2021年9月27日

財政破綻寸前の自称京都市による文化庁と皇族政治私用謀略

京都市政 財政破綻をごまかすに 文化庁かり税金むさぼる

京都市政 財政破綻をごまかすに 皇族私用で税金むさぼる

京都市政 財政破綻の危機といい 崇仁地区で開発実行

京都市政 財政破綻は遠からず 自文化中心 全国見下す

初対面で地域差別してくる田舎町の京都市民 自分の自称京都が田舎町なのに全国を田舎と見下し公家きどり

京都人は京都人を守ってあげた慶喜公をいきなり裏切り朝敵とぬかす

京都人は京都人を守ってあげた容保公をいきなり裏切り朝敵とぬかす

京都人だれも頼んでないのに自分から天皇と東日本へ侵略・大量殺人・強盗罪した張本人

京都人が世襲独裁したさに京都と天皇を守ってくれていた慶喜公へ突如ぬれぎぬきせ東日本へ侵略罪

陰険な京都から原田伊織やら池田信夫やらが東京へでてきて威張りちらし あることないこと水戸へ悪口 華夷秩序ごっこでひたすら全国を地方だ田舎だと見下す いつもの東西京都しぐさ極めつけに野蛮なり

陰険な京都市政の門川が皇族政治私用を公言

陰険な京都府政の府知事らが皇族政治私用を公言

京文化が首都だ中心だといい全国を見下し奈良を押しのけてリニアをねじまげ門川市政

中世新参の渡来人町 山城の盆地が威張って 国中を蔑視

縄文期何万年とくらす本来の日本の伝統破壊した京都

桓武帝ただの渡来の暴力団 日本人の主権を侵害

日御子しらす女帝のおくにヤマト国 史書から消した自称天皇

男系と嘘ばかりつく竹田家はY染色体なき元正帝無視

似非皇帝 カルトな邪教祖のっとりし 日御子のみくに 魏志ヤマト国

琉球王国 尚王誘拐のっとって自分の国と偽る明治帝

アテルイとモレの指揮する日本軍殺戮 朝鮮系桓武がのっとる日本国

自称京都と中華ぶり ただの全国差別な虚栄で転ぶぞ財政破綻

単なるヤクザな渡来系西軍ボスの一時ひっこし先が京都府京都市と中華思想で自称し 徳川家を裏切り アイヌと琉球王国ごと壊し 朝鮮王朝もほろぼして自称文化首都きどり

陰険な自称京都にはぐくまれ自称天皇 今日も血税で贅沢三昧

陰険な自称京都にはぐくまれ自称天皇 今日も江戸城侵略で強盗たてこもり

陰険な自称京都にはぐくまれ自称天皇 何千年もアジア中で大虐殺自慢

陰険な自称京都にでしゃばられ自称天皇 ふるさとの奈良もさしおかれている

陰険な自称京都にでしゃばられ自称象徴 全国も馬鹿にされている

自称奈良発 神道種族主義の邪教祖は全日本人を差別してきた

奈良人の種族主義教 神道はいまだに男女差別を信じる

奈良レイシズム神道は昔から全日本人を民族差別

陰険な自称京都にでしゃばられ自称皇族 幕末西軍のただの内乱将棋の駒どころか 自称文化首都で見栄っ張りな財政破綻目前自治体の客寄せパンダにならせられる

陰険な自称京都にでしゃばられ自称皇族 奈良時代以来の東日本侵略・虐殺・民族差別・強盗・納税奴隷化・主権侵害罪の大罪業を一度も謝らず済まないとすら思わず 強盗たてこもり先でお威張りになられていらせられる

陰険な自称京都の西戎が 前将軍への冤罪で侵略・殺人・強盗罪して 勝手に東京皇居と称し威張って居直っていらはる江戸城

義理がたい彰義隊は西の果てから侵略罪にきた自称皇軍と戦って 上野公園の隅に今も眠れる 結局 16歳の明治天皇を駒にしたえせ皇軍だった薩摩藩士は西南戦争で自業自得にも皇軍と戦い敗れ 侵略犯の西郷隆盛大銅像を上野公園に作って今も威張れる

自称先進の中世新羅系・渡来人移民区、陰険な自称京都の西戎が、東北と見下してきた先住日本の正義の徒から前将軍に濡れ衣するなと叱られ、またも東日本を見下す中世朝鮮系移民区・関西特有の奈良レイシズムとそれに伴う虚栄心から大逆上。東北中へ白河以北一山百文と華夷秩序意識で民族差別しながら侵略罪して、おのれの悪意からきたイケズな冤罪をいまだにごまかしつづけている。

陰険な自称京都から現れた神道カルト教祖、アラヒトガミ気取りの自分の税金を私的に蓄財。国内外で大量虐殺テロを指揮しまくってて約1億人を道連れ大敗。死刑で生け贄にした部下へ侵略罪や戦争責任全てを責任転嫁。自分はGHQ傀儡で生き延び、男女差別しながら国家の父母面。さすが中国や朝鮮から入ってきて中華皇帝ぶった奈良カルト・レイシズムで日本人を大量虐殺・差別してきた、縁もゆかりもない卑怯な公家の親玉殿であらしゃいます。

陰険な自称京都から現れた神道カルト教祖 ポツダム宣言を受諾せず ぐずぐずしていて原爆投下見送り 結局は降参してから仕方なかった発言

陰険な自称京都から侵略罪にきた自称天子の男系世襲一族 特攻隊へよくやったという

中世朝鮮系移民区の自称京都へ奈良からきはった大量殺戮カルト教祖はんには、京都警備されてはった関東人と東北人へ朝敵のぬれぎぬきせて東日本中で非道な大虐殺後に、散々罠にかけて名誉毀損して貶めてから、小御所の西日本人限定秘密会議で倒幕クーデターの陰謀たくらんだこのカルトな陰惨自称上方シティーへと、奈良レイシズムで民族差別の自称近畿こと関西カルト教祖様には是非また帰ってきていただいて。夷な観光客どもはコロナ禍では是非京都へこないでいただいて。コロナ禍おさまったらまた都合よく、けったいな爆買いでわが観光市へお金おとしに帰ってきていただいて。あいかわらず中世みたく全国愚民どもは、華夷秩序で上京区民のうちらから、上から目線で見下される形でおんどれどもの文化差別されてほしいんや、と、京都市長と京都府知事がまたも「玉」扱いで皇族政治私用したがる。

陰険な自称京都人 折角観光にきてくれたひとへ上洛など、なぜか自分が上だとぬかす

2021年9月25日

卑しき都心中華思想のみなもと

南関人、京都の差別まねをして、いなかを蔑む、卑しき天皇。

 奈良時代の奈良人発の全人類を民族差別する奈良人暴力団長自己神格化の為の侵略帝国レイシズム神道カルト。民族・性・門地・地域・身分差別。何でも自分が上、何でも他人が下。なにからなにまで悪意100%のみで、善良な周辺民族憎悪心の塊。税の名目で財産収奪、植民奴隷化目的に侵略大量虐殺自慢ばかり。大量殺戮奈良カルト教祖・自称天皇の全罪業。

 たった150年前、無実の勤皇忠臣・慶喜公に朝敵のぬれぎぬを着せ、当然庇うしかなかった部下の容保公を非道に虐殺しようとし、正義の全日本人を公式軍隊や自警団のみならず一般市民まで大量死させ、薩長土肥京芸の極悪西軍に犠牲者埋葬まで禁じさせた、ひとでなしにして非道きわまりない大量殺人鬼一門・自称天皇。しかも謝罪のひとこともない。慰霊どころか自分からぬれぎぬ着せてなんもしてないばかりか、必死で天皇家と京都府を守っていた将軍・警察長官へ、朝敵濡れ衣で、まわりの関係ない一般市民まで皆殺しの大人道政治犯罪をおかした自称・天皇一味。純然たる悪魔崇拝カルト。国家にとりつき自称京都から全国を被差別部落視であたまごなしに蔑視し、全日本人を納税奴隷化する目的に、ひたすらあしき恐怖政治してきた邪教神道の教祖と信者一味。

 奈良の外のおよそ全日本人を頭ごなしに民族差別、人種差別しながら、嘘だらけの日本人虐殺自慢・差別自慢ヘイト本『古事記』まきちらしから1309年も、全日本中で戦乱起こして大迷惑かけ、中華皇帝ぱくりで自己神格化の洗脳までくわえ、逆らったら殺し、だましては殺し、全日本人へ納税奴隷を強要してきた、神道カルト教祖自称天皇。中世・山城移民区の残党勢、自称京都人が全国差別する目的でかつぎだそうとしている、でくじみたやくざな悪魔一味。

2021年9月24日

悪魔の無政府侵略恐怖屋暴力団・長州閥狂信者群

米犬侵略主義でただの米軍産ケインズ侵略のため違憲な戦争法を通した最悪売国CIA諜報の孫でA級戦犯逃れの極悪非道長州閥・安倍晋三被疑者によるあまたの国家犯罪群、違憲立法群、疑獄におとした河合夫妻や籠池夫妻へ贈賄罪、118回偽証罪。

 勝てば官軍弱肉強食野蛮主義・薩長土肥京芸の侵略恐怖屋どもが、幕末公式政府の長・徳川慶喜公と警察長官・松平容保公へ朝敵濡れ衣をきせ、地位財産強盗目的に東日本侵略し無実の日本人大量虐殺。

 薩長土肥京芸の西軍残党とその信者どもは、戊辰戦からイラク騒乱まで散々罪なき人類への純然たる害意しかない野蛮な征服者づらで、アジア一帯にて自称成功体験の明治侵略大虐殺百人斬り自慢しておいて、平成の世も原子炉建屋爆破防止に排気を命じた菅直人首相や、国民主権で国益のため習近平氏天皇の会見予定を少しずらすよう宮内庁へ頼んだ鳩山由紀夫内閣の鳩山首相と旧民主党幹事長・小沢一郎氏らへ、悪意と敵意に満ちたぬれぎぬ非人道反乱で卑劣な名誉毀損と卑賤きわまる罵詈雑言三昧。

 西軍伝統最悪政治の山を必死で隠す極悪非道薩長閥残党安倍晋三被疑者と、英君慶喜公へ政権簒奪の陰謀と恨みから朝敵濡れ衣を着せ先制攻撃した卑怯きわまる浅ましすぎる反政府恐怖屋・大久保利通誣告罪人・内乱罪人の子孫で、安倍の手下麻生太郎副総理。彼ら国事荒らしにすぎない紛い者の独裁者安倍一味の手先・高市早苗共謀罪人の肩持つ悪魔の自民狂信者群。

関西人中心主義の邪教神道

関西人の自称天皇カルト神道って異民族差別のいいわけにすぎない

陰険な京都に騙される馬鹿な東京

陰険な京都人にまんまと庇を貸して母屋をとられつつある馬鹿東京人。
 財政破綻まねきながら文化庁をよこせと京都市長・門川大作がいってたのは、皇族を再誘致する国政濫用、国事の私用で自称文化首都を気どり、また中世同然に全国を中華思想の華夷秩序にあてはめ全力で差別する、自称京都市民の驕りの為なのにね。

 自称天皇も所詮が自称天皇だ。中華皇帝気どりで公徳どころかとっくに政治能力なんかない、ただの虚勢の嘘ばっかり。世襲と近親婚で散々馬鹿な奸臣に取り囲まれ、一族の魂が腐ってて政治的無能すぎるの。無能なばかりか害がある。

 どう見ても単なる帝国主義者で、国内外へ侵略罪の蛮政を連発した明治天皇なんかより、最後の将軍慶喜公の方がフランス公使ロッシュやイギリス公使パークス、イギリス貴族リーズデイル男爵側にみられる絶賛といっていい好評や文明国の長とみなす厚い信任の感じ、慶応の改革や内乱防止行動での現実の政治能力をみるからに、平和主義内政・外交で遥かに増しな天子だったのにね。本当に。
 西周のいうとおり実権のない象徴天皇と別に、徳川大君を大統領にして、かつ慶喜公のはなから求めてた議会主義の新時代にしとけば、のちのち仮になんらかの大戦にまきこまれようと行政は徳川大君だから保護貿易前提の一国平和主義で、これまたマシに近代過ごせてたろうに。そのあとで徳川宗家も貴族院議長になってもらって大統領選挙を導入すれば、平和的に民主主義体制へ移行できていたろうに。

 やっぱ小御所会議クーデターで倒幕路線に行った大久保利通と島津茂久と、岩倉具視と大原重徳が悪いね。あと武力倒幕論者の吉田松陰。
 戦国残党薩長特有の勝てば官軍・弱肉強食野蛮主義に媚びて関西大量殺人カルト邪教祖の自称天皇家とやらが、国内外におよそ例外なく恨まれる薩長土肥京芸ら西軍極悪侵略犯なんかに明治寡頭政治させたから、日本単位で侵略国家に落ちぶれ、一国平和外交主義だった徳川家排除の自業自得で悪巧みしてきた西日本の各主要都市とやらが米軍原爆ターゲットになったのが歴史学上の動かし難い事実ですよ。
 だって天皇家がさ、孝明天皇と同じ路線で、慶喜公を信任しつづけて尊王攘夷こと一国平和外交路線だったら、わざわざ侵略主導の西日本に原爆落とす必要とかでてきませんよ。
 どんな国でもどんな人でもいきなり礼儀も道徳もない西日本の果ての無教養かつ粗暴な自称官軍が、要は戦国気どりで暴力ふるうしか能のない薩長土肥藩閥だか万事中華思想で陰険な差別しかできない京都勢だか、自称天皇の大量虐殺暴力団長だかの虚栄の上から目線で殺戮にきたら、ふざけんなと言って郷土防衛戦争になるに決まってらー。一意恭順でそうしなかったのは大人しい慶喜公だけですわ。全宇宙で。尊王を大義と奉る主義だったから義公以来、水戸の徳川家代々の家訓で。しかも自称天皇家の目的って単なる税金収奪だしな。ガチで。

 天朝も要らぬ反天思想家のくせに山口県で神道の神扱いされてる吉田松陰がアジア侵略の勧めを『幽囚録』で山口人に書き送って、それ以来ずっと長州閥は欧米列強の植民地主義をまねてたんだもんね。だからアイヌモシリも琉球王国も朝鮮王国も、満州もロシア帝国も清も中国も東南アジア諸国も、ビルマも侵略植民地化していって、ついにハワイまで取ろうとして米軍と鉢合わせ反撃されて自称天皇家が降参しただけでしょう。

 核廃絶を願うとか自称天皇家如き関西系大量虐殺カルト教祖一味がいえた義理じゃないんだよ。あなたがた重大犯罪者のせいで、侵略戦争なんか最初からしたくない東日本のまっとうな一般国民が、野蛮な西日本から暴れでてきた薩長土肥京芸ら西軍侵略主義テロリストこと日帝政府に無理やり兵隊にとられ、挙げ句自称天皇家の金欲しさのわがままで強制的に人殺しさせられたんです。約76年前に三浦瑠璃級に非人道な国民皆兵令とやらで。
 愛子さんがね、アニメみてお花畑で核廃絶とかいっててさ、よくそれで象徴とか抜かせますよ。天皇家とかぬかして侵略戦争で大量虐殺しまくってきた、正真正銘救えない邪教祖でしかない、上品ぶった殺人カルト、男女差別とかいう悪質なえせ伝統を中華皇帝からまねてる関西人中心人種差別のおうちが。あなたがた殺人鬼一族が関西から日本人差別の大量殺人カルト宗教で馬鹿関西人をはなから洗脳さえしなければ、最初から日本は平和だったの。本気で。
 あなたらケチンボで暴力を好む弥生人が渡来してくるまえ日本は平和だった。考古学の事実で。
 馬鹿な自称京都人やくざ一味として東日本やら新潟やら沖縄やら東亜一帯を侵略して虐殺しまくってきているのはあなたがた自称天皇家です。ちゃんとあなたらが自分の家の歴史だーとかいって書いた記紀にも政府の認定教科書にも載ってるじゃないか。
 飛鳥時代に中国の伝説上の皇帝まねた自称から1300年近く日本全域の罪なき人々へ侵略虐殺しまくっておいて、つい150年前、まーた東日本へ侵略戦争しかけてきて会津とか東北各地とか新潟とか関東一帯で大虐殺しておいてですよ、あなたら天皇家が。自分が主導しておいて不都合になったら部下のせいとか卑怯な関西公卿流はいいよ。バレバレの嘘は。近衛文麿も自殺したじゃないですか。自称五摂家で日本人を虐殺・納税奴隷化・差別しまくってきた朝鮮系移民の末裔であらしゃいます自分ら自称天皇一味のせいで敗戦したからって、何もかも散々エミシと差別してきた先住系日本人東條英機のせいにまたも濡れ衣で責任転嫁してからに。いつものこと。全日本人ヘイトが伝統な移民地区関西じゃそれが普通だもんね、沖縄での大阪警官の土人発言も、サントリー佐治敬三の東北熊襲発言も。
 いやー民族差別が常識とは、さすが自称文化度の優れた自称文明国民であらせられますところの、自称天孫降臨で宮崎県から上陸した天皇家はじめ中国大陸からの移民の末裔であらしゃいます、全日本国差別侵略犯のあつまり自称中華な関西地方でござるなあ。文化相対主義のかけらもない。なにが東北熊襲だよ馬鹿が。熊襲発言で九州差別、東北発言で日本の先住人差別、さすが白村江の戦いで反乱起こして朝鮮から叩き出され島流しになった任那や百済から流れてきて、新羅と唐の支配した朝鮮半島にとって国家転覆侵略犯罪集団集住地の関西。日本でも自己中戦乱ばかり起こし周りを見下す傍若無人ぶりでやることがまるで同じとは、はなから民度が低すぎるどころか野蛮で未開にも程があるのは関西地方の一部の近畿中華思想の全日本差別主義者だよ。

 太平洋戦争に勝ってたら自称天皇家の手柄と自称天皇家自身が国内外へ宣伝してたことは日清日露戦争の前例で明らかじゃないか。そしたら悪しき米英仏ども連合国を征伐してやったなどと、といつもの関西しぐさで自己中なこと言い出したろうに。天皇中華思想で。日本史を天皇中心に書き連ねたいから愚民洗脳で神道布教だの、竹田学校だのやってるのだろうに奈良カルトな自称天皇親族一味が。そんなだからいまだに京都の陰険なヤクザ市長さんに政治利用されんですよ。京文化自慢の駒で。もとが中華皇帝ごっこのもとだけにどうせ同種の共謀罪なんだろうけどさ京都迎賓館を酷税でつくるとか。
 知ってるよ、石原慎太郎とかいう弱者差別主義小説屋、神戸だか愛媛だかから湘南くんだりにでてきた女性差別・障害者差別発言連発の外道政治屋が皇居でご進講とやらのとき京都に帰れと、国政権能ないくせ退位おしつけ憲法違反な自称上皇明仁さんへ自称天皇時代いったんだってね。石原自身が言ってたよ。そんなだからダメなんだ。
 自称京都人の全国差別主義者だけじゃないじゃん。東京都知事すら自分から皇族を政治私用してんです。東京五輪招致時点から。ダメだ。自称天皇一味独裁の荒んだ明治国家。薩長土肥京芸の暴力団が自称天皇もちあげてわがまま通すだけの極悪非道体制なんだから終わってます。悪政だらけになるわけだ。
 最低でも西日本の人間は一般に政治的な魂が腐ってるね、自称山所魂とかいう紫式部が『源氏物語』ではじめて書いた中華皇帝兼民族虐殺カルトの擁護論。平城京のときは山所帝国主義でナラ中心に日本各地へ自治権侵害うまくいった様なもんだと思い込んでて、実際は単に地方自治権と民族自決権を暴力で弾圧して自分らが神の末裔だとか幼稚な嘘ついて威張ってただけだけど、この新造の長安パクリ朝鮮系移民街つくってる山城盆地でも朝鮮語で国の意味のナラをまねればなんとかなる、はずだわーという意味の文脈。だって公家が政治しなくなって地位に驕って売官ばっかり、女遊びばかりして、西で平清盛、東で平将門がふざけんな自称天皇家、悪政で遊び呆けながら民に酷税課しまくり、政治を舐めるな自称中華皇帝カルトめとなって、革命権行使の武装蜂起してんだから。
 アテルイとモレは自称桓武天皇ら朝鮮の百済から入ってきた自称京都人に侵略戦争しかけられ、自国民が被害うけて殺された。そこでナラの心に返れと山城政権の中枢付近で自称天皇家に媚びる形で紫式部が書いたのは、要はアナクロニズムなんだよ。時代錯誤。
 百済追放され平家滅びて関が原で負けた歴史しかなかった山口県民が、女王が母の慶喜公による本家への禅譲を、クーデターのテロリズム成功体験と勘違いして戦後もしつこく明治あげしてくるのと一緒です。時代をとりまく状況が大幅にかわり平安期の自称天皇一味は不安がって自信喪失してたから、平安京で淫行三昧してたら勝手に身分差別対象の下民が全国から穀物や服やら大金みつぎ雑役もしてくれるよう関西ヤクザの手先に強制させてるから、自分ら皇族の手先は遊んでていいんだもんねー、やっぱりそうや、そうにちがいあらしまへんのやー、というのが山所魂の初出の意味ですよ。そういうマリーアントワネット的な偽親政ごっこってのは、公務員職権濫用罪に該当するただの悪政を自称天皇中心主義で歪めて美化してんだから腐ってんだ魂が。
 紫式部はね、尊王主義の慶喜公へ朝敵のぬれぎぬきせて愛媛や高松や東日本人全体を犠牲に偽親政ぶって、手先に捏造させた錦旗かかげて国内外へ侵略戦争おこした岩倉具視と同じレベルの人間です。公害おこして現地民は騙せばいいとかぬかすくせにすべての負担はいなかへおしつけ自称京都から出てきて東京でいばりちらす東西京都中華思想系原発推進論者なんかと同次元の人間です。なにが自称京都だか。高が平安期に中国まねた朝鮮移民街なのが事実なのに、なんでそこが日本のふるさとぶってるんだね。古都ですらない。東日本の各都市って江戸時代の埋立地な東京や明治時代以後に港町になった漁村横浜除けば殆どそうだけど、はっきりいって縄文時代の貝塚すらある水戸市さえ、平安時代に長安もどきに捏造された中国風の自称京都市よりはるか前からの伝統に裏打ちされた純和風都市じゃんか。散々先に住んでた日本人を東夷だー蝦夷だーと日本人へ民族差別して、一方的に虐殺自慢してたのが当の自称京都人の朝鮮系桓武天皇じゃん。史実でしかないので。少なくとも東日本ほぼ全域は自称京都よりはるかに長い立派な歴史と文化があるんだよ。縄文後期に鬼界カルデラ噴火で一旦潰れてる西日本とはそこが違うの。東京23区の各都市はいうまでもなく明らかに埼玉ですら京都より大都市なのに、そればかりか関西圏でもナラの方がまだ少しは古い輸入文化なのが事実だろうに、なんで自称京都の山城盆地の新造移民区の方がナラより古都気どりで自称文化首都ぶってるの。虚栄心も大概にしてほしいね。
 初対面で地域差別してくる様なげすってさ、関東で言ったら馬の骨の一部横浜人レベルだぞ。自称京都市民一般がその民度って恥ずかしくないの? 恥ずかしくないんだろうね、無限の虚栄心ばかり激しいと。先進国ぶって新羅あたりから日本見下して渡来してきたもとからある傲慢の癖は、反省なんてされないだろうね。今後も。だってさ、しかも日本国内の色々な地域文化を頭ごなしの偏見で見下してかかって何にも知りもせず、知ろうとすらせず、自分らは単なる中世朝鮮の新羅系だのの移民の末裔でしかないのが現実なのになぜか永久に先進国からの渡来人面、単なる上京区中華思想の自文化中心主義の虚勢で、自称京都市内ですら散々部落差別とかほざいてるとかって、文化的資質から最も遠い、しいていうなら全人類の悪例でしかないよ。

 自文化中華系地域差別主義者の自称京都人ごときに、自称文化首都なのる資格とか一切あるべくもない。勿論天皇家だか自称皇族なんか京都市民にさせたらまーた千年も全国の人間を訳の分からない中華皇帝風儀式で朝貢用の奴隷視し始め、自称はんなり裏では陰惨・裏表使い分ける意地悪京文化以下の夷とか初対面でろくに知りもしないくせに自称京都人ほぼ全員が暗にいいまくってきて無限につけあがり、全日本みんなが散々不幸になりますから。
 794年からの全日本史を調べてみ。基本その通りだから。自称京都人はどこでもかこでも上から目線で前提的に全国差別して蔑視してきています。歴史学上そういう連中だったんだよ平安期渡来人って。朝鮮からきて先進ぶってたの、朝鮮系桓武天皇の暴力を背景に。そんなね、道理もない暴力振るう加虐快楽的な集団差別の押しつけが偉いわけないでしょうが。しいていうなら世界最悪の文化だよ、全人類への京都人中心主義民族差別文化って。文化スラムというべきだよ、それ。
 まずさ自称京都づらで石破茂にこびて文化庁ぬすむ前に、文化という曖昧な概念つかって狡猾にも全国蔑視する前提で、単なる自称首都の見栄で、江戸っ子皇族政治私用する前に、自分のところの京都市内の部落差別とかいう陰険な地域伝統文化を完全解消しろと。京都芸大移転で崇仁地区をなかったことにしましたー、外夷がうじゃうじゃくればごまかせるやろ的発想とかね、そういう問題じゃないと思う。五輪でホームレスおいだして見えないことにしようとした小池都政と同次元では? 全京都府民が真剣に差別と向き合って部落差別の様な悪習は根絶しなければならないと決心してたら自称近畿だの自称京都だの、自称上京下京という差別主義の名前もやめますわな。自分が上、相手は下、よって山背盆地にはいってきたひとは上洛あつかいだの。洛中、洛外の謎区分だの。ただの地域差別じゃん。
 要は自分の上京区の自宅だかなんだかを上だといい、そもそものはじめから全国部落視で全日本差別を始めているのが自称京都市民なんだよ。もとから。まちづくりの根本思想がはじめから歪んでいて、人道に反していて、人間として道徳心に欠けていて、四海兄弟・人類皆兄弟の世界市民主義精神に端から完璧に劣ってるの。広い心が、ひとびとへの人間愛が存在しないの。異なる文化や民族を差別してなりたってるの。自己中心の中華思想で。
 自称京都の山城盆地で蛇がとぐろ巻いてた山奥開拓地はね、平安期当時の中国首都長安パクリで中華思想をまねちゃってはじまった街だから、根底にある精神構造がねじ曲がってるんですよ。その時点でもうダメ。思うに一度まるきり更地にでもなんないかぎり、居残り組は永遠に盆地の外なり、駅の南側なりを野蛮な洛外やーとか差別しつづけるはずだよ。最初からそういう目的で作られてるんですから。ある意味ね、自称天皇家が一番わるいでしょうよ。だってあの人らがやらせたんだからそういう全国差別目的の宅地開発を。

 わざわざ中国の皇帝真似るとか馬鹿な連中だよ。自分から朝貢にいったくせ、遣隋使、遣唐使でよほど見下されて悔しかったんだろうけど真似たら同じレベルなのにね、馬鹿すぎる。今から見たって憐れな低能さでしょ、所詮が人種差別主義教義なんだよ、そのころ仏教へ対抗して無理やり奈良ではじめた神道なんてのも。平和な乞食主義の仏教の方がまだ全然ましじゃないですか、神道とかいう大量殺人奈良やくざカルトに比べたらさ。だから天皇一味と信者から、一般国民の小室圭さんと母の佳代さんがいじめられてるの。
 小室圭さんが子供のころ同級生いじめもしてたらしいけど被害者の訴えでは。天皇一族なんて1347年以上日本人全体を大量虐殺自慢や民族差別自慢込みで納税奴隷化して徹底していじめてきてますから。本物の虐めっ子っていったら自称天皇家じゃん。エミシだーアヅマエビスだーエゾだークマソだーハヤトだークズだーヤツカハギだー。日本人への民族差別用語オンパレード、全部自称天皇家発ですよ。本気で。記紀だの風土記だの平安文学だの、ことごとく日本人への人種差別と民族虐殺自慢しか出てこないんだけど。
 要はとある暴力団渡来人一味が勘違い優越感で大人しい先住人へ一方的暴力振るって、中華皇帝のやり口のまねで差別分類捏造して威張り散らしてきただけ。なにが文化首都ですか。まだ1218年しか歴史がない、桓武からはじまる朝鮮系移民地区がなんで最低でも数万年から数十万年の歴史を持つ東日本の各文化都市へ文化首都とか抜かせるの、この歴史の長い日本で。ただの自文化中華思想もここまでくるとうんざりですよ。平安京だの平城京だのほざく移民区つくるずっとまえから、もとからある日本国内の各都市へさ、東国だの東北だの陸奥だの蝦夷地だのと日本人生活圏を中国朝鮮から入ってきて勝手に呼んで、みくだして。当時の渡来系が中国の武力背景に、文化的上位者づらでおもいあがってて馬鹿だから。平和な縄文時代を何十万年も平和で豊かにすごしてきた先すんでた日本人を差別しまくって、青銅器の武器で殺しまくって、暴力で無理やり納税奴隷化してきておいて。自称天皇とかぬかして奈良時代だの平安時代から東日本へ侵略虐殺、最悪の関西人ヤクザ行為が始まって。荒れ始めたんだよ日本が。ほんとに。つい150年前にも自称京都から当の京都警備してた会津藩へ朝敵ぬれぎぬきせて武装して西日本テロヤクザと一緒に見下して入ってきて、殺し合いさせて討ったらええんやーとか抜かして卑劣に。我々日本人を大虐殺してきたじゃん、自称京都人は。戊辰戦争とかいう野蛮すぎる自称京都主導の侵略戦争で。まじで最悪極道者のあつまりが、なにが文化首都なんだか。全国差別と侵略虐殺による全人類納税奴隷化目的の、野蛮な帝国主義病床ですというなら、言ってること全京都史を振り返って客観視してその通りだしわかるけど。
 京都学派の和辻哲郎とか天皇全体主義者で日帝の理論的共謀者だしな。幕末期から薩長土肥と広島もそうだけど、侵略主義者のあつまりってさ、しかも日本侵略主義者のあつまりって別に国連や国際社会からみなくとも単純に日本国政からみても完全に滅ぼされて然るべき文化スラムでしょって。平安期当時の記録みても中世新羅だのからきた移民のあつまりなんですよ、自称京都な山城県の実態は。その特定移民集団が、あまりに性格わるくて公民度も低く自己中だから、イケズだのぶぶ漬けどうどすかだのと、全国部落視で民族差別しながら文化首都だのと、自分から慶喜公へ冤罪きせて江戸城強盗団だか東アジア侵略犯にきておいていざ自称京都衰退で却って都合がわるくなったらまた、自称皇族を政治私用してやるから憲法違反だろうとこっち返せだのと自称京都市長はいうのです。新幹線だのリニアルートも無理やりねじ曲げわがまま三昧。全部自称京都の私利で。関西圏にすら迷惑まきちらしてきているじゃないか。原発も福井におしつけて。自称京都より法治主義を理解していて、倫理観や人間性がもっとまともな全日本を知りもせず、知ろうともせず単なる卑しい虚栄心からきた偏見でかげぐちいって見下して、純然たる悪意で全日本人を頭から馬鹿にして、うちの文化が中華やで首都やわと傲慢にも抜かすのですよ、自称文化が優れているただただ邪悪で陰険なだけの自称京都市民の皇族政治私用論者とやらは。

未開な人々へ

京都人 自称天皇かさに着て全国見下す中華思想

平安京 大陸移民と長安をまねてつくった似せ物の町

天皇家 自称し全国民差別 奴隷を強要 虐殺収奪

広島の殿様すすんで主をうらぎり天皇もちあげ原爆を喰らう

水戸学を問題あったと奈良人が言って否定す奈良の豪族

北海道人 名づけの親を知らずして上から目線の恩知らず振り

東京にでてきて威張る関西人 またも近畿きどりの驕慢

天皇家たてれば虐殺されにけり徳川たてても虐殺されけり

息を吐く様に嘘つく安倍晋三 山口人が送りだす外道

孝明天皇毒殺説 竹田恒泰 毒殺なのは間違いないという

孝明天皇毒殺説 竹田恒泰 岩倉具視ならやりかねないという

長州藩 進んで朝廷へ弓を引き「天朝もいらぬ」松陰のまね

慶喜公 英明のあまり誤解され 性根の悪い西日本を去る

慶喜公 高潔ゆえに濡れ衣されイケズの京都で朝敵あつかい

慶喜公 水戸家の家訓に従って みかどにお城ゆずりたまえり

慶喜公 水戸家の家訓に従って 朝廷へ弓を引かず恭順

慶喜公 最たる尊王忠臣が 朝敵扱い 外道の日本

慶喜公 最たる護国の英君が 腰抜け扱い 外道の日本

慶喜公 薩摩に放火された江戸 守りに帰りたみを愛する

薩摩藩 江戸に放火し 侵略罪 西郷どんの銅像を立てる

彰義隊の墓は代々木公園で 忘れ去られて我しか見つけず

水戸藩諸生党 西軍による侵略から女子供を守り亡びぬ

薩長土肥京芸 前将軍へぬれぎぬし東国侵略罪 非道な虐殺三昧を勝利やと自慢

西日本 道義というものしらずして勝てば官軍 弱肉強食主義

天皇家 道義というものしらずして勝てば元勲 奸臣を誉める

天皇家 道義というものしらずして負ければ賊軍 忠臣を無視

尊皇の義士を次々殺しつつ天子と称し驕る皇族

天狗党ころし皇道派つぶし 自称天皇 忠臣を棄てる

薩長閥とりたて統制派つかい 自称天皇 奸臣と混血

奈良県で自分が天皇といいだし日本中のひと虐めてきた家

山城でここが京やといいだして日本中のひと見下してきた家

江戸城へ強盗団に入ってきて東亜中のひと虐殺した家

とうとけり慶喜公の命懸け守りし家ぞ 奈良からきた外道

とうとけり水戸徳川家の奉り守りし家ぞ 関西のカルト

移民して関西圏に定着し 先住民差別 邪教神道

アテルイが本当の日本しっていた ヒミコも消した 嘘つき関西

アテルイをころし自分が先住と嘘ばかりつく関西の歴史

ヒミコ消し アマテラスだと嘘ついて 自分がお上と語る関西

将門をころし自治権弾圧しながら自称天皇 侵略を誇る

慶喜へぬれぎぬ着せて自治権を侵害しながら自称天皇

奈良県のやくざが中華皇帝ぶり 天皇と称し日本人虐殺

徳もなき自称天皇 天子といい 天皇陛下万歳と自決

外道なる自称天皇 天子とよび 慶喜公へぬれぎぬを着せる

外道なり自称天皇おのずから慶喜公へぬれぎぬを着せる

外道なり自称天皇 負けた途端 部下のせいだとぬれぎぬを着せる

外道なり天皇一族 侵略罪 自慢しながら日帝だという

外道なり天皇一門 日本人虐めて税をよこせと強制

下劣なり皇族どもの全歴史 暴力振るい日本人差別

男性は我が家に要らぬと排除して多婦を強姦 男系と称す

天皇家ヤクザの親玉 強姦罪 成立せぬから男系と称す

自称万世一系 その実態は連続強姦罪 源氏物語にそう書いてある

元正帝 実際いたのに無理に無視 母も娘も自称男系

Y染色体はいってないのに男系というなら愛子も男系だろうに

Y染色体はいってないのに男系というなら眞子佳子 男系だろうに

Y染色体はいってないのに男系というなら女王も男系だろうに

彬子(あきこ)無視 瑶子(ようこ)も無視し 承子(つぐこ)すら無視 男女差別の象徴の家

わが国の男性みんな差別して伝統にしろと渡来系の家

中国から移民してきた暴力団とうとぶ阿呆 神道と称す

関西で全国差別の邪教ひろめ 神の子孫と称す狂人

弥生時代 日御子女帝の和の国を無視して 消してる嘘つき天皇

いつの間にか記紀とかいう嘘の歴史小説書いてまたも歴史を改竄する関西

『おーい! 竜馬』だか何だか馬鹿小説書いてありもしない竜馬伝説まきちらす とある関西人嘘つきにだまされる西日本

船中八策なんてない 薩長同盟べつに主導してない リアル死の商人龍馬を英雄化 太安万侶からはじまって原田伊織まで 自己中心的で悪意しかない自民族中心主義 近畿中華思想で利己的な嘘つき小説史観が伝統の未開社会関西

アテルイ 自分の国を守ろうとしただけ 家族と仲間と当然あるべき民族自決権 郷土と国土自治権を守ろうとしただけ 渡来人の自称天皇が一方的に侵略虐殺して歴史から消したのがまぎれない事実

日御子どうみても山所国の女帝だった。よって中華皇帝をまねた自称天皇家にあとから山の所をのっとられたのに、岩倉具視が余りに浅はかで万世一系といいだし、男女差別を明治発の伝統と称し始め、それにのった天皇傀儡主義・長州閥の浅学伊藤博文が枢密院議長から山口県風男尊女卑でのっかり、ついに『魏志倭人伝』の記録まで無視しだしたすさまじい頭の悪さ。いまだに岩倉発のテキトーな嘘のっかりつづけ必死な男系派、国際潮流に掉さして結局は日御子の方が、飛鳥時代に始めて天皇家と称しだす新参者一族よりもっと古くから山所国にいた女帝の伝統とか、ほんと憐れ。

事実を載せず桓武天皇とかいう極悪渡来系侵略犯をもちあげまくる、自己中極まりない巨悪の渡来系関西人達の嘘つき似非カルト神道教祖による虚構史の数々、記紀神話、自称皇族の蛮行を美化する物語、悪人を善人に善人を悪人に書いて馬鹿を騙す最悪の歴史小説。中国から文字もってきた奈良時代以来、関西人の書いたもの、なんでもかんでも一つの例外もなく関西中心なので、明らかに弥生時代以後に入ってきた人達の一部が飛鳥時代頃から町を作った程度の移民地区が関西地方なのに、なぜか近畿だの上方だの京都府京都市上京区御所だのと称し、先住日本人を民族差別・文化差別で見下す単なる中古代朝鮮系百済・新羅・高麗・任那移民集団が、こっちにさきにいたアイヌを異民族とディスり、いまだに大阪警官が琉球人を土人扱いし、縄文期から続く首都圏の方が今も圧倒的に世界最大都市だし伝統文化だって長くて立派なのがどうみても現実なのに、中世に中国の長安まねて倫理学を否定して物の哀れと抜かし反道徳主義のひとでなしでヘンテコリンな頭をかしげたくなるような大蛮行を美化し大自慢て一時期大威張りしていた自称京都人だけなぜか古代日本人になりすまして、同じ山城の自称京都府内へ関西蔑視中華自慢しぐさがすさまじい。

奈良時代 奈良発カルト神道を崇めて棄てる 古墳の伝統

平安時代 朝鮮の百済系桓武天皇を崇めて棄てる 縄文の伝統

明治帝 無実の奥羽越列同盟へぬれぎぬ着せて虐殺を誇る

明治帝 京都を守護せし会津藩の無実の忠臣・容保公へぬれぎぬを着せる

明治帝 御所を守護せし前将軍・慶喜公へぬれぎぬを着せる

薩長の慶喜公へのぬれぎぬをみぬき官吏を蹴りし渋沢

全国をみくだす自文化中心主義さすが京都や 皇族を私用

東京人迷惑公害はてしなく福島無視してコロナ禍で五輪

天皇家 東京から原発をいなかへおしつけ民しいたげる

天皇家 東京から原発をいなかへおしつけ偽善をかたる

天皇家 東京からコロナ禍まきちらし 五輪開催

天皇家 国政の権能ない 退位法を依頼 自己矛盾

天皇家 自分に都合がいい時は法律を破る 関西系偽天子

君足らぬ スメラも守れと義公いう そうしていたらみな殺された

君足らぬ 天皇守れと烈公いう そうしていたら侮辱されまくり

君足らぬ ミカドも守った慶喜公 そうしていたらぬれぎぬされた

君足らぬ 皇室なんぞ無視しろと 大久保利通いって大出世

皇太子なんか操り人形と 伊藤博文いって初代総理

孝明帝 攘夷を求め徳川と歩む 息子の明治帝 突如うらぎる

天皇家が一番信用ならない 忠義を尽くせばぬれぎぬされ裏切られ殺されるから

慶喜公 代々の父祖の申す 尊王の大義を守ったゆえにぬれぎぬされ辱められる

天皇家 最高の忠臣・慶喜公へ進んでぬれぎぬを着せ辱め 地位・財産・名誉を奪う極悪のやくざ

天皇家 自分の家の跡継ぎを操り人形という奸臣・伊藤博文を一番にとりたてる邪道の底抜けた家

天皇家は戊辰侵略戦争を謝った事ない、日清侵略戦争を謝った事ない、日露侵略戦争を謝った事ない、朝鮮併合と称する侵略を謝った事ない、東日本や新潟や北海道や沖縄へ侵略を謝った事ない。自分が侵略罪で人殺しさせまくっても、勝手に征伐とか征討とかぬかして、税金欲しさの人殺しと民衆奴隷化を大自慢。昭和天皇が自分の対米侵略戦争で反撃されて原爆投下されても、仕方なかったととにかく謝るつもりもない。底抜けの傲慢ぶりの中華皇帝ごっこ、昭和天皇が負けたから責められて辛いと言ってただけで、どこまでいっても奈良の豪族ぶって全国差別と民族虐殺で日本人を納税奴隷化してきた大量殺人カルト教祖のまま。

高知のさきの殿様・山内容堂公、小御所でひらかれた秘密会議の冒頭で、「この場にいない慶喜公へ卑怯なぬれぎぬ着せるなよ、ちゃんと公正に会議に参加してもらって意見を聴こう。陰険だぞ、君ら京都の連中は。ふざけんな」と、現代でも通じるとしかいえない理の当然な正論をぶち、福井の松平春嶽もそうだぞと同意していたのに、鹿児島人の大久保利通や広島人の殿様・浅野長勲ら、徳川家をうらぎるつもりの悪意ある西国人どもに囲まれ、遂にはやくざな西郷隆盛から短刀でおどされ、京都人・岩倉具視の脅迫じみた根回しで部下の後藤象二郎に黙らされたと、会議の場にいた福井藩士・中根雪江や浅野長勲から目撃されて、『丁卯日記』『浅野長勲自叙伝』、岩倉自身の『岩倉公実記』にすらちゃんと記録されている。完全に濡れ衣。薩長同盟を背景に薩長両藩が組んでやったクーデター目的の、偽りの尊王ごっこだったのは間違いない。だって水戸家の哲学で天皇家に忠だから慶喜公は地位・財産・名誉すら天皇家へ譲ったんだもん。渋沢栄一が『徳川慶喜公伝』自序でいうとおり。

幕末史 自分が正義と嘘をつき西日本人ども慶喜公を辱めドヤる

関西人・原田伊織と池田信夫、長野人・関良基、北海道人・山内昌之ども 幕末尊攘派を 薩長のリアル討幕テロリストたちとひとくくりにテロだと辱め 身を張る護国をみずからへ任ずる水戸のお侍さんたち軍人階級を悪人扱い

水戸出身で女王の息子な徳川慶喜に守られた京都人の原田伊織が、国防軍人の長・征夷大将軍の武士団をテロリスト扱い。お門違いの甚だしさも程がある。護国の道を踏み誤る、外道すぎる地元人もった孝明天皇あわれ。

関良基が藤田東湖はテロリストと辱め、護国の軍人おとしめ大威張り。極東で日本だけ植民地化されなかったのは、後期水戸学の特に会沢安『新論』に啓蒙された侍が、対外危機に直面して令制連邦統一政体の必要を自覚したからなのに、そのための尊王攘夷運動を単なるテロリズム擾乱と勘違いする日本思想史と世界史へのおそるべき無学ぶり。朝鮮王朝とタイ以外の全ての国々が欧米の植民地にされていた状況下で、安穏と不平等条約のみこんでろって、有色人種が欧米諸国から一切人権を認められていなかった時代にどうしても必要だった愛国民族主義を理解できてなさが凄まじい。藤田東湖が烈公と共に随一の側近として愛民思想の文脈でどんだけ藩政改革で民をいたわっていたか、東湖『常陸帯』を読んだ事がないとみられる。幾ら専門外だとはいっても、長州閥の安倍晋三政権を非難する目的でなぜか全く別文脈の尊王愛民・水戸藩士に訳の分からないぬれぎぬ着せてくるとか、長野人の自称教育県ぶりを自分で全否定するだけだから、本当に傍ら痛いだけ。

記紀といい自称神なる殺戮蛮族が先祖でございと悪魔さを自慢

京都からでてきた池田信夫殿。原発をいなかにおしつけ電気と金を都心からむさぼり、乾式キャスクを永久留置目的で中間貯蔵と偽って、原発立地自治体を騙せばいいと発信。自称京都から直輸入した相変わらずの中華思想、今度は東京中華思想にすり替えた相変わらずの華夷秩序ぶり。橋下徹氏に素人は黙っていた方がいいと言われ、公然と自国民への詐欺を国政にさせようとするなど、完全に公務員犯罪をさせるつもりとしかいいようがなく、文明と称する国にいる一人のひととして本当に少しも恥ずかしくないのだろうか。

福井からでてきた田中章雄殿。都道府県差別を都内マスコミからひろめ、各自治体から税収奪。

福岡からでてきた麻生太郎殿 ナチスに見習ったらどうかねという

京都からでてきた竹田の宮家殿 男系継承は男性差別なんですという

大和からでてきたじゅんちゃん殿 大和の大ファン烈公をけなす

佐賀からでてきたモギケン殿 明治の侵略国家は成功だったという

長野にお住まいの関良基殿。藤田家に民衆を守られ、国防軍人は野蛮だという。

京都からでてきた原田伊織殿、水戸の悪口しか言わない。相変わらず京都中華思想のすさまじく陰険すぎる偏見の山で、東国人徹底差別の舐めっぷり。尊王義士をテロリストどもと侮辱しまくり、当の京都を守った慶喜公ら水戸藩の人々をひたすら辱める恩知らずの人でなしぶり。

台湾人 水戸の言葉は通じねど飛虎将軍の魂を祭る

台湾で神になりたる水戸人は悪意に満ちた中部では処刑

台湾で神になりたる水戸人は陰険京都で冤罪されし

西日本 中部の衆愚みながらに台湾みると愕然とする

彦根から江戸へでてきて水戸いじめ首級になった井伊は坂東武士をきっとなめていたのだろう

尊王を大義とし250年の江戸時代いきていた水戸の侍を井伊直弼は廃帝で脅す

尊王を大義とし250年の江戸時代いきていた水戸の侍を 天皇家と江戸幕府と中部人が弾圧 天狗党虐殺

薩長が水戸の大義を盗み出し 倒幕と称し 慶喜公脅迫

薩長が水戸の大義を盗み出し 伊藤博文が皇太子は操り人形とぬかす

薩長が水戸の大義を盗み出し 自称尊王といつわって 天皇とバトル 禁門の変 1次2次長州征伐 萩の乱 西南戦争と最低5回もする

薩長が水戸の大義を盗み出し 天皇あやつり 大正デモクラシー弾圧

薩長が水戸の大義を盗み出し 天皇のもとで ナチスを見習ったらどうかね発言

天皇が水戸の大義を私用して 憲法違反で退位法もとむ

水戸学の尊王風紀を私用して秋篠宮眞子 借金踏み倒させる

水戸学の尊王風紀を悪用して 岩倉具視が自称万世一系の男女差別を天皇家の伝統かのごとくすりかえる

山口をでて松陰侵略論を信じ切り、三浦梧楼が朝鮮皇后を殺し、伊藤博文がハーグ密使事件で嫌がる朝鮮皇帝に無理やり被侵略をのみこませ、義士・安重根に斬られたというは自業自得ぞ。

天皇家たてれば殺され 裏切れば殺され 無視すれば殺され 結局悪魔の家柄

ろくでもないネットナチスがうろついてホロコーストの揶揄権を布教

ろくでもない広島利用のネトナチが原爆盾に種族主義かたる

ろくでもない皇族私用の京都人 邪教祖かさに威張りたいだけ

ろくでもない広島人が西軍で 侵略つづけ会津で虐殺

ろくでもない西軍広島 日帝で侵略つづけ 原爆で止まる

西日本人が虐殺するのは正義という 原爆で止められ虐殺だという

天皇が虐殺すれば征伐という 悪事を制され朝敵だという

米軍のマッカーサーに命あずけ 下僕となって日本を売った昭和天皇

伊藤博文の操り人形となり マッカーサーの操り人形となり 自称象徴的売国奴の天皇家

反日天皇と安倍信者のネトウヨがよくいうが、リアルに日本を売ったのが昭和天皇なのが事実。

自称天皇の信者ども、天皇家が大悪事をしても万歳、天皇家が大蛮行をしても天子様とへつらう。善悪を一切しらず。自国民が渡来系侵略蛮族の天皇家から非道に殺されても征討・征伐・征夷などと称し、罪なきぬれぎぬ民族虐殺をさも偉業かのごとく嘘吹き放題。ひたすら中古代・奈良移民の暴力団長にこび売って、野卑極まる弱肉強食主義を信じきる。忠臣を朝敵と辱め、奸臣を元勲と取り立てる、暴力至上主義のダークテトラド暗君・天皇家を、権威だ、御輿だ、王政復古だ、ミカドの操り人形だと、ひたすら政権簒奪の建前にする。私利目的で、元老だ、保守だ、京都市民のプライドだと大陸・半島から入ってきて西日本の果てからであらわれた己の権力濫用を権威づけるため、自称天皇を全国民洗脳へ政治利用する悪魔どもを、薩長土肥京芸こと自称官軍の西軍という。

天皇が命令しても責任は部下のみにある桜田ヤクザのやり口

御名御璽 朕はたらふく食ってるぞ 天皇家のリアルな不徳の現実をみぬかれ不敬罪だと逆切れ昭和政府

関西人を洗脳し納税奴隷化 それから千年経ちまだ信じてるんだ? 奈良の悪魔崇拝

関西人あまりに無知が多すぎて 謎に中国神話の天皇と自称する奈良人やくざの親分を 神の末裔だと思っていた

自称天皇の大量殺戮カルト教祖を政治利用してきた山城の盆地の長、いまだに3代たった江戸っ子皇族を、自称京都へ皇族政治私用で帰らせたがる。目的は京都人のプライドとやらでまたも嘘ついて首都と称したいかららしい。実際には中世朝鮮半島の国々からの渡来人集住移民地区な、日本にとってただの新参者にすぎない京文化スゴイの名目で。自文化中心主義で。自称近畿中華思想で。自称上京区御所中華思想で。自称上方で。自称上洛で。平安時代の渡来系の移民地区で。長安パクリの宅地開発以来、相変わらずな華夷秩序で。謎に全国蔑視、全国民差別する為でしかないだろうに。

邪教祖を住まわせ全国蔑視するつもりな山城傍ら痛すぎ

関西人暴力ふるわれ奈良人を帝と崇めなぜか驕れり

薩長土肥 侵略共謀自慢する恐怖政治で勝ち組を気取る

薩長土 財政破綻の火だるまで暴徒が暴走 維新やとぬかす

藩札で民から奪った税金で京都で買春金持ちぶる長州のやくざな自称志士

祇園の芸者 金次第 薩長土の町人から藩札で奪った税金ほしさにこびへつらう

腐った平安京の売官政治、民を顧みず贅沢三昧、姦淫皇族もはや政治家にあらずと関東の武士に裏切られ没落。元寇きても和歌詠むしかできず。世襲政治屋の分際でおよそまったくの政治的無能、藤原定家が『明月記』で「紅旗征戎吾が事に非ず」などと、苦しむ民から無理やり奪った税収で暮らしながら空威張りしつづけた関西公家が、田舎だ、鄙だ、身分が低いなど自分達馬鹿を養ってくれている一般民衆を馬鹿にして、ろくでもない私事にむさぼりくらった血税浪費し連日遊び歩いていた跡を、表面だけみて中世オリエンタル・テーマパークと勘違いした外人が浅はかにも観光にきて、オー、ビューティフル、ワオ、ゲイシャー、不公徳な腐敗政治の証拠を歴史を知らぬ部外者が見た目だけで、なんか、もの凄い世界遺産らしいのだという。勝手に禅宗とかいう座禅組ませて肩ぶっ叩くこともある、苦行否定した仏教開祖のガウタマからみても歪みきってる気違い宗教の深淵なんだろう、きっと。ぶって。手間かからないから石庭にしてるのに。嘘ついて。もの凄いのはあんたらの趣味の悪さと無知さだよ。金閣銀閣私有して税金払わず済ませてる俗坊主たちの濡れ手で粟、素人外人だまし金儲け用インチキ文化遺産で。

源平のもののふ 一介の武士にあらずんば いかにして元寇 黒船へ対処したという

関良基、イギリス人は捕鯨船漂着しただけ、ただの貿易求めていただけと、東インド会社も無視していう。同時代極東で、朝鮮とタイ除く全国々での列強侵略被害をなかったことに、同時期おきた隣国でのアヘン戦争すらみようともせず。欧米からきた白人は神々だと思い込んで帝国ほろぼされ皆殺しにされたアステカとインカすら見ようともせず。藤田東湖ら水戸学者が国際情報収集に努めた上で神州は尊い、日本人も決して卑しくないといわゆる神道信仰の民族主義を使って連邦統一の愛国意識を全国へ啓蒙したのってさ、儒学的な愛民論の延長にある護国目的であって、明らかな侵略植民地主義でかつ圧倒的に強い武力を持っている欧米列強に、弱小連邦日本がなんとか伍して対抗する為じゃん。当時あたりまえに異民族差別だの植民地貿易だの奴隷制度だのそればかりか先住民族虐殺を思いっきりやっていたのが欧米列強なんだが? 単なる悪魔じみた私利目的を、文明の神聖なる使命ぶった自民族中心主義で、西洋中心主義のもとで、黄金の国ジパングを征服して金塊持って帰る目的でうろつきにきていた当時の欧米人をさ、無限の善心に満ちた慈悲深い神々だとか、そこまでいかずとも公平貿易を目的にきた人達だとか、関良基はなにいってんの? 時代をまちがえすぎてて笑えないんだけど。19世紀の世界史の教科書ぬりつぶしちゃったの? まさか理系でやってないの? 今からやってよ、迷惑だから。心から。これだって関良基が馬鹿いってなかったら書く必要ないんだよ、わざわざ世間の下衆な風説なんぞ訂正してやるために。他の国々がつぎつぎ列強に奴隷化され滅ぼされてきて、最後に極東で孤立していた日本がみつかったと知っていた、当時の先進知識人として国際事情を調べていた水戸学者らがいた日本だけ、欧米列強が表向き寄港させてくれの名目で、不平等条約ふくめての、裏にある植民地化目的を少なからず、ちゃんとみぬけたんだろうに。なんで欧米諸国が日本の為に貿易しにきてくれる、とかいう訳の分からない国際外交お人よし前提を置いてるんだ? それどころか日本の為の貿易をしようと自分から言ってたじゃん、『時務策』で会沢安ら水戸学者が。なにみてんの? みずに謎の誹謗してるの? 東湖って鷹派ですよ。烈公は東湖よりは穏健派で、普通に米国留学させてくれといってたんだよ。表向き鷹派ぶって全国を幕府で俺が守るぞと演技してたのは、最初にナヨナヨしてると列強に舐められて、全国のどっかがとられてからでは遅いと思ってたからだよ。当時の徳川家って、宗家の家定は知的障害をもっていたかもしれない状態で、後は家茂という子供だけだし、年長の慶喜らがいた定府の水戸の徳川家しかまともな跡継ぎいない状態なんだよ。それなのに別に徳川家の親族でもない井伊家とかの幕閣が、やれ今まで紀州家で継いできたんだから、家茂にしなけりゃ駄目だーといって、対外危機なのに鷹派の烈公ら徳川御三家の排除とかして、徳川家政に介入されて混迷しちゃったんだよ。それに政権簒奪ねらう島津家側から介入されたの。西郷隆盛とか篤姫とかおくりこまれていたので。当時の幕府の内情をしりたかったら渋沢の『徳川慶喜公伝』1巻あたりよみなよ。歴史学の博士が書いてて、記述の根拠にしてある、信頼できる参考史料も載ってるんだから。まー今までの言動みてて、関良基のことだ、どうせ悪解釈しかできないから読んでも無駄か。却って悪口いってくるかもね、ろくでもない歪んだ解釈で。松平家って徳川家の分家でしょ。なんで分家をもちあげるつもりで本家に悪口いってるのか。相変わらず風紀わるいな、長野とか滋賀とか中部あたり。井伊家もなんだかんだいって、徳川家政に介入したとき、親族争いさせようとしたんだから。くだらねー。水戸家って自分からお兄さんの子に家督ゆずったんだからもっと偉い家ですよ。関良基。あなたみたいな他人の家へ適当な世界史・思想史悪解釈で悪口いうような家柄じゃないでしょ。大体が家康の末裔で、かつ皇族の親戚じゃん、水戸候は。もとが公爵殿下ですよ。貴族を舐めるのも大概にしてほしいね。風紀悪すぎ、関良基だの原田伊織だの。関西中部あたり。元が渡来人として関西へ入ってきた奴らが、儒学も学ばない、水戸学も知らない、世界史の覚えすらない、単なる無学な虚栄心の上から目線で、京文化中華思想で。坂東武士の義理がたい道徳秩序を、単なる己の悪意と偏見から、無知と無学に素因のあるダニング・クルーガー効果的倨傲さから、無作法に荒らすなと言いたい。本気で。

原田伊織 水戸藩すべてが悪なりと すめらと京都を守りぬいた水戸人へ恩知らずにもいう

池田信夫 尊王カルトの偽書なりと 義公のふるさと大日本でいう

山内昌之 あれは悪しきテロリストなりと 徳川政府の警察へいう

16歳の明治天皇 あれは朝敵やと 自分の家の一番しっかりした警備隊長へいう

皇族の男系のすごく遠い親戚らしい竹田恒泰らによれば、どうやら祖父を毒殺したかもしれない岩倉具視をお札にしてあげた昭和天皇。

「強盗犯皇族さま。もう東京侵略はお済みでっしゃろ。前将軍とかいう警備員ごときになんぞ、ぬれぎぬ着せて、名誉を辱めはってほんまよろしおすえ。もうそろそろ京都にお帰りになりはったらどうどすか。御所が上方、華夷秩序で。全国のエビスどもをまた色々と、うちらのはんなりした京文化から、洗脳して見下していくにあたって、文化相対主義全否定、自文化中心中華思想、うちら自称文化首都にぎょうさんありますお祭りごとのお人形になっておくんなはれ」と、あいかわらずの外道な無茶を、昔先祖がすんでたところの市長格から言われる謎の奈良教祖。奈良の大和郡山市あたりの山奥発。記紀から風土記からどこでも大量虐殺を闇の征服者ぶって命令しまくり、全国や東亜中を侵略しまくり、帝国主義虐殺史だらけ。謎の祖先崇拝カルト教祖。国政の権能を持たないのになぜか憲法違反で、主権者に命令し立法できちゃう悪魔崇拝。政教分離違反。税金つかってるんだから儀式は節約と抜かして自宅だけは異様なまでに豪勢。しかも憲法の抜け道つかって私費の名目で税金つかって、自分ちと自分ちの先祖だけを、日本人ころしてきた渡来系の自分ちの先祖を崇めさせる、日本乗っ取り宗教儀式員を雇う不正ぶり。国民主権主義者の小沢一郎氏や鳩山由紀夫氏らの内閣を、予定ちょっとかえてといわれたからって遺憾だとか前にいえとかって突如ぶちぎれて、対中プライドごときで、自分が中華皇帝のまねごとしてるからって。無理やり国民の代表へ馬乗りで、宮内庁経由で。心無いぬれぎぬで。東京地検から偉大な政治家を、唯一の良識の持ち主を潰させ、代わりに神道カルトを寡頭政治に利用する薩長奸臣の藩閥末裔つかってまたも平成・令和政界をおわらせた、反民最悪独裁者の家。伊藤博文とマッカーサーが日本人を楽して洗脳できる、カルトな操り人形の家。

小室家は詳細不明で時効だろういじめ除けば犯罪まだなにもしてないだろうに、GHQに公職追放で破門された人権侵害常習犯で素行の悪い某旧宮家から、一般人なのに人権侵害され放題。自称山所魂、自称スメラギ、結局奈良発・大量殺人カルト教祖な自称皇族を持ち上げればどんな人権侵害もゆるされるとか、本当に、この国は先進国と称するにあたいしない。

関西ヤクザのろくでもねー親玉が東京にきて税金ほしさの大戦乱で1億人近く大量死させまくり。責任を部下のせいにし なぜか当の自称天皇家が、散々蝦夷よばわりで日本人の先住権侵害。しかも男系は弥生時代の中国系移民で、女系は平安時代の朝鮮系移民の末裔なのは自分で自分の家の歴史にしてるんだから確かなその自称天皇家に、関西地方からずーっと民族差別されまくってきた岩手人が、現実に御前会議で戦争主導したのも軍部統帥権ふくむ全権もってたのも極悪関西人天皇家なのに、みがわりにされ処刑役になった。これが天皇家だと、最悪暗黒卿ぶりをわが国の歴史上の事実がちゃんと教えているのに、いまだに天皇家が善人だと思い込んでるやつって、テレビ政治と神道とかいう奈良系カルトに洗脳されてるだけの本物の無知でしょ。慶喜公だけが天皇家にぬれぎぬされ殺されたんじゃないのにね。アテルイもモレも平将門も、てか主要な歴代政治家がみんなそうだったのにね。自称天皇家は自分が帝国主義のもと世襲独裁者として、あらゆる有力な部下にぬれぎぬきせて、家と血筋ごと亡ぼしまくるしか目的がないのにね。だから男系継承とかぬかしてるんだから、もとが弥生時代に日本人差別で入ってきた中国からの渡来系弥生人の一員なんだからさ、天孫降臨とか神武東征とかほざいて。日御子がすでにいたヤマト国へ。日御子以外にも色々いたしな。全国に古墳あるんだもん。豪族が色々いたんだよ。どうみても女系だろう日御子の、本来の帝の家系を亡ぼして、列島のどっかにあったもともとのヤマト国とやらをのっとった中国系の侵略犯なのにね、今の自称天皇家って。歴史を知らないから騙されるんだよ。そんな男系尊くもなんともないでしょう。日本にもとからいた日御子の末裔だってんならまだわかるけどさ。中国系の暴力団長がなんで日本人男性を差別できる神道カルトとか邪教を広めたら、無限に無法な暴力振るえて突然偉くなっちゃうのか。完全に関西人が馬鹿だから洗脳されてただけ。もともと日本人は共和政でした。アイヌだろうが縄文人だろうがそうじゃん。皇帝とか要らないし居ませんし。それ中国の制度のぱくりね。関西のひとごろし宗教? しらねーし、信じねーわ。馬鹿か。はい終了。

自称皇孫で神の末裔と嘘ぶく近衛文麿が敗戦を指揮してても、天皇と称する悪魔一味に属してると神道に洗脳されてる関西圏では人種差別があたりまえでなぜか偉いらしくて。敗戦責任とれと国民に言われる前に、当の関西人がずっと差別してきた岩手人へ悪意で責任転嫁して、近衛とかいう自称偉い家系のひと自殺したんだけど。神道信仰だったらさ、天皇家が偉いんじゃん。五摂家じゃないじゃん、五摂家は補佐じゃん。だったら近衛家が自分で天皇庇って敗戦責任とるべきなのに、天皇家を放置して、自分から自殺したんだけど。近衛文麿って、なんなのです? 生きて虜囚の辱めを受けずのつもりですか? 水戸徳川家ってそのとき貴族院議長で天皇家を守ろうとしてたんじゃないの。散々朝敵だーとかいって徳川慶喜家を辱めたのに、近衛家ってなんで自分から天皇家を放置して自殺したの? 神道信仰って、天皇一族って、殆ど道義なんてもってないんじゃないの。そもそも侵略戦争を主導しまくって戊辰戦争も西南戦争も日清戦争も日中戦争も日露戦争もやっておいて、それらは成功だったーと被害者の前でいいながら、太平洋戦争で負けたから途端に部下のせいとか。関西流儀ってホントきたねーな。そんなだから関西って武家に負けたんじゃん、ずっと。天皇家って。自分の家のせいで戦犯だらけになったのに自分の家だけ残して、親戚や部下に自殺させまくりってなんなの。しかももとが天皇家が納税奴隷欲しさとかいう奈良の殺戮カルト教組時点から何ら変わらない卑しい目的だしね。戦争起こした動機が。そんなの米軍とバトルになって負けてよかったんだよ。天皇家が暴走すればするほど最悪の家のやくざすぎる非人道暴力を無限に広めてたんだぞ。奈良系の殺戮カルト教祖とか崇めさせられる意味がわからん。関西人馬鹿すぎるでしょ、 何が奈良県の魂こと山所魂だよ。単なる殺戮犯あがめる邪教崇拝の念だろ。道徳のかけらもないよ、そこには。異民族差別しか書かれてないようもんじゃん、記紀なんて。本気でろくでもない宗教だよ。聖書とか『論語』とかと比べてみ。圧倒的に劣るよ。嘘抜きで。質が。道徳的な内容の質が。というか道徳性のかけらもないよ、神道って。奈良時代の奈良人ってなんの道徳性もなかったんだな、とわかるよ。いきなり朝鮮から天皇の手先がやってきて、何もしてない日本人を虐殺して『常陸国風土記』でクズどもがーとかいってんだぞ。そんな一門、純粋な暴力団のやくざでしょう。奈良のやくざさんですよ、天皇家って。偉くもなんともない。あがめるどころか軽蔑すべきだよ。嘘ぬきで。記紀だったらもっと色々やばいのあるからな、非道な人殺しの証拠が。大体あの平和な時代に朝鮮で戦争起こして逃げ帰ってきてるんだから自称天皇家の先祖の一部って。よほど野蛮だったんだろうね、としか読み取れないぞ。戦争起こす奴が悪いんだよ。そればかりか普段の政治みてたらろくな政事してないじゃん。全国民から酷税むさぼって京都で強姦魔やって一夫多妻だとかいってただけの純然たるやくざだろうに。元寇きてもなんもしねーわ、黒船きたら徳川家とか毛利家とか島津家とかに頼って結局は一番忠臣の水戸の徳川家から将軍と宗家継いだ慶喜公をうらぎって、自分が徳川将軍と島津家に討伐させてた毛利家の家臣団になぜか最も出世させるとかいう、人道にもとるご都合主義はひどすぎる。毛利家って最低でも3回も天皇家に弓引いてんだもんね、禁門の変、2回の長州征伐でさ。それを一番出世させて国葬だーとか、滅茶苦茶やってんだ、天皇家。インチキ。凄まじい悪魔。悪魔政事ですよ。もうね、政治家とかやめてください。ひどすぎるので。道徳を壊乱しまくり。公道を破壊しまくりです。いい加減にね、亡びた方がいいよ。うそぬきで。天皇家がいつまでも関西で威張ってたせいで幕府という公式政府の邪魔ばっかりしてたんじゃん、事実として。高々さ、奈良の豪族じゃん。実質。なんで奈良の豪族だけが偉いのか。全ての日本人に見下しにかかってくるのか。奈良人の下らねープライド。奈良人のなにが特殊だというの。所詮が飛鳥時代とかさ、白村江の戦いで負けて百済と任那からきた朝鮮半島人の移民地区だっただけじゃん、渡来人あつめた。だから渡来系氏族ってことよ、天皇家もね。それが現実的な見方だよ。百済や任那系の氏族が「日御子」の女帝国の歴史があったヤマトをのっとって、上書きしようとして嘘ついたんだよ、天皇家と称して。それが記紀じゃん。どうせそのうちばれますよ。遺伝子検査ありますからね。竹田家のDNAでも採取してみ。ばれますよ、すぐ。男系だからばれるという自業自得ぶりがすごい。色々国内の女系にきりかえてたらさ、実際は日御子の末裔なんやでって嘘つけたのにね。もう遅いよ。はい所詮、任那や百済あたりから移民してきた奈良地方への朝鮮系帰化人な、自称天皇家による日本侵略史とやらの、先住神ぶった嘘つきの実態ばれて、神道カルトの神話時代終了。

最悪政治をしてたのは、草莽崛起ゲリラで反政府・反天・侵略テロリストな松陰を神とあがめる長州閥が排出した、安倍晋三なのに。秋田から出てきたガースーら後釜に自分の無数の失政責任せおわせて、安倍は雲隠れ。犯罪隠しの院政ごっこ。CIAスパイで戦犯逃れした米軍基地属国化売国総理な祖父の代から、相変わらずの人面獣心サイコパスな卑怯ぶり。

天皇家を信じてしにまくった尊王の志士が当時の政府に従っていたからって靖国神社にいれない祭らない。
 要は自分の直接の手先にならないやつは朝敵あつかい皆殺しか、さもなければ華夷秩序で人種・民族・門地差別。
 正真正銘の悪魔でしかない偽中華皇帝殿兼邪教祖様は、世界の僻地・関西地方だか、三重県伊勢市あたりでは無謬の絶対君主で、神聖不可侵の神の末裔であらしゃるらしい。
 なんと未開な関西・中部地方の無知よ。奈良時代の奈良人が捏造した、殺人カルト宗教ごときに、いまだに洗脳されているとは。まことに憐れむしかない。救われないですね。天皇崇拝で特攻隊でも人間魚雷でも集団自殺でも、ヒロポン摂取ごと強要されたいのだろうかね。あいかわらず慶喜公やら天狗党やらにぬれぎぬでもきせて、逆らったら朝敵、したがったら腰抜け。尊王でも反天でも必ず己の悪意で、忠義な武士を辱めて、問答無用で処刑してきたじゃないですか、関西人や中部人ってさ。極悪極まりない関西・中部の郷土史。じゃあ自称天皇家にさ、自分の家の納税奴隷づくりの侵略戦争のさ、捨て駒扱いで棄民されて、裏切られても、やっぱり因果応報じゃないですか。だって岩倉具視、大久保利通とか、伊藤博文とか。関西とか鹿児島とか山口とかの反政府主義で単なる権力欲しさのぬれぎぬ犯罪集団にさ、慶喜公やら天狗党やら尊王愛民の忠義な侍を貶めさせ、自分たち関西人は慶喜公を朝敵だ臆病者だと罵って冤罪きせて政界追放してやったから偉いんだー、中部人は尊王・愛民・義勇軍の天狗党を処刑しまくってやったから偉いんだー佐幕なんだーといってきたわけじゃんね? 忠君愛国なんて潰してしまえといってるわけじゃん、関西と中部って。その代わり、祖国に忠義で民衆に仁義な人間は、ぬれぎぬ着せて辱めてしまえといってるわけじゃん。暴力でころしてしまえといっているわけじゃんね、容保公とかを。天皇と将軍に従ってた京都守ってた、国防警察のひとを。とんでもない地域だよ、関西と中部。伊勢神宮とかいってるけども、そこ、全国へいきなり暴力振るってひとごろしに入ってきたヤマトタケルとかいう奈良のヤクザの不良のきわみが足痛くなって死んだ場所だろ。むしろ呪われてんです。何もしてない人をいきなりいって女装で騙してころしまくるとか。それを平定とぬかすとか。暴力団にもほどがある。ふざけてんだよ、関西人って。リアルにそんなやくざがいたら速攻で潰して当然なのに、そんなのをもちあげてやれ御門だー。天子だー。最悪のやつを天子ってなに。天子って中国語の意味わかってないんだろうね。余りに漢字の意味がわからないから。漢学がないから。笑えてくるよ。しかもさ、水戸学の文脈を知らないんでしょ。天子とかぬかしながら。自称天皇=天子だと思ってるんだろ。京都あたりのさ、俺にツイッターでぬれぎぬきせてきた滝口とかぬかすやくざとか。笑えてくるんだけど。余りに思想史学の水準が低くて。天子ってイコール天皇じゃないよ。わからないんだろうけど。それ徳の高い君主って意味だよ。だから天皇でも天子じゃないやついるよ。本来ね。それを義公・烈公・慶喜公ら水戸家の哲学者が、不徳な天皇でも天子として奉って政をすべきという祭政一致の大義名分を信じていただけじゃん。だからあんたがた関西や中部のひとがね、水戸を馬鹿にできるわけないじゃん。その哲学のおかげで関西とか中部が救われてたんだから。水戸の哲学を否定してみ、すぐに極悪天皇なんざろくでもないとなって日本から永久追放されるから。どうぞどうぞ。水戸の史学と政治哲学を否定していってくださいよ。和辻哲郎みたいに京大から乗っかってこずに。いいんじゃないの、じゅんちゃんとか、関良基とか原田伊織とか。池田信夫とか。北海道系の山内昌之と組んだらいいじゃん。水戸学否定、どうぞ。その代わり天皇家は没落して消えるけどね。地上から。その方がいいんじゃない。僕はその方がいいと思うけど、実際、水戸学の文脈なら天子ってだけで、本来は太平洋戦争とかいう世界史上最悪の戦争で1億人近くぶちころさせてるんだからその時点で天子も糞もないからね。悪魔だよ、しいていえば。だから徳がなかったらその代では名目的な存在だという水戸学の理論がなかったらさ、天皇家を征伐して亡ぼし去って、自分の善政を布く新たな中国語でいう「天子」が登場しなければならないんだよ。おそらく世襲じゃなくて。それを王朝交代だからダメだーといってるさ、今の保守派いるじゃん。竹田恒泰、竹内久美子とか。男系派。あと誰だろうね。百田尚樹とか天智・天武系が交代してるから王朝征服可能だと思ってるぽかったけどね。上念司か。あと。そいつらもさ、水戸学の理論にのっかって、王朝交代を否定してるだけね。そのうえで、無知にも、あるいは悪意で、岩倉具視の嘘を広めてるだけなんだわ。水戸学派に悪意とかないからね。朱舜水にきいた明滅亡の様子から、日本滅亡を意味する王朝交代はわが常陸国の為にあってはならない、副将軍が天皇家を飽くまで護持って方針が定まっただけなんだもん。義公の末裔の慶喜公が天皇家を幕府の力で亡ぼさなかったのはその為なんだから。お前ら関西人が亡ぼせばよかったのにといってんだから亡ぼせばよかったんじゃないの。水戸学とか知らないもんね。君ら中部人も。
 天皇家を亡ぼし去ったらやっと日本が救済されるんじゃないですか。自称天皇とかいわれ、1347年も中華皇帝の奴隷信者みたいに洗脳されて、悔しくないんですかね。高が朝鮮系のやくざ集団でしょうが。百済と任那から追放された人達の集まりでしょうに。なんで日御子を否定してるの。どうみても嘘まじりの奈良人中心史観の記紀より『魏志倭人伝』のが信頼おけるわな。実際銅鐸とかでてきてるわけで。要は女帝の国があったわけでしょ、天皇家とは別の。古墳時代に。その人達の系譜をなかったことにしてるのが天皇家じゃん。中華皇帝まねして自称男系とやらで。母から娘に継いだくせに男系だとか頭おかしいのは間違いないけど。論理的思考力がないんだろうけど。中継ぎだとかいって途中でごまかせると思ってるなら、女性皇族で継ごうが文句いえないだろうに。結局は神武天皇とかぬかす、別の系統で無理やり日御子のヤマト国を潰してんだろうに。インチキ王朝じゃん。どうみても。しかもアテルイの先祖のがどうみても先にいたんだから、関西って移民地区じゃん、当時。ということはアテルイの方が本来の日本の王家ですよ。事実として。それもぶっころした証拠があるのにね、桓武天皇とぬかしてる、母方は確実に朝鮮系の関西人が。1度ならず2度までもやっている証拠がるじゃないか。一度は日御子帝のヤマト国をつぶした。2度はアテルイ王の率いる日本国を潰した。あのさ、歴史として目に見えている範囲でも2度もやってんです。そればかりではない。平氏の将門にしても源氏の慶喜にしても、天皇家にしてやられて潰されてんですよ。最低でもこれらで4度は天皇家が具体的に潰してきてるじゃん、日本国王らを。つまりは関西系のただの蛮族でしょうが。朝鮮系侵略犯の。事実は事実ですよ。天孫降臨で大陸からきましたという。桓武天皇の母は朝鮮からきましたという。そんで日本の神の末裔だと嘘をつき、日本国王らを4度も殺したり潰したり、歴史抹消している。巨悪中の巨悪でしょうが。悪の権化だよ、自称天皇一族が。関西人のエゴの塊だよ。端的にいえば。

何から何まで怪しいだけの大量殺人暴力団長に洗脳され、彼らと共謀して悪業三昧してきている関西人やら本居宣長ら三重人やらの自業自得だけど、その本居に洗脳された小林秀雄と茂木健一郎という何重にも憐れな『源氏物語』とかいう姦淫小説好評家は、自分でモノの哀れと言って反道徳主義に耽る、不良自慢自称天皇の関西渡来系大量殺人教祖もろとも、はてなき自堕落ぶりの顛末やいかに。だって道徳なくてもいいんでしょ、あなたがたは。野蛮だから。だから簡単にぬれぎぬ着せて平気なんだもんね、慶喜公へ。忠臣へぬれぎぬをきせる。名誉毀損する。地位・財産を強盗罪する。侵略罪で罪のない人々を集団虐殺する。とんでもない連中だよ、天皇一味とか本居信者って。悪魔じゃん。別に紫式部ってそんな事かいてないけど。山所魂こと奈良県民性が大事だと主人公に語らせただけで、普通に読んでて、いや、道徳要らないとかいってないけど。血筋だけじゃなくて教養も必要だといってるだけで。本居がね、江戸時代の徳川氏封建制を正当化していた、儒学社会に対して、国風化で敢えて漢学を無視していたころの姦淫系不良小説じみた『源氏物語』をわざわざもってきて、ほーらこれだから日本は不道徳でも大丈夫なんだ、だから幕府の権威づけている漢学なんて排斥していいんだ、とか言い出しただけだよ。要するに今でいう日本凄い勢と同じで。いわゆる夜郎自大ですよ。中国インドだろうが欧米だろうがどこの国からでも外国の優れた学問を習うべきだ、といっていたのが烈公や藤田東湖なんであって。『弘道館記』にちゃんと書いてあるじゃん、そう。西土の教を文化資本にしろって。水戸学を国学と一緒にしてるじゅんちゃんとかいうユーチューバーとか、本当に無知にも程があるよ。国学ってただの日本凄い勢であって、水戸学ってのは正史編纂事業を中心に比較史学と、儒学を含めて幕末の対外危機状況下で独自の政治哲学をつくっていた学派だよ。だから関西人とか、中部人とか本居の系譜で、不道徳礼賛主義なのかもしれないけど、それ、関東で通用しませんから。だって儒学が前提にある武家統治の風土なんだから。ただ、南の方は町人文化も甚だしいからもっと軽薄な系統だけどな。今でいう東京オタク文化とかで。水戸の方は町人文化の傾向が薄いだけに、関西とか中部の三重あたりみたいに、本居だの紫式部だのの反道徳主義なんて信じてませんから。なんでさ、文明人が反道徳主義なんていう頭の悪いものに従うの。そしたら野蛮人と一緒じゃん。関西と中部は野蛮だって事を自己証明するだけだよ、本居の説は。紫式部の方はそこまで言ってないしね。単純に平安時代の京都が政治腐敗してて、皇族らの間で性道徳が乱れきっていただけだろうに。世襲官僚が受領政治やってて金権でなんでも買えて、皇族も地位に甘えて政治放棄して血税つかって淫行三昧し、結局それで実務は武家にやってもらってたからもう皇族とか公家とか偉くもなんともないよね、というかあいつらへ税金払う必要ないし、こっちではもう無視しようぜ、となって鎌倉政府による武家統治の時代へ進んでいくんだろうに。

天皇にお願いされて将軍・家茂が、山口あたりの御所テロ集団であるところの奇兵隊暴徒政権を鎮圧したら、薩長両藩と岩倉が明治天皇と一緒になって、あとから徳川家は罪人だという。
 長州を討てと憤る孝明天皇に、まあまあ高が内乱ですから、和睦を以て治めましょうと、第二次長州征伐をやめさせてあげた慶喜へ、今度は天皇の16歳の息子が、薩摩藩と岩倉家と一緒にてのひらかえして朝敵だとぬれぎぬする。
 はなから先住日本人差別ではじまる記紀、何やっても自治権侵害、人権侵害、人種差別・民族差別でひたすら嫌がらせしてくる、極悪陰険な冤罪と集団虐殺しかしてきた試しがない、根っから性悪な西日本ヤクザの自称天皇家。そうかとおもえば柔道場で慰問のふりしてテレビ撮影し慈父母ぶって全国民洗脳、本当に慈父母ならまず天皇とかいって全国民差別をやめて税金に寄生せず、今まで散々日本人だの外国人だの虐殺してきた罪業史の責任とってみずから絶家・種族断絶すべきでしょうに。なんで単なる大量虐殺侵略犯な自称天皇家の贅沢目的に、いきなり差別されて税金の名目で自分の食べるに困る資産を収奪され、それを拒否したら朝敵あつかいで、したがったら臆病者あつかいで、全人類がランダムに殺されないといけないのか。おにぎり一個しか被災者がたべられないのに自分ら皇族は被災者から無理やり奪った税金で豪華な弁当食べて、勝手に朝敵と、尊王のお家柄な慶喜公のまことの事実と正反対の嘘ついてぬれぎぬ着せた徳川家へ強盗に入りこんでる家に帰って、天皇家を操り人形あつかいの長州閥・伊藤博文ら奸臣ヤクザに囲まれてぬくぬく暮らして、自称ひがしの京都人気取りで、あいかわらず中華皇帝ごっこし、あるいは奈良系殺人カルト教祖で威張っていられるのだろうか。太平洋戦争で諸民族をいきなりいって皆殺しにしておいて。無責任にもほどがある。自称天子の極悪ぶりにもほどがある。明治天皇が45にもなってもう61の慶喜公へ上から目線で叙爵してやるから許せとぬかす。それをゆるしてあげた慶喜公は偉いだろうよ、しかし悪意でぬれぎぬして最後まで上から目線の、水戸の徳川本家筋の天皇家は最悪ですよ。事実そうじゃん。水戸家が可哀想。考えても見たら、水戸の徳川家がね、余りに忠臣ぶりがすごすぎて、というか公徳がたかすぎて、天皇家は彼らから忠勤されるに値しなかったんだよ。本気でね。だから渋沢がさ、主君の慶喜公の方が立派なお考えであるのに、朝廷の方はなにめちゃくちゃに濡れ衣してんだ馬鹿か、と気づいちゃって、慶喜公の方が明治天皇よりずっと偉かったんだよ。慶喜公がリーズデイル卿ミッドフォードにどう評されてるかみたまえ。あれって事実なんだろうに。真の天子に成り代わるべきは慶喜公だったんだよ。うそぬきで。ある意味で、慶喜公は実家の哲学に呪われていたんだよ。うちは絶対に臣下の義をふみあやまってはならぬぞ、とお父上にいわれて、当の明治天皇とかやくざすぎるだろう。その後をみてても。北海道も侵略してアイヌ文化を弾圧するわ、琉球王も強奪して琉球王国史をダメにしてしまうわ。東北と新潟へも散々西軍とかいう馬鹿な薩長土肥京芸ら西日本人やくざの手先おくりこんで、あいかわらず本来の日本民族を渡来系関西人中華目線で人種差別・日本文化蔑視させながら、陰険な謀略で同士討ちさせて虐殺しまくったもんね、しかも一般市民の女子供まで。水戸の諸生党は会津戦争で女子供守ってたってのにね。命がけで。全然違うじゃん、西からでてきた野蛮極まる西戎ヤクザどもと。事実は事実だろうに。なんでなんにもしてない東北・新潟人だの関東人だのを、薩長土肥京芸のやくざは自称天皇家と一緒になって虐殺したのでしょうね。150年前。純粋にぬれぎぬ着せて民族虐殺したかったからだもんね、日本史の検定教科書にだって、海外の日本史の史書にだってちゃんとそうでてますよ。戊辰戦争って西日本の薩長土肥とかいうクーデター目的の反政府犯罪集団が、無理やり前将軍・慶喜公へ朝敵だだの、ぬれぎぬきせて、東日本一帯へ攻め込んできたものだとわかってるんだからちゃんと。しかも慶喜公は天皇家が本家だから、水戸家の志操があるから、天皇へ恭順していて、慶喜公へぬれぎぬ着せてころそうとしてた西郷隆盛だの大久保利通だのが悪者とイギリス公使パークスだのフランス公使ロッシュだの幕臣だの第三者の東北・新潟人だのにばれたから、焦って、容保公へぬれぎぬし直して責任転嫁しだしたんだろうに。ただの卑怯者なんですよ。薩長土肥って。何が元勲だよ、なにが元老だよ。純然たる人道犯罪集団じゃねーか天皇家。明治天皇とか長州閥の伊藤博文とか、朝鮮へも嫌がらせじみた皇后暗殺して、実質的に無理やり侵略罪して怒られてんじゃん、いまだに。事実だしね。普通に。中国も被害者。ロシアも被害者。東南アジアもインドも被害者。米国も被害者。周りが被害者だらけですから、今更ごまかせないんだよ、西日本の極道者ども。自称天皇一味の、テキトーなぬれぎぬ連発系侵略虐殺暴力団どもは。手先のネトウヨも連日やってるじゃん、同じ冤罪レッテル張りでの虐殺とかいう天皇家のいつもの政治犯罪手法をさ。朝敵やー国賊やー、反日売国奴やー。なんでもレッテル貼って不都合とみたらこの世から抹殺してきたじゃん、天皇家。源平合戦もひたすら同士討ちさせて、結局は自分の家の利益になる方について、自分ちだけ守って国民は最初から犠牲にしてきたじゃん。何が政治ですか、それ。ただの自称天皇家のやくざごっこですよ。皇帝ぶってからに。教祖ぶってからに。慶喜公不在で御前会議、国民不在で御前会議して侵略犯罪を決定。諸国民皆殺しを命令して、納税奴隷ほしさに先住権・自治権をもつ善人たちをつぎつぎころさせ皇室史上あいてを悪く自分をよくうそついてひたすら名誉毀損して犠牲にし、自分ちだけ勝ったら名君ごっこ、負けたら部下のせい。奈良系邪教カルトしぐさ、いつものことだろうに。関西地方のさ、飛鳥時代以後の全史がそれ。もうごまかせないんですよ、言論の自由があるんで。外国で同じ事いってやろうか? どうせ日本では大弾圧するんだろうに。戦前みたいにさ。不敬だー天皇は無謬だー。はい嘘ね。最初から奈良やくざで、罪のない日本人虐殺自慢してますけど、記紀だろうが風土記だろうが。それ以後の日本史でも、どうみても自治権もってる別の政治家らをつぎつぎ虐殺して、いばり腐っていたろうに。150年前すら慶喜公という東国の長へ、無理やりぬれぎぬ着せて、西日本人限定秘密会議から無理やり排除して、ころそうとしたろうに。それを東日本のまともな道徳心持ってる人達がふざけんなといったら、虐殺してだまらせたろうに。最悪ですよ天皇家。奈良系の正真正銘の極悪一門じゃん。うそぬきで。日本史のどこ探り出しても、最高の政治がたかが減税自慢の仁徳天皇とか。公徳民度が低すぎる関西の渡来系ヤクザの極みというしかない家柄だろうに、ずーっと。あいかわらずの。水戸家をね、辱められるような家柄じゃないの。はっきりいうと。水戸家もね、余りに律儀すぎたんだよ。現実には中国思想の方が優れていたと言っていいでしょうよ。だってさ、やくざな世襲とか形式だけ続けても意味ないもん。千年ちかく全日本へ嫌がらせどころか、非道な大量虐殺で民族差別し、無理やり税収奪しかしてきてないもんね、天皇家って。まじじゃん。そんな家をいつまでも血筋だか家格だかでもちあげてるのは封建秩序の固定化にすぎないよ。だからさ、或る意味で、天皇家を攻め滅ぼして完全に打破する人が現れた時、初めて日本にまともな政治が行われる様になるんだよ。天皇家とかいう最悪一門に悪政され続けてる状態なんだから。それを歴代幕府が東国では何とか変えようとしたけど、邪悪な天皇一味が嫉妬して、武力と陰謀で妨害されてダメにされた。それだけのことだよ。まぁ近いうちにね、天皇家が滅亡したら、やっと日本が元の平和な国にもどるんです。格差の権化とか要らないから。天皇家って無限の格差の頂点に君臨したがる、不公平、不平不満、不幸な差別の最大の第一原因で世界最悪の元凶ですよ。だからいまだに京都も差別が現役じゃないか。奈良はもう天皇家なんて忘れちゃって、平城京だの古墳跡だの草っぱらにしてるからどうかしらねーが、根本にある差別の思想は、おおかた似た様な感じじゃないですか。奈良カルトなんだよ、神道と称する日本人差別の邪教はね。だからさ、東京もさっさと天皇家を滅亡させないかぎり、あとあと大変なことになるよ。京都をみなさい。もう京都でも何でもないよ、あの小さな町は。中小都市です。京でも都でもない。府と名乗るのもおこがましい。山城市だか山背市といった方が正確でいいでしょうよ。東京が驕りの気風に染まっちゃったのは、徳川家の頃は西に大阪だの京都だのがあったから頭を抑えられててまだよかったものの、東京になってからは天皇一味に支配されて、華夷秩序意識が植えつけられたせいだ。だから田舎差別で都会崇拝とかいう、江戸っ子崩れの馬鹿ばっかりいいだしたの。田舎に生きてようが都会にすんでようが、いい人も悪い人も、尊い人も卑しい人もいるんですよ。地域差別だけでもろくでもないのに、わざわざそれを都心中華思想に変換して平気で公言するとかさ、京都もどきは恥ずかしいからやめましょうね。同じ関東人としていっておくけど。自称近畿とかも恥ずべきだ。事実でもなんでもないし、天皇カルトに洗脳されてて馬鹿かと思う。天皇家の親戚の某旧宮家が、皇族某と一緒になって、総意投票してない国民世論だの、自分は人権無視で守ってない憲法だの持ち出し、小室家批判とか、家柄差別にすぎないし。小室家差別こそ完全に人権侵害・憲法違反なんだから、終わってるのは天皇一味だよ。高々関西のやくざの末裔が何で自分達が無法にも上位の家柄づらなのか。まことに傍ら痛い話だ。関西人の思い上がりの最終結晶体じゃん。移民の末裔でしょうが、弥生時代以後に中国大陸から入ってきたケチな人達がこっちが渡来人だーといって堀とか塀で村をかこってコメ隠して武器で脅してまわり、平和でみんなに余った物を分け与えてた心も物資も豊かな縄文日本圏に入り込んできて。渡来人が縄文人の間にわりこんで、殺人蛮行して威張っていたのが考古学上の事実でしょうに。だから西日本で弥生遺跡からばっかり殺害跡がでてくるんだろうに。ナラって朝鮮語ですから。国って意味の。その渡来人の末裔なわけじゃん、天皇一味。だからぬれぎぬ侵略戦争大好きで、ずーっと行動や思考パターンが変わらず野蛮極まりない利己的な民族差別主義者なわけでしょうに、ただの強盗団長にあきたらず神道とかいう自分を神格化させる幼稚な宗教祖までやって。

陰険きわまる自称大和の侵略戦乱国。
冤罪大好き悪魔集団がくかたち気取り。
殊更なんの罪も犯していないばかりか自ら攘夷戦争不可能を悟って征夷大将軍を禅譲した慶喜公へ朝敵と呼ぶ謎の罪を着せ、
悪しき天皇家と公的に敵対するのはひととして当たり前というべきが、
譲ってやったら臆病者だ、
譲らなかったら朝敵だと、天皇に従っても逆らっても必ず辱める最悪の西国風紀。
現にお国のためにどれほど近代化と暴徒取り締まりの大変な軍務をしていても、
単なる権力簒奪を目的に己の100%卑しいぬれぎぬの悪意で辱める薩摩藩と芸州藩と岩倉具視。
自分が権力を握るつもりではなから内乱罪陰謀三昧の西郷隆盛が自滅。
大久保利通も反政府反乱と寡頭政治の悪行みぬかれ暗殺。
孝明天皇毒物説すらある岩倉具視は、陰謀ばっかりやって慶喜公へぬれぎぬしまくり、政権簒奪目的で、無理やり何千人も無実の日本人達を虐殺にする大量の犠牲をだして非道な冤罪事件で陥れ、徳川家のお城と地位と財産をぬすんだら手のひら返し。岩倉いわく「慶喜公は賢明な人物だったから天皇政府ができたんだ」と演説。まんまと元勲気取り。散々東日本人を虐殺しまくっておいて、忠臣慶喜公・容保公に己の私利でぬれぎぬしまくって、明治天皇の側近気取り、奸臣の極みが大出世ときている。
初代総理の伊藤博文に操り人形扱いされながら平気で奸臣どもを近づけ、忠臣たる慶喜公や容保公らを朝敵扱いで辱めた天皇家の悪業の底ぬけ加減。
遂に悪業が飽和し、自業自得で天皇家自壊のさなかで、相変わらず陰険な京都市から政治利用目的に帰ってきて文化中華思想で、自分たち京都人だけが全国へ自明の上位者づらで威張るため、いいからこっちで御輿に乗れと言われる始末。因果応報、自業自得。
嘗て自分ら自称京都の自称上方近畿人がやってきた全国差別の大悪業が、今では東京人と東夷扱いされる天皇家自身に襲ってきた。
天皇家は薩長閥やら京都人やら、自称天皇を問答無用のひとごろしと権力専横の建前に使って、忠義な水戸徳川家と愚民をだます奸臣どもから、相変わらずのデク扱い。寧ろ奸臣に乗じて豪邸たて、民間人の借金も婚約者にふみたおさせ、自家の私利をむさぼりつづけるつもりときている。

天皇家のせいでおちた原爆、それなのに核廃絶を願いますという。
いや天皇家さえいなかったら、徳川家が日本を支配していたら、普通に平和外交主義でしたけど。
関西の自称ミカドの帝国主義侵略犯が自称天皇家なのじゃないですか。
自分が薩長土の3藩の、松陰侵略主義者どもだの、征韓論者だのを近づけて出世させたんだろうに。小御所会議以後。
慶喜公が継いだ徳川家と会津松平家はずーっと孝明天皇に忠勤してくれたのに、突然サイコパスにてのひらかえして朝敵とぬれぎぬして、息子の明治天皇とかいうやつがころそうとしたんだろうに。そのせいで政権が全部、薩長土の3藩からでてきたヤクザで浅はかな欧米猿まねの侵略主義者だけになって、そいつらが余りに卑しいもんだから侵略国家の最悪日帝を大自慢しだして、徳川家を辱め、徳川家の忠義な侍を辱め、大和王朝帝国主義の復活だーとか馬鹿いって、散々自他の国々で罪なき人々を天皇家主導で虐殺させまくったんだろうに。
なにが天皇家ですか。ただの奈良のやくざでしょうが。実績をみなさい。1億人もころしまくっておいて、なんで無責任なのか。なんの大義もないですしね。侵略で税金ほしいですって、しかも自称天皇家の金儲けと単なる贅沢と虚栄心のために。調子に乗りすぎなんですよ。高々奈良のやくざの親分ですよ、豪族って。暴力振るって威張っていた野蛮な人達なんだよ、豪族ってのは。それがさ、つけあがって自分は神の末裔だとか嘘をつく。いや普通にさ、アフリカからでてきた哺乳類のヒトの末裔だろうに。なにがカミガタですか。なにがアラヒトガミですか。なにがアマテラスオオミカミですか。嘘ばっかりつく。息を吐くように嘘をつく。安倍晋三か、天皇家って。親戚か。親族か。仲間か。118回嘘つき居士はね、さっさと逮捕しなさいよ。偽証罪してるでしょうが、国会で。サイコパスなの。安倍晋三被疑者は。だから逮捕して精神鑑定にかけて、責任能力があったらちゃんと刑罰あたえなかったら、国のさ、法治がなりたたないでしょうが。その上に退位法も国権の権能ないって憲法に書いてあるのも押し通す馬鹿天皇、自称上皇とかもね、いやあなたに立法の権利ないって誰かいってやらないと。ぼけてんだよ。もうだめ。摂政おきなさい。それが国政なんだよ。自称天皇家とかいうただのカルト教祖なんかに政治に関わらせちゃダメだよ。滅茶苦茶やるのは歴史が証明してるじゃないか。世襲でいい政治家が連打して出るなんて難しいだろ。1億分の1とかだぞ。そしたら上院にでも閉じ込めとけよ。それが知恵ってもんだろうが。参院はね、無代にすればいいの。ボランティアで。そしたら金持ちしか当選しねえんだから。やりたがらねえんだから。麻生家しかやりたがらねーだろ。天皇家とさ。そういう金持ちの名誉職として、衆院の決定をさしもどす名目上の地位なの、参院ってのは。そことかにさ、政治やりたければ入らせとけばいいじゃないか、天皇家なんて。自分で立候補してみなさいよ。天皇明仁、天皇徳仁、天皇文仁って書いて。天皇悠仁って書いて。男系だと偉いんだろ。それで議員に当選するなら自分の力でさ、無答責の最高権力者になれるんじゃないの。そうしないのは嘘だからだよ。天皇制度とか皇室なんて。慶喜公がだまされたんだよ、関西のやくざに。可哀想。

自称京都の百済系カルト暴力団長が忠臣の慶喜いじめ朝敵という。
自称京都の百済系カルト暴力団長が首都圏自治団長の将門ころし朝敵という。
自称京都の百済系カルト暴力団長が先に住んでた日本国王アテルイを朝敵と呼んでころし全日本人を奴隷化する。
自称京都にいた百済系カルト暴力団長が東日本へ暴力で侵略し江戸城に強盗たてこもり自分は象徴だという。
自称京都な中国長安パクリ移民地区の人が中世に大量殺人カルト教祖が住んでた謎の虚栄心から、自分達の文化が世界の唯一の中心で、全国はそれ以下だのと、虚勢のうわ言またいいたくなったらしく、国政の権能をもたない東京在住百済系カルト暴力団長にまた帰ってきてくれと公然と政治利用。卑怯極まる。卑賤きわまる。全国民は全力で京都市の皇族政治利用を防止すべきだ。そして自称皇族も永久に政界追放すべきだ。もし自力で政治したかったらまた立候補すればいいじゃない、一国民の立場から選挙で。どうぞどうぞ。私は入れませんけどね、また殺されたくないから。裏切られたくないから慶喜公とか天狗党みたいに。日帝軍に無理やりいれられて殺したくもない外国の善良な人達を強制殺戮させられた、それが失敗したら事実上の自殺強要された、関西人カルト天皇教のまがまがしいファシズム体制みたいにな。
見渡すかぎりなにもかもインチキな百済系カルト暴力団長って最初の先祖が女性だといってるのに、明治以後の自分ちだけは男系相続しかしてはいけないとか。勝手に国法に書き込んで、性別主義で人権侵害しまくり。国家を私物化。もういい加減にやめてほしい、関西大量殺人鬼の似非国事。迷惑でしかありませんから最初から。飛鳥時代から。だーれも頼んでないよ、天皇家きてくれーとか。殺人にくるんだから。黒坂とかいう朝鮮系のヤクザさんが。大人しく平和に生きてたのは明らかな縄文系のね、先住の日本人さんをね、『常陸国風土記』でいきなり朝鮮からきた天皇の手先の黒坂とかいうやつが虐殺して、どうやーとかいう。いや、殺戮犯の西戎は帰れと。それ以後も嫌がらせの暴力と、民族差別しかしてこないしな。自称天皇家とかいう中華皇帝パクリの関西人一味って。慶喜公も散々ぬれぎぬされた。天狗党も散々ころされた。しかも彼らってどっちも尊王の極みだったのにだよ? 尊王の極みを虐殺する天皇家、本当の馬鹿だ。これは歴史的事実なんだからどうしようもない事。言い訳しようもない。尊王の忠臣へ朝敵よばわりで虐殺し、逆に将門みたいに自力で政治基盤をつくって独立独歩の偉い政治家もいきなり朝敵よばわりで虐殺。どっちにしても虐殺しかしてこない。悪魔だろうが、天皇一味って。それが事実なんだから、悪魔崇拝してた日帝の兵隊だが臣民だかが、原爆投下の被害とかレイテ島で全滅戦争とか、すさまじい最悪の経験したのも当たり前というか、悪魔の命令だからその位は起きるよね、というだけの話でしかないんだよ。天皇家に洗脳されるってのは邪教祖に洗脳されるってこと。おそろしいね。だから神道も天皇家も本気で嫌いなの、私。リアル政事をみてるから。歴史学でわかってるから。現実を見なさい。慶喜公があれだけ勤皇に努力したら、結局朝敵といわれてころされかけた、それが全てですよ。天皇家って悪しきやくざの親玉なの。日本から彼らが消滅したとき、はじめて善政がおこなわれるような国にもどるんだよ。本気で。

奈良系のとあるカルト暴力団長ってさ、自称象徴で、さらには教祖の父祖の大量殺人鬼たちを神と称するまがまがしい邪教の宗教祖もかねてるらしいけど その信仰が原典にあたる記紀のはなから日本人差別満載で何の罪もない日本人虐殺を自慢ばかりしているという、関西で起きた悪魔崇拝のすさまじい野蛮ぶりって、なんで東京にまで人道犯罪集団と一緒になって出てきちゃっていまだにドヤ顔なのか? 奈良の山奥からでてきた大量虐殺・人道犯罪集団に洗脳されちゃって、その神道カルト教祖をもちあげて、暴力振るってドヤってる自称・明治元勲とかいう山口・鹿児島・高知・佐賀・京都・広島あたりかからでてきた人道犯罪集団に、威圧だなんだで脅され、だまらされてんの? さっさと気づこうね、皇族だの公卿公家だの旧大名だの全員、民衆奴隷化ふくめ強盗目的の大量殺戮犯にすぎない、最たるやくざの末裔だってことに。

2021年9月22日

奈良の邪教に支配された島国

この島にはどこにも行き場がない
 
みてみろ西を
勝てば官軍と非道な暴力を自慢する蛮戎が
うちが京やと全国蔑視する陰険な中世移民が
底意地悪いぬれぎぬ宗徒があふれている
 
南では下衆すぎる都会自慢
華夷秩序で素朴な田舎を悪意から偏見差別
コロナ禍のなかで大運動会
科学を乱用し大量虐殺で金儲けしている
不孝な馬鹿女と発情発狂ライブで老人抹殺

自称天皇 やくざの親玉
忠臣を裏切り朝敵と冤罪 地位財産を強奪
代わりに親殺しの奸臣どもを元勲と礼賛
恐怖主義の薩長侵略犯に政権をあずけ
唯の極悪大量殺人鬼を拝ませる
 
悪魔崇拝 奈良の邪教なぞに洗脳され
天皇陛下万歳と叫んで特攻隊 人間魚雷
後世の馬鹿からテロリスト扱いで辱められ
護国に散っていった義士達は無駄死にだ
 
崇めていた天皇家は唯のカルト
奈良の山奥から出てきた勘違いしきった邪教祖
自分を神格化する大量殺人犯で
最初からなんの真っ当さもなかったのだ
関西圏の愚民が洗脳されていたので
余りにつけあがりすぎた重罪一家だった

これほど乱れた国なのだから
匿名衆愚が連日、殺人したさに
次の標的を
少しでも魂の善き者を
集団虐殺したがっていても当然だ
もうこの国は終わっている
いな初めから終わっていたのだ
 
奈良へ侵略してきた外敵の親玉が
中華皇帝をまねて天皇と称し始めたあの時
この国は既に地獄に堕ち
善が悪と罵られ
悪が善と偽られる邪教に支配された
邪教祖・天皇が手先と共に国権を簒奪し
遂には犯罪集団しかいなくなったのだ

もう元の平和な国が戻ってはこない
残されたのは無数の嘘つきどもで
彼らは海を山といい
山を海という
よいひとをわるいといい
いやしいものへとうといという
 
平和な縄文文明を納税奴隷欲しさに侵略虐殺
善良な先住日本人を民族差別しながら
戦乱をもたらし続けた悪魔を大和だという
記紀なる先住民憎悪の教典を信じきり
異民族蔑視の親玉を天子と崇め奉りながら
天と地を取り違えながら
全ての人々を完全な悪意で陥れ続ける関西史
 
良きみたまの持ち主達はとうに世を去り 
すでに居残り組は集団イジメしか目的もない
次の標的がどこにいるのか
卑怯にも匿名で探しながら
適当な善人を問答無用で集団虐殺していく
 
遂には天皇家の命令で南京侵攻皆殺し
天皇陛下万歳 万歳
帝の為だ お国の為だと狂信者共が集団自殺
生きて虜囚の辱めを受けず
天皇陛下の命令で戦争したのに
罪なき人々を虐殺したのに
悪魔崇拝を疑い得ない西軍発の暴徒どもが
大日本帝国万歳と叫び自業自得の滅亡だ

日本をヘイトするな!
朝敵め! 国賊め! 反日売国奴め!
いつもの性悪さでレッテル張り
自称普通の匿名暴徒が脅迫、集団で自殺教唆
関東大震災時のデマ虐殺から何ら進歩がない
善人抹殺がこの島国の犯罪宗徒の教義なのだ
天皇と称する犯罪宗徒の悪しき親玉が
奈良人中心主義で無限に地方差別 自称近畿
自称愛国カルトを生み出した奈良人の末裔が
今度は手のひらを返して君を陥れてくる
きのうは大和帝国主義で 非人道な大量虐殺
今日はヘイト扱い テロリズム呼ばわり
ご都合主義の奈良人に翻弄される無知な民衆
 
奈良の豪族を崇めなければ異民族視で殺戮し
税をよこせと暴力を振るい強盗団
自称皇族 自称公家 自称武家 自称華族
今度は自分達の奈良カルトが元凶だという
 
異民族差別と大量殺人の命令主が天皇家で
奈良人がまき散らしてきたカルト宗教が神道

自称京都人が奈良のカルトにただ乗り
奈良カルト教祖一味の強姦美化小説を書くや
奈良県の魂だ 大和魂だと言っていたその心は
唯の集団犯罪の正当化だった?
 
日本ヘイトとは奈良の魂 大和魂ではないのか
大和魂が先住日本人を差別し虐殺してきた
 
日本人差別を千年以上も暴力で押しつけ
当の大陸移民系 侵略犯カルトが神道で
今も象徴と称して国を乗っ取っている
 
桓武天皇の母が百済系帰化人だった?
それ以前に天孫降臨 神武東征と称し
外国からの侵略犯罪を自慢している一味では?
弥生時代の出来事ならおおかた中国からきて
日本への侵略罪を自己正当化する為に
記紀なる征服者ぶった暴力団長の脅しを書き
うちの男を崇めよと暴行の言い訳したのだろう
いまだに人権侵害常習犯と共に叫ぶのだろう
天皇いやさか!  皇室いやさか!
君が代は ちよに やちよに!
侵略犯万歳であらしゃいます皇紀インチキ年!
 
さあ民族主義者の旧宮家殿が織りなす
嘘偽りだらけのユーチューブ神話を
神の末裔による有難いご神託と信じるがよいぞ
奈良地方発 自称天皇カルトを崇める宗徒ども
 
自分達の侵略暴行を正当化する為
自分達からつれてきた民族虐殺教祖一味を
今度は夏暑く冬寒いイケズ盆地へ連れ戻し
またも中世首都きどりしたがる自称京都市長達
勿論 目的は全国を見下し
あいかわらずの華夷秩序ヘイトで
自文化優越主義 京都市上京区御所至上主義
京都中華思想で
虚栄心で 無言の暴力を振るうため
関西って東京に色々負けてよっぽど悔しいの?
だって初対面で東日本人差別してきますよ
何でも自分が上と思い上がっていたんだね
自称上方だもんね 自称上洛だもんね
わたしも何度も地域差別された京都市民から 
そもそも規模の勝ち負けでせろうとか幼稚すぎ
都市規模が小さければ今度は自文化中心主義
文化ってどれも独自で意義深く、中心とかない
中世移民地区で長安まねた にわか作りの町が
何十万年もこの列島に暮らしてきた我々へ
自称京都の山城盆地から世界最大の首都圏へ
言い訳がましく偉がるにはそれしかないらしい
都心から田舎差別する中華皇帝ごっこの害意

お前達関西人の崇め奉ってきた奈良のカルトは
中国や朝鮮からきた田舎差別の犯罪集団だ

2021年9月21日

なぜ西日本や天皇家のあいだでは侵略恐怖主義暴力がよく正義にすりかえられ礼賛されているか

天皇制のもとで一党支配をめざす和人好みの政体

平成・令和の和人(日本人、倭人)は一般に、二大政党や多党支配を「悪」「不正」「失敗」と見なしている。代わりに、彼らは一党支配(一党独裁)を「善」「正義」「成功」と見なす。

 彼ら和人一般はこの意味で、紛れなく一党結束主義者である。彼らは仮に或る支配政党が公害や不正を犯していても、実際に支配政党が善政をしていた時と同様、政権交代などの定期的慣行を嫌悪し、特定与党の支持者をやめようとしないからだ。

 平成・令和初期の和人一般は、自民党という戦後できた一政党を、事実上、狂信している。
「野党はだらしない」「パヨク」(「左翼」をからかう意味のネット俗語)などの表現で、和人一般は自民党とその補佐役である公明党以外の全政党らを、悪意(害意か事情通)から導いた確証偏見でひたすら陥れたがる。
 これを和人の自民狂信主義と呼ぶ。例えば種族・民族主義の傾向を持つ極右政党、日本第一党首・桜井誠氏が、「自民狂信者」という表現で非難しているのは、この和人の自民狂信主義である。

 ところで、地球中の国々をみて、また各国の政党史や、日本史自体をみて、一党支配が公然と行われている国は少数派である。また先進国では日本以外ない。例えば共産党一党支配の中国、朝鮮労働党一党支配の北朝鮮、統一ロシア一党支配のロシア議会などがこの一党支配をとっていると考えていいだろう。和人の自民狂信ぶりは、実際的に、近隣諸国で中国や北朝鮮、ロシアと類似の一党支配観念論をもっている為に生じている。

 和人の政体には、特に関西圏に於いて飛鳥時代以後、天皇制という要素があり、天皇家という世襲の皇帝兼教祖の家系が、事実上の専制状態で君臨する。天皇家は各法で定める刑罰以外は努力義務にすぎない憲法の建前とは別に、頻繁に彼らが持つ実質的な全権(行政権、司法権、立法権その他全ての権利)を駆使し各種政治判断をおこなうが、それらが公害を起こした場合でも、君主無答責で政治的・倫理的責任は無視される。これは天皇が国政の権能をもたないとされている日本国憲法でも同様で、前例のない退位法を動画メッセージをだし議会へ有無を言わさず立法させた事は国際ニュースとも成り、かなり広く知られた。日帝憲法での絶対君主としての定義同様に天皇大権の行使の一例だったが、その合憲性はいまだ問われた事がない。したがって第二次大戦前・戦後を問わず天皇家は、現時点でも名実とも専制君主であり、否定的に評価すれば世襲独裁者(世襲僭主)の一族といっていい。
 和人が一党寡頭政治(一党支配が国民全体の公益より党の私利をはかり堕落した形)をとるのは通例、天皇制のもとで、である。首都圏(関東と山梨)では平安・鎌倉期以来、伝統的に政治力次第で交代できる将軍が専制する武家政治がおこなわれていたが、この体制は明治期に、少なくとも原則的に交代不可な世襲君主兼教祖・天皇による専制政治である天皇制へ置き換えられた。天皇が将軍と違って、公徳の有無で交代できないと一般に考えられまた憲法に定められてもいるのは、皇帝を放伐する事が一般的な中国史との対比で、易姓革命を否定する水戸学が、近代天皇制の理念を基礎づけているからである*1。また和人一般は殊にその明治保守派(薩長閥の流れをくむ、安倍晋三氏や麻生太郎氏ら現・自民党閥の中核)のあいだで天皇制なしに政治をおこないえると信じておらず、天皇家とその親族(皇族)および彼らの男系先祖を神格化する神道という民族宗教に洗脳された状態にある。
 和人の政体の一般的目的は、こうして、天皇制のもとでの一党支配である。自民党支配は、この類型に合致しているがゆえに、たとえ寡頭政治的であっても、和人の間で通常評判が高いのだ。

和人の善悪二元論による確証偏見まみれの漫画的主観史観と、それと対照的な客観史学による水戸学の温故知新

 和人の政体では、政権交代が悪だとみなされる。この理由は、脳内セロトニン・トランスポーター受容体の生得的不足によって不安を感じやすい遺伝子をもっている和人一般にとって、将来に見通しの立ちづらい不安材料となるからだと思われる。

 例えば幕末・水戸藩の二大政党制を和人は一般に、実際に正確な見通しが立たない状況下でどちらに転んでもどちらかが成功する変化適応性があり、天皇家と徳川宗家のいづれが直近の権力闘争に勝っても政権交代可能な合理的状態だった、と肯定評価しようとしない。現実の水戸藩は明治維新と呼ばれる幕末政変の政権交代を挟んで徳川宗家・天皇家どちらとも革新・保守派に分かれ最も巧くやったといえるのに、和人一般はここでも上記でみてきたよう一党結束主義をとり、一政党のみが支配し続けていた状態に比べ、混乱に満ちた愚かで劣った状態だった、と無理にでも否定評価を下す為の確証偏見を、殆ど確実といってもいいほど集めがちになる。
 源平合戦が長らく続いていた以上、嘗ての武家階級は二大政党制に慣れていた筈なのに、恐らく近代政党政治の未熟さの為に、彼ら和人一般の中では、一党支配以外の体制がより望ましい状況をもたらす場合が元々、想定されていない。このため過去にさかのぼっても、一党結束主義の観念論と合致した状態を片寄って好評し、それ以外の政党制をとっていた場合を悪評したがるのだろう。
 したがって和人のなかで、二大政党制をとるアメリカ、イギリス、カナダ、ドイツ、オーストラリアなどの国々、あるいは多党制をとるフランス、イタリア、インド、ブラジルなどの国々は劣った状態と評価されるはずだが、ここではG8や旧連合国といった経済的または軍事的強さに応じて、どういうわけか二大政党制や多党制の方を高く評価する場面がしばしばある。この矛盾はどう考えればいいのだろうか。

 和人がここで採用している政党制度論として論理的に一貫しない思考は、結局、和人の政体の目的が「覇権的な経済力」またはそれをおおかれすくなかれ伴う「軍事的強さ」にあり(これらの合力を和人は「国力」とまとめていう事がある。小学館『デジタル大辞泉』「国力」の解説)、政党制自体はその為の手段だ、と考えられている事を意味している。幕末水戸藩の政体と、米英独ら最低でも現代欧米諸国の位置づけが、おのおのおもに二大政党制をとる政党制の点で共通しているにもかかわらず、和人一般のなかでは、経済的・軍事的優越圏と見なされる側の政党制が、制度自体の合理性を無視して、より正しいもの、と考えられている。

 幕末水戸藩は徳川家を保守する諸生党らと共にその支配下でありつつ天狗党・本圀寺党らが結局、皇軍(西軍、新政府軍)に属し政権交代を図ったという、江戸幕府(徳川宗家の政体)・明治政府(天皇家の政体)にとって勝敗どちら側でもなく又どちら側でも同時に有る歴史を持つ為に、上述の天皇制一党結束主義の単純思考回路により、過去の政党制の理非を全善か全悪か両極のみで見ようとする和人一般にとって、絶対優越圏とみなすのに逡巡する対象となる。なぜなら同藩出身の香川敬三が東山道軍総督府大軍監や皇后宮大夫・皇太后宮大夫などで新政府の一員となったのは事実でありつつ同藩の排出した慶喜が日本史上最後の将軍でもあったからである。西軍にとっては、徳川政府を「悪」「失敗」などの否定的価値づけあるいは「弱者」などと武力で貶めたがる潜在的・顕在的動機づけがおおかれすくなかれ存在する為に、徳川家の統治権であった水戸藩を、第一次・第二次大戦で戦勝した米英の制度と同じく優れていた、と考え直すには、西軍中心主義的な確証偏見を自己否定せねばならないため、知的・政治史学的・倫理哲学的負荷がかかるのだろう。つまり西日本人一般は薩長土肥ら西軍を完全善、それと対立した勢力を完全悪と単純化した二元論に耽り、幕末史の検証を怠りながら民族的な自己愛のもとで西軍至上主義に耽る目的で、大津浜事件翌年、会沢安『新論』で「国体」と呼ぶ天皇のもとの統一政体構想を出した維新の起点で、また慶喜が大政奉還・無血開城でそれを完成させた水戸藩の人々を、徳川宗家(将軍家)と同じ徳川家勢力の一部とみなして、まるごと否定的に価値づけたがるのである。
 和人一般は、この件にかぎらず、その一般知能水準から歴史的政治学理解に於ける複雑さについて、強弱またはそれとくみあわせた善悪二元論の単純化した図式を超えて、精確に事柄の諸相を認識する手間を回避するために、多元論的構図の理解を、はじめから拒絶しがちである。和人一般は、おそらく彼らの日常に膾炙している善悪の戦いを描く漫画・アニメなどの影響で、歴史観に関して無理に単純化し、恣意的な主観で色づけした善と悪の対立――そしてまた西日本の人々一般にかぎっては、西日本で勝者と見なされた者を後づけで完全善とみなしたがる「勝てば官軍主義」(弱肉強食主義)の図式へ無理に政治家をあてはめたがる、二元論的思考類型をもつ。和人一般のうち特に西日本側で天皇家が一般に、あるいはたとえば木戸孝允が手紙で「玉」扱い、あるいは伊藤博文がベルツの前で語った「操り人形」扱いの形だけでも持ちあげられているとすれば、単に下剋上的に政争を勝ち上がった者を後から正義とみなしたがる、西和人特有の、見方によっては単なる野蛮でしかない思考類型に合致しているからなのである。
 西和人一般にとって、幕末水戸藩史は、西和人史なるものにとってなじみ深い弱肉強食主義の思考類型にうまく合致しない例である。このため、幕末政変に際し、初めから最後の頃まで政権与党だった保守派(右派、諸生党。尊王佐幕派)が、最終段階では敗れて全滅したにもかかわらず、或いは結局明治政府に加わり勝利した急進左派(天狗党。尊攘急進派)がはじめ関東・中部各藩政や江戸幕政から攻撃を受け、大部分が処刑されるなどその被害は甚大だったにもかかわらず、西和人一般は勝敗を善悪で片付けられないこれらの事例をみて、混乱し、また対立する正義間の政争としての現実政治の現場に理解を深めようともせず、大同小異の正義論を巡って生じた勝敗、いづれもまとめて失敗だったとみなそうと、全方位で道理の立たない評価に終始してしまうのである。

 この様な西日本の政治にまつわる一般慣習が辿り着くのは、遂には手段を択ばぬ暴力団長が最高権威だと、単なる暴力至上主義に違いない。そして幕末西軍のちの日帝軍が戊辰・西南・日清・日露など手段を択ばぬ武力侵略をくり返していた時期のありようと、米軍とを、およそ等しく彼ら西和人一般が好評するのは、純粋に暴力の強さを評価しているにすぎないのだ。また逆に西和人一般が昭和前期の日帝軍を途端に悪評しがちなのは、単に太平洋戦争に負けたから辱めているに過ぎない。
 大阪人の小説家・司馬遼太郎がこの様な、野蛮で稚拙な、主観的嘘の史観を彼の歴史小説――例えば幕末のとある死の商人・坂本龍馬を、実在しない「船中八策」で新政府の根本原理をことごとく構想し徳川慶喜へ大政奉還をもちかけた天才思想家だったと明らかに幼稚な嘘をついたり、現実には殆ど関わっていない薩長同盟なる反政府同盟軍を友情目的に実現させたなど、西軍を美化し徳川政府を無理に陥れる目的で虚偽ないまぜの印象操作を用い徹底的に美化した『おーい! 竜馬』など――で流布した事実は、日本国内では広く知られている。また遼太郎は幕末西軍による放火など各恐怖主義活動、東日本・新潟への単なる侵略主義的内乱行動や、小御所会議以後の事実上の軍事クーデターなど、明らかな蛮行について、さもことごとく美事かのよう好評しつつ、逆に敗戦時の日帝軍を殊更悪く言う。その根底にある動機づけは、勝てば官軍主義、すなわち弱肉強食の正当化であり、端的にいえば韓愈のいう「禽獣」の世界に生きており、文明の名に値しない性向と言って然るべきなのである。すなわち西和人一般は幕末西軍や米軍に対する無批判な態度、その逆に徳川家や御三家・水戸藩への凄まじいばかりの悪意あるぬれぎぬと名誉の辱め、そして事実をごまかして言論弾圧したり、衆愚な暴徒集団による嘘で上書きしたりする悪質極まる誹謗中傷の山をみるかぎり、手段を択ばぬ暴力至上主義そのもので、殺したり辱めたり暴力を振るってだまらせたりした敗者を、相手が聖なる人格であったり何の罪もないばかりか極めて善意に満ちた英傑であったとしても、ただの凡庸な一般人であれ、どんな手を使っても罵る、純然たる野蛮さをさも自明のことで、しかも立派な正義かのよう信じている人達なのである。死後の遼太郎だけでなく、この様な類型に該当する現代人らは、例えば史書の体裁で幕末攘夷派という徳川中央政府側の国防警察・自衛隊権力をテロリスト扱いする関良基、「愛国カルト」と表現し愛国主義の一起源とみなした烈公の思想を関良基や小島毅らの論説を否定的文脈で引きながら「問題があった」と評するユーチューバーのじゅんちゃん、何でも驚くほどひねくれた事実誤認で悪解釈しながら手段を択ばず御三家・水戸藩の全事象を意地悪(イケズ)に中傷する京都出身の小説家・原田伊織、正史(紀伝体の史書)である『大日本史』をわざと偽史と正反対に評して貶めたり神道研究を含む水戸学を悪意を込めて尊王カルトと呼んだりし彼独特の反天主義(反天皇・反皇室主義)あるいは無政府主義(反徳川政府主義)で立論しているというべきやはり京都出身の池田信夫らなどがあてはまる。彼らは何を間違ったか、薩長両藩と水戸藩を並べ、総じて植民地化の危機に際し太平の眠りを覚まし列島統一の護国専守防衛体制へきりかえる幕政改革を求めた尊王佐幕派であったところの水戸藩を、それとは別に、攘夷戦争をおこないながらそれが失敗すると倒幕派となって侵略恐怖主義クーデター集団を形成し西軍主力部隊となった薩長両藩とを、単に戦国期の生き残りである武士達が何らかの政治上の理由――水戸藩側では和宮の望まない強制政略婚を主導した老中の手から防ごうと皇族の尊厳を護持したり、国土へ政府に無断侵入している国交を持たない国々に対し自主的に国防警ら活動をしたり、皇族・公家・武家・町人らへ冤罪を含め思想弾圧を目的に死刑を含む大粛清をおこなっていた大老の恐怖主義政治をほかの手段がないおいつめられた段階の最終手段で止めるのが理由で目的。薩摩藩側では大名行列を横切った外国人を無礼なため殺傷したところ謝罪を要求されたので攘夷戦争したり、関東で内乱を起こし徳川家間に疑心暗鬼を生じさせるのを目的に戊午密勅を西郷隆盛が公卿に書かせ薩摩藩士・有村次左衛門を薩摩藩が京都へ出兵するとの約束を桜田烈士を裏切って反故にするにあたって騙した陰謀が漏れるのを防いで暗殺したり、会津藩と組んで長州藩を攻撃し自藩の利益のため政局に乗ったり、薩長同盟を組んで徳川家を裏切り慶喜への冤罪をかばった会津藩・桑名藩や奥羽越列同盟軍と蝦夷共和国側を武力侵害で無理にでもいうことをきかせたり、琉球王国を略奪する為に尚王を強奪したり、明治政府側が朝鮮侵略より内治の急を唱えたので離脱して西郷主体の政権を鹿児島に造ろうとするも明治政府に軍を送られたので反撃したのが目的。長州藩は吉田松陰が尊攘主義と対立する開国派の老中・間部詮勝を暗殺しようとしたり、蛤御門で御所を警備していた会津藩側と小競り合いになったので発砲し京都の町を数万件焼いたり、天皇家が長州藩をいうことをきかない蛤御門荒らしとみなし将軍に征討するよう命じたので皇軍(将軍側)と2度の戦を展開したり、前将軍の徳川慶喜不在のまま陰険に開かれた小御所会議で土佐藩主や越前藩主が卑怯だからやめろといってるのに岩倉具視と薩摩藩が組んで辞官納地(地位・財産の強奪)を突然命じそれに応じた慶喜を御所へ呼びつけると近侍だった会津藩らへ薩摩藩らが発砲して生じた戊辰戦争で長州藩は西軍に与し東日本・新潟・北海道を侵略し会津では一般民衆まで惨く虐殺したり、明治政府へ反抗してきた西郷隆盛ら薩摩藩を西南戦争でやっつけたり、松陰の侵略主義が背後にあってもと長州藩士の日帝公使・三浦梧楼が朝鮮皇后・閔妃を暗殺するともと同藩士で初代総理の伊藤博文が朝鮮へ日帝政府の名で侵略・併合したりが理由と目的――で様々な目的・動機で異なる文脈の実力行使をする場面がみられたというだけで、西和人一般あるいはその一部が内容や文脈の違いを問わず、それらを粗雑にまとめて政治哲学的に「恐怖主義で悪」と定義し全否定、または、日帝・日本政府が教科書史観で典型的におこなうがごとく薩長両藩だけを勝者側にみたて全肯定し水戸藩だけを敗者側にみたて全否定にかかろうとする粗雑な歴史認識しかもっていないのは、単に悪意(水戸藩や薩長両藩への害意や、事情を知っての不正なおこない)があるだけでなく、現場の自国の歴史に余りに不勉強なだけに、まこと恥ずべき事だろう。西和人一般は

 薩摩藩で西郷隆盛・大久保利通らの郷党が一党寡頭政治をしていた為に、のち西南戦争で西郷が自刃し郷党ごと明治政府に強制解体された史実、あるいは長州藩で極左恐怖主義政党だった奇兵隊から藩庁・藩政が実力行使でのっとられ、明治政府の初代総理となった立憲政友会党首・伊藤博文も事実上の侵略である朝鮮併合で朝鮮側の義士・安重根に暗殺された現実があり、かつ、薩摩・長州いづれでも反対派により士族反乱(西南戦争、萩の乱)がおきた歴史をも、すなわち一党支配の寡頭制が日本史上でも深刻な矛盾、失敗と考えられる歴史を抱えている史実上の証拠が有るにもかかわらず、善悪二元論にあてはめやすい単なる薩長史観――薩摩国と長門・周防国の幕末史を完全善か完全悪どちらかに定めて見なす確証偏見――で、和人一般なるものは何もかもを漫画的善悪二元論の戦いという恣意的かつしばしば馬を指して鹿となす幼稚かつ悪質な嘘つき構図で上書きしようとする。水戸藩はこの例では、対立する政党間に共通の大義とそれを達するため各々異なる道を行こうとする手段的正義(大義と方途)があり大同小異のなかで幕末政変に対処していたというべきである。しかも結果として巨視的には諸生党(保守派)から天狗党(革新派)への政権交代で、徳川政府側の主要勢力として明治維新全体を主体的に展開させていった事実がある為に、一党寡頭主義の善悪二元論では必ずしも楽に語りえない実例を持っている。この為、漫画や歴史小説の読みすぎで全か無かの単純思考をしたがる和人一般なるものは、いなそれ以前に特定の解消偏見で自己中心になのか、基礎的な道徳判断力がないのかで、善を悪とみなし、悪を善とみなしたがる単なる愚者は、現実の水戸藩史についてろくに研究も知ろうとすらしないまま軽率に誤解・誤読をして、あるいは各々の悪意で当人が性悪ならことさら悪く言い、逆に、名政府樹立後の西軍至上主義者または戦後の徳川宗家側江戸幕府至上主義者(いいかえれば御三家水戸藩卑しめ主義者)といった偏見歴史絶対主義者にすぎない近現代の西和人一般には殆どみられないことであるが当人が性善ならとにかく善く言うといった、単なる自己の主観の投影に終始している始末なのである。ここにみられるのは和人一般は、共通部分と異なる部分をもつ人々がさまざまに輻輳する、複雑な劇的対象を、緻密に分析する能力が著しく欠けている、という、何もかもを余りに単純化し事実・真相と大いに違和する、勝てば官軍・漫画的善悪二元論に落とし込んでみないと理解できない、史学的知性なるものの抜本的欠如である。

 和人一般は、現実の政界がとある人物が信じる正義と共に善悪や強弱が甚だ入り乱れている場にもかかわらず、それとは異なる空想の二元論の枠組みのなかで、勝った側をあとづけで善、負けた側をあとづけで悪とみなす「弱肉強食主義」、又はその逆に、負けた側をあとづけで善、勝った側をあとづけで悪とみなす「判官びいき主義」、いづれかの強弱二元論へと歴史を書き換えたがる、小説史観しか今以て持てないでいるのだ。
 この典型例が、既に挙げた司馬史観と呼ばれる小説家・司馬遼太郎が作り話で語った嘘だらけの偽史・稗史の類とその信者の姿である。そしてその様な態度を和人一般はみずから決して疑おうとはしない。当時の自分自身の信念に合致するものに固執し、当時の中央政府が勝者の立場から流布した史観をうのみにし、又は特定の歴史小説家が語る嘘を、事実や真実から無理にでも切り離そうとする。義公『大日本史』は江戸時代の中央政府・江戸幕府が発布したのとは異なって、御三家水戸藩・常陸国を知行地とする中納言の手になるものであったがため、京都出身の池田信夫の如く、和人一般はこれを殊更読解する事もなく、中央政府中華思想の華夷秩序に立脚して、無理やりにでも陥れようとするのである。しかしこの正史(特定の紀伝体)形式の史書が『日本書紀』以来、最もよく書かれた正史なのは確かだったために、明治天皇はこの完成・献上を期に水戸の徳川家を侯爵位から公爵位へと陛爵しているゆえ、西和人一般と違って皇室自身が、『大日本史』の史学を正統なものと公認してきたのは事実なのである。すなわち西和人一般は、歴史小説など(稗史9に寄託した自分達の信じたがる西軍中心主義の郷土史の方が、『日本書紀』から『大日本史』へ至る皇国史観より正統性を帯びていると信じたいがため、水戸藩の学者らが研究した天皇政治に関する史観を水戸藩まるごと何とか陥れ、否定しようとしているが、それは間接的に西和人一般、殊に関西和人の豪族の長であった天皇家をも辱める事になるのに、ついぞ気づかないのだ。ある意味で、自分で自分達の豪族の長の首を絞めているのだから、西和人一般は、結局、天皇家をでくとしているにすぎず、水戸藩や水戸学派と違って、幕末から令和までの全時代を通じても尊王の精神など少しももちあわせていなかったのだ、と今になっても自己証明しているにすぎない紛れない事実が、水戸藩やその藩士、藩主、水戸学・水戸学派への手段を択ばぬ卑劣としかいえない辱めの数々なのが確かなのである。西日本の一体どこに、尊王心を持っている者がいるのだろう。いうまでもないが、水戸藩をみずからの小説のなかで遅れている呼ばわりせた司馬遼太郎であるはずもない。もし一人でも尊王心の持ち主が西日本のどこかにいるとすれば、その人が尊王の大義のために将軍家をやめ江戸城を含む地位や財産をことごとくゆずってまで自己犠牲を図った水戸藩や今も残る水戸徳川家の主と水戸学者・志士、その藩士らを、一体全体、どんな悪意と悪行で辱め貶められたか、その道徳心や道義の皆無さは呆れかえるどころか慙愧の念にたえないほどなのである。西和人一般に尊王心どころか道徳心が全く欠けているというのが事実であれば、その様な人達の集団が、日本国のなかに参加したり、文明国の顔をして先進国と称するのは、全く不条理ではないだろうか。私は尊王主義者ではない。しかし水戸藩の人々を不当に貶めてくる人間達に全力で反撃しなければならないだけの理由はあるというべきだ。私の先祖は当の藩で生きていたからだし、現にその旧領内で産まれて生きていて、その際、少なくとも幕末に当時の公務員だった侍らがどんな行動をどんな動機でしていたかもおおよそ知悉しているので、余りに日帝・日本国ならびに特に西日本側で、この藩の人々へ、100%悪意しかないぬれぎぬや名誉毀損や悪口や蛮行をしてくる極悪人達については、全員文明の裁断の場でひとりのこらず全力で訴え抜くだけの道徳的義務があるからなのだ。そしてそれはこの世代に限った事ではなく、未来永劫行われ続けねばならない事である。冤罪とは必ず晴らされねばならない大悪業であり、実際には戊午密勅の策動は徳川家間の親族争いを誘発し関東内乱を狙った西郷隆盛が公卿に働きかけてできあがったものなのにそれを水戸藩によるものとぬれぎぬした安政大獄での井伊直弼の尊攘派と見なした者への冤罪による大量粛清の数々や、同じく、『昔夢会筆記』『徳川慶喜公伝』慶喜公自身が尊王の大義のためまた幕政をやめて家康が開いた幕府を自分が葬る覚悟で大政奉還・大阪城退却・江戸無血開城をしたと正直に述べているにもかかわらず、山内容堂が『丁卯日記』『岩倉公実記』に記録されている通り、岩倉具視や大原重徳らがひたすら慶喜の大政奉還を悪意で悪解釈しへぬれぎぬをきせ陥れ地位・財産を奪おうとする政権簒奪目的の浅ましく卑しく陰険きわまりない恨みごとの目的で、小御所会議での岩倉具視、大久保利通、西郷隆盛、島津茂久、浅野長勲らがおこなった慶喜への冤罪など、その悪業が明らかな場面は後世へ必ず伝え続けなければ、純然たる悪意しかない悪人達が誤って善人で正義の徒かの如く史書に小説が記述されてしまい馬と鹿を、天使と悪魔とを取り違える事態になる為に、私も真実を『徳川慶喜公伝』『昔夢会筆記』で確かに究明し後世へ伝える事に成功した渋沢栄一らと共に、いかなる妥協もない厳密な実証により、考証史学を任とした水戸藩の立場と同じ眼差しから、西和人一般が大阪人・司馬遼太郎、京都人・原田伊織、奈良人・じゅんちゃんらと同じ陰険な姿勢を用いて日常的に行う、単なる軽佻浮薄な虚偽や、道徳を軽侮し人の善意善行を卑しめ悪行に媚売る物の哀れと抜かす浅はかな人間観、悪意からきたぬれぎぬの虚構は、一つの例外も無くことごとく打破していく義務の必要が絶対にある。

 ほか、薩長史観と呼ばれるのは、薩摩藩・長州藩を幕末政変の勝者側とみなし、薩長両藩のあらゆるおこないについて、強者とみなした薩摩藩・長州藩士らがさも善や正義を兼ねていた無謬の英雄的立場であったかのごとく、薩長両藩に不都合な事実は隠したり各種の辞典から消させようと集団暴力で弾圧したり実際に黒塗りで強制消去させ、薩長両藩に都合の良い事実だけをことさら書き連ね、みずからの脳内で捏造した妄想の過去を現実の全事象にすりかえようとする、現実にあったのが政権簒奪クーデターによる前将軍への凄まじい冤罪(尊王の大義に殉じた人物を朝敵といいつくろう、想像しうるかぎり地上最悪のもの)を基にした日本人大量虐殺なので、圧倒的に負の意味で、典型的な歴史修正主義の一種である。そしてこの種の最悪の冤罪とそれにともなう無実の人々への集団虐殺の主導を御前会議であった小御所会議に於いて目の前で放置し、しかも自分が裁可を下した大悪業の大重罪は、明治天皇自身の手によっておこなわれたのが歴史上の事実なので(『丁卯日記』『岩倉公実記』『大久保利通日記』『徳川慶喜公伝』『浅野長勲自叙伝』)、天皇家が大犯罪者だったのは紛れなくこの世の真実なのである。しかし薩長史観はこの歴史上の事実、事の真実を何とか隠蔽しようと確実に小御所会議の事を、その記述内から除去しているのである。それというのは薩摩藩主・島津茂久と大久保利通、西郷隆盛らが岩倉具視や、大原重徳ら陰険な悪意で慶喜を議会から排除しようとした公卿・公家と組んで、なんら天皇家へ逆らっていなかったばかりか最初から最後まで至高の忠臣だった慶喜へさも朝敵であるかのごとくにぬれぎぬし、あるいはその冤罪に基づいて地位・財産を無理に奪おうと不正きわまりなく意味不明な地位・財産返上の命令をおこなわせたのが、そしてそれを明治天皇が目の前でみていて裁可までしたのが、今から155年前、1867年に京都の小御所で起きた事実なのである。すなわち天皇が悪業に手を貸したばかりか自分からぬれぎぬを着せる命令をして、徳川家に不当裁判で無理に罪を着せ地位と財産を奪おうとしたばかりか、その後、実際に慶喜が飽くまで母方の主家・天皇家の命令に余りに不当すぎる要求でありながらも応じて天皇家から御所に呼ばれていくと、薩摩藩や彦根藩の侍らが先供として向かった会津藩らの侍へ砲撃をして、薩摩藩らが戊辰戦争のきっかけを起こしたのが歴史上の事実なのである(『徳川慶喜公伝』)。すなわち天皇家はここで徳川家へぬれぎぬを着せて地位・財産を奪い、なおかつ自分側の兵隊から、不当に先制攻撃させた。したがってその様な過去の事実を、天皇家側とその狂信者側は、薩長両藩の狂信者と共に、なんとか必死になって隠そうとする。なぜなら天皇家がみずから主となって悪事をしたという事がばれてしまえば、天皇狂信者にとっては自分達の絶対無謬を前提にした正当性が崩れてしまうからだし、薩長狂信者にとっては、卑怯な手段で小御所会議の場で岩倉具視や大原重徳、大久保利通らが会議からのけ者にした慶喜へ慶喜自身の心や事実と異なるぬれぎぬと地位・財産の強奪を企て、しかも慶喜が余りに主家・天皇家への誠意があってそれに応じてしまったので先制攻撃で朝敵にしたてあげた、という大蛮行がばれてしまえば、薩長両藩が正義の最強軍隊だったといういわゆる薩長史観が根底から崩され、慶喜が尊王の水戸家でうまれそだち主家・天皇家に徹底した忠義を図ったいわゆる英君だった真実が、薩摩藩とそこと裏で同盟を組んでいた長州藩の、倒幕目的に武力クーデターを狙う悪玉としての像を浮かび上がらせてしまい、実に不都合となるからなのである。したがって「朝敵」という、慶喜について事実と正反対の言葉を西和人一般が、最低でも小御所会議1867年から令和3年2021年の今の今まで、一貫していまだに連発するのは、至上の尊王の義臣へ完全な悪意からぬれぎぬを着せる事が究極目的で、現実にはこの様な事実は小御所会議参加者の手になる日記、春嶽の家臣・中根雪江『丁卯日記』その他、各種一次史料で証明されているために、ねずまさしが『天皇家の歴史』で指摘するとおり、いくら岩倉側の『岩倉公実記』でさも「大政奉還は天皇家がおこなわせたものだ」と実際は『徳川慶喜公伝』のとおり慶喜側が主体となって「家康が開いた幕府を自分が葬る覚悟」でおこなわれたものなのに嘘で論理をすりかえて、虚構めかし伝えようとしたところで断然と覆い隠せない為に、今となってはその様な岩倉側の底抜けに卑劣なふるまいや、45歳の明治天皇が61歳の慶喜へ最高の公爵位を叙爵して、小御所会議以後にぬれぎぬを着せ地位・財産を奪い朝敵扱いで武力により脅迫して江戸城をのっとるまでした慶喜に事実上ゆるしを請うた事実まで明らかなので、戊辰戦争が小御所会議参加者と天皇家から慶喜への尊王心を疑って地位・財産を不当に奪おうとする冤罪と、それが不可能になっての薩摩藩側からの会津藩ら慶喜近侍への先制攻撃で生じたという事が歴史学上の動かしがたい真実であり、慶喜不在の小御所会議の席でも慶喜を同様の事実認識から堂々と庇っていた山内容堂や松平春嶽、尾張慶勝らがいたという事実もあるのに、一連の西日本勢(皇族・公卿・公家、薩摩藩、芸州藩ら)と西軍による慶喜へのぬれぎぬと戊辰戦争を先制攻撃から起こしての天皇家と西軍からの江戸城乗っ取りについて、純然たる悪意から何とか慶喜を「朝敵」か「臆病者、腰抜け」と名誉毀損罪で罵りどちらに転んでも悪玉視にしたてて岩倉や大久保ら西軍側の肩しかもってこなかった西日本人達一般は、これは会津藩ら戊辰侵略の被害者側を靖国合祀をさせようとせず祭りもしてこなかった全体の祭司たる資格を根本的に欠いた偽象徴、いつわりの祭りぬしというべき天皇家も含め、どれほど無罪の慶喜への敵意を込めてこれまで同様の陰惨な陰謀をくりかえそうと、もはや全世界の全人類の目に隠しとおせない大悪業をしているのが当の西日本人一般なのである。『丁卯日記』『岩倉公実記』『大久保利通日記』『浅野長勲自叙伝』など会議参加者らの手になる小御所会議関連一次史料および当時の出来事を徳川慶喜側からみた一次史料の『徳川慶喜公伝』『昔夢会筆記』等の関連史料読解と考証分析で、小御所会議で初めに大原重徳と大久保利通、岩倉具視、明治天皇らによっておこなわれた或いは『浅野長勲自叙伝』によれば武力での反対派脅迫をほのめかした西郷隆盛らによっておこなわれた、王政復古はじめの議会政治からの悪意ある陰険な慶喜排除と、明白な不当裁判による地位・財産強奪目的の辞官納地の画策になりおきた慶喜公への冤罪事件に関して真実を知る者は、紛れない真理洞察を一歩も譲らず、現時点までの信頼性の高い小御所会議の現場にいたひとびとの一次史料で確認できるこの史学上の真理を、同じ悪意しかもっていない西日本人一般からのあまたの妨害と陰謀をくぐりぬけ全人類、全後世へしかと伝え抜くしかないのである。竹田恒泰氏や百田尚樹氏らだけではない。天皇家にはじまって、司馬遼太郎や原田伊織といった小説屋や、関良基の様な郷土史家、或いは池田信夫の様な評論家や、じゅんちゃんの様なユーチューバーの類までも含め、あるいは佐賀に母方をもつ茂木健一郎がどうせ歴史の真実などしれないのだから物語が重要と明らかに実証社会科学としての歴史学の意義を余りに軽薄な論調で否定して語るなど、西日本人なるものはその伝統的風土に於いて、悪魔的というべき自己中心の利己主義的な中華思想による陰険きわまりない歴史改竄を、記紀以来当たり前の文化と本気で思っているがため、ここでは先祖に遡って皇室を含むいわゆる西日本人らの間で、偶々同じ日本国民といわれひとくくりにされているが、科学的認識力を多少ともあれもつ我々にとって、小御所会議で起きた冤罪事件を後世へ伝えるのはまことに天の使命というべき仕事なのだ。この使命は明治期に渋沢栄一が初めに自覚し、その一部を担っていたが、我々後世の者はもはや西軍・天皇政権からの研究弾圧を避ける機会を以前より持ち合わせる幸運に恵まれており、これまでも公然とおこなわれてきている天皇家や西軍(薩長閥)政権からの言論弾圧の状況次第では、言論の自由が担保されている他の国々で出版もできるがため、焼き捨てられなかった史料を探り当てる機会を活かし、ねずまさし氏が『天皇家の歴史』で明治天皇毒殺説を裏づける侍医や僧侶らの病状経過を観察・記録した一次史料について発表するなど、あるいは岩倉具視の妹で毒殺を行ったと自白する堀河紀子の証言を再考するなど、宮内省側の手になる『岩倉公実記』や『孝明天皇記』では隠されているがどう見ても現実と矛盾がある歴史の真相も問い続け、西軍側が天皇家と共に握りつぶしてきたあまたの事実を史学に於いて再発見する義務があるだろう。例えば松平容保が『孝明天皇宸翰』を首から下げていた竹筒にずっと納めていたという事実は、京都守護職を務めあげ孝明天皇の命令で長州征伐をも頑張っていた会津藩を、裏切った薩摩藩と、武力討伐された長州藩らが、天皇家と共に「朝敵」とぬれぎぬした事を確実に実証してしまうため、日帝政府や戦後政府の認定教科書の歴史から通例、隠され続けているのだ。いいかえれば、戊辰戦争は西軍・天皇家による大義なき侵略戦争で、特に幕末政変全体で最大数の約3000人をその際に虐殺した会津戦争の陰惨ぶりは、福島県会津市の郷土史を除けば、明治政府以後の中央政府側からその親玉であってこの戦争を主催していた天皇家の陰謀と共に、この世界で存在しなかった事にされてしまう。天皇家は明治天皇の代に、父・孝明天皇の近侍であった慶喜と容保を突然裏切り、小御所会議で慶喜へ地位・財産を強奪する要求をつきつけ、鳥羽伏見の戦いで天皇家が慶喜とそのお供の容保らを御所へ呼びつけておきながら薩摩藩らに先制攻撃をしかけさせだまし討ちにし、「朝敵」と呼んでぬれぎぬを着せ、両者を不当な暴力で虐殺しようとした。ところが慶喜は水戸家で江戸時代全体を通じてはぐくまれた尊王の大義を真に奉っており無抵抗で江戸城まで退却するとその本拠まで天皇家へ譲ってしまう。この為、天皇家側は無理やり慶喜へぬれぎぬした事についておおやけに体裁がとれなくなるのは明らかだった。フランス公使ロッシュが江戸城で慶喜を説いて不当な西軍こと皇軍を攻めるようしきりに促したり、イギリス公使パークスが薩長両藩からの協力要請を文明人の信義にもとると怒って蹴ってしまったり(アーネスト・サトウ『一外交官の見た明治維新』岩波文庫)、山形の米沢藩士・雲井龍雄が『討薩檄』で冤罪を雪ぐのが人道の当然であると同時代に主張していたのは、完全にそれら天皇家側・西軍側の公然たる嘘と陰謀が、外国人にも東日本人にもみぬかれていたからだ。同じ事は鳥羽・伏見での戊辰戦争勃発時に次期・水戸藩主の徳川昭武に万国博覧会の日本代表団の雑役として随行してフランスにいた渋沢栄一が『徳川慶喜公伝』冒頭の自序で全く同じく見抜いており、薩長二藩が天皇の名を騙って徳川家へぬれぎぬを着せているにすぎないのだから勝てば官軍で討てばよいのに慶喜公はなぜそうしないのか、と一般的幕閣と同じ見解を当時として示していたのである。結局、水戸藩の弘道館などで水戸学をしつけられていなかった埼玉の農民・名主出身の渋沢には、義公以来この学風を通じて水戸藩士らへしつけられていた尊王の大義が戊辰戦争勃発当時、いわばまだ水戸家を実家にもつ慶喜ら徳川家臣団の新入りとして、理解できていなかったのである。

 薩長史観は、明治以後西軍藩閥の支配した日帝やその名残をもつ日本政府が、鹿児島県や山口県の明治維新を美化する郷土史一般と同様の観点から、通例、明治から令和までの歴史教科書で公認している内容とほぼ同質のものにあたる。これらの明治・戦後政体は天皇家を中心とし、その近辺の人物らを天皇家の政務に役立った順に肯定的に、幕末以後この政体を藩閥として主導した西軍主体で描くものだからである。そしてこの手口で、大和王朝以後の奈良県、大阪府、兵庫県、京都府界隈でおこなわれていた特定の天皇政治をさも日本史の中心に描こうとする。したがって戦後日本国の検定教科書では、この王政(帝政)政体を大和王朝以来支配してきた皇族や、平安期或いは明治以後にこの皇族支配を政権簒奪目的に翼賛した薩長土肥京芸ら西軍系藩閥を完全善にしたてあげるに不都合な事実が黒塗りされ、排除され、ばっさり消され、また無理に権力乱用で検閲攻撃してでも敵対したとみなされた側がさも悪かのごとく定義され、そちら側の正義は内容を問わず全否定される傾向にあるのだ。同じ事は明治天皇の玄孫である竹田恒泰氏がユーチューブ動画などで盛んにアップしている天皇中心史観にもぴったりあてはまる。

『古事記』『日本書紀』に始まる皇国史観は、歴代天皇が祖先神からの神格と支配正統性(王権神授説)を帯びた自称・貴種(貴い種族)の長であるとする特殊な観点から、彼ら皇族の全おこないを忠臣・奸臣の別(忠奸の別、忠奸二言論)と共にまとめようとする、特定の歴史修正主義である。尤も、調べ得るかぎりすべて王政の国では、その体制に益するものが政治的正統性を帯びる様に政権側に考えられるだろうから、当の社会で王(ここでは何らかの単独支配者)の権限が及ぶかぎり、同様の忠奸二元論やそれに類した忠誠度に関する弁別された価値づけの歴史観が、王政自体や王権翼賛の立場から通例とられることだろう。この様な忠奸二元論は、政府に正統性が必要とされない状態でないかぎり、また過去の事実に関する実証科学が善悪いづれでもない客観的考察であったとしても、起きた事柄全てを完全に中立な状態から悉く述べるには紙幅や認識力の限界があるため、或る政府が史学に関与すると不可避に無意識の選択として起きてしまいがちでもある。したがってこの種の物語史観は科学としてあてにならず、信用ならないものであるから、天皇家などの世襲権力者や、なんらかの政府が史学に検定行為をおこなうのは不穏当というべきだ。王家(皇帝、天皇家など)の世襲権力者を中心に正史こといわゆる紀伝体で歴史を記述する際も、この作業を当の王家自身以外の第三者が行っている場合の方が、歴史学としての何らかの客観的な批判精度が期待できるというべきだろう。例えばこの王家と敵対した側を正史で王家自身より偉大な存在とみせる書き方をするのは客観的に困難なので、この王家敵対者側の正義や王家と敵対するに至った経緯・動機・結果詳細を綿密にかつ肯定的評価を正史形式ですら余さず書き加えるには、敵対者側自身の物語史観や、それ以外の客観的史実を同時に照らし合わせる必要があるだろう。但し、王家自身がこの様な正史をかきのこす事が全く役に立たないとはいえず、それはあらゆる政治史と同じく全ての歴史書に一つの頁を書き加えているにすぎない。

 物語史観に対して、科学としての歴史学、すなわち歴史科学は、単に過去起きた事実を記述し、過去の社会の現実を善悪の判断(道徳観)と分けて理解しようとする客体化の試みであり、これと、歴史小説なる作者による特定の片寄った主観を混ぜた嘘・作り話、あるいはそういった小説による虚偽ないまぜの歴史認識自体を含め過去の歴史について何らかの価値づけの考察をおこなう歴史哲学とは、各々異なるべきものだ。
 しかし和人一般は、これら歴史科学、歴史小説、歴史哲学とを各々みわける知性が基本全然ない。それは上記の茂木健一郎氏の発言でよくわかる。彼らは本心で、過去の事実など分かりはしないものだ雑に思って、史料に考証学を加えたり、反証的な実証主義によってその精度を問えるとすら思っていない。要は物事はわずかでも時間が経過すると徐々に伝言ゲームで嘘になっていくと思っているし、例えそれがいかなる悪意に満ちた伝言でも、それで平気なのである。だからこの意味で和人なるものは一般に、完璧に未開である。考証学の導入で厳正な正史編纂に努めた水戸学派は、なるほど彼ら和人一般の例外でしかない。和人一般は歴史小説の悪意ある偏見や悪意ある嘘をそのまま信じ込んでいたり、歴史科学上の新たな証拠を単なる確証バイアスによる片寄った主観で上書き否定していたり、歴史哲学上の何らかの価値づけで現実の歴史科学の方をゆがめて捉えていたり、当為(本来当然そう有るべき理想)と違和する善悪二元論など特定人物や国に肩入れした小説的な特定観念論に固執していたりするものなのである。
 そしてまるで世界中の人々が過去に関して悪意をもっている嘘つきであるかのごとくに勘違いもしていて、その様な記紀的な嘘だらけの物語史観を平気で他人へも投影したりおしつけたりしようとし、常に、内外で凄まじく摩擦を起こしている。特に西日本側にこの傾向が甚だしくある経緯は上記でみてきた。天皇家がその様な中華思想的天皇中心史観なるものを、関西地方には神道神話で植えつけていし、薩長史観がそれに上書きされたからだ。なぜ韓国や中国などの周辺国、或いは米国はじめ国連側や、国内でも単なる過去の事実を郷土史上に持っている東日本・新潟側と毎度のごとく、自己都合で過去についての嘘をつきとおそうとする西日本勢と天皇家が摩擦を起こすかといえば、正に、この種の関西中心史観の癖がやめられないからなのだ。彼らが自己中心的中華思想を持っている証拠が「近畿」「京都」「上方」「上京区」などの表現だが、これらを彼らは自分達が中心の歴史にかきかえようと、常に自文化中心主義・自民族中心主義・歴史修正主義で待ち構えていて、実際にここ最近すら、小御所会議以後に自称官軍の日帝や戦後日本政府とみずからの軍勢を称する天皇家と起こしてきたよう陰険な悪意と謀略で、天皇家が正義で善、無謬の神の子孫で、あらゆる悪事をするにあたってこの絶対無謬教祖権皇帝にはいかなる罪もなく、又その周囲の人物らも天皇家による暴挙の犠牲になるべきで、それと敵対した者は過去の史実や世界観をほとんど悉くと言っていいほど時には命ごと抹消、抹殺されてきたのである。朝鮮・百済人の末裔である関西地方の桓武天皇が、先住日本人の末裔である東北地方のアテルイとモレらの自治自存圏へと平安期に侵略をはじめ、武力で脅して服従させ奴隷化しようとするも抵抗されたため天皇家側が進んで敵対した上に、自称・天孫降臨の弥生人侵入から日本列島にとって飽くまで移民である天皇家がアテルイら日本人への侵略戦争で自治権・民族自決権を強制的に奪い、虐殺したのが事実であるが、この様な歴史の真相は、悪意に満ちた関西中心史観ではさも桓武天皇が無謬の正義の存在で、不当に人権侵害され単に天皇家のわがままと傲慢、強欲のため納税奴隷化したがる侵略の暴力で殺されたアテルイらが卑しい異民族かのごとくに嘯かれており、アテルイ側が関西に攻め込んだ証拠はないので(いつもの関西人なら冗談ぬきでその種のことを捏造しかねないし、最低でも歴史小説などの形でどこかでやっていたかもしれないが)、客観的事実は桓武天皇が単なる野蛮な移民系の関西暴力団長で、日本人がその一味から抗議や賢明な国土防衛にも関わらずいきなり不当に侵略被害を受け、捕虜となって辱められ虐殺されただけなのである。成程、善悪という眼差しからみれば、当時であれ今であれ巨悪といえるのは侵略犯の桓武天皇の方だったであろう。だが、その様なまっとうな見方は、関西人達の書いたどの史書にもみられないし、天皇家側の史書では全く逆に、侵略・虐殺を含む日本人への人権侵害の数々や納税奴隷化の経緯がさも当たり前の正義かのよう触れられ終わっている。すなわち、弥生時代以後に入ってきて、特にこの平安期に関しては新造移民都市を作って朝鮮半島から渡来人として入ってきて定着した京都人一般の伝統的歴史観は、それから1227年近く経過した現代に至ってもこれほど、根っからどこまでも歪み切っているのである。端的に言えば、記紀に照らすと最初の反日勢力は侵略移民である天皇家一味であり、その極道者といえる侵略犯が勝手にオオキミ、スメラミコト、ミカド、天皇などと称して日本人全員を奴隷化しようと画策し、自己神格化をはかる神道による洗脳や、各豪族や武士団こと暴力団員を利用して逆らったり疑義を呈する日本内外人へ問答無用でことごとく一方的暴力をふるわせ、それに成功してきたというのが天皇家の歴史の全てなのである。

 和人の漫画的主観史観を代理している例の一つとして、百田尚樹氏の『日本国紀』は、みずから物語を歴史科学より優先させると記述してあることからも、稗史(表向き史書めかした歴史小説)の類といえるだろうが、このなかで朝鮮併合に関して、朝鮮側が元奇兵隊員で山口県民の公使・三浦梧楼による朝鮮皇后・閔妃虐殺事件を受けて、妻を殺された朝鮮皇帝・高宗がハーグ密使事件で、日帝側の併合強制を公に訴え、それをやはり山口県民で長州閥・伊藤博文がおおやけにしかりつけると強権的に高宗を押さえつけ事実上強制退位させた史実など、表向き併合を装った事実上の強制暴力による侵略というべき数々の関連事件が無視されており、明らかに薩長史観や皇国史観によって、単なる歴史科学を山口県や日帝側に都合のいい形へ上書き消去しようとする悪意(害意か事情通)で執筆されている。
 この悪意は百田氏のなかでは特定の歴史哲学による歴史修正主義の方が、単なる事実を追う歴史科学より重要な価値づけと見なされている為に生じているのだろう。こうして彼は同書で薩長史観や皇国史観、下手すると関西中心史観の焼き直しに終始し、薩長藩閥や天皇家のもとにある政体のみが唯一の正義や善とみなす確証偏見をおおかれすくなかれ否定するに足る事実を、意図的に、みずからの記述中から消去しようとする、或いはすでに見てきたよう閔妃や高宗、アテルイや慶喜といった、天皇家や関西人、薩長閥の悪行といっていい振舞いによる被害者側の悲嘆や正義に気づきすらしない。否、余りに薄情で共感性が低すぎるあまり、そして余りに自己中心的に狭量でしかも傲慢すぎるあまり、天皇家や関西人、薩長閥の歴代蛮行しかみえておらず、彼らの悪業に被害者がいるという事実に気づこうとすらできない。既に述べたが、これが西和人一般の知能の既往の潜在的・顕在的特徴でもあるのだ。また、こういった下劣さは、元々の共感性の欠如や、京都文化中心主義や天皇中華思想(神道)の信仰による文化多元論的・多民族主義的な視野の完全な欠如、また事実をからみわける単なる歴史科学を考究するに必要十分な単なる一般知能の足りなさを除けば、当の天皇家を開祖とする自民族神格化思想である神道信仰に由来した祖先・子孫崇拝によって彼らの過去及び現在と未来の過ちについて責められる事を極度に恐れる臆病さにもよっているのである。なぜなら天皇家と彼らの先祖にあたる関西人が何らかの過ちを犯しえたし、今も犯しているし、今後も犯すだろうという想定は、彼らが神格化している自民族を神道信仰ごと否定する結果となってしまうからだ。百田氏が必死になって「大和民族」(奈良県の一族)とした関西人中心主義を述べ続けるのも、結局はこの神道信仰じみた構造が彼らに自明の前提かのごとく内在されているからでしかない。こうして百田氏は「尊王の大義」で禅譲した慶喜も彼のもちあげている天皇家を身を挺して守ったにもかかわらず決して褒めはしないし、朝鮮王朝に対しても上記の様、西軍のあとがまである明治政府による侵略をさも朝鮮側のためだったかのよう嘯きながら肯定している。要するに彼らが東日本の人間だったり、朝鮮の人間だったりするために、関西人中心史観と相矛盾するので、自己神格化の神道教義もどきを脱しているこれらの非関西圏の歴史を全く認識のなかで、美事の文脈で再考できないのだ。
『幽囚録』での松陰侵略主義を背後にもつ山口県民主導の併合の名目での朝鮮侵略に関しても、もし過去の事実を正確に見極めていれば、三浦や伊藤といった長州閥の政治家らが、明治天皇と共に、謀略を含む武力行使で朝鮮王朝を彼らの支配下へ実質的に強制併合していった事実が明らかになる。それと同じ事を戊辰戦争で東日本・新潟・東北地方でも北海道でも、或いは軍事同盟関係にあった薩摩藩の島津家を通じて琉球でも、また士族反乱については福岡県でも山口県でも熊本県でも鹿児島県でも、彼ら長州閥ら西軍は公然とやってきているのだ。なぜ朝鮮だけ侵略ではないなどとうそをつけるのか。西軍は天皇家と共に小御所会議以後に慶喜ら平和外交主義の徳川宗家へぬれぎぬをきせ、以後は相手側がどうあれ、松陰が『幽囚録』でいうよう武力で植民地化のための単なる侵略を繰り返したのが史実である。こういった過去の事実を否定してしまう事は、単に三浦や伊藤、明治天皇らが現実には鷹派・強権政治屋だった現実を、韓国側あるいは国際社会からの侵略の非難を戦後、韓国・北朝鮮が独立した状態で恐れてか、覆い隠してしまう。
 こうして百田氏の小説史観のなかでは三浦、伊藤、明治天皇らは現代の価値づけに即し、幕末・明治当時の現実より穏やかな空想上の人格におきかえられてしまい、実際には当時の侵略戦争を物ともしない世相のなかで武士や中古代奈良の豪族末裔として攻撃的にふるまっていた人々の武門としての実態が、正確に把握できなくなってしまう。明治天皇がその様な西軍の侵略主義的な志士らに囲まれ、朝鮮皇后への一方的虐殺を含む朝鮮併合を日帝の全権保持者として朝鮮王朝側へ有無を言わさず実行していったのは唯の過去の事実である。過去の天皇家が戦後の天皇家の平和主義的な容貌とは全く違った、徳川家に代わり新たに東国武家の伝統的統領である将軍を兼ね武張った軍人の総指揮官たる姿だった完全な証拠も、そしてそれが誇りだった時代の人々の世界観をも、この百田氏のこの本は一時の平和主義の価値観のなかで意図的に隠し、無かったことにしてしまうだろう。
 彼がおそらく不都合と考えているのと違って、韓国は両班支配の続いた文官統制の国であった一方、日本は長らく武士が実の統治をする武官支配であったために、実際にあったというほかない両国の国柄や風紀の違いを峻別して記述する事は、寧ろ平将門が常総に現れて関西天皇家から自治権をとりかえして以来、武士の統治した国としての日本の国柄をなぜか貶めているというべきだ。関西人達のなかでは韓国側を不当に辱め、差別する目的で、史実のなかで併合にあたり日帝の山口県勢が強制力を働かせた部分を意図的に隠すことは、史実のなかの日韓の弁別にとっても、却って不都合だったのである。当の関西にとっても秀吉が侵略し耳塚まで作っているほど朝鮮人民へ被害をもたらした記録があり、文官支配の韓国側は日本を武士の国だと思っているので、この点で、理論的に過剰防衛するきらいがあるからである。要するに日本側が武を軽視しているとわかれば、そしてその様な尚武の気風を示す部分を、都合が悪いと百田氏が思って意図的に隠したり、気づかないふりをしたり、調べようとすらしなかったり、実際に調べてみつけても中途半端にごまかす判断を当該稗史のなかでしてしまうのは、歴史哲学としての善悪二元論を朝鮮併合にあたって「強制武力行使」は内政干渉ゆえ悪、もし韓国側の同意があったなれば善――そして実際には併合に同意していなかった朝鮮王朝はあの手この手で日帝から無理やり併合されたがゆえ日帝は悪、韓国は善――という単純構図にあてはめている韓国善玉史観(日帝悪玉史観)に、百田氏自身、図らずも乗ってしまっているからに他ならない。例えば一万円札の顔をしていた福沢諭吉は、『脱亜論』以来彼の校閲していた新聞紙面で、くりかえし朝鮮王朝側の固陋さを非難し、民族主義的に蔑視したり差別したりする言動を公にしていた。これは動かせない史実であり、その福沢は要するに欧米列強の脅威に囲まれる状況下で、まだ弱小国である日本側に、朝鮮王朝側へ近代化を急ぐ尚武の気風を啓蒙していたのである。そしりを招くほど弱腰に対応すれば同じく、アジア人への奴隷視や差別的な民族主義を一般的に持つ当時の列強がどんな手を使ってくるか分かったものではない、というのが『文明論之概略』でも偏頗心と読んで愛国主義が示される、福沢の現実認識だったのだ。もし開き直って、実際に長州閥が天皇家と共に実の武力で併合を強制したのだ、と動かぬ史実を暴露さえしてしまえば、日本の武士の国としての国柄を再び歴史のなかで浮かび上がらせる事にもなったろうし、それは被害者かつ文官統治が伝統な朝鮮側では野蛮だと非難されたであろうが、日本側の事実は事実なのだから隠す事は卑怯なばかりか、そもそも不可能としか言いようがない。文官による文民統制が明治政体では決してできていなかったという客観的反省と戦後政体の自己改革の為にも、あるいは敗戦衝撃から立ち直れないでいる戦後日本の士風の気つけにとっても結局は、この併合に関する真実をきちんと記述する事は、総じてよい結果をもたらしていたかもしれないのに、わが国武士の気風に逆らって弱腰な上に卑怯なのはこの百田氏自身のことなのである。
 もし過去に何らかの過ちを犯した事が分かればそれを公然と謝罪し二度とせぬと誓えば済む。孔子が「過ちて改めざる、これを過ちという」どおりの文脈は、過去の史実をごまかし続けて自分に有利・相手に不利となる嘘をつきつづける西日本人一般が天皇家と共に、最低でも記紀を書いた奈良時代から一貫して続けてきている大蛮行であり、それを陰険でろくでもない暴挙だと感じるばかりか、科学的思考力や良識のほどに疑念をもたれ、文明の名に値しない野蛮ぶりだと思うのは何も韓国・朝鮮人あるいは中国人達だけではない。日本史上ずっと同じ手口で、天皇家や関西人一般から卑劣で陰湿に嘘ばかりつかれ、陥れられ続けてきていることに気づくだけの知能と良心をもちあわせている東日本人の相当数はじめ、全人類がおおよそ、その様に関西人・西日本人達に軽蔑の眼差しを向けるにたるだけの、いわゆる関西中心主義、天皇中華思想こと神道の狂信や、京都中華思想(京都自文化中心主義)のすさまじく、また大いに最悪の癖なのである。

 過去の事実と誠実に向き合い、主観を排して単なる事実をそうでないものと見分けながら、歴史の真実によって真剣に反省するとともに、現代の価値観に照らしてよかった部分を維持促進し、悪かった部分を猛省して君子豹変、過ちは二度と繰り返さないようにする、との心構えこそが、真に歴史を学ぶ者がその哲学としてなさねばならない人としての義務なのである。これを温故知新という。歴史学の研究自体を目的にした『大日本史』の考証学による客観的で冷徹な歴史科学(前期水戸学)を前提に、わが国柄の伝統とみなした易姓革命の否定によって、天皇家のもとの諸大名統一政体こと国体を構想、その実践としてようやく世界史の表部隊に姿を現す、近代日本を作った水戸の歴史哲学(後期水戸学)は、総称し水戸学と呼ばれる。この学問体系が正に、その様な温故知新の模範を示す思想史・政治史実上の例である。
 既に水戸学派は江戸時代から明治時代、わが国に実在していた科学者・哲学者集団として、過去の例となっている。仮に現代に似た様な学者集団がいたとしても、水戸史学会による過去の水戸学の研究者と、今も水戸におわす徳川家自身でしかないだろう。したがって我々がなすべきは、水戸学やそれがもたらした影響を担い手にあたる学者と各藩主、志士らの生涯と共に、単なる過去の事実として、稚拙な善悪二元論の偏見を排して客観的に捉えつつ、新たに現代の価値づけから温故知新の対象とすることだ。歴史に学ぶという事は、史実の一部にある史学者らの思想形態(観念論)とその影響からも、反省的に未来に活かす部分をみいだす、という事でもある。

なぜ麻生太郎氏はナチス礼賛発言をしたか――史実に学ばぬ漫画的歴史観の例

 日帝末期の大政翼賛会一党支配(翼賛体制)と同じく一党寡頭主義だったナチス・ドイツについても、歴史に学ぼうとしない、或いはかじったとしても歪んだ善悪二元論の枠組みに何もかもをあてはめてしまいがちな漫画的主観史観を、和人一般がもっているとみなされる場面がよくあるだろう。
「ナチスを見習ったらどうかね」と自民党閥・旧薩摩閥の麻生太郎が発言したのは、決して彼のなかでは悪い冗談ではなかったはずだ。なぜなら彼は一党寡頭主義を信じているだろうからだ。そして麻生氏は恐らく、史実としてのホロコースト(ナチによるユダヤ人ら大量虐殺)の悲惨な現場について余りに無知なために、当該発言が帯びている政治的不正さを官人の立場から全く感じとることもなく、いわば罪深い無知さ無恥さで呑気に、ナチ模範視の言動を公にしたのに違いない。無論、自民党神道系議員で、大久保利通の子孫として薩摩閥末裔、なおかつ皇族の親戚にあたる麻生氏のなかでは、他の諸々の発言からおおよそ類推できるところでもあるが、薩長史観やそれを含む皇国史観が彼の中にあるといえる歴史哲学の規範だろうから――つまりは天皇家が世界の歴史の中心だとでも思っているのだろうから、その点からかえりみても、世論を操って問題がある憲法をも強制的に成立させてしまえ、との愚民扇動論は、大久保いわく「玉簾」の中の「玉体」だった天皇家を人前に引きずり出して専制君主づらをさせ*2、或いは伊藤いわく実態は自身ら寡頭政治家の駒として操っていた*3、薩長閥の本性を示しているというべき事例なのだ。

 薩長土肥京芸ら西軍は、岩倉具視の暗躍指揮下で、死亡時の侍医と僧侶の観察や宮内に出入りしていた岩倉の義理の妹の証言から何らかの手段での毒殺とする新資料*4が、おそらく言論の自由から戦後新たに発掘されおおやけになってきている孝明天皇の36歳での崩御後、岩倉の指図で捏造された錦旗と共に、勤皇の誉れ高い前将軍・徳川慶喜を突如として憎みはじめ、慶喜が父へ誠実に仕えてきた事実と正反対に彼を朝敵と辱める狂った専制君主に16歳の明治天皇・睦仁をしたてあげた。実態は岩倉と大久保利通・西郷隆盛らによる少数支配の恐怖主義政体を目指したこの小御所会議反乱を足掛かりに、まだ未成年の天皇は実態的に他人が決めたことに裁可をするだけの、いわば御輿の上のでくとして、西軍てづから東京へ連れてこられることになった。徳川家の政権、地位・財産と官僚機構を、朝敵のぬれぎぬで名誉と誇りごと暴力で無理やり乗っ取ろうとする西軍の、簒奪目的に邪悪な手段に訴える陰謀のもとで。結局は部下の後藤象二郎に説得され折れた山内容堂や、ほか松平春嶽、徳川慶勝らは小御所会議の場で、既にこの様な岩倉具視、大久保利通、島津茂久らの陰謀を、慶喜不在の小御所会議の場でみぬいておおやけに非難を加えていたのが当会議出席者らの日記や回顧録に一貫して出ている史実なのである(『丁卯日記』『岩倉公実記』『大久保利通日記』『浅野長勲自叙伝』『徳川慶喜公伝』等)。
 1898年、45歳になった睦仁は、61歳になっていた慶喜を皇居に呼ぶと、父や自身へ飽くまで忠義を示してくれた慶喜に、小御所会議以後のぬれぎぬの経緯について新たに最高の公爵位を与える事で、実質的に許しを請うたのである。慶喜が「浮き世の事は仕方ない」と発言し、過去を水に流した為に、睦仁は胸をなでおろした*5。
 この一連の幕末政変上の出来事は、おもに西軍から明治維新と呼ばれているが、実際には天皇を操り人形にした薩長土肥京芸の政治屋らが、尊王思想をもつ前将軍・慶喜から政権簒奪する為に起こした冤罪事件――尊王の家訓を飽くまで守った慶喜側からみれば主家にあたる天皇家への禅譲の事件だった*6。

 では現代に照らして、自民党・神道系議員らはこの様な不正な歴史を反省しているだろうか?
 無論、ここで不正といえるのは、誠意のある最有力者である徳川慶喜を、悪意を持つ岩倉具視、大久保利通らが、10代の明治天皇をいわば中心をみずから裏切るとち狂ったピエロに変装させ、公然と追い落とそうとした謀略にある。天皇家自身が小御所会議という御前会議を含め目前でおこなわれる、この様なあからさまな謀略になんら無抵抗だったばかりか、自分から陰謀の認可をしていた事も忘れてはならない。慶喜は2代目の義公以来、尊王を大義とする水戸の徳川家が産み落とした選良だったため、天皇を誤って討つより、あるいは一時の私的な義憤から関が原の戦の再現で、かつ外敵に囲まれた状態にある日本の国力を大幅に消耗させるより、殊に天皇保護の大事をとって進んで全面退却せざるをえなかった。現実の明治天皇は寧ろこの政治現場をことごとくみて多少ともあれ事情を知っていただろうし、45歳になってから、今では自身の居城となっていたもと相手の城へと慶喜を呼び、事実上、許しを請うている。すなわち悪意――事情通か、さもなければ徳川家とその傘下にあった各地民衆への害意が、確かにあったのだ。西軍はいうまでもなくただの政権簒奪の悪意で徳川家へのぬれぎぬや東日本・新潟・沖縄への侵略をおこなっているが、天皇家自身も証拠づけられてその共謀犯なのである。天皇家を民衆全体を思う慈父・慈母とみなす考え方が単なる誤りだという証拠が、単に各日本民族への差別用語を連発しながら一方的に侵略虐殺や、納税奴隷化目的の人権侵害をくりかえしてきた飛鳥時代あたりの天皇家のやくざな実態からだけでなく、今から153年前にあたる小御所会議1868年の時点でも、史実として、確かにあったのだ。要するにこの家は、民衆の模範でもなければ、象徴(『日本国憲法』)や国体(会沢安『新論』)でもなくて、中古代の関西にいて、もともと「高天原」と称するどこかから――時期をかんがみると弥生時代頃であるためおそらく中国大陸のどこかから列島へ移民してきた、単なるやくざな暴力団長の末裔なのだ。それが史実の明らかにしている天皇家の正体なのだから、竹田恒泰氏が言論の自由がある戦後もつねづねおこなっているようこの家柄をやたらと美化したり、神の末裔あつかいで神格化したりしては決してならない。なぜならその様な天皇家と自称するやくざな一族のぬれぎぬの悪事の為に、日本人は東日本では最低でも約8625人以上の罪なき人々が、自称天皇軍から直接ころされたからである(明田鉄男『幕末維新全殉難者年鑑』新人物往来社、1986年)。ふたたび民衆や政治家のいづれかの者に朝敵のぬれぎぬを着せて葬ったり、同様の悪行を天皇軍が国内でやらない、とは誰にも確約できない。なにしろこの一族は、具体的に戦乱を起こしている663年白村江の戦いから数えても朝敵云々とぬれぎぬしてのこの種の殺戮芸が、過去をみるかぎりここ1358年近くの現実の生業なのである。

 しかし西軍の末裔である安倍氏や麻生氏らは、却って明治政体を、天皇をでくにして政権簒奪クーデターを起こした西軍を美化する立場から礼賛し続けている。岩倉具視や大久保利通ら島津家臣団らからの慶喜へのぬれぎぬを見抜いた会津藩・桑名藩からの抗議と西軍によるその武力弾圧に始まった戊辰戦争や、やはりおおかれすくなかれ公益を無視して私利を図る西軍元勲勢の蛮行に嫌気がさしていたため彼らの地元でも起こされた士族反乱。あるいは当の元勲の最終指導者だった伊藤博文が度重なる武力を伴う強制で朝鮮王朝を亡ぼし乗っ取った際、朝鮮の愛国義士・安重根から暗殺された事実。明治政体はあきらかに、どの公平な観点からみても不正に簒奪された姿だった。当時の民衆や士族、外国人すら同時代でもそうと感じていたからこそ、明治政府の公然たる悪政とその正当化・美化に際し、島崎藤村が『夜明け前』で主人公に明治政府の嘘と欺き、ごまかしに満ちたご都合主義的な元勲寡頭政治を「御一新がこんな事でいいのか」と非難させた。同じく明治期に生きていて夏目漱石は『坊ちゃん』で江戸っ子の主人公から明治維新と呼ばれ西軍により美化される幕末政変全体を「瓦解」と呼ばせた。それどころかやはり明治期に岡倉天心は『茶の本』で、明治政府を戦争の術に耽る野蛮な政体と、英語で外国人へ向けて、しかも同様の侵略帝国主義に耽っていた欧米諸国を非難する知的戦術という立派な形で、早くも国際人道家として看破しているではないか。

 歴史的事実をそうでない虚構と誠実に見分けられない人々は、過去の過ちを反省はしえない。だから似た状況が巡ってきても、必然の層で失敗を避ける事ができない。
 安倍氏や麻生氏が政権の立場から、韓国やフィリピン、アメリカ、ドイツに設置される平和の少女像を、日帝軍が慰安婦を募集していた史実を非難するものだと、心苦しく思い、表現の自由を侵害してまでも芸術弾圧の挙に及ぶのは、彼らの狂信する薩長史観や皇国史観を――いいかえれば幕末元勲や薩長両藩、西軍と天皇家らの絶対正義論、道徳的無謬論を――科学的あるいは歴史的断罪という観点から、芸術批評的に再修正されてしまうからである。
 だが、安倍氏や麻生氏らの薩長無謬史観の過ちは今に始まった事ではない。くりかえすが最低でも、近くは幕末時点で、小御所会議の席上から始まった事なのだ。
 今から153年前、土佐藩主の山内容堂と福井藩主の松平春嶽らは、前将軍・慶喜ぬきに、単に西日本の有力政治関係者だけを集めて、厳戒態勢のもとで開いたその事実上の秘密会議の冒頭から、日本最有力の大名である慶喜へ政権簒奪目的にぬれぎぬを着せようとする岩倉具視や大原重徳ら公家・公卿一味や、薩摩藩ら大久保利通一味の陰険さをみぬき、公に非難を加えた*7。ところが岩倉は、岩倉側による明治政体成立後の記述では天皇の権威をもちだしてその場で論理をすりかえた。大久保が山内容堂らの正論に、慶喜へ地位・財産を天皇家の命令で放棄させる罠にかける事を提案した。結局、会議参加者の西日本と中部人らは、慶喜へぬれぎぬを着せて明治天皇の朝敵にしたてあげるあからさまな陰謀を、裏で手を組んだ西郷・大久保らと長州閥の武力討幕を目指す恐怖主義の準備のもとで、小御所会議の席上、明治天皇の許可をとって会議に参加した西日本・中部の皇族・公卿・公家・諸大名らへ強要した*8。こうして前将軍に冤罪をしながら彼の地位財産の強奪を狙って侵略暴走する恐怖主義西軍が形成され、以後、この恐怖集団は、明治寡頭政体になっていく。
 この明治寡頭政体を安倍氏や麻生氏は、彼らの故郷の偉人――侵略・国討ち被害を受けた側からみれば最たる侵入大量殺人犯の元凶――にあたる伊藤博文ら長州閥の政治家や、無政府・反天・侵略・恐怖主義の極左思想家・吉田松陰、あるいは薩摩閥の大久保利通自身へ遡って、英雄化している。すなわち、安倍氏と麻生氏は、西軍に属した明治元勲をことごとくといってもいいほど英雄化し続けてきている天皇家自身と同様に、全くこの小御所会議以後の悪意ある恐怖主義政治を反省していないのだ。日本史のボタンを完全無欠に掛け違えたといえるなら小御所会議の席で、前土佐藩主・山内容堂、越前藩主・松平春嶽、尾張藩主・徳川慶勝らが、徳川家を裏切ろうとした広島藩主・浅野茂勲とともに、熾仁親王、純仁親王、晃親王といった皇族、或いは中山忠能、三条実愛、中御門経之といった公家らを会議の席上飽くまで説得し、前将軍・慶喜へぬれぎぬを着せ自らが政権を簒奪しようとする岩倉具視と、彼と共謀する西郷隆盛・大久保利通およびその主君である薩摩藩主・島津茂久といった国討ち陰謀を持つ奸臣を国事から退けなかったことにあるのだ。この秘密会議につどった西日本で政府転覆の陰謀を持つ天皇家ならびに皇族・公卿・公家ら京都人、また鹿児島、広島、および結局はいいまかされてしまった高知や福井、愛知の各大名らとその部下らが、特に薩長土肥の過激恐怖主義者にかぎってのち「元勲」と呼ばれ、政府への裏切りの陰謀で国の支配者についてしまったことから、日帝が形成されたのがうごかしがたい史実である。いいかえれば、これら小御所会議に出席した西日本・中部の各大名、特に島津茂久氏と浅野長勲氏らは、盛んに抗弁していたのに最後に妥協してしまった山内容堂氏や松平春嶽氏、或いは消極的ながら徳川慶喜氏を擁護していた徳川慶勝氏を含め、元々、人としての公徳より、私利を第一に図ろうとする陰険な精神構造を持った不道徳な人間存在と称するほかない。天皇家一味こと皇族・公卿・公家らの救い様のない犯罪人格ぶりはいうまでもないだろう。自分が損得どちらに入るかで、単に誠意があるばかりか、国事にあたって尊い自己犠牲の精神すらもっている他人に罪を着せようとも、ただただ計算高く利己的に振舞おうとし、その後も彼らからなる西軍が作った明治政体は、国内外で延々と侵略暴走をくりかえし、結局は、反撃を試みた旧連合国軍(国連軍)による広島・長崎への原爆投下と共に、完全亡国へ向かう運びとなったのである。既に山内容堂氏が最初の訴えで「戦乱の兆し」(天下の乱階)をもたらすものだ、とこの小御所会議での慶喜氏への陰険な西日本勢による冤罪の悪業とその悪因悪果を、必然に見抜いていた事は、共通して証拠がとれる会議参加者らによる目撃された一次史料から確かなのだ(『丁卯日記』『岩倉公実記』『大久保利通日記』『浅野長勲自叙伝』、及びそれらを考察して再編してある『徳川慶喜公伝』)。だから芸州藩こと広島県が、浅野長勲氏とその侍らによって慶喜公への冤罪の謀略に進んで参加した歴史を持っていて、その後も、この重大政治犯罪を一切反省しないまま、松陰思想や征韓論以後の侵略主義を正義かのごとく信じている薩長両藩から成る西軍主力部隊、或いは、明治政体の翼賛勢力のままであった事実をかんがみれば、みずからの慶喜公への冤罪およびアジア・太平洋侵略罪に、必然の因果応報で、反撃がついにやってきた、と捉えうるのは、人間界の道義としてまことに自然な話なのである。なぜなら自分が永久に侵略加害者でありつづけられる、あるいは永久に罪なき他人へ冤罪を着せて虐殺しようとはかるすさまじいヤクザ行為がつづけられる、などとは妄言だからである。広島県は通例、原爆投下によってみずからが戦争被害者の立場であると考えている。だが実際には彼らが、彼らの支配者であった浅野氏一味による小御所会議での共謀以後、主体的に慶喜公への冤罪とアジア・太平洋侵略罪を犯し続けていた事が歴史的事実であるからには、彼らの西軍・明治政体こと日帝から不当に辱め続けられる侵略被害者側が反撃の機を伺い、ついに業でもって業に報いた、と考えられる世界史的因果が、西日本の各大都市から当日の気候ででたらめに選ばれ、特別に大きな空爆こと原爆による大規模空爆で市街地を大部分破壊された全面敗戦には、完全にみいだされる例なのである。
 驕れる者は久しからず、と『平家物語』にある。このことを、小御所会議以後に余りにつけあがりすぎている西日本は、天皇家もろとも、原爆というその最初の狼煙以後も、当然ながら歴史的因果応報があるとの覚悟を端然と決めるべきなのである。慶喜公は既にこの世におらず、その家も、もともと実家・水戸家の根拠地であった茨城県水戸市で平成の世に亡くなった。だとすれば今更小御所会議以後に彼へぬれぎぬをきせた西日本や中部の人々が、天皇家ともどれほど謝ったからといって、永久にゆるされなくなってしまったのである。そしてそうなったのは、西日本人一般が悪事に悪事を重ね、一切の誠意を欠いて、政権濫用でこの世に驕り続けていた自業自得なのである。

 戦後も彼ら西軍(自称官軍、自称皇軍)、のちの日帝軍を指揮していた元勲と天皇家の残党は国政にしがみつき、この国の前途を彼らの悪意ある闇政治でまったく真っ暗に閉ざしている。安倍氏と麻生氏は、天皇氏とともにその様な暗い時代を小御所会議での慶喜公へのぬれぎぬ以後、人道破壊や、勝てば官軍と称する暴力による恐怖主義政体で今もつくりつづけている。安倍氏による戦争法・共謀罪・秘密法、あるいは天皇家の国政権能の侵害で違憲が疑われる退位法などの数々の違憲立法、また、安倍氏自身のおこないや命令による公文書偽造罪、贈賄罪、偽証罪及びそれらの隠蔽と、それらの罪科逃れを含むあまたの最悪暴政も、又彼のもとでの麻生氏のナチス礼賛発言も、結局は、この西日本勢特有の蛮政好みの一部である。日本国が瓦解するなら、初めに西日本からはじまるに違いない。この時限爆弾は、自業自得の因果応報という、ひとがひととしてこの世にあるからには絶対に避けられず起爆するおそろしい道徳爆弾だ。しかもそれは、薩長土肥京芸(鹿児島、山口、佐賀・長崎、京都、広島)など、西軍の主力となって慶喜公へぬれぎぬを着せその家の名誉を辱めつつ、日本の最高権力に伴う威厳と威徳を奪い去ったいづれかの地域から、幕末以来の悪業の飽和として、必ずや起きることになるだろう。
 悪事は機が熟すまで腐敗が進み続けていく。だがその腐敗がとりかえしのつかないところまで進んだあとで、なにもかも手遅れになった姿をさらすことになるほかない。腐敗しているのは人の心。人は業から逃れられない。小御所会議以後に薩長土肥京芸はじめ西日本の一般的な人々が西軍礼賛でおこなってきた大悪業の数々は、彼らがでくとして担ぎ上げた当の天皇家の見るも無残な政教腐敗の状と共に世界史に露わにされ、永久に彼らの政道上の不正三昧の実態を文明界の一端と名乗るに値しない真実、夜郎自大であったものと証明するであろう。

―――

参考文献

*1

 100代までの天皇家の事績を正史こと紀伝体史書の形で網羅した徳川光圀(義公)『大日本史』。
 植民地化の脅威をうけ会盟を援用した日本幕末版「尊王攘夷」の初出で、外国思想だけでなく国内思想の神道を共に学ぶ事の重要さを説く徳川斉昭『弘道館記』。
 植民地化防止のため日本列島の令制国統一を祭政一致論により「国体」と定義した天皇のもと構想する会沢安『新論』など。

天祖在天、照臨下土、天孫盡誠敬於下、以報天祖。祭政維一。
――会沢安『新論』国体 上。1825年。

会沢安『新論』明治書院、昭和14年。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1101932?contentNo=10

 また、義公が「我が主君は天子なり、今将軍は我が宗室なり」という君臣の義。

 一 西山公、むかしより御老後迄、毎年正月元旦に、御直垂をめされ、早朝に京都の方御拝しあそばされ候、且又折ふし御はなしの序に、我が主君は天子也、今将軍は我が宗室(宗室とはしんるいかしらの事也)なり、あしく了簡仕、とりちがへ申ましきよし、御近親共に仰聞され候
――安積覚ほか著『桃源遺事 : 一名西山遺事』茨城県国民精神文化講習所、昭和10年、39ページ 
https://dl.ndl.go.jp/pid/1234664/1/33

 同様に義公が『古文孝経』を引いていう「君君足らずといえども、臣臣足らざるべからず(君主が君主にふさわしくなくとも、臣下は臣下にふさわしくあらねばならない)」 

 嗚呼汝哉。治国必依仁。禍始自閨門。慎勿乱五倫。朋友盡禮儀。儀且暮慮忠純。古謂君雖以不君。臣不可不臣。
――義公
徳川光圀・著、徳川綱條・編、『常山文集』巻十五、1724(享保9)年
https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/he16/he16_01438/index.html

https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he16/he16_01438/he16_01438_0009/he16_01438_0009_p0013.jpg

 それを受けて将軍となった徳川慶喜公が天皇の忠臣として、尊王の大義を守ったと証言するなど。

 それはあらたまってのおたずねながら、わたくしはなにかを見聞きしたわけではなくて、ただしつけを守ったに過ぎません。
 ご承知のよう、水戸は義公の時代から、尊王の大義に心をとめてまいりました。
 父も同じ志で、普段の教えも、われらは三家三卿の一つとして、おおやけのまつりごとを助けるべきなのはいうまでもないが、今後、朝廷と徳川本家との間でなにごとかが起きて、弓矢を引く事態になるかどうかもはかりがたい。そんな場合、われらはどんな状況にいたっても朝廷をたてまつって、朝廷に向け弓を引くことはあるべきですらない。これは義公以来、代々わが家に受け継がれてきた家訓、絶対に忘れてはいけない、万が一のためさとしておく、と教えられました。
 けれども、幼いときは深い分別もありませんでしたが、はたちになり、小石川の屋敷に参りましたとき、父が姿勢を正して、いまや時勢が変わり続けている、このゆくすえ、世の中がどうなりゆくかこころもとない、お前も成人になったんだから、よくよく父祖の家訓を忘れるでないぞ、と申されました。
 この言葉がいつも心に刻まれていましたので、ただそれに従ったまでです。
――徳川慶喜
渋沢栄一『徳川慶喜公伝』第4巻、第三十五章 逸事、父祖の遺訓遵守
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/953149
  原文:そは改まりての御尋ながら、余は何の見聞きたる事も候はず、唯庭訓を守りしに過ぎず、御承知の如く、水戸は義公以来尊王の大義に心を留めたれば、父なる人も同様の志にて、常々論さるるやう、我等は三家・三卿の一として、公儀を輔翼すべきはいふにも及ばざる事ながら、此後朝廷と本家との間に何事の起りて、弓矢に及ぶやうの儀あらんも計り難し、斯かる際に、我等にありては、如何なる仕儀に至らんとも、朝廷に対し奉りて弓引くことあるべくもあらず、こは義公以来の遺訓なれば、ゆめゆめ忘るること勿れ、萬一の為に諭し置くなりと教へられき、されど幼少の中には深き分別もなかりしが、齢二十に及びし時、小石川の邸に罷出でしに、父は容を改めて、今や時勢は変化常なし、此末如何に成り行くらん心ともなし、御身は丁年にも達したれば、よくよく父祖の遺訓を忘るべからずといはれき、此言常に心に銘したれば、唯それに従ひたるのみなり

引用部、参考文献:薗部等(茨城県立那珂高等学校教諭)「水戸藩改革の余光」1994(平成6)年12月4日・水戸学講座、『烈公の改革と幕末の水戸藩』1994(平成6)年度水戸学講座講録・所蔵、常盤神社社務所
http://komonsan.on.arena.ne.jp/htm/tokusyu21.htm
(アーカイブ:https://megalodon.jp/2021-0919-2109-16/komonsan.on.arena.ne.jp/htm/tokusyu21.htm)

*2 慶応4年(1868)1月17日 大久保利通『参与大久保利通遷都ノ議ヲ上ル』、太政官、明治1年1月25日、第六類 太政類典、太政類典・第一編・慶応三年~明治四年・第十三巻・制度・忌服・雑一
https://www.digital.archives.go.jp/item/1376926

https://www.digital.archives.go.jp/img/1376926

 ……主上ト申シ奉ルモノハ玉簾ノ中ニ在シ、人間ニカハラセ給フ様ニ、僅カニ限リアル公卿ノ外、拝シ奉ル事ノ出来ザル様ナル御有様ニテハ、民ノ父母タル天賦ノ御職掌ニ乗戻シタル訳ナレバ、此ノ根本道理適当ノ御職掌定マリテ、始メテ内国事務ノ法起ルベシ。……
 ……何トナレバ弊習ト云ヘルハ理ニ非ズ、勢ニアリ。勢ハ触視スル所ノ形跡ニ帰スベシ。今其形跡上ノ一二ヲ論ゼン。
 主上ノ在ス所ヲ雲上ト言ヒ、公卿方ヲ雲上人ト唱ヘ、龍顔ハ拝シ難キモノト思ヒ、玉体(玉體)ハ寸地モ踏ミ給ハザルモノト、余リニ推尊シ奉リテ、自ラ分外ニ尊大高貴ナル者ノ様ニ思召サレ、終ニ上下隔絶シテ、其ノ形、今日ノ弊習トナリシモノナリ。……
――大久保利通『参与大久保利通遷都ノ議ヲ上ル』

 
 

*3 伊藤博文による皇太子についての当該発言を直接聞いたエルヴィン・フォン・ベルツの『ベルツの日記』(トク・ベルツ編、岩波文庫)から。

明治33年5月9日
 一昨日、有栖川宮邸で東宮成婚に関して、またもや会議。その席上、伊藤の大胆な放言には自分も驚かされた。半ば有栖川宮の方を向いて、伊藤のいわく「皇太子に生れるのは、全く不運なことだ。生れるが早いか、到るところで礼式(エチケット)の鎖にしばられ、大きくなれば、側近者の吹く笛に踊らされねばならない」と。そういいいながら伊藤は、操り人形を糸で躍らせるような身振りをしてみせたのである。
――エルヴィン・フォン・ベルツ『ベルツの日記』

*4

 湛海の日記(引用者注・1867年12月18日から毎日加持に参内していた、天台宗・護浄院(一名清師荒神、京都府京都市上京区荒神口通 寺町)湛海権僧正の日記。昭和28年11月7日、護浄院を訪れた奈良本辰也とともにねずまさしが発見。)は十八日からはじまる。十八日の症状は相当に悪く、「御上り物御薬など御返し(嘔吐)……御吹出物御膿ぬるぬるあらせられ……御障子一ト間御切明け、それより竜顔を奉拝、御加持申上候」とある。また『孝明天皇紀』引用の『土山武宗日記』には「僧正は御末口から常御殿の庭に廻り、御祈とうをした」と報告されている。ところが十九日から前述のように(僧正は「法験あらわれ」と誇っているが)、天皇は食欲が出はじめ、翌日は「叡感斜めならず」(気分がよくなった)というので、彼は三十両を与えられた。それ以後は典医の公報同様に「順症」となって、快方へ進み、皇后(准后)らも安心した。そこで二十四日は加持も七日目で満願となり、一応打切った。しかし准后からはなお当分加持にくるよう依頼された。
 ところが二十五日朝、急に使者がきて参内するように命令され、僧正はいそいで参内した。
 典医の二十五日の報告によれば、二十四日の夜から嘔吐がはげしくなり、下痢もはじまり、二十五日の朝には嘔吐も少しへったけれども、「微煩の模様」があり、これは「今一段と御内伏の御余毒御発洩遊ばされかね候の御事と診奉候」とある。ところが『孝明天皇記』は、同日一昼夜および二十六日の症状はのせていない。
 この両日こそ、もっとも重大な容態であるから、医師の報告がなくてはならない。それを故意にのせないのは、前述の佐伯博士のいう通り、嵌口令が数十年後のここでも守られている証拠である。そこで『中山日記』(引用者注・『中山忠能日記』か)をみると、下痢と嘔吐がはげしく、食欲はなくなり、天運つき、側近の者は落涙した。そして午後十一時頃、ついに事きれた。
「玉体は、見上げるのも恐れいる程の有様で、当局は天皇の死をまだ極秘として発表していない」という慶子の手紙をのせ、二十八日の項には、慶子から極秘の文書が父の忠能のもとに送られ、それが引用されている。
 それによると、「二十四、五日頃は何の仰せもあらせられず、両三度大典侍大典侍と召され候へども、その折りに御側におられず、ただただと当惑するばかり致しおられ、二十五日後は御九穴より御脱血……」とあって、この二十五日の重態の時に、側近にはだれもいなかったことが報告されている。ただ祈とうによばれた僧正が祈とうを繰返した。その時彼が見た天皇の様子は「胸先へ御差込み容易ならぬ」もので、盛んに苦しんだ有様が語られている。

 ここで著者は中山慶子の手紙のうち、「御九穴より御脱血……」という部分に、傍点をつけた。毒殺に砒素を使うことは、中国や日本でも古くからおこなわれたようである。中国の明時代の小説『金瓶梅』の第五話をみると、「淫婦が武太郎に毒を盛ること」のなかに、武太郎の妻が、砒霜を胸痛薬といって、胸痛にくるしむ夫にのませ、殺す状景がかいてある。呑んだ武大は、「おいら息がつまるよ」と叫んだ。その「肺臓心臓は油で煎られ、肝臓はらわた火に焼け焦げる。胸は刺される氷の刃、腹はぐりぐり鋼の刀、からだ全体氷と冷えて、七つの穴から血は流れ出る。歯はがちがちとかみ合って、魂はおもむく横死城、喉はごろごろ干からびて、霊は落ちゆく望郷台、地獄にゃふえる服毒亡者」……「女が蒲団を持ち上げてみると、武大は歯を食いしばり、七つの穴から血が流れている」というように、むごたらしい砒霜の毒死の状況がかかれている(小野忍・千田九一訳、平凡社、昭和四十七年刊、上、五十八頁)。全く同じ死の状況である。
 医師もいろいろ手をつくしたが、どうにもならず、この上は加持以外にないというわけで、僧正は一層「丹誠をこめて」祈った。すると不思議にも痰がきれて、やや持直した。僧正は別室にさがって一休みしたが、再び招かれて、「玉体側まで相進んで」加持を加えたが、その最中に「御大事に及ぼされ、何とも申しあげようもなく」なったのである。とにかく『孝明天皇紀』にも当日の容態が発表されていない以上、この僧正の記録と『中山日記』とは、最も重要な史料といって差支えない。今後とも典医諸家の日記の調査に期待をもつ次第である。
――ねずまさし『天皇家の歴史(下)』第二十八章 孝明天皇の毒殺、一 典医の報告でも毒殺を暗示する(三一書房、1979年)

*5 

 三十一年皇居に参内して、天皇と会った。慶喜は天皇に「浮き世のことはしかたない」といったので、天皇は胸のつかえをおろしたという。
――千田稔『華族総覧』講談社現代新書、講談社、2009年

*6 

 明治34年の頃、筆者こと男爵・渋沢栄一が、おもいがけず、伊藤博文公爵と大磯から帰る汽車の中で、伊藤公は私へ語りはじめました。
     
 伊藤公いわく―
「渋沢さんはいつも徳川慶喜公を誉めたたえていらっしゃいますが、私は、心にはそうはいっても大名でも鏘々(そうそう)たる一人くらいに思っておりましたが、今にしてはじめて慶喜公が非凡の人と知りました」
     
 伊藤公は、なかなか人を信用し認めないかたなのに、いまそんな話をされるのは、なぜですか? と、さらにおして、たずねましたところ、
     
 伊藤公いわく――
 おとといの夜なんですが、有栖川宮家で、スペイン王族のかたを迎えて晩餐会がありまして、慶喜公も、わたし伊藤も客に招かれました。
 宴会が終わってお客さまがたが帰られたあとで、わたしは慶喜公へ、試しに「維新のはじめにあなたが尊王の大義を重んじられたのは、どんな動機から出たものだったんですか?」とたずねてみたところ、慶喜公は迷惑そうにこう答えられました。
     
慶喜公いわく――
「それはあらたまってのおたずねながら、わたくしはなにかを見聞きしたわけではなくて、ただしつけを守ったに過ぎません。
 ご承知のよう、水戸は義公の時代から、尊王の大義に心をとめてまいりました。
 父も同じ志で、普段の教えも、われらは三家三卿の一つとして、おおやけのまつりごとを助けるべきなのはいうまでもないが、今後、朝廷と徳川本家との間でなにごとかが起きて、弓矢を引く事態になるかどうかもはかりがたい。そんな場合、われらはどんな状況にいたっても朝廷をたてまつって、朝廷に向け弓を引くことはあるべきですらない。これは義公以来、代々わが家に受け継がれてきた家訓、絶対に忘れてはいけない、万が一のためさとしておく、と教えられました。
 けれども、幼いときは深い分別もありませんでしたが、はたちになり、小石川の屋敷に参りましたとき、父が姿勢を正して、いまや時勢が変わり続けている、このゆくすえ、世の中がどうなりゆくかこころもとない、お前も成人になったんだから、よくよく父祖の家訓を忘れるでないぞ、と申されました。
 この言葉がいつも心に刻まれていましたので、ただそれに従ったまでです」
     
 伊藤公いわく――
 いかにも奥ゆかしい答えではありませんか。慶喜公は果たして、並みの人ではありません、と。
     
 筆者・渋沢はのちに慶喜公にお目にかかったついでに、この伊藤公の言葉を挙げておたずねもうしあげたところ、慶喜公は「なるほど、そんなこともあったね」と、うなずかれていらっしゃいました。
――渋沢栄一『徳川慶喜公伝』第4巻、第三十五章 逸事、父祖の遺訓遵守
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/953149/290
  原文: 明治三十四年の頃にや、著者栄一大磯より帰る時、ふと伊藤公(博文)と汽車に同乗せることあり、公爵余に語りて、「足下は常によく慶喜公を称讃せるが、余は心に、さはいへど、大名中の鏘々たる者くらゐならんとのみ思ひ居たるに、今にして始めて其非几なるを知れり」といひき。伊藤公は容易に人に許さざる者なるに、今此言ありければ、「そは何故ぞ」と推して問へるに、「一昨夜有栖川宮にて、西班牙国の王族を饗応せられ、慶喜公も余も其相客に招かれたるが、客散じて後、余は公に向ひて、維新の初に公が尊王の大義を重んぜられしは、如何なる動機に出で給ひしかと問ひ試みたり、公は迷惑さうに答へけらく、そは改まりての御尋ながら、余は何の見聞きたる事も候はず、唯庭訓を守りしに過ぎず、御承知の如く、水戸は義公以来尊王の大義に心を留めたれば、父なる人も同様の志にて、常々論さるるやう、我等は三家・三卿の一として、公儀を輔翼すべきはいふにも及ばざる事ながら、此後朝廷と本家との間に何事の起りて、弓矢に及ぶやうの儀あらんも計り難し、斯かる際に、我等にありては、如何なる仕儀に至らんとも、朝廷に対し奉りて弓引くことあるべくもあらず、こは義公以来の遺訓なれば、ゆめゆめ忘るること勿れ、萬一の為に諭し置くなりと教へられき、されど幼少の中には深き分別もなかりしが、齢二十に及びし時、小石川の邸に罷出でしに、父は容を改めて、今や時勢は変化常なし、此末如何に成り行くらん心ともなし、御身は丁年にも達したれば、よくよく父祖の遺訓を忘るべからずといはれき、此言常に心に銘したれば、唯それに従ひたるのみなりと申されき、如何に奥ゆかしき答ならずや、公は果して常人にあらざりけり」といへり。余は後に公に謁したり序に、此伊藤公の言を挙げて問ひ申しゝに、「成程さる事もありしよ」とて頷かせ給ひぬ。

*7

 ……土老侯大声を発して、此度之変革一挙、陰険之所為多きのみならず、王政復古の初に当って凶器を弄する、甚不祥にして乱階を倡ふに似たり、二百余年天下太平を致せし盛業ある徳川氏を、一朝に厭棄して疎外に付し、幕府衆心之不平を誘ひ、又人材を挙る時に当って、斯の政令一途に出、王業復古之大策を建、政権を還し奉りたる如き大英断之内府公をして、此大議之席に加え給はさるは、其公議之意を失せり、速に参内を命せらるへし、畢竟如此暴挙企られし三四卿、何等之定見あって、幼主を擁して権柄を窃取せられるや抔と、したたかに中山殿を挫折し、諸卿を弁駁せられ、公も亦諄々として、王政之初に刑律を先にし、徳誼を後にせられ候事不可然、徳川氏数百年隆治輔賛之功業、今日之罪責を掩ふに足る事を弁論し給ひ、諸卿之説漸く屈せんとする時……
――
国書刊行会・編『史籍雑纂』第四、国書刊行会、1911-1912年、「丁卯日記」254頁。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1913007

 松平容堂声を励まして曰く「今日の挙、頗る陰険の所為多きのみならず、王政復古の初に当りて凶器を弄すること甚だ不詳にして、乱階を開くに似たり。抑元和偃武以来二百余年、海内をして太平の隆治を仰がしめしは徳川家にあらずや、然るを一朝故なく覇業を抛ち、政権を奉還したるは、政令一途に出でて、金甌無欠の国体を維持せんことを謀るものにして、其忠誠感ずるに堪へたり。且内府(慶喜)英明の名は既に天下に聞ゆ、宜しく之をして朝議に参預し意見を開陳せしむべし。畢竟此の如き暴挙を企てられし三四卿は幼主を擁し奉りて権柄を窃まんとするにあらざるか」と一座を睥睨して意気軒昂たり。
――
渋沢栄一・著『徳川慶喜公伝』竜門社、1918(大正7)年、第4巻、第二十九章 大坂城移徙、小御所会議、183頁
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/953149
 

 今日ノ挙頗ル陰険ニ渉ル諸藩人戎装シテ兵器ヲ擁シ以テ禁闕ヲ守衛ス不祥尤モ甚シ王政施行ノ首廟堂宜ク公平無私ノ心ヲ以テ百事ヲ措置スヘシ然ラサレハ則チ天下ノ衆心ヲ帰服セシメル能サラン元和偃武以来幾ント三百年ニ近シ海内ヲシテ太平ノ隆治ヲ仰カシムルモノハ徳川氏ナリ一朝故ナク其大功アル徳川氏ヲ疏斥スルハ何ソ其レ少恩ナルヤ今マ内府カ祖先ヨリ継承ノ覇業ヲ抛チ政権ヲ奉還セシハ政令一途ニ出テ以テ金甌無欠ノ国体ヲ永久ニ維持センコトヲ謀ルモノニシテ其忠誠ハ洵ニ感嘆スルニ堪エタリ且内府ガ英名ノ名ハ既ニ天下ニ聞ユ宜ク速ニ之ヲシテ朝議ニ参与シ以テ意見ヲ開陳セシムヘシ而ルニ二三ノ公卿ハ何等ノ意見ヲ懐キ此ノ如キ陰険ニ渉ルノ挙ヲナスヤ頗ル暁解スヘカラス恐ラクハ幼沖ノ天子ヲ擁シテ権柄ヲ竊取セント欲スルニ非サルカ誠ニ天下ノ乱階ヲ作ルモノナリ豊信気騰リ色驕ル傍若無人ノ状アリ
――
多田好問・編『岩倉公実記』下巻、小御所会議ノ事、158-159頁。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/781064/95

*8

 諸卿之説漸く屈せんとする時、大久保一蔵席を進んて申陳しは、幕府近年悖逆之重罪而已ならす、此度内府之処置におゐて其正姦を弁するに、強ち尾越土候之立説を信受へきにあらす、是を事実上に見るに如かす、先其官位を貶し其所領を収めん事を命して、一毫不平の声色なくんは、其真実を見るに足れは、速に参内を命し朝堂に立しめらるへし、もし之に反し一点扞拒の気色あらは、是譎詐なり、実に其官を貶し其地を削り、其罪責を天下に示すへしとの議論を発す、岩倉卿是に付尾して其説を慫慂し、正邪の分、空論を以弁析せんより、形迹の実を見て知るへしと論弁を極められ、二候亦正論を持して相決せす
――中根雪江『丁卯日記』
国書刊行会・編『史籍雑纂』苐四(国書刊行会、1911-1912年)『丁卯日記』254-255頁
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1913007/135

 具視退キ休憩室ニ入リ独リ心語ス。豊信(容堂)猶ホ固ク前議ヲ執リ動カザレバ吾レ霹靂ノ手ヲ以テ事ヲ一呼吸ノ間ニ決センノミ。乃チ非蔵人ニ命ジ茂勲ヲ喚バシム。茂勲至リ座ニ著ク。具視ニ謂テ曰ク予ハ卿ガ論ヲ以テ事理当然トス。今マ辻ニ命ジ後藤ヲ諷諭シテ卿ガ論ニ従ハシメンコトヲ図ル。後藤若シ之を肯ンゼザルトキハ予ハ飽クマデ容堂ト抗弁シテ已マザラントス。将曹已ニ五藩重臣ノ休憩室ニ入ル象次郎切ニ一蔵ヲ説キ豊信ノ議ニ従ハシメントス。一蔵敢テ聴カズ将曹乃チ象次郎ニ諷諭スルニ具視ノ論ニ対シ抗弁スルノ不利ナルコトヲ以テス。象次郎大ニ悟ル。是ニ於テ象次郎ハ慶永豊信ヲ見テ之ヲ説キ曰ク前刻主張セラルヽ尊議ハ恰モ内府公(慶喜)ガ詐謀ヲ懐カルヽヲ知リ之ヲ蔽ハント欲スル者ノ如キノ嫌アリ。願クハ之ヲ再思セラレンコトヲ。既ニシテ上再ヒ出御アラセラレ親王諸臣ヲ召シ会議ヲ継カサシメ給フ豊信心折レ敢テ復タ之ヲ争ハス朝議遂ニ決す蓋シ倶視ノ論旨ニ従フナリ熾仁親王進ンテ御前ニ候シ以テ宸断ヲ仰ク上之ヲ可シ給フ時已ニ三更ヲ過ク
――
多田好問・編『岩倉公実記』下巻、小御所会議ノ事、160-161頁
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/781064/95 

手島益雄・編『浅野長勲自叙伝』(平野書房、1937年)84-85頁では、会議に参加せず警備にあたっていた西郷が、休憩中に会議の趨勢を聴くと短刀を薩摩藩士に示し、「やむを得ない時はこれあるのみ」と発言したそうだ、と記される。岩倉が西郷のこの発言を聴いてから休憩室にもどり、「もし山内容堂が動かなければ『霹靂の手』(非常手段)を使って事を一呼吸の間に決めるのみ」と岩倉は内心思ったという。浅野の小御所会議についての記述は大部分が『岩倉公実記』の直接引用だが、岩倉が「霹靂の手」を使おうと考えた経緯については浅野の記述のみ、岩倉が西郷の短刀脅迫発言を聴いてのもの、となっている。

 此の日、西郷吉之助は、夜の会議には警戒諸軍の指揮の任に就いてゐて、議席には列しなかったが、同藩の者から会議の真情を聴き、更に驚く気色なく『已むを得ざる時は之れあるのみ』と剣を示したそうである。
 此の西郷吉之助の言を聴いた倶視退きて休憩室に入り、独り心語して曰く、『豊信猶ほ固く前議を執りて動かざれば吾れ霹靂の手を以て、事を一呼吸の間に決せんのみ』と。
――
手島益雄・編『浅野長勲自叙伝』(平野書房、1937年)84-85頁
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1223272

 一今夜五時於 小御所御評議越公容堂公大論公卿を挫き傍若無人之岩倉公堂々論破不堪感服
――『大久保利通日記』上巻 5巻、1867(慶応)3年12月。日本史籍協会、1927(昭和2)年、415頁。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1075737