(『18才の自伝 第二十章 真っ暗闇の館(やかた)入り口にて』の続き)
前章は全体でも1番か2番目に怖い箇所書こうとして、びびりまくって筆が滑りまくった。したがって冒頭の主題「チャラさ」の議論から大分ずれまくって結局、チャラさと俗物主義の関連づけについて十分でなかった。
今章はなるだけ直接、直情径行で恐怖の対象に接近するが、その前に。チャラさとは俗物主義的な不真面目さだ。学術的にいえば学術自体ではなく、肩書きとかそれから得られる効用など、全く非本質的な、瑣末な派生物にこだわって、遊びほうけたまま死ぬ様な態度をさす。チャラいやつらとは遊び人の事。偽物の事。
そして僕がみた限り、ドバタで一番チャラかったのは少なくともあの1年の時点では、残念ながら硬派度35(レベル99でカンスト)くらいのO君だったかもしれない。僕がみた範囲でだけど。それは彼の本性が現われた様な結果であって、僕は途中からノータッチだったけど、逆にいえば彼は東京化していたのだ。しかしこの朝の時点で、O君はまだその種のチャラリティを全開にしていなかった。
既に居酒屋ブーイングで青氏と群れてなんかなんなのこのひと感は漏れ始めたにしても、あれだってジョーク混じりの範囲だからまだましである。この章で書けるかは分からないがそのチャラ化の様子は段々と明らかになる。
僕はもううんざりし、あの真っ暗な外へ、コケシ嫌味館からやっと出られた。だが街は真っ暗。そしてそこでじゃあ、みんなバイバーイみたいな感じになり、僕らは、Oもいたと思うがTのがなぜか印象に残ってるが、トボトボとした足取りであの松屋のほうへ通りを渡った。車皆無。
そしてあの入り口の左側がなぜか柱の陰になってて狭い、不思議な入り口の松屋の前に通りかかった(上画像)。出る時はこの狭いほうの出口から出たかもしれない。子供なので。遊び心で。でも入ったのはこの大きな入り口のほうからだ(下画像)。
なぜ入ったか? お腹すいてたひとがいたんだと思う。僕はお腹すいてなかったと思う。なぜなら、このとき食べた食事、僕に東京飯の印象を深く刻む最大の時であったが、まぁ多分通常の牛めしというのか牛丼なんだろうけど、僕にはだが、牛さんにはわるいけどゴムみたいな味なのである。もうね、言いたくないけどこの企業が僕の親戚経営してたと知らなかった。僕の母方の一定程度遠い親戚らしいからあんまり悪くいいたくない。それにもかかわらず、状況がそうさせたんだろうが、この時ほど東京のゴハンってなんでこんななのって失望でもないけど、がっかりした時は、まぁほかにも数え切れないほどあるけど、なかった。あるけどなかった。曖昧にできたかな。僕んちとなんらかの関係なかったらもっと手酷く批評したんだろうが、さすがに営業妨害になりかねないし、店名も挙げすぎてるから僕がこの朝、前日から失意の連続の中で精神的に痛めつけられており、よって、刻みタイヤみたいなものを口に運び入れた様に感じたという事に収めておいたら誰にも平和でいい。
実際ネットみてると、松屋ファンって沢山いて、おいちーおいちーって、最高! っていってる人達が大勢いるし絶対に人気はあるんだろう。それどころかCISさん(有名トレーダー)が最初に買った株らしい。都民的にはいい会社なのかもしれない。ただこの朝のショックは僕には凄くて、腹には満ちたが、ご馳走様でした(はい、茨城人のしつけ出た。当時はしらなかったが義烈以来の風儀)、と僕だけ店員さんにいって、Oがまねし、店の外に出た。Tは言ってなかったと思う。農業県なのに。大変おいしゅう牛めしでございました。ご馳走様でございました。と、頭をふかぶかと下げて皇后陛下ぶればいいのに。
ちなみにこれはもう少数人グループに別れたあとで、僕とTとOとは確実にいたんだけど、Zは多分いなかった様な気もするけどいたかもしれない。最大でも4人くらいである。つまり女子勢とかいない。
外に出たところで僕がみたのが、あの恐ろしい光景である。今考えてもこれは世界で一番くらい怖いと思う。
外はほのかに明るみがさしはじめたが、まだ絵の具でいえば黒にプルシャンブルー混ぜて下塗りなしにペインティングナイフで画布にぬったくらいの色だ。精確にいうとそこに、軽くグレー色で部分的に筆跡つけたらなりそうな色味だ。闇の中で、何かが蠢いている、とはじめ自分は感じた。
なんだこれはと。化け物でもないが、それにしては小さいが、不吉な感じのする何か黒っぽいものがピョンピョンはねている様な感じがする。悪い部分が冥界から出てきてたましいの固まりとなり、人を呪ってる様な動きなので、しばらく立ち止まって、正体を確かめるまでそこに立っていた。友達はまだ会計済ませてないのか知らないが、店の中にいたのかで少し間があった。多分、Oは先に出て少し先で立ち止まっていた気がする。しかし自分の胸には不吉な影が差しており、異様な光景に時を忘れた。
そもそもなぜごみ袋が店のすぐ前に出されているのか? 目は暗順応するまでかなり時間がかかる。ビカビカ蛍光灯の下でゴム食べた。だが今は真っ暗で何もみえない。その間、自分は不穏な大都会の、わけのわからないかなりの高層ビルの間で、谷間で、はざ間で、恐ろしく影が動き、それも音はトン、トッ。トッ。とか、人を食ってるのか? みたいな極めて怖い声しかしない。他に物音はないのだ。精密にいうと、この時点で僕はその目の前にあらわれた不吉な影の正体も一切わからないし、何か凄く恐ろしい物体が異常な動きで跳梁跋扈、異様な魔界に飲み込まれているという感じで、大変恐ろしいものの、目が慣れるまでその気味の悪い世界にじっと耐えているしかなかった。
至極打ちひしがれながら。暗闇に。そして慣れてきてみると巨大カラスだった。しかも複数匹おり、人がすぐ近くにいるのに、ゲーッケとか言いながらゴミ袋を鋭く黒光りした凶器のくちばしで突き破り、中身を食い漁っていた。そればかりでなく周囲にゴミ袋の中身をまきちらしまくっており、他のカラスは周りを舞ったり、散乱分を食っていた。
僕の地元でカラスはこんな野蛮極まりない生物ではない。なにしろ野口雨情が、子供肩車し近所の山行って、子がからすってなんでなくの~? と聴くから、からすは山に7つの子があるからよ~かわいいかわいいとからすは鳴くの、カアカアといって、童謡つくるくらいのもんで、もっと人慣れしてなく小さい。
しかもごみ捨て場ってのは一応、どの家というか町内会でも木製の小屋で囲いとかシステマチックな金属製の箱に入れるとか、どんな場合でも最低でも網かけていた。池袋なんで自分の飲食店の前にゴミ袋そのまま放り出してるのか謎で理解できず。道路に面してだからごみ出してたんだろうけどマナー0だった。つまり僕の中でからすってのは童謡歌う中で、山にいて、かあかあと鳴いており、夕暮れになると鳴きだす子育て煩悩のかわいらしい生物で、それ以外では殆ど人間とかかわりがないけども、あの寂しい夕暮れの陽のなかでは存在感をもっている、麗しく人と共生している生物だった。ごみ漁り? 信じられぬ。
あまつさえ僕の地元は、市が工夫したんだろうけど、僕が小中学生くらいの頃から徐々にできてきた、あちこちのフェンスとか街の通りのタイルに童謡の絵が装飾されてんだけど、そこにもからすちゃんがいた。巣にいる7つの子にえさあげてる、日本昔話みたいな絵本みたいな絵である。かあかあとなぜ鳴くの。
こればかりか磯原駅前になんて、そのからすの7つの子が時間ごとに飛び出てきて、夕暮れのなかでお母さんからすから小さなくちばしでエサもらってぱくぱくするからくり時計まで作られていた。からすちゃんてのはそういうイメージ。みやまがらすでしょ。
然るにこの朝の池袋で僕の目の前に飛び込んできた地獄生物は真逆の暗面だった。恐らくあとからわかったがハシブトガラスというやつなのだろう。もしかすれば池袋名物なのかもしれぬ。ずっとあとで、チムポムとかいう下品な名前の東京人ヤンキーグループみたいなのが、わざと朝のカラスを挑発するというとんでもなく野卑な作品をつくっていた。これも僕には吐き気が止まらない代物だ。
この朝、Tがやっと店から遅い会計終えてでてきて、僕が恐怖の中でみているそのダースベイダーの手先ですらない、邪悪なる生き物どもを同じ様に目にすると、やはりしばらく真剣な面持ちでみつめていた気がする。だが僕ほど異文化ショックを受けたわけではないらしく、隣を通って駅のほうへ歩みを進めた。僕が動けなくなっているのに気づき、Tが振り返ってみると、僕がその光景を指さしている。Oも「カラス」とか言って悲惨な顔をした。僕が「なにこれ」とか言っても、じっと目の前の惨劇を見つめているくらいで、一体自分がどんな心の衝撃をこの、大凶なる大都会の或るあかつき前に受けているか気づかない。
池袋の朝のカラスどもは、さも世界最悪の地獄東京に生き生きとしており、半透明のゴミ袋を破り散らかし、間から訳の分からない肉片だか、野菜のかけらだかを醜くひきずりだし、人の腹から無理やり力でねじりとった腸みたいにぐちゃぐちゃにしていた。そしてゲエとかグッッグとかアァー(↑)! とかいいあい得意がっている。僕はこれですぐに引き返せばよかったのである。この1年の前に。なぜならこの時、OもTも駅の方へ既に歩みを進めていたが、僕だけは、この地がスラムなのだと、それも単に環境上のスラムというだけではなく、魂のスラムなのだと暗に気づいてしまっていた。そうと完全に悟るまで自分も彼らに着いて行った。
(続き『18才の自伝 第二十二章 美術教育の批評的構造論』)