府はその手先となり、国民は天皇に操られる政府へ絶対従順でなければならない――これが吉田がある時期組んだ日帝OSの建築で、一君万民論という。実は、のち反政府テロを企て捕まった獄中から郷里への手紙で、吉田は別OSの計画を書き送っていた。いわゆる草莽崛起論というもので、今風にいえば長州閥寡頭政治による反皇室・反政府革命をめざす、無政府恐怖主義の極左テロOSだ。
 ほかにも吉田は獄中『幽囚録』で、欧米をまねた植民地侵略を唱えた。

 会沢は『新論』で植民地獲得競争を蛮行だと人道の観点から非難していたわけで、まともな儒学を立派に修めていただけにいわゆる仁愛の人間主義面が強くあるが、吉田は決してそうでなく、水戸学OSの持っていた国民意識の点だけひっこぬくと、ほかは専制的帝国主義そっくりの侵略計画に書き換えたのだ。
 安倍晋三や茂木健一郎など、西日本勢は吉田を「先生」と呼ぶ事が多い。特に彼の郷里にあたる山口県萩市を中心に、ほぼ同心円状にその権威は高く、吉田が仕えた毛利家いわく、山口の各高校は吉田の銅像が必ずしつらえてあるという。ある意味救えないほど現地で神格化されたのだ。

 最後の征夷大将軍・徳川慶喜は水戸の徳川家出身で、母も皇族の吉子女王、父は義公の家を継ぐ烈公と、尊王の権化となるべくしてなった家柄だった。幕末政変のさなか、宗家の家茂が20歳で急逝すると、幼い頃から英邁で知られた彼が政府と天皇の板挟みにあうのは必然だった。彼が譲った江戸城は皇居になる。もし慶喜が水戸学OSにこだわり、庭訓に背く朝敵とされても、王政復古クーデターで幼帝を擁した西軍を潰したら、明治以後の歴史は恐らく今の姿ではなかった。彼に終生仕えた渋沢栄一は『徳川慶喜公伝』自序で慶喜の天皇家への禅譲を自己犠牲の英断とした。

 薩長土肥をはじめとする西軍は、吉田の教義による日帝OSでの侵略政体を実現する事が、近代化と等しいと勘違いしていた。現実には会沢が『時務策』で慶喜に勧めていたよう、徳川家のかねてからの方針だった一国平和主義による近代化はできた筈だ。例えば北欧圏も似た様に植民地政策をとらず近代化できた。最近でも茂木健一郎とルパート・ウィングフィールド・ヘイズのツイッターでのやりとりをみればわかる様に、イングランド勢は帝国主義を文化面ですら多かれ少なかれ継続している。そして多文化共生の為には余りの思いやりなさでは同質以下というべき佐賀勢も、彼らとさして変わりない自己中心性しかない。
 会沢の構想した政府と天皇が並立するOSは、日帝より寧ろイングランドの政体に似ていたので、戦後さも何もなかったかのよう名目王政のふりをし、今の天皇はお茶を濁している。天皇家は日帝時代に誤った。それは彼らの専制が全体主義に陥って即負けしたからだ。GHQに拾われ、天皇は英国王に追従している。

 では当学派をめぐる日本思想史とその政治史的経緯を解読した所で、ミル『自由論』の解説で、なぜ内田が水戸学へ唐突に言及しだしたか分析しよう。
 内田は週刊東洋経済へ寄稿する為この文を書いたという。なお自分は一応愛読書の一つに入っていて岩波文庫でこの本を持っている。

 自分は内田のいう『自由論』の読みがまともなものだとは余り思えない。正直そんな事は書いてないだろう、そんな風な意図でミルは書いてないだろうと思って、内田の読書力を大分軽蔑せざるを得ないのが正直な所だ。ミルはこの本で「他人を邪魔しない限りの自由」を法的に定義していると私は記憶している。『自由論』最大の欠点は、社会主義批判の文脈で、いわゆる障害(条件)を負った人々を政府が保護する事は望ましくない、と書いてある部分があった、気がする事だ。今手元に直接本を持たず記憶を頼りに言ってるが。要は自由主義政府の元での社会進化論を遺伝子淘汰の優生学風に正当化する説を唱えている。
 現実には人は相互協力関係の元で社会を作っていて、仮にある関係が表面上偏利的でも、何らかの間接的目的にとっては有益かもしれない。具体的には、植松聖と違いダウン症の子をもつ親がその子が生きていて心が救われる場合もあるかもしれない。アスペルガー条件者がある時テスラ車を作るかもしれない。実益に適わなくとも、単に損害ばかり膨らんだとしても、集団に遺伝的多様性がある状態の方が、その例をもつため何らかの学びを得られるかもしれない。ある時サイコパスなひろゆきがいたため賠償金踏み倒しの民法上の穴を法律家がみつけ、ノイマンの邪知ゆえ反動の科学者倫理が惹起されたかもしれない。

 だが内田は全く別の読みを『自由論』にしている。内田にとってミルは自分の賢くなった経験知をこの文で開示しているらしい。自分は全くその様に思わなかったし、そうではないと思う。内田は国語が基本的に読めないのだ。ミルが直接書いてない事を勝手にあてがったらそれは国語の試験ですら間違いになる。自分は神戸人が哀れに思う。だって内田みたいな人が身近にいたら自分だって悲しい。国語が読めないのに哲学者と名乗るのだから民度低すぎでしょと感じる筈で、自分達の文化の質の低さに愕然としてしまう。だが、神戸人一般はまだそこまで基礎国語が読めないので、内田を同時代の知者だと感じるのだろう。この本の中で、内田がいうのとまるで違って、ミルは「どうすれば私の頭はもっとよくなるか」などという受験勉強屋的にガラパゴった議論は一切していない。愛読書だけに重々分かるが、内田は完璧にこのブログ記事のその箇所で、手前勝手な嘘をついている。内田が三文売文屋たるゆえんで学術界の部外者だ。
 どういうわけだか内田は『自由論』を過激派対穏健派のうち穏健派の肩をもつ物と解釈したらしい。全くそんな内容は書かれていない。彼個人の勝手な考えだ、それは。「シンプルな解に居着かないで、つねに葛藤のうちで揺れ動くことが知性の活性化には最も有効である」なんてこともミルは一言も言ってない。中村正直が『自由論』(『自由之理』)を訳したのは有名な話だから高校倫理や日本史の教科書にも載っていて、それ以上の教育を受けていたら当然知っていなければならない。だが内田はここでも変な解釈をしている。
 日本はそもそも民主主義社会ではなかったし、そうなるべきだという国民的合意もなかった時代の話である。
――内田樹の研究室(ブログ)『ミルの『自由論』について』2023年1月1日
彼が言うのと違って日本一帯は天皇侵略含む古墳豪族登場前、あたり前だが多数支配で共和政の社会だった筈だ。つぎに
「自説に反対する者はすべて悪だ(だから殺す)」というような水戸学的単純主義を「成功体験」として内面化した人々に政治を任せては近代国家の建設はおぼつかない。
――同前
と内田はいうが、全く意味をなしていない。既に述べた通り現に近代化した日本は会沢の構想した祭政一致の元で今も運用しているからだ。
 はたまた
「自説に反対する者はすべて悪だ(だから殺す)」
――同前
などという論調を、会沢らがしていた試しがない。彼は一国平和政体のもと穏健に近代化したかったのだ。
 内田が、なぜこんな悪意や敵意、ないし誤読誤解と邪悪な偏見に満ちた妄念を世間に吐き出したかだが、要は彼の親友の発言通りだろう。
 もう一度引用すると
「内田って、ほんとうに嫌な奴だな」
――内田の友

と大学時代の温厚で誠実な友が内田に言ったという。自分もそう思う。だから関わりたくない。内田は友の発言が真実だと思ったので心を清めるため武道を始めたとブログに書いていた。だが根が根なので何も変わっておらず却って悪くなっている。

 善悪二元論の単純な構図を、かなりひねくれた言い方でもちだしているのは内田自身である。即ち彼の中では陸に知りもしない学派を、意図的に矮小化し丸ごと「敵視」し、その敵視対象に悪意を込め端的に負の印象づけをしようとしたのだ。水戸学OSは日本近代化計画だから象徴天皇制として今も動いてるのに。恐らく内田は吉田の日帝OSと、会沢らの水戸学OSの違いを全く感知できないほど日本思想史に詳しくない。それはOSを現につかってながら内部計画を知らない人と似ている。このOS使えねーよ、と言いたいなら分かるが、近代日本の基礎が天皇政体なのは確かではなかったか。それが水戸学の基本計画「国体」だ。

 もし内田がいうよう近世・近代日本で、江戸政体でも日帝でも戦後政体でも動いている水戸学OSをアンインストールしたとしよう。途端に天皇は権威の根拠を失い各政府から追放され、戦国式の群雄割拠に舞い戻る事だろう――今ならさながら本田△大阪民国が出現しそうである。内田はその方がいいと思うのか?
 成功体験も何も水戸学OSは普通に機能しており天皇を大義名分的に奉りつつ、政治家は民衆の為に愛民政治をしているのだから、要は義公・烈公・慶喜公らがおこなおうとした旧水戸藩での徳治政治をそのまま、戦後国事がなぞろうとしているといっていい。完璧に茨城県政をまねられてないので中途半端なだけ。自説に反対する者なんてわんさかいた。だから水戸藩は二大政党制を全国に先駆け早くもおこなっていた、国内で最も近代的な文明だった。しかも別に諸生党と天狗党が「政府」「天皇」どちらにより忠実たるべきか議会政治していたからと言って、必ず相手をあやめたわけではない。それは井伊直弼や日帝の話。

 はたまた水戸藩士とその末裔らは、仕える徳川が天皇へ禅譲する側に回ったので、水戸学OSによる近代化を成功体験とは必ずしも思ってないだろう。内田は吉田松陰を先生と呼ぶ西日本の西軍勢力の残党と、それと全く別といえる東日本の色々な政治勢力の文脈を混同しているのだ。無知からくる驕りは恐ろしい。例えば徳川家譜で水戸家から出て一橋家、宗家を継いだ慶喜に侍った渋沢は、次のお札だけど、日帝の敵・味方とかそういう文脈に属さない元お侍だろう。また芹沢鴨は水戸家に仕える神官兼郷士から出て新撰組をつくり、慶喜の母の実家にあたる有栖川宮家に仕えたお侍で、敵味方以前に尊王一途の民兵団長だ。香川敬三は水戸からでて公家の岩倉具視に仕え、のち宮内官僚として皇后に直接はべるまで大成したお侍で、西日本勢得意の西軍を絶対正義化した単純文脈で語れるお人では到底ない。例えば彼は回天神社で桜田烈士のひとり蓮田一五郎に哀悼の碑文を寄せている。
 最初の茨城県知事・山岡鉄舟も徳川家臣だ。
 関東で、古代を除き、最も伝統的な政治様式は、少なくとも武家政体といっていいだろう。将軍政治はその鎌倉府以後の形だが、江戸府で徳川が禅譲してから日帝では天皇が将軍を兼ねていた。戦後政体では首相が将軍を兼ねる。
 内田は関西人で将軍政治の伝統がない。このため複雑な主従秩序が分からない。内田はブログでくりかえし、複雑な言論を単純なそれより好むという。それなのに彼は水戸学OSが単純なものだと勘違いしている。要は無知、無学だが、徳川家はじめ旧大名は現役で国中にいる。彼らが天皇家の元にまとまる事にしたのは、正に『新論』で会沢が説いた事が真を穿っていたからだ。皇統は尊しと。関東が関西より遥かに強大な力になったのは現に事実だ。それどころか単一都市圏の経済規模として現に世界一になっている。この経済力を軍事力に転用すれば、恐ろしい。だからこそ我々は慎重に計画してきた。近代日本で我々の力を統御しているのが、国独自の徳治思想・水戸学だ。

 最後に一例を出すと、水戸学OSを完全に使いこなしていた一人が、飛虎将軍こと杉浦茂峰だろう。彼は台湾を「愛民」哲学で守ろうとした。郷里水戸のお侍なら当然だった。彼は日帝空軍の兵曹長として大戦中、民衆への被害を最小化しようとし、それに成功したが、自分の命は失った。

 しかし、天下の副将軍の故郷からいでし杉浦少尉の自らを貴族義務に律する立派な行いに比べ、神戸人・内田の着せた汚いぬれぎぬはなんと浅ましく、なんとおろかしい悪意や誤読に満ちており、何と卑しい言動だろう。
 茨城空港は神戸とつなぐ。だが私は彼の歪んだ根性を叩き直せなければ、それを憂う。

2023年2月12日

あなたの命

なにもなくとも
あなたの前にひろがっている
この星の光景がひっきりなしに
あなたを踏みつけて行っても
ただあなたの命は正しく
あなたの前にどこまでもつづく
夜空の星々の光景はおわりもなしに
僕らをとりかこんでいる
もしあなたがいなくなってしまえば
無に等しい
なにもなくとも
あなたがいれば

美しさ

ありえないほど大きく
ありえないほどとうとく
ありえないほど輝かしい
だからといってあなたの為に
どんなほめ言葉も小さすぎ
どんなお世辞も似つかわしくない
あなたがいる事はただの奇跡で
誰も信じられないほど宇宙的で
難しすぎ解けない数式より
遥かに偉大な謎を秘めている
あなたという美しさは

死後の汚名

悪徳老人達も死んでいく。誰も死から逃れえない。
 悪徳老人達の死後の名声をみよ。思い出したくもない憎まれ役は死後急激に忘れられるが、彼らは生前、権力乱用で自己宣伝していたのだ。

 西日本人達は彼らの侵略犯を散々もちあげていた。だが西日本滅亡後、やはり因果な悪評を抑えきれない。

茂木健一郎理学博士から特別に学べる事

茂木健一郎は当人が佐賀という幕末・明治の反政府テロ史と侵略罪、異文化弾圧を誇る文化圏から現れ、無法さ全般を彼には親しめる粗暴ミームとしてまき散らしたいのだろう。このためひろゆき一味の賠償金踏み倒しに驕る反社会性や、綿矢りさや村上春樹、紫式部らの姦淫描写に満ちた下品な作風をほめる。
 コロナ禍で五輪の有観客強行を煽り、科学証拠主義と出羽守的欧米崇拝の乱用によってノーマスク・テロ、宇露戦でもっと戦費が必要とか国内で兵器開発すべきとか科学者倫理にもとる主戦論を唱えだしたのも、茂木の粗野な本性が尻尾を出しただけなのだろう。本居宣長やニーチェの反道徳主義に共鳴したのも。小林秀雄の戦争責任放棄発言に共鳴を示したり、ホロコーストのギャグ化に表現自由権を認めろとナチハンター本部に特攻したのも、坂本龍馬や吉田松陰らの様な反社会的無政府主義者に礼賛を惜しまなかったのも、嬥歌以来の日本の伝統だろうJ-pop恋愛詩を貶すのも、全ては彼のお里を示すのだろう。

 これほど多くの実例があるのに、茂木がただ善良で大人しい人格だと信じ込んでいる信者は、完全に目が曇っている。彼の暗面が常に顔を出しては隠れているのに、彼が大魔王だと思っていない人々は、サイコパシーというものが分かっていない。大量虐殺犯の裕仁やヒトラー、トルーマンにも明面はあった。
 幸運だったのは茂木が十分に利己的だったので、わざわざ公務に就きたがらなかった事だ。もし彼が政治に関与していたら何らかの甚大な禍が公衆にもたらされた事は絶対に確かだ。既にアートの審査委員としては子の焼死事件を間接的に起こした事があった。大量死が起きても理系サイコは利己を第一に思う。

「日経テレ東大学」なる教育基本法違反の自称大学は、高橋弘樹によって、ひろゆきこと西村博之と成田悠輔の反社会的発言を炎上商法式に持ち上げる形でYouTubeを汚染し続けていた。倫理崩壊が起きていた事は絶対に確かだが、日経がその事に気づかなかったのは奇妙な事だった。日本で最も権威ある経済紙が墓穴を掘った。茂木はここでも一度は出たかったなどと発言していた。日経テレ東大なるものが名前としても存在としても違法なのは明らかだと当人は気づいている筈だ。茂木は以前「月下大学」という名で動画シリーズを作ろうとしたが自分は親切心で違法だから塾の方がよいと教えた。その後彼は同名で更新しなくなった。

 成田は高齢者抹殺論者の理系サイコとして浮名を流したが、日経テレ東大が何らかの内紛でチャンネルごとやめさせられた事を機に、地上波などに軸足を移すつもりだとみられる。イェール・ネオナチとしては某弁護士による大学当局への通報も多少あれ動揺をもたらしたかもしれない。悪ふざけは永続しない。

 茂木は成田の高齢者抹殺論にはじめ怒りを示していた。茂木の暗面が発動したのだと気づいていない信者は、彼が年齢差別に義憤を示していると勘違いしていた。当然それは表面的な言い分で、成田の人気が高まるにつれ、遂には彼の側に立ってさも擁護する様になった。自分には少なからず予想がついていた。茂木は単に自分が高齢者側で被害を受ける事に怒りを示したのである。彼は基本的に自由至上主義者だと発言する事がある。要は利己心が完全に正当化されているので、彼の中ではコロナ禍五輪の有観客強行で体の弱った高齢者が大量死する事は何ともないのだ。
 そのため、成田側に回れば有利ならそうする。

 歴史否定論というサイコパシーの極度が現れている茂木独特の悪魔的な歴史歪曲主義がある。彼にとって神経科学上の記憶の再構成が客体的事実の否定に使われると、自分に都合がいい物語しかありえない、と解釈される。それはさも小説が歴史に代わった世界だが、そんな国は統計でも国会でも嘘をつくだろう。

 自分ははじめツイッター上で「最もましな」知識人を探していた。それというのも自分は飽くまで知識階級に属するだけの知性の持ち主だと思われるので、同類がいないか自然に友誼を求めるからだ。だがみつけた茂木は、上記のよう人格異常者だった。自分は直感的にそれに気づいていたので彼と会わなかった。彼は孤独なのだ。それは自分にも理解できる。何しろ彼の脳は少なくともIQに関しては並よりは高いかもしれない。メンサ会員になれた様に。だが、欠点もそれに応じて激しくある。専門化が激しすぎて一般教養に欠けているし、特に人文系の学問の苦手さは手に負えない程で、できのいい高校生より大幅に劣る。
 暗面というより彼は或る種の天然だったのだろう、はじめは。だが九州の方田舎の昆虫好き少年が、小林秀雄の本や友の出版社とのつてを頼りに養老孟司にもちあげられ、マスメディア経由で手にした同時代名声やSNS権力は余りに大きすぎ、彼の生まれ持った虚栄心に甚だしく訴えてきた。闇が口を広げていた。茂木を飲み込んだ闇は、彼が虚名を求め続ける様に彼を動かそうとした――はじめの彼の本が最初のアマゾンレビュ―で酷評された時、彼は激怒してそれを取り下げさせた。彼の中に、もう萌芽はあったのだ。暗面におちるだけの理由は、激しい選良意識だった。それが俗物根性に転化してしまえばもどれなかった。

 茂木の仕事のうち歴史否定論が最も狂った成果で、この闇の理説が誰かに乱用された時、破滅が訪れる。どんな大蛮行でも別の天皇都合の嘘のおとぎ話に書きかえてしまえば、どの悪魔だって英傑化できる。竹田恒泰にとっては随分有難い筈だ。右派一般にとっても自分達の利己的な暴力沙汰を擁護して貰える。
 三浦瑠麗や東浩紀ら、茂木の大学以後に出会った盟友といっていい人々は、彼にとって善友だったろうか? 自分にはそうは思えない。津田大介とはあいちトリエンナーレ2019以後縁が遠ざかった様にみえる。彼らは飽くまで世俗的利益を得る為の便宜的関係の様だ。大人の友情とは、汚いエゴ抜きに語れないのかもしれない。ホリエモン、古市憲寿、落合陽一といった大衆ネットメディアの寵児と言っていい人々に茂木は随分近づいた。それらも、彼の暗面がいざなっていた名声獲得の手段になっていた。tehuやゆたぼん、ひろゆかないなど、彼が少なからず利用対象にした人々のその後をみていれば、彼の弟子育成能力には疑問がある。

 我々見物人は、茂木が巻き起こす論争に一々反応してしまい易い。それは彼が炎上商法をしているだけ、と気づかないでいるからだ。
 茂木自身は彼のサイコパシーが帯びる不徳さが、世間の良識と摩擦を生じさせると気づけないので、毎度炎上しているのは彼が知的だからだと自己愛により信じきっている。

 茂木の様に風変わりなネット長者は中々みられない。それで我々は興味深い観察対象にしてきた。だが、彼から特別に学べる事は、倫理や人間についての学を軽視したら、彼の様に片寄った人格を形成する、という動かざる証拠だけだ。それは恐らく反面教師以外なにものでもない。物理主義は人間をダメにする。

英国勢、佐賀勢、天皇一味ら邪悪な帝国主義者の分析と対策

ルパート・ウィングフィールド氏の周辺には、外国の音楽を聴取する環境が恐らく子供の頃からなかったのだろう。その為、外国音楽の文法が彼が子供の頃から聞いていたそれと違うだけで、「酷い」ものだと勘違いしたのだ。即ち彼は音楽文化資本が貧困だったので、別文化の楽典が理解できなかったのである。
 他方、茂木健一郎氏の周辺にはJ-popもあった筈だが、その文法を彼は殊更憎悪している。これは単なる俗物主義で理解できる。オペラ音楽の様な日本側の市民階級文化ではない代物には感激し、外国の同時代通俗大衆音楽には誉め言葉をいうのだから、単に国内でハイカラ教養人面の馬乗りをしたいだけだろう。

 ルパート氏は第二次大戦の戦勝に驕った無意識の英国文化帝国主義者、もしくは唯の好みの自己中心主義者にすぎず、BBCオリエンタリズムの偏見に媚び売って日本文化の一部を辱め、自分が教育的上位に立ったつもりになっていたのだろう。それで茂木氏に諂うツイートで自分の地位と面目を担保しようとした。
 茂木氏は剣橋帰朝者たる英国出羽守で、輸入学府卒の馬乗り芸が十八番なのはもう周知の事で、大抵の見物人らのうち常識ある者は彼の的外れな幕末西軍系の直輸入式ハイカラごっこにうんざりしている筈だが、彼自身、その種の輸入学者腹踊りに羞恥心を感じず、逆に薩長成り上がり華族風の快感をえている。

 このルパート・茂木氏による最悪の文化植民地主義タッグは、特定文化の尊厳をひたすら陥れる凶悪な無教養の蛮行に至った。自分には予想できていた。恐らくそうなるだろうと。粗野で無作法な幕末佐賀人の下士は似た様に、江戸や東日本、琉球、朝鮮等の文化を破壊し、西洋古典建築擬きの東京駅を設計した。佐賀の人々は自分達の文化に自信がないのか、猿まねした西洋流儀擬きを強制的に上から目線で各地に植えつけようとばかりしてきた。ブレグジットで驕れるBBCによる、多文化共生を骨抜きにする悪意(害意や事情通)に満ちた自文化中心主義記事をたねに、今度も全く同じ仕草だった。普段から人文素人の茂木氏はそうだった。

 だが今回は、自分は彼らのいつもの英国文化帝国主義やそれに従属する幕末西軍系の強制西洋化が出る目を完璧に読んでいたので、相手側の出方を伺ってから先回りして抑えの高飛車を打った。これで傲慢にも日本の大衆文化を、間接的に庶民を見下すつもりでいた相手がたは罠に嵌り、藻掻くほど自壊しだした。
 英国勢にせよ佐賀勢にせよ、彼らの全動機を解明した上で相手方の行動原理を読み切り、彼らの常態的な悪意ある蛮行を抑えきらねばならない。
 ラスボス天皇一味も英国帝国主義の手先を進んでやって、名目王政のふりで政教分離せず命ながらえている超法規的邪教祖一派なので、解析を怠るな。

「鉄は熱いうちに打て」の科学的根拠

若い頃の資質は年取るに従って徐々に拡大する傾向がある――良い性格ならより良く、悪い性格ならより悪く、賢ければ賢く、愚かならより愚かに。これらは資質が或る人の向き不向きによる報酬系と関連しているからだろう。習い性となり、若くして良い癖をつければそれは死ぬまで続き易い。

がさつな人

がさつな人は繊細な優しさと弱さを混同している。心優しく同時に気も体も強い人がいる。場合分けは次の様になる。

・心優しく気も体も強い
・心優しく気が強く体は弱い
・心優しく気が弱く体は強い
・心優しく気も体も弱い
・心ががさつで気も体も強い
・心ががさつで気が強く体は弱い
・心ががさつで気が弱く体は強い
・心ががさつで気も体も弱い
或る人が繊細さを繊弱さと容易に取り違えるのは、その人の共感知能が未発達で、細やかな気遣いによる思いやりに、がさつで不躾な(しばしば大胆にみえる)行いより高い価値をみいだせないからだ。その様な人こそ一般に「がさつな人」とみなせる。

 がさつな人は思いやり深さをただちに軽蔑的文脈での女性的資質、女々しさと見間違えることも多い。当人に殆ど相手の立場に立った気遣いができないので、特に無意識にすら十分な悪意を持って、自分にない資質を見下す為の性差偏見が起動し易いのである。

 詩才や詩心を馬鹿にする人はがさつな事がとても多い。感情の襞が少しも分からないのだ。またそんな人は無思慮な行動主義に驕って、人々の気持ちを踏みにじる事に快適さすら感じており、往々にして細やかな心の人々に残される彼らの蛮行による傷の深さと耐え難い痛みを僅かたりとも思いやるつもりがない。

西村博之や茂木健一郎の無法行為について

西村博之一味が知識人扱いな東京は、三流文化都市だと自己証明している。何しろ彼の言説に哲学史上の功績があった試しがないばかりか、iPhoneのヒットすら大幅に外し平気でいる当の詭弁屋は、相対主義で衆愚政治をつくりあげ亡国の因になったソフィスト同然、賠償金を踏み倒す無法者の愉快犯だからだ。
 西村一味を賢者かの如く扱う茂木健一郎は倫理崩壊しきった悪党にほかならず、東大法学士でありながら世間の順法精神を台無しにする大のつく不良だ。国費教育に失敗した事を東大当局は認め、彼の学士号を公に剥奪すべきだろう。法の抜け道を使う子供だましで匿名犯罪を換金した罪は消えない。

なぜ一部の人がJ-popを攻撃するのか?

J-popを馬鹿にする人を自分は全人生で4名みた。
1、茂木健一郎
2、ルパート・ウィングフィールド・ヘイズ
3、てんちゃん
4、みき

茂木の意見は、この音楽様式が軽薄な恋愛詩が多すぎ典型的で同じ様に聞こえるといったものだ。
 第一に茂木個人の恋愛劣等感は他人には関係ないのでそれは問題外だが、恋愛詩自体の内容の真剣みとか深み、その他、様々な恋愛感情の表現を軽蔑する様な仕草というのは、ある種の生真面目な生徒にありがちなものだ。自分も中高生の頃はちょうど反抗期になっていて、安直な恋愛感情に皮肉交じりの反発を感じる事もあった。『ニシエヒガシエ』で恋愛を動物視する様な形で。いわば恋愛感情は人間性の一部で有性生物が帯びる本能の一側面として捉えられねばならず、それを否定して回るのは単に人間憎悪にすぎない。ロックやパンクなどでの恋愛憎悪に共感を感じるのは、ヒトの動物性を容認できない思春期らしい感情の一側面で、より大人になれば恋愛表現自体をメタ認知できる。
 J.S.ミルは自伝で、当時の合理主義的な教育方針により、あらゆる感情を動物的で劣った要素として抑圧するよう親からいわれて死んだ様な気分で生きていたが、思春期に詩を読んで生き返った様に感じたと書いた。
 いわば茂木はまだ、この人間の自然な感情の蘇生をされないまま、年老いてしまった人である。

 J-pop文法に一様性があるのは、大衆の好みの中央値へ最適化しているせいだ。出自としてカセットやCD隆盛期に商業的消費商品として企画された様式で、一定の短時間にCMやドラマの挿入歌などで使い易く、カラオケで誰でもまねられる音程に近く作曲される。一定の手軽な旋律をもつ「サビ」の節が必ずある。小室哲哉がシンセサイザーなる新楽器がもたらしたピアノ楽曲の可能性のもとユーロビートの影響下に作ったサビ旋律をもつ作品群が典型例だが、他にもバンド構成によるビートルズ風大衆歌を全く別の多様性に応用しヒット量産してきたMr.Childrenの楽曲などは、極めて規範的にJ-pop文法を使いこなしている。
 彼らの創作は茂木が言うよう下らないものとは到底いえない。単に独創性が甚だ高いので、他国で理解されるのが遅れているだけである。楽典自体が分からない茂木はこの事に気づけないのだ。小室音楽を売り出したレコード会社avexなどが十分大きな国内市場を取った為、他国へ売りに行く動機がなかったのだ。

 ルパートという人については日本語が陸に読めないと言っていた。従って日本語歌詞が分かっているとは思えない。それは歌を聞いていながら音の構成にしか理解が及ばない様なものだ。だが彼は音楽構成そのものの理解も欠けているので、芸術における独創的分野の意義が分からないまま生きているのである。ルパートの英国人独特の嫌味ったらしい皮肉が、彼らの中では知性の証かの様に思わせる、ある種のスノッブ表現もあっただろう。それでマンホール装飾など審美的デザインに金儲け効率より低い価値しか認めないBBC記事の感じから、陸に知りもしないだろう芸術分野に口を出し、低自由教養の尻尾が出ている。

 てんちゃんはこう言っていた、「もし典型的J-pop文法があるなら自分はそれを絶対使いたくない」と。もし北海道に移住した彼があのピグ民の彼だったら、最近はそのJ-popを弾き語りしてる様に見えるので、意見を変えたのだろうか?
 思うに売れる大衆歌は十分な分かり易さがある。だが売れる必要はない。

 みきについてはボカロ世代なので、それ以前の古い音楽に聞こえるのだろうと思われる。確かにボカロ楽曲はJ-pop文法をそのまま流用したものだから、楽曲の構成そのものにはさしたる変化はないにせよ、歌っているのが機械音声だ、という点に違いがある。「こぶし」の様な微妙な音声変化が抑制されている。

 以上が僕がみた全J-pop批判者らへの反論だが、結局、彼らの理論的視座は、全員がJ-pop楽典への攻撃になっていない。茂木とルパートは、単に楽曲づくりの副次要素な国内向け大衆音楽市場規模を、英語圏その他の市場規模より小さいので楽曲としての質も低いかのよう悪意で混同させ、辱めている卑怯者だ。

 自分は音楽を単に甚だ愛好するばかりか楽典の歴史的本質ごと研究してきて、現代前衛音楽の創作者の一員でもあるから、ある種の確信を持ってルパートのBBC記事を見た瞬間に、上記の事柄には気づいた。だが彼にその事を教えるのは極めて大変そうだった。彼の周りに同調する茂木もいたので余計厄介だった。茂木もルパートも典型的スノッブだといっていい。スノッブとはケンブリッジ大などで「部外者」の靴屋を指す意味で使われていた学生言葉だったようだが、今では上流気取りの見栄っ張り屋を意味する。彼らは上流芸術に通じているふりをしようとしたのだ。

 確かに音楽は既に古代ギリシアでも古代中国でも自由教養の一部にいれられていたほど出自がいい芸術分野と考えられている。昔の教養人は、数学的比率に基づいて楽音をならせば魂が清められるといった解釈で、理性的に考察されるべき人間性の不可欠な要素とみていたのだろう。
 だが現代音楽は幅広い。
 J-popも当然ながら民芸、あるいは大衆芸術の一部を構成している。それは民衆の心を表すもので、全てが低俗な内容とは限らない。多数支配の体制をとる今の政体の元では、天皇がX JAPANのYOSHIKIや、EXILE、三浦大知らの楽曲を秋元康に記念式典で披露されるなど、大衆歌の学識も民意を捉える重要な手段だ。

 全ての音楽様式のうち、なぜ茂木やルパートがJ-popだけを狙い撃ちにして攻撃したのか。この答えは彼らがスノッブだから、で終了だ。上流気取りの見栄っ張りの為には低俗なものと一般に認識される対象を攻撃していれば、自分が一般大衆とは違う特別な上級国民だと示せる、と彼らは無意識に踏んだのだ。

古典的正格について

西洋古典音楽は貴族の為に作られていた。この為その暇つぶしとしての典型化の要素は耐え難いほどで、今日の芸術からみれば余りに一様性が高い、と私は考えていた。要は技術上の変化が少なく退屈な様式だという事だ。他方、そこで試みられてきた純粋化には見るべきものがある、と私は最近考えなおした。
 芸術としての西洋古典音楽には調性、及び音階の整理による純粋音楽としての様式的単純化が試みられた時期があった。自分が聴いてきた限り、バッハがその一つの極点にあった様に思われる。まだ完璧に彼の楽典上の工夫のすべてを把握しているとは言えないので、理論的には将来より詳しく語るかもしれない。
 自分も音楽創作はやってきた。絵の隣接分野で、応用的に考えれば、新造形主義の理論がそうであった様に音楽へも適用できる造形美術との共通理論がある、と考えていた。10代後半に実験作を作って高校以後の友達の小野君や田中君に聞かせた事があったが、本格的に記録しだしてからの作は一応残してある。

 自分は音楽を理論的興味の対象にしている。主には。勿論それ以外にも音楽という分野自体がもたらす心理的救いの効果は著しくすばらしいものなので、他の音楽聴者と同じよう、端的に心から愛している事もある。
 無調性以後の実験を自分もしてきたがこの方角には限界がある、と自分は極点で気づいた。

 絵でそうであったよう印象派かその原始的萌芽であったターナーを先駆けとして抽象美術以後の純粋化は、モンドリアンさもなくばイヴ・クラインで一極点を達し、以後は後近代の乱雑な様式へ転化していってしまう。自分はそれでも純粋化には意味があったと感じていた。今も思う。音楽も類似かもしれない。

 自分は妹島和世さんの事務所に弟子入りに行った。21歳の頃だ。暫くSANAAで模型製作などを手伝っていたが、あの場から学べた事は無意識への影響含めとても多い。彼らは確かにこの時代の最高の建築家集団なのだろう。創造性を集団で追求する一模範がそこにはあったと思う。終わらない学芸会みたいだった。

 重要なのは妹島氏の使う建築様式だと自分は感じていた。それはモンドリアンやドゥースブルフらデ・ステイルに近接した所から生まれたミース様式以後の純粋化を、彼女ほど明白に続けている設計者はいないと感じていたからだ。五十嵐太郎はモダニストとSANAAを呼んでいたが、新モダニストと呼ぶべきだ。
 新近代主義、ネオ・モダニズムははっきりとした理論を作っていないので、なんとなく行われ始めているだけでミニマリズムと恐らく混同されている。だが両者は違うものだ。
 妹島さんがやっていたのは純粋化なのだと思う。模型を余りに膨大な数試作し、それらの中に、よりよい秩序をみいだす様だった。

 自分は音楽創作にあたっても似た様式が応用できると感じている。だからバッハに遡って純粋化の尊さ、意義を改めて感じだしているのだろう。グレン・グールドが弾いているのは恐らくは本来練習曲であり、そこに音階の万遍ない既習ができる配置がある事に、純粋音楽の古典的格式が生じているのだろう。

 なぜ純粋化に意味があるかなら、元々、芸術表現には様式的格式というものがあり、その正格、基準、カノンをつくりあげるところにある種の醍醐味がある。そのうちより古典的とみなされうるものには優れた正格が達されているとみなしてよい。そうだからこそくりかえし再現され、まねされ、模範曲とされる。
 従って作曲に関するかぎり理論的な正格を把握する事が何より重大だと自分は改めて思う。バッハに重要さを認めるのはこの為だ。建築家ではミース以後最も重要なのが妹島さんなのは絶対だと自分は確信し、彼女の事務所の門を叩いた。正解だった。
 自分が後世の模範たる為には、研究を続けねばならない。

2023年2月11日

ノリの合わなさ

やっとツイッターでモギケンミュートした 音楽の趣味が合わな過ぎて吐き気が止まらなくなったからしょうがない ほんとだし

北茨城の午後

北茨城の午後
2023年
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東京や大阪の下級商人気質

東京人一般が愚かさを誇っているのは、通俗性を商業適応度と混同しているせいだ。東京人自身は大抵そんな下級商人気質が大阪の人々の専売特許だろうと軽蔑まじりに見下しているが、両文化の外部から両者は殆ど見分けがつかない。遺伝的にも文化的にも、大阪商人が移民してきたのが江戸町人の興りである。

幸福論

幸福に生きるには、まず第一に愚かな人を避けなければならない。集団教育など愚者がたわけている場は絶対に避けよ。そこでは地獄めぐりがあるだけだからだ。
 第二に、世俗と隔絶して生きよ。世間と接すれば確実に害を受ける。世間は愚者で埋まっているからだ。
 第三に中道を守れ。これは一般の徳だ。

利己的な西日本勢の無歴史

関西や西日本人全般はかつて北海道を蝦夷地と呼び、異民族視しつつ差別し、先住権や民族自決権をふみにじり、特に天皇家がアイヌを皇民化の対象にして、民族文化を弾圧してきたその悪業を謝罪する事なく、開き直って観光消費地にするや殊更持ち上げている。茂木健一郎ら西日本勢に不都合な歴史はない。

衒学と説明

学をてらってわざと難しい言い方を使う事と、難しい内容を単純な言い方で説明している事とはまるで違うが、愚かな人々は両者に見分けがつかない。どちらも単に難しいだけに見えるからだ。
 余りに愚かだと、物事が難しいだけで発狂、逆上したり、場合によっては相手を脅迫、弾圧したりもする。

理系馬鹿

理系馬鹿は論理で全てが分かると思い込んでいる。

仲間

心の卑しい人と心の尊い人とは、さも水と油のよう退け合う。性悪と性善も同じ世界で生きられない。同類とのみ、人は仲間を作る。
 多様性を尊ぶ仲間は寛容だが、別の仲間は一様性が秩序維持の要件だと考える。
 何らかの違和感を感じた集団からはすぐ離れるがよい。馬の合わない集団は別の仲間だ。

音楽そのものを聴いていない人

名曲に感動しない人は自分の心では何も聴いていない。彼らは世間にあわせてうけのよい流行歌や評価のおよそ定まった古典音楽を聴きそれが音楽だと思い込もうとしており、文脈や楽典的理解はいうまでもなく感受性が死んでいるため、同時代に生み出されていく新たな古典については何も分からないでしぬ。

楽しようとする人々

愚かな人々は短尺で、当人の愚かさに合う様にまとめろなどと傲岸不遜に驕り散らしている。が、そういう人は自分の脳に高い負荷をかける勉強を嫌って、楽しようとしているだけだ。彼らは日々難事解決の為の学習を怠っているので、歳を経るごとに惨めさを増していき、真っ先に一般認知力が低下してしまう。

終わってる人

人として終わっている人は、何事も他人のせいにしているが、当人は少しも向上心がない。実際、その人に何かをさせてもおよそ何もできない。余りの無能さに他人をけなす事に味を占め、他人の有能さを陥れたら自分の地位があがると誤算しているのである。

空っぽな人

よそゆきで心にもない愚かごとをいう人は、単に自分というものがなく、相手次第で自分の態度を変える事が正しいと思っている。

出世と隠遁

くだらないやつが大金を得て
くだらないやつが名誉を得て
ちやほやされ
そのまま有頂天になって遂には
東京の下衆な週刊誌に落とされる
くだらないやつが作る国は犯罪的で
なにも安らげない
そこで立派な人は少しも出世せず
いなかの畑の奥にいて
あばらやの奥に一人座り
詩を詠みながら世を憂いている

愚かな人々、低俗な人

愚かな人々が突然賢くなったりはしない。愚かな人々はより愚かになっていき死ぬ。愚かな人々は後天的に教育しても愚かな侭である。

 低俗な人は自分の低俗さにことさら自覚もなく、落ち度も感じない。それは低俗な人が下品さを何らかの好ましい資質と勘違いしているからだ。

荒れた国

悪徳の老人達が脅迫し狂乱しながら虐げてくる国

退廃した愚劣な子供が発狂し害や禍まきちらしてくる

地獄面での再生

極悪人共に囲まれているので
いつも息がつけなかった
そして生涯この地獄面は続く
だから自分は勇者になるしかなかった
もし極悪人共が一匹残らず退治されたら
自分は必ず裏面に再生し
そこで平和な時代を過ごせる筈だ
だがこの面はそうではなかった
極悪人だらけで
邪教祖天皇一味が独裁した最悪の面

直感の作用

直感が拒絶する人は、単に何らかの悪徳、悪趣味など、有害要素を持っているのだ。だが、我々は理性によってその直感を否定し、悪い印象を持っている人に何らかの言い訳をしてしまい易い。
 直感は理性より鋭い。
 いわゆる生理的な気持ち悪さや好印象といったものと、直感の作用はとてもよく似ている。

強く信じる事

悪魔達は死んでいくと信じよう
この星に残されている希望の灯は
いつか奴らの絶滅が起きる事だけだ
だから強く信じる事だ
悪魔達は無感覚で人を傷つけ
自分の強欲の為に他人を利用する
だが悪業の因果は応報する
悪魔達は星中にはこびっていて
どこでも善人を陥れている
悪魔達は全員亡びると信じよう

2023年2月10日

西軍天皇侵略罪による自称和みの偽善

佐賀から出てきた茂木健一郎が白虎隊も南京事件も彰義隊も回天神社も沖縄の洞穴も五稜郭も勤皇志士の手になり秋田で死んだ仙台藩使者だった親を探しに来たあの侍の兄弟*1も長崎でミサ中の教会も新潟戦も容保公の胸の竹筒も慶喜公の天下泰平の書*2も全て無視し偽善で和みとほざく最悪の西軍天皇侵略罪

―――
1) 野添憲治『秋田県人』1975(昭和50)年、新人物往来社、184-185頁。
2) 渋沢栄一『徳川慶喜公伝』四、第三十五章、逸事、1918年、竜門社、452頁。

パークスは(徳川慶喜)公に申して「貴国(日本)と交わりて以来、いまだかつてこのごとく歓を尽くしたることなし。これ日英親交の始まりなり」と言い、宴たけなわなる時、毛筆をとりて「四海之中皆兄弟」の七字を書したれば、公これを嘉(よみ)してなお一葉をと望みたまいければ、このたびは「天下泰平」と書きたりとぞ。(『川路聖謨之生涯(かわじ としあきら の しょうがい))』)

支え

もしあなたしかいない世界でも
自分が少しだけ残した隙間をあけ
そこにあなたを導く
さも余りに小さすぎ
誰からも気づかれずにいて
遂には踏みつぶされるあのたんぽぽが
大震災の中でも支えになり続けた
邪魔物と思われていた空き家の為に
遂には守られた様に
例えブルドーザーがいつか全てを壊しても

命

宇宙に一つも花が咲かなくとも
てにふれられないほど遠くでも
あなたの前になんの道もなくとも
その暗闇を覆う魔物を打ち払い
あなたを救い出す
そして自分はもうあきられ
みなにみすてられたぬいぐるみを拾い
てにふれるほど近くに置き直し
いくつもの矛盾に満ちた世を直し
あなたの命を励ますだろう

確かにいいのを

にんじんさんに教えてあげるわ
座ったり立ったりできる
机の上に置けるやつマジで買った方がいい
それか直接うごくやつ
スタンディングデスク
もうあるかもしれないが
僕のやつこれ サンワダイレクト卓上用
多分わりとPCに張りついてると思うが
立ったり座ったりできるだけで
腰への負荷がまるで違う

大根役者たち

出羽守イングランド王の太鼓持つ

岸田家の西洋留学国費にて

炙りすぎお涙頂戴大俳優

成田悠輔ナチスの敗走

高齢者抹殺論者の成田が逃亡 返信欄にオツム危なげに信者残る イェール・ナチ残党みじめ

日本国の起源『新論』

西日本歴史歪曲のうそばかりつく118回も国会でうそついた しかも首相にした山口県4区選出の国会議員が そりゃ近代化に先駆けて維新を起こした僕の地元が言うんだから間違いないよ 大津浜事件からだもん 日本の近代化って 第二の清にされるのを悟って会沢安さんが日本国を構想して今に至る

真冬の震災

われ祈る さちのトルコに届けかし あしたは晴れる雪も融けゆき

ハッピー

ファレルうたう気まぐれに過ぎる世の身軽さを

2023年2月9日

西軍天皇による自称和みの侵略犯罪

いんちきな脳タレがいう和み道それならなぜ幕末佐賀人は徳川氏をうらぎって会津にぬれぎぬきせ大虐殺はかったのか 東亜中で大量死もたらしたの脳タレ故郷の西軍と天皇が一国の平和を壊して暴れ回ったせいじゃん こっちは平和がよかったのに だから『新論』で野蛮な植民地主義をまねるなと言ったのに

人騒がせな脳タレントのはびこる和ツイ界

モギケンと1から9まで気が合わない
10中1だけなんか合ったとしたら
ファレルの『Happy』が
今世紀最高の曲になるかもさの合意くらい
そんなの誰でもわかるしね ほぼ
大体馬が合わないなら関わらなけりゃいいが
人騒がせな事いって迷惑かけてくるんだよな
早く終わればいいのにツイッター茂木時代

奥さんの心まで炙られたくはない

ビンタしたオツムに合ってる欧米喜劇

皆兵令代

ウクライナ払った費用は三浦持ち

メタの誤算

VR世界って明らかに金持ちにしか開かれてないだろ 推奨グラボとCPUの性能が高すぎて普通に手に入らないぞ おまえらには手に入るんだろうがな おまえらは天から大金がふってきて任天堂の株価があがるんだろうから 僕はそうではないサムライなのでVRつーかVチューバーやってみただけ ざまぁ

京都との相性

京都人のね シュウジナカムラ君 きみ何回僕のツイッターフォローしてまたはずしてるの なんなの 私京都人苦手だからかかわらない方がいいよ 相性悪いからまじで 僕は性善説の極みみたいな超素朴にんげんだからイケズ系の京文化とやらと何もかも合わないよ経験的に かかわらない方がいい 京都もう行かない

J-pop勢の女子力

皆アドすきなんでしょ 僕は嫌い なんでかというと多分最初の歌が下品だったからだ 『うっせぇわ』ね うっせぇのは君であるよよ あとね あいみょんも嫌い なんでかは分からんけど神戸臭が苦手なんかね? なんかあれも苦手だった トイレの神様の人 関西人ってああいうの好きだよね 京都市長も

あいみょんが流れてる下水あるじゃん あれ多分東京ドームあたりじゃね? あのあたりのドブがひどいから うわーこれは東京人が川だと思ってんだろうなとおもって眺めてたら通りがかった高校生くらいの女がそれをみて笑ってたが 意味がわからん あんたら東京人は風流心が一切ないよね 目黒の下水桜

咬みひと猫とラオンの『可愛くてごめん』あるじゃん 宇宙で僕しかしらないだろうけど 普通にさ アジア系の女の間でJ-popって現役で広まってんじゃんね 前も言ったけど 西洋圏の女は一般に男勝り目指して方向性違うだけでは

一食分の味噌汁作り

皆にいいこと教えてあげるよ 一人分だけ一食分だけお味噌汁作れるって知ってる? 最近おぼえた お母さんが倒れてから 出汁とってから普通に味噌いれるだけだったわ 父親がくわねーから僕が一人で食ってたらおぼえた 具に関しては適当にコンビニかどっかで冷凍ほうれん草とか乾燥ワカメで出来たぞ

昔一人暮らししてた時も作ってたけど一食分だけ作るみたいな器用な技は使ってなくてなぜか作り置きみたいな事しだしたのでめんどくなって「あさげ」とかにしてたわ CMに影響受けて でも一人分一食分だけでも作れるんだわこれが 今食べた

単にね水を少なめにして沸かせばいいだけ 一食分だけ味噌汁作れる技とか自力でおぼえないと誰も教えてくれなかったわ レベル上がった 勇者の特技にあるの これ

マック勢の驕り

パソコンについて調べてたら8億時間もかかったんだけど 詳しくはなったがアップル信者って楽だね 自分で何も組んでないんだもんねほぼ ジョブス任せで威張ってるよね脳タレとか むかついてくるね M2マックで威張るんだろうねまた だから嫌い 威張るから 東大も威張るから嫌い 藝大も京都も

脳タレント教と神経科学

欧米ではやった途端てのひらくるっくる620度ちかく回す欧米出羽守スノビズム目的の脳タレ教 信者どもって毎度の話なのに脳科学教にまだお布施してるの? 脳教祖はNiziUデビュー前やたら持ち上げだして自分もそれみてドン引きしたもん もし脳教祖がズルしてもちあげなかったら反感もたなかったわ

大体自分で勉強すれば脳タレがいい加減な事言ってるってわかるから 神経科学本体はあんな安直なもんじゃないよ ほぼ実験的に確実に言える様な証拠をもとに語ってる物理っぽい分野だよ カンデル『神経科学』買えば 僕は買った 数時間で読んだから完璧にわかってるか謎だが英語だし より勉強になる

属国天皇

国内外を殺戮 税収奪 民族差別 異教徒迫害に異文化破壊で荒らし回った最悪邪教祖天皇 関西の山奥からでてきて今度はイギリス帝国に媚びを売りに行って 祖国のもと首相国葬は弟の家族に行かせたとか なんの象徴? 地球の西の果てにある植民地荒らし海賊団の? 天皇って東インド会社の名誉社長?

大量消費時代の時代錯誤な長老層による再エネ潰し

都会にたかり電気代ケチる貪婪老人らが再エネ産業進んでつぶし原発公害で子孫累代に大迷惑かけまくる国

謎脳タレント

日本のお笑いや大衆歌に喧嘩うってイギリス側に立つ謎の脳タレ 今日も他国の流行歌をもちあげる謎 今日もつまらないイヤミ芸連発の謎 ノーマスクで五輪に観客容れたがる謎 謎の信者と冤罪バンしかけてくる謎 あんぱん誕生秘話パクる謎 ラーメンズの笑えぬ憎悪演説芸でユダヤ団体本部に特攻する謎

主従能力

直感は我らをよりよく導く手綱である。理知は我らを欺くが、直感は感覚、本能、感情をまとめあわせ、真理に直接気づかせる。理知は後天的に鍛えられ、教育なる洗脳を散々施した後づけの偏見を語るが、直感は美の女神にいざなわれるよう何の曇りもなく生まれつきの真実に至らせる。直感は理知の主である。
 理知は直感の導きを後追いする従者で、真実に言い訳をし人々が誰でも着いてこれるよう、森の道端のそこかしこで枝を折っていく。だが理知の言い訳は余りに長ったらしく、余りに説明的かつ冗長なので、大半の人々は長帳場に耐えきれず、講義に飽き出て行ってしまう。一般の学者が世事に疎いのはこの為だ。

まだヘーゲルやってるの?

ひどいのはJポップじゃなくて人の心が分からない君だよ ルパート君 あとモギケン あとBBCとかいう中立ぶった反ブレグジット君 オリエンタリズムの色眼鏡で東洋人イジメはやめよう UKロックだけが音楽じゃないから エイフェックスツインだけがテクノじゃないから レディヘだけがオルタナじ

アマザラシってノーベル文学賞ごときだったら最低でも29個には値するだろ 数適当で なんでそれがわからないのかがわからない 聴いた事ないだけでしょ というか世界文学というものがわからないだけでしょ ホント馬をさして鹿となすBBCと食べ物以外なんでもイギリスかぶれのいつもの脳タレだな

2023年2月8日

一番安くておいしいやつ択んで袋あけたら

コーヒ―の粉こぼした 朝からじゃなくて夜から ふつう朝からだと思うじゃん 夜から 掃除機かけたし

何が和み

アドの声嫌いなんだがアドみたいな声のやつばっか今のユーチューブ和チャートに出てくるからうんざりしかしない 何が和みだよ

偏差値順のざこ国家

思考停止愚民の大好きな偏差値順の受験歴 今日も高卒の作ったiPhoneを手に 東大閥の馬鹿が発した皆兵令で一億総敗退

副業

本業を疎かにして副業で金儲けするメディア知識人

副業推し佐賀人がまた恨み節の八つ当たりで江戸時代ディス アインシュタインも専業なのに

モギケン ひろゆき 三浦瑠麗 古市憲寿 落合陽一 メンタリストDaiGo 成田悠輔まで読んだ

弘法は筆を択ばず、もとい、巨匠はマックプロを択べず

下らぬ経費浪費の娯楽動画しか作れぬ偽クリエイターに最先鋭の超高価な個人向けコンピューターがあり、当代で最高の巨匠の元には中古でもジャンク扱いなおんぼろコンピューターしかなかった、と明記せよ。商業芸術は宣伝目的で凡愚向けに自己最適化し、計算機を下等に使って大量の情報ゴミをうみだしていた。

光る星より

今にも消え入りそうなこの星で
あなたはこの上なく輝き
やがて自分を包んでいる
この銀河系より大きく
天の川を超え多宇宙を覆い尽くし
あらゆる時空を押し流していく
というのは冗談で
実際あなたは美しい
あたかも言い尽くされ
使い古されたあの恋の歌みたく
あなたはこの上なく貴く輝く
恒星よりも

人の心

この時代のどこにもおちていなかった
唯一の心
大切なその宝物を
自分はみつけだすだろう
いつか君の嘘に気づき
輝く夢もどこかに置き忘れ
遂に誰からも忘れられ
山奥にすてられていた宝箱
自分が扉をあけてはじめて
いつか昔の人が遺(のこ)した手紙と共に
伝えられた真理
唯一の心
人を信じる勇気
人の心を