2026年6月21日
名のつく形
もし、芸術と名のつくものの一切が無意味なら、人類のあらゆる功績もそうだろう。だから、君は絶望していた。実際のところ、この世の中で功績と呼ぶべきものが、何かあるとしたらだが。
人が滅び去るときに、何か嘆くだろうか? もし嘆くとすればだが。そんなことはない。事実、嘆き去ることが、この世で人にできるすべてなのだから。
2 哲学
宇宙全体に意味を与えようとしたあらゆる試みは、既に終わってしまったのだ。だから人はただひたすらつづく、下らないたわむれごとのどこかで、退屈しのぎにその日のろくでもない生を過ごすしかない。でも、その様なくだらなさにもそれなりの味わいがあって、なにか理屈をつけたがる。哲学の全体とは、そんなものだろう。無論、こういった解説自体にも、どんな意味も与えられていないとしても。
3 人生の意味
僕にとって、人生の全てに意味を与えるという作業自体には、特段の意味がなかった。だからといって、意味自体の本質に興味がないわけでもなかった。
だが、この話には続きがある。
だれにとってもこの世の存在が下らないものだとすれば、自分にとってもそうだったのである。だから、人生の全てに意味を与える、というしごと自体には、失敗する宿命があった。
4 貪欲
僕はヒカキンというユーチューバーが苦手だし、今となっては嫌いになった。それというのも、彼の貪欲なふるまいに呆れたからなのだろう。
5 救い
もし芸術に意味があるなら、それは我々の魂を救う、という点にあるのだろう。
ねこのせりふ
ほしぞらのむこうに
こぐまが 一ぴき
うみの むこうの くにから
ぽこぽこ ぽこぽこ
ブリキのおふねで
やってきました
もりの ことを しらないのに
「ぼくは かしこい こぐまだから
もりに 入って しぜんと なかよく
くらせるんだ」
と おもっていました
だって がっこうで ならったの
「しぜんは みんなの ともだちです」って
こぐまは そのことば だけを
ぎゅっと だきしめて
でかけてきたのです
一 ぶぶづけ もり
もりの 入り口に
ふるい ふるい きつねの ちゃやが
一けん ありました
「まあまあ おきゃくさん
お茶でも どうどすか」
きつねは にこにこ いいました
こぐまは よろこんで
「ありがとう! あなたは いいひとだ!」
と いいました
でも きつねが だしたのは
ぶぶづけ という
お茶づけでした
それは 「もう おかえりください」と
いう しるし だったのですが
こぐまは しらなかったのです
こぐまは げんきに
「おいしい! おいしい!」
と たべて
もりの おくへ 入っていきました
きつねは あきれて
「かわった こぐまじゃ」と
あとを 見おくっておりましたとさ
二 もりの なかの こぐま
こぐまは もりの やまみちを
のぼったり くだったり
のぼったり くだったり
「あれ? ここ さっきも とおったよ」
こぐまは まいごに なってしまいました
がっこうで ならったのに
ちずの よみかたは ならってなかったの
あめが ふってきました
じめじめ じめじめ
こぐまの けがわは ぬれて
ずっしり おもくなりました
「しぜんって ともだちじゃ ないの?
どうして ぼくを ぬらすの?」
こぐまは すこし ないてしまいました
そのとき
げこげこ げこげこ
かえるちゃんが やってきて
「こぐまさん こぐまさん
どうして ないているの?」
といいました
こぐまは くやしくて
「わかんない おかあさーん うぇーん!」
と もっと大きな こえで なきだしてしまいました
かえるちゃんは いっしょに げこげこ なきながら
やさしく いいました
「じゃあ あっちに
きれいな たきがあるから いってみよう
みちのおくの お寺に おじいさんも
いるからね」
げこげこ げこげこ
こぐまも おかしくなって まねをして うたいました
げこげこ げこげこ
ふたりは
げこげこ げこげこ
なみだをながしながら たのしく うたって
たきのむこうに あるいていきました
三 おてらの おじいさん
お寺の おじいさん うしは
ぬれた こぐまを
たきびで あたためて くれました
「やれやれ やれやれ
とおい くにから きたのに
すっかり ぬれねずみ じゃのう」
こぐまは ちいさな こえで いいました
「ぼくね……しぜんの こと
なんにも しらなかったの……
がっこうで 『しぜんは ともだち』って
ならったから それだけで だいじょうぶ だと
おもってたの……」
おじいさん うしは
ゆっくり うなづきました
「しぜんは やさしいが……
やまのおくの そこしれない かみさま を
ほんとうに おそれ うやまわないものには
こぐまくんの おとうさんより ずっと きびしい……
しぜん が ずっとまもっている この もりは
あらゆる いきものの
かけがえない すみか なんじゃよ……」
こぐまは ぬれた毛をかわかしながら
その とてもとても むずかしいことばを
むねの なかで なんども なんども
くりかえして いました
「しぜんは きびしいのか……
ぼくの おとうさんは ぼくが まいごになったって
いったら おこるかな」
こぐまは そういうと ぶるぶる ぶるぶる ふるえて
ねむってしまいました
四 おかあさんぐまの うた
やがて こぐまは
おかあさんぐまの もとへ
かえりました
おかあさんぐまは
「まぁ かえってきたのね よかった よかった
ららら~」
と うたいました
その うたごえは
いつもの おかあさんぐまの うたいかたでした
ららら~
ららら~
ふたりで たのしく ふいた しゃぼんだまを みながら
おてんきぞら の したで
ららら~
せんたくものの せっけんの においの あいだで うたっていると
ぶじにかえってきた こぐまを いつのまにか
いぬの カメラしゅざいが とりかこみました
うれしくて ららら~ と うたっている
おかあさんぐまと こぐまは
カシャカシャ カシャカシャ
まぶしいひかりで てらされました
しまりすも しろくまも ぱんだも
たぬきも きつねも
ねこも うまも はちも
もりの みんなが いっせいに こぐまを みていました
おとうさんぐまは みんなのまえで
きりかぶに どかんと すわると
こぐまが ひとりで もりに入ってしまった ことを
ぜんぜん おこらずに いいました
「こぐまの ゆうきを たたえましょう!」
みんなは おおきな はくしゅをすると くちぐちに
こぐまの すごいぼうけんのはなしを ききたがりました
こぐまは めをめるくすると とてもこわくなって
おかあさんぐまの うしろにぜんりょくでいそいで かくれ
ふともものあたりにだきついて ぎゅーっと
おかあさんの えぷろんを にぎりました
こぐまは とても こまったので すぐに
かえるちゃんの げこげこ をおもいだしました
げこげこ げこげこ
げこげこ げこげこ
ふしぎな星たちの かがやきとともに
もりの おくふかくは いろいろな いきものの すみかでした
「しぜんは いろんな木の実みたいに なんでもあるけど
星たちは どうしてあんなに かがやいているのだろう
だれかを いつまでも いつまでも まっているみたいだった」
こぐまは あのよる こわくてふるえて ねむってしまったあとで
ふと ねむりがさめて そらをみあげると みわたすかぎりに ひろがった
かみさまのひかりでいっぱいの星ぞらが どこまでも どこまでも
かぎりなく こぐまをつつんで ひろがっているようにみえたのです
おわりに
こぐまが ほんとうに しぜんと
ともだちに なれたか どうかは
だれにも わかりません
ただ ぽこぽこ ぽこぽこ
ブリキのふねに のってきて そっとおりてから
あるいて いった みちのおくで
かえるちゃんと うしのおじいさんと ほしのひかりをみました
ほしぼしのまたたきは たしかに ほんもので
かずかぎりない
うまれては きえていく いのちのすがた でした
ぬれた けがわは いまでは よく かわいているので
こぐまは きょうも
ともだちと げんきに くらしています
こぐまの ふしぎなぼうけんは そっと むねのなかにある
たいせつな おもいで です
おしまい
2026年6月14日
2026年6月3日
サッカーのヘディング反則案
2026年6月2日
雅の正体。京都だもん
なんか修学院離宮前のところに昼食どころこちらみたいに書いてあるからいったじゃん。そしたらおばちゃん1人のカラオケ屋みたいなところで、民家の一室みたいなところで、カラオケするか? とかいって歌わされたんだよ。歌いたくないのにひどく苦痛だったよ。小鉢みたいなのでおいしくもなんともない(茨城だからこっち食べ物が基本最大鮮度で全部おいしいわけだね新鮮で)へんな京野菜もどきみたいなのがいっぱいだされて、何も食べた気がしない。朝鮮みたいになってるの。あれね、実物みるとただ義母からの虐めだよ? それでこんなのしかだせへんのとかいわれて無理やりつくってるだけだよ。おもてなしごっこしてるけど実際は客の為じゃないんだもの。義母のいやがらせであれもこれもつくりましたっていうための装置にすぎないんだよ。朝鮮側も似たことやるけどそれと色彩が似てんのだけどもっと変質したやつなの。おいしくないんだもの。
それで外に出てからげーげーいってあーいやだったいやだったっていったんだよ。歌いたくない歌を空気でうたうか~? とかいっていわれるの。雅の正体だよ、それ。京都だもん。
ペデストリアンデッキの下で
それから、僕はしばらく歩いていた。ある日のできごと。
あの日、忘れられない事があったのだ。
僕はあの無限につづくかの様な雑踏を歩いていた。もう思い出したくもない。そこで一人の大学生が倒れているのを見た。大学生かな? 多分そうだろう。でも専門学校生かもしれないけど、そのひとは口からなんかを吐いていた。可哀想だ。
ここでCMです。ぽげぽげ ぽげーぬ ぽげーぬちゃん。ぽげーちゃん。にゃんちゃーぬ。u ↑py oi g ↑kYo i、にゃんちゅ Laーぬ。おしまい。
た、た、たぬきのたぬt ここでチャンネルを変えました。
画面に映っているのはピンク色のジュースの宣伝です。エスパを贅沢に使ってます。キラキラ、チラジャラ そうですかー。sエ スキッシュ! こんなの美味しいの。そうなの。うん、↑ふ ーん ふーん。おいしいの。そうなのー。
Spotifyプレミアムまだ入ってないの? あんたばかぁ? はい、そうですか。アスカのまねですね。保存した。
そこは、あの新宿のね、紀伊国屋じゃないや、えーとね、小田急の前よ。僕のね、お父さんがね、勤めてたのさ。それはいいか。そこでいうべきじゃないか。それはそうと、僕はそこの前で、毎晩、あの冬子さんが立ちすくんでいるのをじっと眺めていた。知ってるかい。なんかね、柱の所に立ってる女性で、「私の詩集 500円」だっけ? 600円? 1000円かもしれないけどそういう感じの値段で売ってるのね。なんかね、一度だけ買ってみたことがある。そしたらなんかね、僕がずっと眺めてて遂に買いにきたとおもったのか、少し驚いたような表情をしていた。それが冬子さんである。知ってる人は知ってるべ。んでね、次にね、その近くの所でなんかデモかな? わかんないがなんかのときに――なにせ世界一のかずのひとたちが毎日歩いて行くので、ごちゃごちゃしてんだわな――なんかのおばさんみたいなのにおばねーさんというべきかもだが、きいてみたら、冬子さんはなんか夫のために売ってんだってさ詩集。しりあいなんだね。新宿人。そりゃいいか。
それはそうと。そこのね、今はなき、かな? 最近行ってないから分かんないけど、たぶんもうないんでしょ。そこのだ。ペデストリアンデッキのしたあたりはいつもなんかしらんけど屋台の人かなんかが変なエンジンみたいなのを回しており、少しというかかなり空気が悪かった。いまもやってんのかね。しりませぬが。そしてそこで倒れてんのね。大学生が。
なんと僕しかそこで連絡してあげた人いないの救急車に。もうね、この話面倒くさくなってきたからおわっていい? そのうち別の機会にいうかもだから、あるいは哲学講義のどこかでいったかもね。しりたければどっかできけばいいかもしれない。まぁとにかくだ。友だちを呼んであげたわけよ。懐から飛び出してるんでもないけど胸ポケットかなんかに入ってた携帯で。一番上の連絡先のところに電話してあげて。たおれてますよ、て。そしたら最初その倒れてる人自体が電話してきたとおもったみたいでなんだよ、みたいにいってたが、「え、ほんとですか?」と口調が変わって行きますみたいにいった。そんでしばらくあとで来たとおもう、ともだちが。どうせ飲み会かなんかで飲み過ぎたひとかなんかだね。
救急車もね、なんか迂回するのかでなかなかこないのね。目の前まできてるのに。それで僕がこっちだよーていう感じで手招きで寄せたがまた迂回してなかなかこないの。おかしいよね。新宿。救急隊員からくればいいのに降りてこないんだもの。くるまから。
問題は、そのあとで、近くでみてたらしいおじさんが「みてたよ」といって話しかけてきたんだよ。これだよ東京。ザ東京。んで、要するに僕がなにかを盗もうとしてるのではないか? みたいに恐らく密かに見てたんじゃないか? しかしだ。それならそのおじさんが最初からその倒れてる大学生を助けてあげればよかったじゃないか。
それで僕は「大丈夫ですかね」みたいなことを言って、その場を去った。
2026年5月31日
砂浜について
僕は0歳の時から北茨城市という所に住んでいて、ここは海・山・川・湖に恵まれ田園と里山に隣接した小都会で、いわゆる天然にできている田園都市といえる。ハワードが郊外開発の類型として金儲けを含めて作ろうとしていったものではなく、最初からその様にできているものである。
で、そこで子供の頃、目の前は開けた野原で、春は菜の花やたんぽぽが咲き、夏はばったを草原の中で捕まえて遊んだり隣の家の庭にひまわりが大きく開いていて、秋はトンボがすすきの中を飛んでいて指で目を回して遊んだりしていたし、冬は一面の雪化粧で足跡をつけ回り雪だるまや雪合戦で遊んでいた。思い出は数え切れない程あるのでここでは書き尽くせないが、あるのどかな春の日、山あいの田んぼに両親と車でいって山菜をとったり、ある夏の日に、幼馴染の秋田君と近所の川に入って遊んで、近くにあったスパーというコンビニで冷たいおそばを買って、二人で川辺に座って食べた。とても涼しかった。沢山、僕らの小都市の周りに湖の様な沼があるので、そこにマウンテンバイクで友達と放課後に直行して、ブラックバスの釣りをやったりしていた。野口雨情生家の前の海でも、友達と釣りをした。夏は海や川や清流で遊べるので、家族で山奥の冷たい清流にピクニックにいって、ヤマメを釣ったり、おにぎりを食べたりした。東京や千葉からおじさんらが実家に帰ってくるので、一緒に川であゆ釣りにいった。家で塩をふって、小さな川魚を焼いて食べるとこの上なく自然の滋味というものがわかる。
中学校の頃、友達とみんなで友達のお父さんのトラックの荷台にのせてもらって、風をきって花園神社がある山奥の清流に遊びにいった。透き通る川の水にみな崖の上から飛び込むのだが、僕は町育ちの都会っ子なのでその種の野蛮な行いはやったことがなく、無意識にびびって足がもつれ、飛距離不足で崖にあたりそうに落ちたので、すぐ柴田君が「雄介大丈夫か!」とさけんで川に飛び込んで助けにきた。その後、学校で柳生君にそのことを余り悪意はない感じでふざけて、からかって笑われた――いまふりかえってみると、実のところ自分はそもそもそのときもだけど、小学校の途中から強度の近眼なので、眼鏡をはずして、ぼやけて見えないなかの崖ジャンプであったため、どこが踏み切るべき足元かをてんで、まるで確認できないのが本当のうまく飛べなかった原因なのだろうが――むしろ、そのときも、落ちる途中で崖を足で無意識に蹴らないと本当に危機的な感じで落ちた自分自身が面白くて笑っていたし今も笑えるが(やぎゅう君の「ゆうすけの落ち方、なんだよあれ。ああぁ~!」みたいな物まねが、本当はそんな風じゃなくて真剣に落ちてるので、わざと滑稽味を強調して表現していて面白かったわけだけども)、そのときも、柴田君はなんか心配そうな目で僕をみていた。そこで僕が下手すると死んでいた、と知っているからだ。
中学校2年だか3年だか忘れたが、夏休み、市内であった花火大会の終わりだかなんだかに皆で磯原の海まで自転車でいった。潮風がとても涼しくいい香りがし、日の暮れかかった海は浮かぶ二つ島ごと静かに青く、徐々に暗くなりつつあるのだが、いや夕暮れを反射しながら言葉にいいあらわせない色に変化していって、途轍もなく綺麗だった。そこにみなで自転車を留めて、なんかを話したりしていたかだった気がする。その場に柴田君もいたのだが、その柴田君が好きだった女子もその場にいたかなんかで彼はテンションがあがり、いきなり海に飛び込んで、下半身ごとびちょ濡れになりながら騒ぎだした。僕はそこでみなと腹の底から愉快で笑って眺めていたのだが、その時の感じは他の場所で得られたとは全然思えない。
僕が19歳だか20歳くらいの頃、芸大受験で落とされ、必死に東京・池袋の美術予備校でデッサンの練習し、やがて猛勉強して美術系大学がいんちきだと悟り、そのころ同じ都内の保谷という場所に住んでいた田中隆央君と煮込みうどんを食べにいき、「芸大受験やめる」といってなぜか彼に泣かれた後の話だが、そのころ僕はデ・ステイルやモンドリアンの新造形主義の研究をしていて、それは建築に絵画・彫刻を装飾的要素として統合しようという考えだったのだが、それなら最も時間がかかりそうな建築を新たに学ぼうと決心していた。それで実家に帰ってきて毎日、建築に必要な数学や物理を新たに勉強していた。
毎日僕は、気分転換に海へ散歩に行き、そこをネット・ウォークマンだったかツタヤで買った500円の音楽プレイヤーだったかで音楽を聴きながら、真っ暗になるまで走った。海は毎日表情が違うし、砂浜も形を全く変えて行く。朝・昼・夕・夜と海は色も姿も違う。そこには宇宙そのものといえる無限がある。学科は通ったが、実技について自分は型にはまったことをさせられるのが苦痛だったが、自分では完璧に手本通りの設計図を書いている筈なのに結局、5、6回落とされた。で、僕はその間、主に東京の調布という場所に住んで朝から晩まで一人で勉強し、たまに地元の北茨城に帰ってきたりしていたのだが、ある夏の日だったと思うけど、僕は果てしない勉強にも疲れ果て夕暮れの磯原の海辺に座り込んだ。空に満月に近かったかは定かではないが一つの月が浮かんでおり、あたりには誰もおらず、潮騒だけが耳に聞こえた。あたりはオレンジに近い色に染まって、徐々に夜になりつつあった。
それは自分が寝ている砂浜が、周りはもう涼しさを通り越して徐々に寒くなっていく夜の穏やかな海を背景音に、ほのかに温かいということだった。それまで僕は砂浜は冷たいものだと思っていた。死んでいると思っていた。地球は無生物で、あの大都会と同じ物体だと思っていた。それは大きな間違いだった。
勿論、日の光を地球が吸収し、内部熱として保っているだけなのだけど、現実にその温もりを自分が全く不意に感じてみると、地球は、そして自分の地元の海は、常に自分を、ほかのあらゆる生き物と同じよう温かく見守ってくれていたのだと気づくことになった。僕は芸術の道を歩みだしてから、殆ど誰からも無視され、時には狂人と間違われながら、酷く孤独だった。しかし子供の頃からきちんとしつけられ、真面目な自分が探求を諦めるべくもない。その時、地元の海で僕は一人で涙を流した。この星の人間達は僕にとても冷たく、誰も僕を助けてはくれなかったが、少なくとも、この星は僕を助け、支えてくれていたのだと気づいたからだ。母なる星は自分がこの市、この町に生まれてから、一度も休むことなく僕を見守り、密かに父なる太陽と共に自分を温め続けていたのだ。音楽はやんでいたが、海の奏でる潮騒の方が遥かに素晴らしく、とめどもなく尽きせぬ曲だった。あお向けになった格好のまま、手の平を砂浜の中に突き入れてみると、星の温もりは確かだった。しばらく、計測できないほどの時間そうして海の歌と、地球と、月が僕を見守る中で休んでいたが。それで自分は安心し、上半身を起こし、涙を拭いて、真っ暗闇を国道の車のライトが切り裂く中、帰途についた。