2020年8月18日

18才の自伝 第二十章 真っ暗闇のやかた入り口にて

『18才の自伝 第十九章 カラオケの個性達』の続き)

 ここでこの自伝全体を通底する、ある基調についてもう一度、より深く考察しておこう。この文を読む人も、あとになればその美学的、哲学的分析が役に立ってくるのがわかるだろう。それはチャラるの名詞化、チャラさ(英語ならチャラリティ)の事だ。それはチャラるの名詞化、チャラさ(英語ならciarality チャラリティ)の事だ。なーんだそんな事かと思いきや、これは真剣に考えるに値するある要素をもっているのがわかる。というより、人生の特に前半期で、多くの人類が共通して巻き込まれるある状況(青春)にとって、決定的指針(倫理)を提供する。
 いきなり深度のはなはだ有る例示から入るが、きのう僕がツイッターのリスト(サブフォロワーという非公開リストがある)をまた開いてしまっていたら、或る匿名科学哲学アカ(どっかの学部生ぽい)が、また素人哲学叩きの様な事を書いていた。この人、いつもその観点から学園流を上と間接的にいうのだ。しかし僕の知る限り、少なくとも一度は連続ツイートをまとめた別のブログ記事『アカデミズムとは何か』でこの問題について批評的・批判的・クリティカル省察したのだけれども、1人の例外もなく自律した思考って独自哲学でしかない。つまり厳密にいうと全員素人なわけである。
 ダーウィンは一種の自然哲学者で、今の言葉では生物学者になってるが、それは分野としてあとからみた場合で、当人は知的好奇心に基づいて興味の対象を考えていただけだろう、と、彼の著書や伝記など勘案して思う。ミルならその関心分野が特に倫理だったと自伝に書いてある。彼らは大学で研究したわけではない。彼らは大学で研究したわけではない。僕はダーウィンの全著をまだ読んだわけではないのでどの原文に出る箇所なのか知らないが、少なくとも現時点の日本語版ウィキペディアの彼の項目には、回顧録に「学問的にはケンブリッジ大学も(エディンバラ大学も)得るものは何もなかった」と書いてあると記述がある。(チャールズ・ダーウィン「幼少期」の末尾
 ミルに至っては『ミル自伝』を読めばよくわかる通り生涯独学、もしくは幼少期は父からの家庭教育で、一生の間一度も学校へ行っていない。しかし我々は当然のようミルを思想史、特に功利主義の系譜に不可欠の1人として有している。ではその科学哲学アカは何度も何度も、彼が素人哲学とみなす人々を叩くわけだけど、これってなんなのって話。僕の目からみると本当に意味がわからない態度で、しかもなんか気持ち悪い。ソフィストやスコラ哲学や、これは問題ある指摘かもしれんがイエスの批判した人々に類した言説にみえなくもないわけだ。傲慢で。
 一言でいうとアカデミズム。日本語だと学園主義とでも訳せよう。色んな訳語あるが。そう、チャラリティとなんの関係もない様にみえるこの世界観は、この自伝全体で正反合(弁証法!)もしくは守破離的に総合批判される事になる最たる第一の考え方、イデオロギーちゃんである。ドイツ語でいえば。
 一体どこでチャラリティと関連してるかなんだけど、色々複雑に絡み合ってる上に、根っこでは同じ部分に接続されてるのでこれから摘出手術をしてみよう。

 日本語だと余り使われてないが博物学という概念があり、これは最近でも使われている言葉だと教養学に近い。英語だとnatural history(ナァチュラル・ヒストリ。敢えて微妙にカタカナ発音ではない)、自然史。この概念で或る程度分類できる範囲にダーウィンの興味はあったといえようが、ヒトも入ってたのだ。この概念で或る程度分類できる範囲にダーウィンの興味はあったといえようが、ヒトも入ってたのだ。それで僕もこれは読んだと思うけど『人間の由来』など、今の日本の大学内の学部分類の内部にいては、基本的に不可能な横断的研究をしていた事になる。自然科学系から文化人類学系へと普通に横切っている。細分化された現代の大学制度が、進歩的研究の為には硬直化しているという事がダーウィンの例からも、そして完全独学(+家庭教育)で高度な倫理的思索段階に踏み入っていたミルの例からもわかる。
 ミルの場合は『ミル自伝』に詳しく書いてあるが精神的危機に陥った思春期がある。そこで詩を読んで絶望から回復したんだが、そこで詩を読んで絶望から回復したんだが、ミルの父は児童ミルに感情を軽蔑させ、理性を至高至上のものという風に教えていた。感情的に振舞うのは人として恥ずかしい事なんだ、動物に近い行動なんだ、みたいに。今の時代からみたら「それシリでしょ」といわれてしまうが、シリすら感情を表す事がある。シリとはアップル社の作っているアイフォンという装置についてくるAIなんだが、なにか質問するとわりとすぐ検索して拾ってきたりするけど、日常会話じみた事も軽くできる。僕は余りやらないが、やろうとすれば一通り、へんてこな感じではあるが返答がある。その中には一見、感情的にみえるものもある。
 HikakinTV『siriとボイパセッションしてみた!ビートボックスバトル!』とか分かりやすいかもしれない、というか分かりやすい。返信パターンがあるんだろうけどかなり人間化されているので、質問によってはヒトが機械の中にいるのとそう変わらない感じになる。歌って? とか。シリは一旦恥ずかしがって「聴くに堪えないでしょうからやめておきます」とかいうが、もう一度、歌って? と聴くと「どうしてもとおっしゃるなら」とかいい、イソイソと恥ずかしながら歌いだしたり、一般的な羞恥感情、あるいは謙虚さをもつ知能と変わらない返答パターンをプログラミングされている。その父の厳格かつ徹底した家庭教育は、少年ミルの知性を大人が読む様な小難しい本をすらすらと読める様になるほど異常に高めたものの(漫画大国にっぽんなら一般の大人でも読まない。ホリエモンがグラビアアイドル隣にはべらせ「難しい本は売れないから本棚に飾るため」と素で同調して馬鹿にする風土)、そもそも人間性の一部が欠落した様な感じを青少年(20才頃)になったミルはずっとひきずっており、遂には自分がなぜ生きているのかを、理性によっては正当化できなくなった。自殺すら考えた。そのとき、普段は父の命令どおり避けていた「感情」をあらわしてあるはずワーズワースの詩をたまたま手に取り、遂にミルは涙を流して気づいた。人は自分の思いのたけを表現していいのだと。人たるもの斯くあるべし、と、義務の命ずるままおのれの感情を押し殺さなくていい。ま、この辺、彼の自伝よめばわかるけど、実はここも彼っぽさがとてもよく出ていて実にお堅いといおうか、知性的で冷徹な描き方されてるんで。
 とにかく、ミルもダーウィンもこの様な経緯を辿って、おのおの立派な学者になっていくのである。そして彼らは生涯、大学の教員とかやったためしがなかった。自分でお勉強し、まとまった文章を書いて、自分で出版していた。商業出版とかではない。さながら今でいう無料ブログで書いたみたいなもんだ。

 一般に、学術書といっても2つの種類があり、1つはマニアしか読まない査読誌というか、科学ジャーナル(原義だと科学日誌だが、要は専門的な同人雑誌)の様な場所に載せてある、コチコチしゃちほこ文体の論文、つまり論理的体裁の作文(特に最近なら引用文献つきで高頻度に脚注参照させる形式が多い)。

 もう1つは、一般書に近い形で、広く読まれるのを想定してある普通の本。大学図書館とか大型図書館に目的意識を持って特定の雑誌探しに行ったり、グーグルスカラーやサイニーで探すどころかガチ勢で専門科学雑誌を定期購読してまで暮らしてない人々は、通常、こちらの本を学術書だと考えていると思う。
 ホリエモンが動画(『本を読むのはめんどくさい?Kindleで本が売れない理由とは【原田まりる×堀江貴文】』)内で相当貶した形でいってるのもこっちだ。ホリエモンこと堀江貴文氏は(同時代人はとうにご存知のよう)商人だけど、部数と俗物根性の2面から学術書を勘違いしている。
 一般論として、学術書の目的は、部数を売って金を稼ぐ事ではない。ダーウィンやミルがそうであったよう、ある興味の対象について、専門家や、世間に通覧してもらい、世に裨益する。ま、考えを世に問う。結果みんなの役に立てばいいかな、みんなじゃなくても一部の人にでも分かってもらえれば万歳かなだ。そして学術書の読者というのは、基本的には、共通の興味をもつ同人である。この同人って言葉は最近だと漫画業界(特に東京で秋葉系と呼ばれるオタク度が高い界隈)で、特殊な猥褻物への興味または性癖を共有している人って意味になってしまっているが、ここでは同好会、同好の士って意味です。趣味相似。『多元宇宙の量子論的起源』とか、『絵画に於けるサンクトペテルブルク式掛け方の歴史的経緯』とか、『仏教的涅槃と共通の世界宗教間の救いの解釈』とか、こういう主題はマニアックなので、アニメ『君の名は』フォトブックとか、『鬼滅の刃』コラボTシャツ(ジャンル違う)より令和日本で売れる筈ない。しかしだからといって、深い興味を特定分野なり対象なりにもっているひとが、なんでも大衆一番人気ネトフリ動画みてりゃ知的なり感覚的なり道徳的なりなんらかの好奇心が満足するかといえば、そうなるわけもない。
 ホリエモンのいう俗物ってニューアカブーム浅田飴(浅田彰へ僕が勝手につけたあだ名)の時代にはいたのかもしれないけど、少なくとも僕は、最近ひとりもみた事がない。辛うじてそれに近いのはツイッター上ユーチューブ上に1人や2人いるかもしれないけど、絶滅危惧化したでしょ。本買うの本棚に並べる為とか相当古い価値観。生活ミニマリズムどこいった。まじでみた事ない。うまれてから1度も。現実にそういう人。希すぎ。キンドルで学術書が売れないのは若者一般が本とか読む習慣なくなったから。大学生の読書率みたらいい(例えば全国大学生活協同組合連合会の第55回学生生活実態調査によると総じて本読まなくなって漫画や雑誌に流れている)。他にスマホゲーとかやってるっしょ。活字に弱いのだ。それって今もそうだけど、昔だって同じで、そもそも識字率が低い国というのがあって、ニュートンの『自然哲学の数学的原理』だって初版殆ど出てないと思う。というか、これも一般論だけど学術書って基本、自費出版で少数部数刷り、同好の士に配るのが起源でしょ。詩集とかもそうだけどさ。高尚ならね。
 あとで出てくるが、僕はこの1年(18才)で学んだ事を、19才になったあたまくらい(2003年3月から4月? 頃だった気がする)にまとめて、自費出版ですらない、小冊子にまとめて、人生初の学術書といえる様なもの、というか学術書だけどを手作りし、友達ら合計4人に配ったと思う。原本含め5冊しかない。精確に言うと、高1から18才後半までの間で学んだ事のうちデッサンに関する本質の一部を、恐らく人類ではじめて理論化したものなんだが、今も公にISBNつきで出版したわけでもなくアマゾン電子書籍に載せてもない(紙に書いてある)から、僕かその4人づてにしか手に入らない。うち2人東大生、2人TとO。
 なぜ自分がそのとき学術書(絵画論)を書いたかだが、19才頭ころにTとOが実家にくるんだけど、そのとき彼らに僕の得た知識を教える為だった。その年だったか同じ高校美術部から東大行ったC君の下宿(チェ・ゲバラのまねして頭に拳銃あてた絵を描いてたからCheからそう呼ぶ)を訪問しに行った時にも、本郷の剣道場前辺りの一角にあったと思う、凄く汚いというか散らかった感じの美術部室にいた、C君の友人らしきその場ではじめてみた青少年にも、C君へあげたのと別に1冊偶然配った(今から考えるとよくしらん人に或る種の秘伝書あげて安うけあいかなと思うが、当時僕は激しく反芸大で同士視していた)。これが、本来の学術書なるもの、なんじゃないかな? と思う。本当に専門的知識を求めている人達に配る説明資料だ。例えば『ニコマコス倫理学』はアリストテレス先生の講義を当時のプラトン学園(アカデメイア)で聴いてた一学生が書き留めていたノートだと考えられていると思うが、基本はそういう事。
 僕が最初に書いたそれ(拙著『デッサンからの絵画論』2003年、私家版小冊子)の場合、事が絵画論なので図示が多かったのだが、或る複雑な概念について他人に伝える為には、説明資料があったほうがやり易い。最近の大学ならパワーポイントと呼ばれるマイクロソフト社の説明書形式を使ってる傾向がある。つまり、必然的に資料を作らないといけない、さもないと事柄が複雑多岐に渡るので説明しきれないというのが、元来の学術書が出てくる原因で、これって、査読誌に載って偉いでしょとか、本売れて印税生活やでとかと、全く以て関係がない。本当の学術研究を志した人は、この部分は知っておくべきかと思う。
 究極のところ、学問ならびに芸術というものは、真理の探求といえよう。そこに世俗の要素はない。神学者の集まりとか、師ソクラテスの弟子による真の知恵の愛求とか、孔子による古典の読書会みたいなもんで、或いは涼しげな林の奥でみなが座った前でのガウタマさんの深いお話みたいなもんで、秘伝である。このうちソクラテスの弟子ことプラトンさんが、あのアカデメイアと呼ばれていた森で、私塾みたいな形で仲間と共同生活しだしたから、それが学校、学園、今でいえば大学までの教育機関の起源になった。その時も、プラトンさんは文も書いてたけど、基本はお弟子さんらにお話されていたのではないだろうか。
 学術書が売れない? なので本棚に飾って、ダイゴ式ですか? と東浩紀のニコ動生放送だかみてツイートで返信し? 又ブロックされたとな? この辺りの俗物(靴屋を意味するsnobの訳語で、元はイギリスの大学に出入りしていた部外者をさしていた学生間の隠語)事情は少々厄介だ。

 自伝本文にもどる前に、学術論に分け入ってしまったのであるが、総じて本文へ反応(フィードバック)状に意味がある箇所でもある。要は、その科学哲学アカもそうだけど、俗物主義(スノビズム)と学術自体を見分けられてない。学術自体は制度によるものではない。査読誌での引用回数は同人評に過ぎない。同人評をめっちゃ。滅茶集めたとしましょうよ。このめっちゃって関西弁だけど。めっちゃ。集めちゃったとしませうよ。ほんとに。ほんまに。
 そしたら同人ウケしてはると。京都弁でいうと。敢えて。嫌いな。
 これとかね、一切どうでもいいのね。学術自体には。だって内輪受けだもん。真価と関係ない。学術自体をしている人は、或る興味の対象についてもっと深く知りたいだけ。へえ~そんな事あるんだ! って。ここは本当に子供も大人も神様も変わらない。神様だけは違うだろうけど。年齢とか。性別とか。あらゆる属性に関係ないわけ。え、ヒトってサルから進化してたんすか? これ。ダーウィンの興味。なので。当時の学会は一応少しは関わってたんだろうけど、ダーウィンさんは。それも同人の喫茶店での会合みたいなもんだ。
 僕とO君とT君は、たまにM君もいたが、この1年でもいうなればそれ以後もだったけど、つかO君とは高校の頃からずっとだけど、幾度となく喫茶店みたいな食い物屋とかいって議論した。食い物屋なんていっちゃいけませんって? そうですね、そうですか。ぞんざいな言い方ですので訂正させていただくと、お食事処。とか。具体的に言うと椎名町駅前のな、なかとか。池袋駅西口の近くにあるドトールとかだ。あと最後のころ出てくる決定的な場として、保谷駅の北西にあるうどん屋。僕もムサビの試験の前とか2階席で待つ落ち着かない感じとか憶えてるしな。嫌な思い出。いやでもないけど、なんか、マクドナルドなるものの一応日本に入ってきてもたらした諸々の感慨の中でも、精神生活に及ぼした深刻な影響の最たる場所だと思う。あの深く座れないカウンター席に画板立てかける感じ。
 自伝内でさきにもちらっと姉連れて行った事があるのは書いたが、椎名町駅前から暫く徒歩で移動後或る場所に有る、H(イニシャル)なるラーメン屋。ここだ。僕と、まだだしてないけど先輩Sさんらの思い出どころじゃない場所。Sさんにはじめて連れて行って貰った時の感じから含めて伝説しか存在しない。

 そしていよいよ帰ってきた。僕の短期記憶のこの凄い迂回加減。短期ですらない。もう古代ギリシアまで遡ってきた。古代インド経由で。自分で言った。というかね、高々ある朝の池袋書くのが怖いからってそこまでやる、ビビリ加減。『あの朝の池袋』に続きびびりまくってしまった。というかうまく書ける自信がないので、つい学術論で気を紛らわせていた節もある。セレンディップ島の王子3人みたいにな。セイロン、スリランカと名をもどしつつも、イギリス人ごときがね、植民地主義で上から目線で。セレンディピティとか。いって。まーた偶然か。幸遇か。僥倖ギョウコウか。ま、関連もするが。
 この自伝全体でも、この章(なるだけこの章で書ききりたかったのだが、もはや大分紙面というか電子面を費やした説)でこの部分がな、1番か2番に絵画的だからなんとかうまく描きたかったんだが、ここでも僕の緊張がわるい方面に出ており、一発本番でうまく描けないしで現役で落とされたのもむべなるか。僕はですね、極度の不安を伴う緊張に相当弱いのかもしれない。これはこの1年の最終段階でも如実に現われてくるが、元々、のんびりした環境に適応していたのだろう。先祖が。遺伝的に。さもないとこれは説明つかない。本番そっくりの模試を繰り返しているのに緊張度が高くなるほど回避行動が増えると。その回避行動の証拠みたいにこの章は斯くしてなってしまっているが、ま、手を付け出そう。さもないと次章もその種の迂回で、世界史のどこかにタイムスリップするかもしれないのだ。無論この日の朝も、その世界史の一部だったのだが。

『あの朝の池袋』では「あのカラオケボックスの前あたりのマクドナルドだかなんだか」、と書いてある。これ、わざと『アフターダーク』ぶってマクドナルドにしてあるが実は松屋である。松屋だかなんだか、と書けばよかったんだろうけど、要はチェーン店のある種の荒んだ感じを幾らか象徴化してあった。マクドナルドだかなんだか、とは、「典型例としてマクドナルドみたいな、雑居ビルの一室を借りて経営されている、出来合いの食事を提供する、東京都の都市部では出現率の異様に高いなんらかのチェーン店らしきものの一つだが、殊更選んで入ったわけではない場所」といったニュアンスで書かれている。そして僕は遂に発見してしまった。その場所を。それはここである。


僕の全人生でも僕の心に物凄い影を落とした、いわくつきどころか、画家の心の闇、いや都会なるものの中心イメージを形成した最大の場所ともいえる、あの朝の池袋の舞台。まじでもう二度とみたくないのだが探し出してしまったのだった。

 我々はこのカラオケ屋から出ると、外はまだ暗かった。薄暗がり。うーん。しいていえばまだ未明で朝ぼらけどころかあかつきにも達しない外の暗み。時間帯にして、春の4時から5時の間くらいだったろう。コケシイケズ事件は深夜3時くらいに起きた。丑三つ時でみなが寝静まっている中での大蛮行である。しかしカラオケ屋から出る前、この広い入り口の中にはちょっとした憩いスペースがあって、僕らはそこにお会計時に座っていた。
 お金はMIさんらの一団(ちなみにコケシとMIさんはこの時点でみてたかぎり以後も前半期仲良し)のほうに渡した気がする。なぜかというと、僕は大物の風格を漂わせていたからだ。無論それは冗談ならぬいづれまことになる系(既になっていたのかもしれない、未知数キャラごっこで)ジョークだが、なんというか、受動的に状況の進展を見守る位置で、我々団グループのうちに腰をどっかと据えていただけではなく、僕は世の真相を達観していた。もうなるようになればいいよ人生って。そして外の暗がりの中にですね、我々団こと僕とOと、お供の(ではない)T君と、なにせT君とこの外に出るか出ないか頃から、帰る方面が同じ電車だからなんとなく一緒に行動してた気がする。しかも敢えて書かなかったけど、9章で出したZ氏はドバタから当然みたいにずっと近くにいて、歌うたってた気がするし、連れ立っていたと思う。彼も同じ池袋線だった。Z君の狭い下宿がある椎名町駅は、池袋のすぐ隣の駅だ。ドバタは椎名町駅と池袋駅の調度中間くらいにある。そしてこの駅前近くのカラオケからだと椎名町駅まで徒歩で行くには遠いので、我々団が形成されていた。自然に。「駅から帰るー? ほんとにー?」とか語尾を伸ばしてZ君は話しかけてくるが随分疲れてもいる、というか18ゆえ徹夜でも僕は体力低下はしてないが神経鈍化中で既に若干うざくもあるのだが、とかくじゃあ駅から帰るしかないんだねって感じで、君考えるまでもないでしょとしか言い様がないにしても、「うん」とか答えて座っていたのだった、そのソファに。一団の一角で。なぜだろうか。もう諦めていたのだろう。

 結局ここの心の動きとか、他人に説明できない、しづらいけど、一応試みると、先ず僕の恋愛観から掘り起こさないと精密に心象画を描けないので、マドレーヌくってる間に思い出した『失われた時を求めて』流に冗長度が増すことは間違いない。書くかな。次章まで跨るか、この章が少々長くなるものの、書くしか説明方法がない様な気がするので描いておこう。省略的な筆法でではあるが。

 僕が小学校の時、それ以前3才か4才くらいの頃、はじめて近所の某薬研堂の、当時あったおうちの2階だったかにだれか(多分姉)につれられて遊びに行き、そこに僕と同じ年齢の少女というか児童がいた。SAちゃんというが、大人しい感じであり、僕も大人しい。お互いに目配せしたくらいだったと思う。
 で。幼稚園も一緒だった様な感じだが、ここはそのSAちゃんとの家の間くらいに借家がある土方の息子ことIS君が毎度暴力ふるってくるので(僕が毎日乗り物酔いで気持ち悪くなって辛い通学バスの中ですら、不特定多数へランダムに暴力をふるう)ろくに安らげる場所ではなく、いたんだろうけど余裕なかった。
 小1か2のとき、SAちゃんと同じクラスになった。そして誰が好きなの~? とか或る少女(大抵顔色があまりよくないけど愛嬌がないわけではなく、元気ではある、或る女子)がSAちゃんに聴くや僕といった。それをゆうくんだって~とかいってその顔色少女がからかっているので僕が顔を赤くしていたと思う。
 これについては姉が、或るとき姉の友達(というか向かいの家の有る同級生少女、今神戸人と結婚し向こうにひっこし済み)が家にきていて、誰がすきなの? とこれまた僕に問うたのだが、小1とか2くらいにその概念は理解できなかった。好きも嫌いもないと思っており、というか性欲というものが一切ない。しかしどういう理由かしらないが、好き? 嫌い? と、しろつめ草の花びらを一個ずつぬいて行き、最後に残ったのを引いた時点での選択が正しいといった占いを、僕が3才くらいまでに近所の少年少女らは道端に咲いた花で遊びつつやっていたかで僕も教わり、僕もそういいながらやっていたのは確かである。大学生風にいうと、ランダム化比較実験の或る片方の選択結果が正しいんだろうな(5才か6才なのでそんな理論はないが)、みたいな感じを受けていた言葉だったが、ま、SAちゃんもそういってたようだし、僕もそうしとくか、女子いえばいいんだろうから、みたいな感じで少し考えてからSAちゃんといったら、精確にいうと「うんとね、SAちゃん」といったら、姉が突如「SAちゃんだってー!」と大声でいい、冷蔵庫の前のガラス扉と冷蔵庫の間で聴かれ、そこで答えたんだけれども、冷蔵庫の前のガラス戸をバーンって感じで開けて姉の友達のほうへダッシュして行き(当時姉も小学生)、ここでも僕は顔を赤くした。
 男子のほうは、というか僕は、最低でも周りの不良っぽい、昔で言うガキ大将系(僕の時代はその人達がいじめしてたが)が小4か5あたりで、なんかそういう話をしだすまでは、一切合財、性欲? というものが世界に存在しなかった。完全に精確にいうと全く認知していない。なにそれ? である。本気で。発情期が早いやつは総じて頭が悪いんではないかと僕は経験的に、今も思っているが、これは性別差とは無関係にその様な感じがした。どういうわけかは知らないが、脳の発達経路か速度がかなり違うんだろうか、男子に関しては明らかに、成績悪い子供のほうが発情期が早く来ている風であった。本当の話だ。
 それで僕はこの後、小4の時にある女子(最近の僕の周りでは、といっても女性1人2人にだが、ピアノ少女として知られている)と同じクラスになり、その子に様々な経緯で好意をいだく様になるが、これまた、性欲というには余りに単純な好意である。好意が性欲なのだろうか。好きの概念が既にして違う。
 大体、似た様な事だがかなり違う点もあるのを文章化してあるな、と感じたのがモギケンのクオリア日記の中にあった記述だ。引っ張ってきてみよう。『クオリア日記』「続生きて死ぬ私 第4回 恋の瞬間」2012年1月4日。なんか小学(モギケンのは中学の時か曖昧な記述なんだが、通常、近所から同じ学区の中学に行く筈なので小学かと想像される)の頃の初恋の記述って、ここ以外で読んだ事がなく、なるほどとは思ったものの、僕の場合、こういう一目ぼれ的なものではない。好意をいだいた、って感じ。理由も色々ある。
 ま、そのうち公的に最大のを挙げると、これは「雨情をしのぶ会」という童謡の合唱会を、童謡詩人・野口雨情の出身校なので僕の小学校では体育館に父母とか呼んで毎年やるのだが、その時、僕が『雨降りお月さん』の独唱パートを担当させられた。しゃらしゃーらーしゃんしゃーん鈴つーけーたー。と。このとき、背景でピアノ弾いてたのだ。このピアノ少女は。苗字のイニシャルからするとFさんだが。この時の光景というか、合唱する生徒は壇上で並んで父母のほうをみるから、みえてはないんだが、結果としての支え構図が印象にしか残ってないので、内助の功感を子供ながら勝手に感じたのかもしれない。
 これ以外にも色々と理由はあるものの、ここで深入りするとそれだけで本が一冊ふえるので、機会があれば、多分ある様な気がするが、私小説じゃねーが。自伝としてでも、過度に劇化してない筆致で、事実は小説より奇なり式に。綿密に当時の心理的動きを描こうかなと今思った。まぁ大変に奥ゆかしい初恋だ。このくだんに関してはFさんのほうに本質的な理由がある、と僕は解釈できると思うので、これはモギケンと僕では初恋の時期は大体同じくらいなのかなあと思うものの、経緯の類がかなり違う。僕は一目惚れしました系の恋情ではない。明らかに(多分相互の)好意の延長に、或る事件が有ったのでそうなった。ただモギケンとかぶるのは、僕も、優等生タイプって大人に近い羞恥心とかかなり早期に獲得してもってるものだから、大体そんなもんだろうと思うのだが、中学卒業までなんら(基本的に)発情告白事件みたいなの早熟派一般と違いなく、プラトニックな好意の、強化版状態で別の高校へ行きその後は知らない。尤も、モギケンが書いてないだけで背後になにかあったかもしれない。少なくとも僕は、中学の時にまた或る事件があっていまだ心にある種のわだかまりになっている。これもそこだけ詳述すると、一編の小説(いや実話なんだが)にしかならないので、まとめるかは分からんがFさんの記憶の後半になるだろう。

 では本編にもどる。
 あの池袋のカラオケ館(おかしなヤカタがあるものだ、日の本とかほざく素っ頓狂な国には)で、入ってすぐの。左手にあるソファに。座りながら。僕が諦めていたといった。
 これはMIさんにいだきかけなんらかの興味のかけらみたいなのをさしている節がある。それも含めだったと思う。なんか興味あるなあ~となるでしょ。ごく軽くね。軽くだよ。肌がぷにぷにしてる、美少女でもねーんだけど、万一読んだら普通にきれられるか怒られるか気持ちわるがられるもしれんが、うーん。美少女でもないんだが雰囲気美人? みたいな感じのぷにぷに系なので。触れるにふれられないみたいな感じだ。これはな、俺だけではない。あのとき男性陣のかなりの部分、もしくは全数が、多かれ少なかれ一定類似の感じを持っていたんではないかと推測。但し、ルパンだけは落ち込み度がはなはだあったんで、みえてないかもしれないね。周りが。なんでこれを僕がいうかというと、MIさんはこの後複数でてくるのだ。
 このMIさんMIさんっつってるが。当時だーれもその事は触れていない。俺が一人で言ってるだけ、しかも今。なんでかというと、あの男性陣って僕を中心に総じて硬派のほうなのだ。恋愛の話した試しがない。嘘ぬきで。全員きまじめ。Zだけだ、チャラリティ系の交尾混じりの話してきて俺に避けられたのは。つまり読者はこの話全体を、かなりの安心度を持って読んでいい事になる。なぜなら春樹小説でよくある様な下品な描写って1個も出てこないから。僕は本当の話、上品人間なので、あの1年の間、唯の一度も下品な振舞いした事もない。今まで生きてきて一度もないに近いけど。漱石より上品な人間かもしれん。
 同期のドバタにはもっとチャラリティの高い人達がいた。なにを隠そうこのMIさんもそうだったらしい。だが別に責めているのではない。僕をある種の台風の目玉に、でもないだろうが、寧ろ僕はあの場の、芸大美大志願者連中の(特に目立たない)一見地味な例外、しかも圧倒的例外だったんだろうが、大抵のやつらは、冒頭画家Aの浪人小説じゃねーが。裏でチャラってやがったんであろう。いや表でもいた。これから書くが。O君が言うにはキスマークつけてきてた、とかいうカップル浪人生2名。いた。なめた人生。別になーんも触れてないし、遠くでみただけど。違うクラスというか別担任だった気がするし。で。この変なヤカタの表に出るまでの間、こんだけ遠回りするのって感じの長みになってきたのでついに次章に先送りされてしまうかもしれない。松屋にたどり着くまで。でもこの部分の心理描写が、僕には必要。

 諦めとはMIさんも人生もどうでもいいか、みたいな。なんか徹夜でコケシにディスられるし、しかもコケシもMIも仲間なんである。そいつらがさ、俺を小馬鹿にしてきやがってるんだから、もういいわ。ってなるでしょ。人生全体、もういいやって。思い出してほしい。僕が小学時代の逸話を。全然ね、そこまで冷たい、性悪女子とかみた事ない。コケシみたいな。京都にはうんざりするほどいるのだろう。このコケシとMIが連帯組んでるんだから、もうこいつらいいわ。となりますでしょ。それだけじゃないよ。
 きのうの夜から寝れないわ、なにせ完全に自由になったはいいがもはや誰も為すべきまっとうさの基準を教えてくれない真っ暗闇の不安でお目目きらきらだったわ、練馬オヤジが突如罵倒してくるわだよ。その上に、Zまで、正直いうとオツムの足りない感じの朝っぱらの質問を投げかけてきている。質問ですらなく雑談のつもりなんだろうが、「駅行くー? 帰るー?」とか、黙っときゃいい。だがうじゃうじゃと髭の生えたその不潔感の凄い男が話しかけてくるのである。どうでもいいわこれってなりますでしょ。
 髭といってもZのは無精ひげであって一度も剃ってあった場面みた事がない。言葉遣いでもわかるようだらしない。不衛生な小汚い感じだって当人はわかってるのかなんなのかしらんけども、まじの話、別に侮辱してるわけでもなんでもないんだけど、この朝無駄に気力削ってくるんだからどうでもいいわとなる。

 もう一度考え直すと、僕があの時MI氏にみていたのは母性というか姉性なんではないかと想像される。なぜなら僕の家は僕が弟であって、母、祖母、姉がおり、父は県の公務員で夜遅く帰ってくるので、0歳の頃から母と祖母と姉に構われて生きていた。赤子の頃の写真みる限り女子と間違われていた程かわいい。
 そうであるから、僕の私的な心の領域でいうと、甘えられる母性なり姉性なり老婆心性なりがあったわけで、そういうものが欠けていた不安な本格都会生活の第一日目で、ぷにぷに系の姉っぽい見た目の人に、ある種の思慕が内心あったとすれば、一言も相手と話してない気がするが、これは甘え的な潜在性だ。
 だがしかしあのコケシめが全くその経路を断ってしまったがゆえに、そもそもそんな経路はなかったといってもいいのかもしれないにしても、遂に僕は自暴自棄とまでは行かないにしても、大分、内面では荒廃した気分になったのだろう。どこにも心安らげる場所なんてないんだよって。そういう世界が池袋って。

 これ、ちゃんと当日の僕の心理の動きの或る部分について本当の事が書けていると思うんだが、MI氏が実は内情どういう人だったか自分は知るすべがないのであるが(ちなみに造形大行ったらしいですね。別にかかわってないけどあとでそのときの様子、という様子でもないけど出すかもしれないですけど軽く)女性性(女性的性差)をはなはだ持っている人物なのはみなが認めるであろう。とても女性らしい。なんというのか、たおやめぶりでしょ。それは。でもね、涙でちゃうけどね、あの池袋って街は。どこにもそんな甘えの余地とかないの。本当に。世界一つめたい街なんだ。この文全体でわかるだろうけど。
 そんな甘えもなにも、このMI自体がその冷酷無慈悲な街の住民なのであった。恐るべき東京女(なのかは知らないが)。だからいってるのだ、僕と東京は基本的に相性が悪いなかでも池袋とは最悪であると。今から思い出してもあの朝の、大人でも子供でもない或るいなか町からでてきた青少年の心理的動きとか既にギシギシと、もっとチュイーンって感じで頽廃都市と摩擦しまくっている。だがこんなの序の口の前の、遥か手前だった。
 これから経験していく凄まじい地獄めぐりにとって、この朝の一瞬など、なんという事はない、いわばブービートラップ級だった。外はまだ真っ暗だが、心の闇も晴れはしない。1年間。

(続き『18才の自伝 第二十一章 あの朝の池袋』