2024年3月13日

哲学の実態

最近、口文一致体といった文章を試しているのだけども、これの特徴があって、普通の言文一致体に比べて冗長になり易い。様子がある。だから、これはこれで日本文学史の中でなんらかの進歩を意味するのは確かだけども、まだ文体の完成形ではないのだろうと思う。冗長性自体がわるいとはかぎらないのだが。というか、情報学だと重要な要素で、寧ろ冗長性が大きいほうが伝達ミスがへって、人々に好ましい影響を与えるだろう。

 皆はそうは思ってないだろうが自分は村上春樹のよいところは文体くらいしかないと感じている。というか、前からそう感じてきている。どのくらい前かというと、高校のころから。自分は高校のとき、義務教育がおわったのであとは自分で好きに生きようと思い、それも軽く書いてるがもっと深刻なレベルにそう思ったのだけども、とにかく、自分はそれで学校のカリキュラムとやらにあまりしたがう気がなく、自分で独学独習をはじめた。そのときかなりの部分を占めたのが、自分が当時磯原にあった はまや書店で適当に本を選んでいて、おそらくタイトルに直感で惹かれたのだろう春樹の『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』だった。全くゲーム界に親しみのないだろう春樹だけどもネーミングセンスが自分がそれまで大いに親しんでいたゲームの世界に似ていたのだろうと思う。実際に、『ドラゴンクエスト』シリーズのサブタイトルにつかえそうでもある。
 それから、自分はとにかく網羅的に春樹を読んで行ったが、それでも、はっきりいって中身には余り惹かれなかった。いまにしておもうと自分は大哲学者だか大芸術家だか両方だかそれの上のなにかになる最初のスタート期だった気がするので、あれほど勢いがある読書力なり質量なりであったのはなにかしら意味がある様におもわれる。自分以外がそうかはわからないが、普通より勉学に関心をもつ子供というのはその様子が序盤のころから普通の子供と違うのではないか。自分の場合は学校の授業中にも本を読んでいたわけで、今に至るきちんとしたわけがあった。行き帰りの電車の中でも本を読んでいたし家に帰ってきても食事以外は大体本を読んでおり、その様なくらしの仕方はもう当時から確立されていた。だから一般化できるかはわからないが親が勉強しなさい、と子供にいう家庭ってある様に思うが自分は一度もいわれたことがないのだけど、しかも学校が勉強の邪魔してくるから嫌いな理由の大きな一つと感じているほどの勉強意欲がありまくるので、はっきりいって勉強しなさいとか言っても無駄だと思う。する人はするがしない人はしない。向き不向きがあり、向いてない人に勉強なんて進めても全くといえるほど効果がない。そのひとにはきっと別の道がありそっちだったらなにかを頑張って学ぶのではないか。

 単純化してしまうと、普通の学校は集団教育の場合、その集団のIQ100くらいへ最適化してやってしまうので、そこから離れれば離れるほど、浮きこぼれか落ちこぼれになって、合わないという事になるわけだ。

 たとえば、ゆたぼんと呼ばれる人へ学校へ行かせようとする ろこからの伝言さんという人がXにいるのだけど、ゆたぼんなんて学校行っても自分で勉強するつもりなかったらやらないだろうし、やる気になったら行くだろうと思うし、現に行くつもりになった様に見えるわけです。子供の自主性をかなり中産階級的発想というか、小市民根性で、集団教育にぴったりあう様 誘導されたい様にみえますが、おもうに、彼が大学者になる可能性もゼロではないけどね。あなたがいうとおりならならないだろうけどさ。たとえば義公はなった側だった。彼が学問をやる気になったのも、自主的な意欲だったと。お兄ちゃんに代わって当主を継ぐことになってしまったのが、賢明な弟としては嫌だったので、拒絶しても親にききいれてもらえなかったので不良行為をして家の跡継ぎにふさわしくないと示威していたのだが、18歳のときだったか『史記』をたまたま読んでいて伯夷伝のゆずりあいの兄弟愛に感動し、彼も将来、兄の子に家督をゆずることにして、また自分もその様な偉大な気づきをもたらす本を書こうとして勉強をはじめ、『大日本史』を書き始めたわけです。冒頭にちゃんとそう書いてある。当人の書いた短い自伝『梅里先生碑文』でも同じ経緯の記述がある。そしてこの江戸時代前期からつづく正史執筆事業が明治時代まで我々の地域、今の茨城県北部、昔の常陸国水戸でおこなわれていました。その本で、対外公式の中央政府側から語られた皇国史観のもとに大日本帝国や日本国ができたのはこの時の研究成果によっている。義公の向学心のおきてきたところは、疾風怒濤の思春期として迷いのなかにあった当人が、古代の聖人らの知恵なり悌の美徳なりに啓蒙された感動だったわけだ。そしてそのうえに自分も、似た様な恩返しをしたいと考えたらしい。皇国史観がいつまでも使えるわけじゃないし、特に考古学や遺伝学、文化人類学、民俗学その他の発達で歴史観や人間観が変わり、すでに色々矛盾をきたしているから既に古い構造になっているとおもうが、各国がナショナリズムで張り合っていた時期に欧米の植民地侵略を受けなかったばかりかネーションステートとしてひとまとまりの国の体を素早く成したばかりか東アジア一帯から侵略者を跳ね返すこともできたのは、事実上、義公の哲学があったからだと言って過言ではなかろう。まぁ天皇一味が侵略犯と捉えれば幕末西軍諸共ろくなものではなかったが。

 そもそも勉学の意欲の時点でほかの人と違う人がいる。これはプラトンが『国事』(こと『ポリテイア』)で書いた事と関係がある。同様の趣旨で、哲学に向いていない青年にその教育をするのは却って有害という文脈がでてくるはずだ。自分も大体は似た様な感じを受けている。というかそれは青年に限らず、実際は向き不向きの問題で、大人だろうと年寄りだろうと似た様なことと思う。
 たとえばアスペルガー条件と呼ばれる自閉の脳の性質がある。特定の事には関心をもつが、幅広く関心をもつといった事には一般に向いていない脳だ。しかも、論理的な働きには向いている事があるが、感情的な働きについては必ずしもそうではなかったりする事もある。そういう脳のひとたちと自分も一定程度接したので、たしかに、そういう人々にいわゆる哲学はあまり向いていないという風に実感がある。こないだシュージ・ナカムラ氏という人を哲学部に入れたのだけど、哲学部とは僕が個人的に作っている集まりなのだが、ちょっと会話してみて彼には向いていないとわかったのもあるし、すぐ解散した。もうつくらないかもしれない。色々時間が無限に取られる感覚もあったし、そもそも彼は哲学の素人だった。それらも関係がある様な気がするが、まぁ自分がなぜかいきなり物凄く気分がわるくなりだしたので、夜中にそれで気持ち悪いーとひとりでお布団の中で言って動けなくなっていたので、なにか直感にやめておけといわれた様でした。プラトンの書いたソクラテスはそういう直感を天啓と捉え、ダイモーンのお告げなどと呼んでいたのではないか。脳の複雑な総合的機能が、直知ことヌースの形で、なにかを勝手に導き出す。その論理構造はよくわからないが、なにかの真理のこともある。簡単に哲学をやろうとする人には気をつけた方がいい。なんでかというと、哲学の森は余りに深く、その奥で迷わない筈がないからだ。しかもその最奥にいる側が、途中でどうせ一人で進まなきゃいけない様な所を、素人連れてこれるほど生易しいものではないのは最奥の方までこれた人ならしっているはずだ。事実上無理。連れてくること自体が。

 また、哲学という概念は多岐になってしまっていて、「知恵の友愛」なるもともとの意味だと、それぞれの枝分かれの端部が今では科学、知識、ラテン語サイエンティアから英語でサイエンス、こと単に「知る事」と呼んでいたりするけどもどれも哲学ともいいうるし実際言っていたし、途中過程の幹のところとか枝のところも哲学ともいいうる。だから比喩している様に各学問なるものを巨木にたとえると巨大な木全体が、あるいはそれら木々、それら林、それらの森の全体が哲学だ、という風に、彼に説明するのも殆ど無理そうだと考え、自分は諦めたのだろうと思うのだ。或る意味では、このこと、つまり学問の全体像を把握させること自体の説明はかなり難しい、なぜならひとことでそれをあらわす語彙が不足しているからだ。
 ただの哲学なる伝統的用語だけではなくて、総合哲学なり全体の哲学といった概念を新たに導入する必要があると思う。

 たまにラジオ講義シリーズでは出してるが「学術城のたとえ」というものを。その構造はこうだ。その城の門のところには門兵である数学や言語学がいる。下層には兵士がいて自然科学がいる。中層には使いの者である社会科学がいて、本棟と通路で通じている別棟には工学、医学、図書館情報学などが控えている。上層には貴族である人文科学がいる。そしてこれらの上に王座の間があり、そこに哲学が君臨している。
 このたとえでいうと哲学は総合哲学の役割をしていて、城の人々のまとめ役であり、また最終的に命令する側でもある。各部位はなぜその様な作業をしているか自覚がないことが殆どで、飽くまで各科学者らは職人的なものだ。哲学者あるいは総合哲学者なり全体哲学者がそうである様な建築家的なものではない。つまり彼ら各科学者はしいていえば部分哲学をしているにすぎないことになるだろう。
 この意味で、Xにいたナカムラ氏に自分はきちんと
「哲学を専攻するとあなたはいうが、哲学は専攻できる様なものではなく、しいてその様なものがあれば思想史の研究にすぎず、哲学自体ではない」
ということを過去の思想家らの発言録までわざわざひいて教えてあげたのだけども彼は何もわかってなさそうだった。その後も彼はプロフィールに「ギリシア哲学を専攻する」みたく書いているわけで、僕から一体何を言われてるのか理解できてないとみる。どうも語彙の混乱もありそうだから、フィロソフィアの語源から引いて思想史の中での言及箇所にもかなり教えてあげたのに、結局時間が無駄になったともいえる。こういうわけです。教えても学べない人というのがいる。なんというか認知の或る領域が欠けているとそもそも哲学的な認識がされない。だからさきにいったとおりなのだ。プラトンは色んな人々を教育していたはずだ。経験的にあったんではないか。総合哲学には総合的思考といったものが必要だが、その様な知能の特性を根源的に欠いているか苦手としている人がいるばあい、教えたって理解できないということになる。そしてそんな正直いって足手まといの人々の相手をしていると真の総合哲学をやっている時間がだれでもなくなってしまうのだ。教えるは学ぶの半ばなりとはいうが、限度というものがありそうな気もする。

 もともと向いていない事に大量の時間を費やす事が往々にして無益なのはいうまでもないわけだが、ナカムラ氏のばあいは当人がいうよう自閉も重なっており、要するに自己主義というその語の原義のとおり何でも自己本位に考えてしまいがちで他人の迷惑をかえりみない、それは意図しているというより脳の性質によっている、という性質がはっきりとある様にみられた。僕としてはちょっと絡まれて返答してた感じ自分の勉強時間がガンガン削られる様子がでてきたので本当は物凄く困っているのに、というのも彼は普通に高校倫理の履修範囲に入っている知識をしらないで雑談しかけてくるからなのだけど、それをいちいち教えてるなんて、院以上の質を毎日やってきている研究者からしたら時間がなくなるにちがいないわけで、「ちゃんとお金を払って職業教師に習ったらいいです、彼らはそのためのしごとなのです」といってあげたのだが、ナカムラ氏はそれへも「学校教員を信じてない」という趣旨の、的の外れた返答であった。いいたいことはわかるけども。僕が伝えたかったのは、思想史の基礎知識は常識の範囲なので、物の本や普通の大学教授が専門的に教えてもいるのだから僕にきいてもしょうがないということだ。要はナカムラ氏的な、分析的思考には向いているが総合的思考にはあまり、あるいはほとんど向いていないだろう人がプラトン学園ことアカデメイアにも元々いくらでもいたのではなかったか。だからこそ『国事』にわざわざソクラテスの口から語らせる形で、哲学に向いてない人に教えても却って有害だよ、という対話の断片を残したのではなかったか。実際その様な気がする。この部分を書くだけで僕の時間はどんどん削られて本来の哲学に進めなくなってしまうわけだ。

 できるひとはできるができないひとはできない。ただそれだけのことだが、できるひとが圧倒的にできる、という面がはっきりあるのが哲学、ことに総合哲学のしごとなのだとおもう。走り高跳びの選手みたいなものであり、元々できなかったら頑張ってもできる範囲にかぎりがある。その様な飛躍のなかでも、最大負荷の知的跳躍を過去の全科学をまとめた上にする必要があるのが総合哲学という領域だ。

 実際、プラトンやアリストテレス以後は、その種の高みがでてくることはなくて古代アテナイ以外のところへ総合哲学史の核は移って行ってしまった様に見える。そのことは同時につぎのことも示している。ある意味では総合哲学者は才能に依存していて、それが欠けているとそもそも傑出した次元では出現しえないのではないか。昔の日本の村だと、長老というのがいたはずだ。そのひとがいわば総合哲学者だった。総合判断力が最も優れた人物だったはずだ。深い経験則に基づいた、まだ学習不足な人々にはわからないなんらかの知恵がそこにはあったからだろう。いまの神経科学でいう結晶性知能というのが高い状態で晩年を過ごしている人々の中でも、ことさら最も優れた道徳的性質を帯びている人、しかも公知公徳の点で特にそうな人が群れの長になったのだろうとおもう。

 ここまでの話をまとめると、要するに哲学には才能があって、できる人は圧倒的にできるし、ますますできる様になっていくが、できない人は徹底的にできない。特に総合哲学のときその向きははっきりしてくる。だから才能がない人に総合哲学のやりかたを教えても、却って混乱したり、なにか変な風に捉えたりしがちで、カントが次の様言った様に或る意味では教育不可能というばかりでなく、現実に悪影響があるのかもしれない。

哲学は、それが歴史的認識(引用者注、≒思想史)でない限り決して学習できるものではない。哲学では理性に関する事柄について精々、知恵を友愛する様に深く考える(philosophieren)事が学べるだけである。
――イマニュエル・カント
『純粋理性批判』865
 孔子は次の様 言った。
墳せずんば啓せず、悱せずんば発せず。
――孔子
『論語』述而第七、八
この「啓発」の語源が意味しているのも、要はやる気がない人あるいは才能がない人に学問は向いていないということではないか。福沢諭吉も学生で学問に向いてなさそうなタイプには、さっさと商売をするよう勧めていたという記述を全集のどこかで読んだ。僕も一定程度似た事を感じる。色んな人達をみてての感想として。というか、特に愚かなタイプだと、最早、人文科学そのものを否定していたりする。理解できないからだろう。その意義のなかみが実利に適わない時点で、学問の価値がないとみているらしいのだ。理系馬鹿とか理系無知とかいうべき人達なのだけども、その様な考え方を実用主義の一種か、実利主義などとみることができるが、別にそういった理想論だけで全学問がなりたっているのではないことは、「実学」概念で日本の学問を大分ゆがめたともいえる福沢諭吉『学問のすすめ』でもきちんと説かれているだろう。
学問とは、ただむずかしき字を知り、解し難き古文を読み、和歌を楽しみ、詩を作るなど、世上に実のなき文学を言うにあらず。これらの文学もおのずから人の心を悦ばしめずいぶん調法なるものなれども、古来、世間の儒者・和学者などの申すよう、さまであがめ貴むべきものにあらず。古来、漢学者に世帯持ちの上手なる者も少なく、和歌をよくして商売に巧者なる町人もまれなり。これがため心ある町人・百姓は、その子の学問に出精するを見て、やがて身代を持ち崩すならんとて親心に心配する者あり。無理ならぬことなり。畢竟その学問の実に遠くして日用の間に合わぬ証拠なり。
 されば今、かかる実なき学問はまず次にし、もっぱら勤むべきは人間普通日用に近き実学なり。譬えば、いろは四十七文字を習い、手紙の文言、帳合いの仕方、算盤の稽古、天秤の取扱い等を心得、なおまた進んで学ぶべき箇条ははなはだ多し。地理学とは日本国中はもちろん世界万国の風土道案内なり。究理学とは天地万物の性質を見て、その働きを知る学問なり。歴史とは年代記のくわしきものにて万国古今の有様を詮索する書物なり。経済学とは一身一家の世帯より天下の世帯を説きたるものなり。修身学とは身の行ないを修め、人に交わり、この世を渡るべき天然の道理を述べたるものなり。
――福沢諭吉
『学問のすすめ』初編

この箇所で言われている文学は福沢のなかでは明治の時代では後回しにして、といわれているだけで、それというのも、当時は日本が相対的に欧米より貧しく、とりあえず軍事的被侵略の危険ばかりがあったので、会沢安『新論』の文脈でいう、富国強兵を急いで進める必要があったからだ。でも、被侵略の可能性がへったときにもまだ無用だとは彼は言っていない。自分は史学を虚構をふくむ文学から分離するため社会科学にいれるべきだとかんがえているが、文学も福沢がいう修身学こと倫理学とおなじく人文科学の一部だ。
 衣食足りて礼節を知るという様に、心を扱う人文科学は、結局、上層の学問とさきほど自分が言った様に、重要な貴族的分野です。しかも学習順序の問題がここで出てくるが、アリストテレスは(『形而上学』こと)『後自然学』によれば倫理学を第一哲学という呼び方で最も先にやるべきと考えていた様子だし。くわしくは彼の開いたリュケイオン学園11代学長のアンドロニコスがのちヘレニズム時代にアリストテレスの文の整理をおこなって、タイトルのない文を自然学の後に置いたからたまたま後自然学あるいは自然学の後の学と名づけただけで、アリストテレス自身は『後自然学』でかたるようそれを最初に置かれるべきものと考えていたのだ。つまり、全学問で最初にやるべきで最も重要なのが倫理学だと彼はかんがえていた。
 今日の目で一般化すると、アリストテレスがいいたかったのは「目的」の学、つまり目的論というのがより正確で、倫理哲学の上に目的論がある、と彼はみていた、とみていいだろう。アリストテレスの『後自然学』は当人がかなり混乱した様な言い方で、端的にまとまっていない。あとでアンドロニコスがまとめたからもあるかもしれないが、もとが講義草稿にすぎないようで、もともとアリストテレス側は文の上では他人の読み直し前提に手短にまとめる意図がなかったのかもしれない。しかし、私が仮にまとめなおしてみると上記の事だ。要は目的論を語るつもりでそれが善でもある、といっているのです。
 こういう感じで、後世の方が学問用語って一般にふえる向きにあるだろうから、便利な言葉が生まれてきて、ひとことで説明できる範囲ってもしかしたらふえるのかもしれない。そういうことで、目的論は最も抽象性、抽出性の高い総合哲学の議論になる様に思うが、それを突き詰めていくと、アリストテレスは『後自然学』の中ではじめは存在の根源を問うという言い方でタレス的な考えに引っ張られているが、やがては善の考えとすりかえはじめて、いわゆる最高善、最善のものとはなにか、という『ニコマコス倫理学』での議論につながっていく。その基礎づけ思索の箇所が入っているのが『後自然学』と思う。

 僕がここでいいたいのは、最善さについて考察できる、ということは、しかも総合哲学の結果としてそうできるということは、諸知識はなるだけ多ければ多いほどよく、その幅も広ければ広いほどいいので、最も知能への負荷が高いのだとみる。だからこそ、生まれつき勉強大好き人間がずーっと、物凄く長い時間学習を続け、しかもそれが一生の期間にわたっているさなかに、或る見解に辿り着くといったしろものでなければならないはずで、普通の知能の人では到底かなわないのではないか。

 たとえば自分はブログって色々読んできたのだが、しっきー というニンテンドーのゲームのファンだったらしくそれなりのゲーム分析をしていたから自分は結構というか全部読んではいた人とか、やっぱり途中で別の人になっていってしまって、哲学者として大成とかはしないだろう。
 またこちらもまえブログ全部読んだが哲学系ユーチューバーと称する北畑純也も似た様な感じとはいわないまでも、はじめは当人なりに考えているような様子もすこしはあったのだけど、関西圏の反政府チューバーみたいな感じでただの政治家なり右派なりへの日々の悪口チューバーになっていった。あまりくわしくはないが大阪のテレビでは人気があったらしい やしきたかじん のネット版だろうか。
 あるいは自分はかれのブログも全部よんだが、みずから高等遊民と名乗って、覆面で哲学をかたって写真家の糸崎きみお氏にソクラテス解釈で誤った知識で馬乗りしていた某チューバーの人。彼は思想史にかかわる修士号らしいものを、そのXでのやりとりのとき僕がみていたら周囲に大層自慢していたが――自分は納富信留氏の講義できいたが実際にソクラテスが最初の哲学者とする考えも国際かつ伝統的にまえからある様子なのだが、高等遊民と称するその人は単なるアリストテレス『後自然学』の記述による「タレス」が最初の哲学者と殆ど断定する様に言って憚らず、糸崎氏のソクラテスが最初の哲学者とする解釈を一概に知識不足かのよう否定していた。糸崎氏がしていたプラトン解釈によるソクラテス貴族精神を引用しての匿名卑怯者批判へ、その論理を高等遊民と称する人は言論弾圧対策とすりかえ、年上の糸崎氏を不敬にも学位に驕ってかなり小馬鹿にしながらXブロックして、逃げたみたいだった。教えてほしいなら金払えとかいって。間違った浅学な知識でもわざわざ年上に教えるつもりなのだろうか。ユーチューブの動画などでみると、こちらもどうも関西の、山背市こと旧京都市あたりに根城があるというか、知己がいるひとみたいだった。おおかたそのあたりの私大かなんかをでて何かを勘違いし、スノッブごっこをしていればそれが哲学とでもおもっているのかもしれない。ある意味では平安時代から相変わらずでお話にならない。それは『徒然草』で吉田兼好が書いた信濃の前司行長こと藤原行長と推定されているひとが当時の山背政界で実務と乖離した虚勢と感じただろう様な、ただの年頭月尾をあげつらう教養俗物仕草にすぎないからだ。結局その後の様子でも、高等遊民と称する彼は、自分がみていたら再就職前提に顔をださず金儲けしたいだけみたいだった。また彼のばあい動画は結局は、古典的で有名な思想史の紹介チューバーにすぎなかったみたいだった。つまり、糸崎氏がいう「哲学的内容の批判、真理の探究とは実践と一致したものでなければならず、それはプラトンの書いたソクラテスがいうよう善の理想に一致しているはずだ」、という知行合一の指摘へもともと真摯にこたえるつもりがないのだ。しかも思想家ともいいがたい。目的なり志なり仕事なりがある水準からはるかに劣っているか、もともと実態のないものだからだ。高等遊民と称する人側は思想史上は当人の考えといったものは殆ど見受けられないのでその思想家としての文脈ではほぼ完全に無あるいは雑魚と言えば雑魚だが、哲学的あるいは対話術的に、動画で自分の思想をアート哲学と称し語っている糸崎氏側の動機には、ユーチューバーとしての偽思想家もどき、しいていえば思想史紹介者への人気にねたみもあったかもしれないとはいえ、在野哲学者としてまともな指摘をしていたともいえるので、高等遊民側は論理をすりかえたり中途半端に誤った知識にもとづいた虚栄心に耽っての見下しがてらの侮辱罪をきちんと糸崎氏へ謝るべきだ。彼は絶対にそうしないだろうし、彼の人間性の低さからいって、絶対にそうできないだろうとはおもうが。そもそも表面上、最近厳罰化された法律でそうさせたとしても、思いやりなり他者理解力なりの大幅な欠如や生まれ持っての攻撃性からきた性悪自体はまず治らない。
 呆れたし気分悪くなるから、特にあと2名のその後はあんまみてないけど。下品すぎるとおもう。
 彼らは金儲け作業あるいはビジネスこと忙事におちいって、総合哲学自体をするつもりはあまりないらしい。だから哲学者の偽物ということなのだろう。タレスの投資伝説から何か学ぶ事はないんだろうか。むかしそういう詩を解く忙事に耽るひとたちはソフィスト、日本語に直訳すると知恵者といっていたのだろうとおもう。今となっては皮肉な意味だが。

 さらに上の世代だと、賠償金踏み倒しで亡命しているただの悪漢とも考えられるひろゆきとかがそこに該当する。長期推移を弁えると茂木健一郎以下の東大閥、に該当者が多い気がする。具体名をあげると、東浩紀、三浦瑠麗、落合陽一、古市憲寿、成田悠輔、斎藤幸平らだろう。端的にいえばメディア知識人といった分類の人々だが、総合的な判断力の高さとか、道徳性で特に名を知られているのではないわけだ。むしろ炎上商法とか、話題作りの派手なふるまいとか、御用学者しぐさとか、ソフィストと言いうる様な詭弁術で言動が満ちみちている。彼らの個別の思想内容への批評はラジオ講義でたまにやってるけども、斎藤がそのなかでも最近のひとかもしれないが、環境問題をいいわけにした新マルクス主義者にすぎない。彼については特にラジオ講義で一回分つかってくわしく論駁してみたが(2024年2月4日『斎藤幸平批判及び現金の需給合理性に基づく基礎所得擁護論』鈴木雄介第三講義)、搾取の理論は現時点の資本主義あるいは主要経済学説でとうに否定されているとおもう。2024年1月19日の『等価交換説』というのをその為にわざわざブログにも書くしかなくなった。一種の僕の憂国の情による斎藤幸平批判なんだろう。大衆媒体での有名さと、哲学的能力の実態は今の日本でも、明らかに乖離しているとおもう。

 他方Xなどにあふれている普通の人というか常人、凡人も、日々のくらしでなんとなしには考えているかもしれないし、それはそれである種の哲学が含まれているかも知れない。文学が扱っている範囲にはそういった民俗学なり民話、民衆の中にある素朴哲学といったものも沢山含まれていると思う。しかももしかしたら、老子式の反逆哲学でいくと、系統的な思想史をすっ飛ばし、経験で生きていた、また経験で広く世間を知った人の結果としての悟りのなかに、真の知恵が含まれているかもしれない。だから舐めてかかったり見下したりすべきでもないと思う。『論語』の最初のほうで、いきなりその趣旨が出てくるのはその為でもあるのだとおもう。

子夏曰「賢賢易色、事父母能竭其力、事君能致其身、與朋友交言而有信。雖曰未學、吾必謂之學矣。」
――『論語』学而第一、七

子夏しかがいつた。――
「美人を慕う代りに賢者を慕い、父母に仕えて力のあらんかぎりを尽し、君に仕えて一身の安危を省みず、朋友と交つて片言隻句も信義にたがうことがないならば、かりにその人が世間に謂ゆる無学の人であつても、私は断乎としてその人を学者と呼ぶに躊躇しないであろう。」
――下村湖人『現代訳論語』学而第一、七
次回に続く。