江戸っ子の五輪競技場銭を貯め
江戸っ子の五輪競技場銭惜しむ
東京人田舎者の皮剥がれけり
江戸っ子を名乗る東京銭惜しむ
都知事さん北九州のどけちかな
大阪と東京の利権二千億
江戸っ子の作りそこない競技場
北九州船出し作る船の骨
江戸っ子の金になりけり大アーチ
こりゃすごい地面に接さぬアーチ様
二千億みんなが払う貧五輪
建設の会社がたかるアーチ様
緑超え都知事見下す金アーチ
屋根もなき満点夜空の競技場
国民の涙が見えるアーチ様
国民の租税でつくろう大アーチ
やめないといわれたアーチやねないか
やめないといったアーチで雨競技
大雨の五輪競技で金が降る
やねもなく金もなくなる五輪かな
五百億払わぬといい屋根かけず
たのしいな夜空のみえる二千億
あら不思議冷房きかぬ二千億
ちゃきちゃきの江戸っ子にかかる屋根は無し
2015年7月12日
2015年7月11日
道徳
この世において、幸福になりうるのは、道徳的な人のみ。徳高きものは、幸いなり。労働は卑しい。不況において搾取をするなかれ。学者を卑しめる人間は、知恵から見放される。芸術家を貶めるものは、人生の楽しみから見放される。労働を崇拝するものは、奴隷となる。非常に質素な素材からでも傑作が生まれる。芸術の価値は、素材の額、製作期間、労力とは関係がない。芸術性は、かけた金額とは関係がない。
裕福並びに貧困係数
単位時間あたり脳内で金儲け以外の事の為に割く容量の割合を、裕福係数と定義する。また、この逆を貧困係数という。貧困係数が高いほど、文化資本に割ける時間が減り、相対的に貧しい暮らしとなる。裕福係数が高い程、文化資本が豊富となり、相対的に豊かな暮らしになる。
2015年7月10日
2015年7月9日
天皇教、神道の批判
日本民族という妄想を捨て全ての民族と同じ国を造るべきである。そもそも天皇は奈良の民族でわれわれ縄文は山門 民族ではない。天皇は国民に寄生している。天皇は自分の先祖を神格化し他の人間を人種差別している。天皇一族は、戦争犯罪をおかしながら責任逃れをした一族である。これらからいっても、天皇家は政治的に正しくない。
2015年7月8日
道の政治
誰が死んでも悲しまず、誰が生きても喜ばず、人間の利害損得を一切離れて、天地明道に基づいて政治を行わねばならない。俗人は天子にあらず。考えのままに地位がなるべきである。正しい考えをもってれば自分の地位がどの程度か、身分にかかわらずそれで十分である。もしその考えが完全に正しければ必ず自分の身分もあがって己が世界の指導者になり、考えが間違ったまま無理やり地位をもとめると絶対に失敗する。世界の支配者はそれにふさわしい考えを持つ人が、ひとりでになる。なぜ失われる地位があるかといえば、考えと地位に矛盾があるときだ。もし本当に偉大な政治思想をもっていれば、自然にその身分を得るはずである。王にせよ貴族にせよ。
向上心とか理想、悪い意味でいう野心や野望は、考えと身分を一致させるまでその人間を働かせ、仕事させる。身分と理想が一致するまでその人は行動してしまう。老子が無為にしてなさざるなし、といったのは無欲に留まれば隠者になれるという意味である。哲学はこうして、よりすぐれた理想を常に生み出しなおす為に必要である。哲学は停止せず、継続される。理想は更新される。
向上心とか理想、悪い意味でいう野心や野望は、考えと身分を一致させるまでその人間を働かせ、仕事させる。身分と理想が一致するまでその人は行動してしまう。老子が無為にしてなさざるなし、といったのは無欲に留まれば隠者になれるという意味である。哲学はこうして、よりすぐれた理想を常に生み出しなおす為に必要である。哲学は停止せず、継続される。理想は更新される。
2015年7月7日
2015年7月6日
槌音
わが手に持ったつるぎは勇気
切り拓く道は未来
明けていく朝焼けに果てしない希望
この世に訪れる至福
太平洋から昇る旭のうちに
みかどの国が見える
われらの栄光を集め打つ槌音を聴け
その身に宿すこころは正義
歩き出す先に仲間
明けない夜はない
この町を映し出す優雅
日本海へ沈む夕陽のうちに
すめらの国が見える
われらの偉大な努力に打つ槌音を聴け
切り拓く道は未来
明けていく朝焼けに果てしない希望
この世に訪れる至福
太平洋から昇る旭のうちに
みかどの国が見える
われらの栄光を集め打つ槌音を聴け
その身に宿すこころは正義
歩き出す先に仲間
明けない夜はない
この町を映し出す優雅
日本海へ沈む夕陽のうちに
すめらの国が見える
われらの偉大な努力に打つ槌音を聴け
2015年7月5日
道徳
賢愚、善悪も程度だから相対的に優れた水準の人を見つけようとすればできるが、絶対的な人物は存在しない。
自然と法則とは法則が異なる。自然と道徳の共通部分を業という。自然であって道徳ではない部分を野生、道徳であって自然ではない部分を理想という。
道徳を高めることが人類の文明である。祈りや呪いによって道徳を動かせ。自然法則と異なる法則であるからには祈りによって自然が動くわけではないが、道徳的には感化を及ぼし得る。野生状態を理想状態で統治しなおす業が法律である。立法をもたらす為に道徳的理想を主張する事には大いに意味がある。
悪には自罰性と、他害性の2種類がある。自由主義者にとっては他害性の制限のみ、自罰性は反面教師用に原則放任の説が支配的であり、社会主義者にとっては自罰性も制限対象に入る。道徳的知能は自罰性の感知も含むから、社会に対する適応性である。悪は業のもとに自罰される場合もあり、悪の他害性のために他人から罰を受けることもある。いずれにしても悪によって得する事がないのだから、悪を好む人間は自滅する。
自然と法則とは法則が異なる。自然と道徳の共通部分を業という。自然であって道徳ではない部分を野生、道徳であって自然ではない部分を理想という。
道徳を高めることが人類の文明である。祈りや呪いによって道徳を動かせ。自然法則と異なる法則であるからには祈りによって自然が動くわけではないが、道徳的には感化を及ぼし得る。野生状態を理想状態で統治しなおす業が法律である。立法をもたらす為に道徳的理想を主張する事には大いに意味がある。
悪には自罰性と、他害性の2種類がある。自由主義者にとっては他害性の制限のみ、自罰性は反面教師用に原則放任の説が支配的であり、社会主義者にとっては自罰性も制限対象に入る。道徳的知能は自罰性の感知も含むから、社会に対する適応性である。悪は業のもとに自罰される場合もあり、悪の他害性のために他人から罰を受けることもある。いずれにしても悪によって得する事がないのだから、悪を好む人間は自滅する。