2020年8月17日

18才の自伝 第十九章 カラオケの個性達

『18才の自伝 第十八章 チャラる忍者衆』の続き)

 前に(この自伝を)映画化しろと冗談っぽく書いたけど、ジョブスの映画みたんだけどさ、あれは微妙な描かれ方じゃん。結局ね、当人がみていた世界を名誉の為に美化して再現できないなら、生前に自伝映画許可する意味とかないと思った。死後もだけど。死後に勝手に他人の自伝・伝記をもとに劇作化するとかも、大河ドラマ全般がその主人公にとって不名誉ならさ、全く有害だと思うのだ。
 という事は、自伝という形で当人がどういう世界を生きていたか、その時の感じとかを残す以外の方法では勝手に、ある時代のある人生って捏造されてしまう。
 そういう意味で僕は小説より自伝を信頼している。『フランクリン自伝』、『ミル自伝』、『福翁自伝』、この辺り。どれもとても面白い。当人達がどう世界を見ていたか分かるからで、彼らの人生を小説化してあるものとは全然違うわけである。出来事を、歴史化されたそとづらからではなく、内側からみてる点で少なくとも主観的には真実だからだし、いわば侍ゲームをFPS(一人称)目線でやってるみたいなもんである。仁こと『ゴーストオブツシマ』の主人公らをTPS(三人称)で操るのとは又違う点が色々あるし、見えてる世界が違う。
「お前は無名だから誰も映画化しないよ」
芸術家って生前、微名無名も多いわけで、前衛なら名声が高まるのは先に着いてた未来なんだから当然死後になる。同時代の名声と、芸術の本質には特に関係がないともいえ、ならば僕は傑品を作りこむのに集中すべきだ。孔子曰く人の己を知らざるをうれえず。

 僕らはどういうわけかカラオケ屋にいた。なぜだろうか? これが不思議な事なのだが、MIさん含む変な忍者グループにOが当然入るだろうし、故にそのお供の僕も当然参加するんだろうなと思っていたら、先に書いたM君も、T君すらその場にいた。なぜか。ほかにも女子らがいたんであるが、特に2名書く。このうち歌うまい系R&B女子をRさん、陰湿京女系コケシキャラをKokeshiからKさんとしよう。なおこの時点でこのKさんが京女だと僕は知らない。
 ここが奇妙なんだが、記憶の中で。というか当日も奇妙だったが、なんか学生ノリみたいな感じでその忍者衆に混じって結構広めの縦長室内に、いつの間にかいた。僕も。なぜこれが奇妙かというと、非常に言いづらいのだが、僕は高校の時どういう経緯だったか忘れたかと思ったら思い出せるが、団長だのに連れられていわき駅を東側に出て向かって左にしばらく行ったホテル地下にあるカラオケ屋に連れて行かれた。他に五十嵐君(なぜか実名)もいたと思う。当時仲良し。で。他にイガグリボーヤみたいな同級生イガ(なぜか実名でない)とかと、特にこのカラオケ屋に何度も通わされた。もしくは通った。ほかのも行ったけどここが一番値段的にも適正で、ドリンク系とかもよかった。
 あれはなぜだったのだろう。思春期はちゃめちゃノリでとても楽しいパーティ感だったのだろう。そんで。ここで僕や五十嵐君は、これが驚くべき箇所だが、本気で『15の夜』を毎回時間終わるときに涙目熱唱していたのである。最初この尾崎豊の名曲を機械に入れたのは五十嵐君で僕は曲の存在は知ってたものの内容まで知らなかったが、僕も憶えて最終的に毎回最後ハイどうぞと。通俗的にいえばシメでしょ、みたく。シメとかいってなかったけど。
 ごじゅうあらしくんでなくイガラシ君と読む。イガ(実名でない)とかぶるから。ごじゅうあらしのほうに誘われ植田にあった知的障害者の福祉施設に1か月くらいボランティア行ったり、僕んちにイガとイガラシどっちも泊まりにきた事があった。町に出て言ってはいけないイージューライダーした。そんでここで『15の夜』である。あの時、我々は普通に15才なんだよね。15か16ですね、ほぼ。そして優等生が集まってる筈の一応の進学校みたいなきちがいの集まりで。ボンタンズボンみたいなの履いてる奇矯な五十嵐君が、本気で盗んだバイクで辺りでのどからしていた。毎回。それに僕も最終的に参加した。
 この五十嵐君はアメリカの大学に留学していく。最後。しかもなぜか調布に僕がいた頃、下宿に又も泊まりにきた。その時も色々奇怪なというかドラマの青春みたいな様子あったのでいづれ細かく書く。前も軽く書いたし、誰も聴きたくないだろうし、誰も聴かないだろうけど。多摩川にかかる夕陽に向かってお天気大雨の中サッカーした。
 それはいいだろう。そしてこの18なりたての或る夜だ。場面をもどそう。池袋の西の駅前にある、店入り口が或る程度広いのでわらわらと皆がばらけて、深い知り合いでもないし女子勢と男子勢が微妙にわかれて忍者衆になりつつ探り合い系の会話してる様な中で、やがて主観的には狭いだろう一部屋につめこまれた時空に。

 そこでですよ。僕は腕の見せ所だ~みたいに割と歌ってしまったほうだ。これは大いに後悔している。実は修学旅行の時にも同じ失敗をした。なぜかバスの中でカラオケになったので僕はそこでもどういうわけだか歌ってしまいました。なぜなんでしょうね。こういう事か。歌人。僕は歌人なんだろうな、きっと。いくら歌人だからって。そう頻繁に沢山歌ったわけではない。流石に僕も恥ずかしがり屋さんなんで、そこまで遠慮しなかったって程度だと思う。もしくは、サッカーでいうとたまにオーバーラップしていくくらいの頻度です。だからワガワガ、俺が俺がまで行ってない。しかしである。ここで僕の心の傷が残る。
 みんながいよいよ深夜なので、しな垂れている。もうやる気ないのかな? って感じでそこで曲名は言いたくないが、アンマリ得意じゃないのを入れて練習がてら歌ってみてしまった。途中でやめたほうがよかった。そしたらである。殆ど(というか多分一度しか)歌ってなかったコケシが次に曲を入れた。それがなんとイケズの曲であった。このときだ。僕がこれまでの生涯で続く、天敵京女なる物との最初の決定的な物別れがあったのは。イケズの曲ってなんだかわかりますか?
 なんか聴いた事もない様な下品な曲調で、堪忍しておくれやす~みたいなオフザケ歌詞なのである。
 要は間接的に僕を皮肉ってるとしか受け取れない文脈を作ったのだ。
 I先生が「元気な男の子が入ってきて僕も嬉しい」といった。その通りで僕はどういうわけか体力が他の人よりあるぽくて、他の人達が疲れて眠いのに僕だけ体が元気なので(でも神経が疲れてないわけでもない)、練習曲でもやろうかなって感じだったのが、ものすげぇ嫌味で返された。これですよ。京女文法。Rさんがね、僕よりうまいのはそうでしょ。プロに近い。だからってね、カラオケでみんな寝てんのかな~ってなって誰も曲いれねーから、適当に歌ったらダメなのか。これでもう一切気が合わない。このコケシと。これ以来一度も関わってない。だから。直接いわないんですよ。京女って。間接的に嫌味をいう。そもそもね、僕の目線からみていただきたい。コケシとかどうでもいいのね、いてもいなくても。正直な所。そもそも僕が歌ってもうたわなくてもどっちでもいい。Oが行くから、お供してんの。Oも歌ってたよ当然。僕もそこまで大いには遠慮してなかったくらいだよ。それでこの嫌味なんだもん。コケシでだよ?
 ついでに書くと。ここ以外で一度も反駁した事がないからそのコケシに。お前が存外下手なのは明らかでしょ。というかお前が一番歌下手だよ。だからネタ曲しか歌えない。関西ノリで。京都ノリで。お笑いしかできない。ハイハイ。それ、我々関東(ここではプラスいわきの一部)ノリに通じないの。関西人じゃないから。下品お笑い前提とか。君ら京女界は毎日毎日下品なお笑いやってんでしょ。なんだか僕には寸分もおかしくもおもしくもない事を。嫌味の応酬してんでしょ? その後もそんな感じでしたよ。予備校で大分遠巻きにみてたら。下品な嫌味とか全然面白くないから。僕にとっても。周りにも。そのノリ。陰険公家ノリやめてほしい本気で。京都でやりゃあいい。その下品ノリ。他人に嫌味いってケラケラみたいな。だーれも笑ってなかった。みんな。逆に君に引いてたくらいだよ。大体うまくも面白くもないもん。お前だけだよ。コケシ。お前だけが一人で下品な歌うたってほくそ笑んでたんだよ。しかも他人を辱める目的で。悪意100%で。そうだろ。
 その時、M君も実は京都出身だったわけだけれども、別にそこまで嫌味でもなんでもなく、普通に彼は関東ノリに協調していくタイプであったと思う。関西ノリでだーれにも笑えない嫌味いってるのは、コケシ1人なのである。そしてそれが立派な作為ならまだ俺も「お、さすが」と思う。逆なんだもん。下品歌。要はな、このコケシはマウンターなんだわ。馬乗り系の京女なんだが、というか京女一般そんなやつなんだが、このとき既にミームバトルみたいなのあるんです。僕の天敵ですから。京女イケズミームって。先ず性悪というのは精確ではなく、実際には唯の悪人。他人に悪意を持っている。その上で婉曲表現する。いつも書いてますが、このM君とコケシの違いでもわかるよう、僕が大いに苦手だし、天下第一の悪党視してるのは京女イケズミームであって、この時が僕の全人生で最初にそれを目撃した瞬間であった。
 深夜で悪の本性だしてきて油断したのかもしれんし、普段からあいつはああなのかもしれぬ。全然可愛くもない。

 この日は長い。というか前日から既に長い。事件の連続だ。

 そこでよく心が折れなかったな? いやこのコケシイケズマウント事件もな、随分酷い話だよ。僕はいまだにこれで傷ついてんだもん。一切治ってない。心の傷。コケシ側なんてもうとっくに忘れてるっしょ。京文化日常だもんね、イケズ発言でいじめ。もうね、18年経過してるから。ぶっちゃけるよ。うちあけるよ。僕ら、もう一度いうけどボク「ラ」からみたらね、MIさんにお近づきになりたかったんじゃない? 実際は。僕はオクテ人間だからそう直接は言ってないし、ふんわりと雰囲気感じていただけだけど。やんわりと。はんなりと。まじで。そこにきてコケシだもん。ふざけんな。
 実際のMIは阿婆擦れかもしれないぞ。それはこの後の展開である程度推測できてくる。だから恋愛感情もどきってね、全部幻想なんだ。基本。勝手に投影してるわけです。相手に。理想を。
 だからってこのコケシはねえわ。いまだにがっかりですよ。京都文化にも、イケズな。あの歌俺に聴かせる必要ある? このコケシのあの時のなんというのかドワーフみてーな。あの縮まったからだの嫌味な歌うたったあとの「ドヤ」みたいな感じとかな。すげーおぼえてんのね。俺は。こいつなんなんだろうって。みた事ないから。
 僕とかみんな楽しくカラオケしてきたの。高校3年間。だってみんないい人だから。君はなんだ。ま、その時の現場ではね、僕もいい人だから、ふーんみたいな感じで、苦笑いもだーれもしてないし「なにこれ?」みたいな雰囲気だから。全員。京女の嫌味とかわからんから、だーれも。というか寝てたから。大抵の人。これ実は俺とコケシくらいしか起きてないの、あの時。だから練習曲いれたんだもん。まさかな、コケシも俺がここまで感覚鋭く全てを透徹した眼差しで観察し、18年後に復讐してくる相手だとは悟ってなかったべ。そりゃそうだ。僕は大人しい感じだもんな、そとづら。

 ちなみにね、特に僕じゃないよ。MIさんとお近づきになりたかったのって。MもOもTもだよ? 僕は空気読む能力あるだけだよ。なんか雰囲気的にこいつらMIさんも行くの? みたいな感じかもしてるな~って感じがし、ま、僕の勘違いかもしれんが、それなら行くか~(Mにやにや)みたいな空気だった気がするぞ。この時Mと僕はそこまで仲良しじゃないからね、まだ。最終的に僕の実家にも泊まりに着たけど。下宿にもサッカーみにきた。このM君ってカラオケの時なんか関西弁っぽいニュアンスの言葉づかいしてるなって感じだった気がする。なんか入り口ですれ違ったかなんかで、あ、どうぞ、みたいな感じ。全然親しくなってないけどさ、別に嫌味とか言ってなかったよ。お前だけだよコケシ。性格悪いの。もうゆるしておくれやす? 無理筋では?
 僕はいわゆるプラトニックな恋愛観の人間だと再三いう様に、万一何々さんがいいな~と暗に思おうが直接どうしたいとかない。子供の頃から。この時もそんな距離感。だから近づきたいとかすらない。Oが二次会行かね、っていったら僕も行ってないし。男性陣の空気感を代弁してるわけ、コケシよりMIなの。それなのに、なんでお前に嫌味いわれなきゃならないのか、しかも間接的に。もう腹が立つとか超えてる。天意ですよ。もし神なら着実にコケシの藁人形を某神社に5兆個打ちつけた上でコケシの脳全体に一ミクロンの狂いもなく水爆おちる様に米軍ドローンあやつりかねない。それはそうじゃん。事が事だ。
 どんだけ僕がそのコケシをこれで嫌いになったか、今となってはよくわかろうというものだが、当時の自分は、京都イケズ流儀なんてそんな国内比較文化論的な知識もなく、「?」って感じでいたのです。実際に一度もみた事も感じた事もない、理屈はわからないが醜悪な感じがした。お笑いのつもり? って。しかもこの後も、自分はこのコケシの事は「あの時の人だ」って感じで遠巻きに関わらない様な距離感でいたものの、別に嫌悪も憎悪もしていなかった。自分が事の真相を悟ったのは、2ch綿矢スレッドで、綿矢らしきやつとか関西人らしき人達がどんだけ下品な連中で普段なのかを文化衝撃で目撃してからだ。綿矢スレッドをみたのは、大体僕が22才以後の事だろう。ずっとあとになる。18才時点ではコケシのイケズは、僕を複雑にしょんぼりさせただけであった。なんか関西人ポイ人だけど、こういう下品な歌歌ってなにが楽しいんだろう、僕はこの人達の前で何もしなけりゃよかった、と感じた。違う人達だって。
 今まで僕が一緒の時を過ごしてきて楽しかったのは、いわきや北茨城の友達で、特にカラオケの思い出としては五十嵐君や団長やO君やイガ(1人だけイニシャルでもなんでもない)らがこころよい人々で、別にうまかろうが下手だろうが気にせず、各々好きな歌をうたって心の表現を楽しんでいたからであった。

 しかし、この夜、深夜。あのビカビカとした看板の下の広い入り口をくぐって、なんか男性陣のやきもき感、モキモキ感を読んで、僕がその高校の友達と同じ様な人達なのかな? きっとそうに違いないという罪なき前提で、少々遠慮がちに(僕も育ちが悪くないので遠慮自体はしていたが大遠慮ではなかった)、なにか曲を数字で打ち込んで入れたのが悪かった。徹底大遠慮で一言も発しさえしなければ、あのコケシが調子に乗る事もなかったし、MIさんにスルーされる事もなかったし、寧ろ誰にとってもよかったのかもしれない。だがこれ(殊に最後のだけ、まったくもって僕にしか事件ではない)もまた勘違いだった(かも)という事が、この1年の大体中盤から後半あたりで分かる。
 しかもこの日の惨劇ってこんなに連打されてるんだけど、僕にとっては生涯でも有数に心が(柔なハートが震える、それだけが愛のしるし)ダメージした日だったのは今から思い出しても間違いないが、なんと。この後に本当に酷い事があった。コンボ決めてきすぎている。池袋と僕はうなるほど相性が悪い。


 なおもう1人、この時いた様な気がする或る人物について素描しておこう。この人は見た目がアニメ『ルパン3世』のルパンに似ているので、というかお猿さんみたいなので、仮名ルパンとしよう。
 僕は余り親しくなかったし、僕の主観による当時のドバタ観察では後半で存在感消えるので今しか出せない。

 彼は直前講習の時に、物凄くエリート臭を出していた特異な人物であった。俺はスゲー褒められてきて天下一なんだ、みたいな事を普通にいっていた。地元がどこか知らないけど都内ではなかった様でもあった。少なくとも僕がみるに大変な自信家であった。で、絵もなんか野望の怪しい雰囲気が出ていた。青いつなぎをきていて背は幾分低い人なんだけど、で超短髪なのでお猿さんみたいにみえるんだけど、O君ととっても仲良くなっていた。僕の17才の頃の直前講習で、あの短い期間で。僕はとっても人見知りでつきあう相手を凄く選ぶ性格をしている。3、4才から既にそうだった。が、O君は人見知りしない。
 ルパン氏はO君に、オレスゲー、オレツエー系の言動をばんばんしており、僕が結構遠くからみてた感じそんな口舌をしていて、O君も素直なもんだから本当に凄いね! とかいっていた。そんな受け取り方する時点でO君も相当の天然といえるが、僕は冷静にみて「絵は野心だしてるけどどうかな」と思っていた。

 野望、野心が出てるとは、絵って心の表現ともいえるので、全体としてどんな雰囲気かとか印象論も勿論ある。素人は総じてこれしかできない。言葉に言い表しづらいが、何々みたいな感じと。批評言語、美学用語、絵画理論の類をもっていない。そしてこのレベルでの野心ぽさが出てる、人をおどす感じの絵だった。
「受験絵画としてはそれなりのものなのかもしれないけど、短時間でおどろおどろしくモチーフを大仰に描くって。でもいい絵かといわれたら、なんかな」
これが僕の内々に感じていた事だったが、O君は「凄いね~ルパンは凄いやつだ」、みたいなガチ天然評を100%ルパンの言葉そのまま鵜呑みにしていた。
 そんでだ。ルパンは案の定おちた。芸大。当然受かるもんだという前提に暗に立っている点では、どんな現役生も多少あれ同じなんだけど、なにせ評価法が根本的にないから実は運の要素も大概あるのだとこの1年の結論として知る事になるが。その経緯については大変な試行錯誤と研究が必要でこの自伝が長い。

 然るにこの日のルパンの様子は、もう見る影もない。正直、僕だって椎名町ウィークリーで一晩の或る夜7時頃、うまれてはじめて(自分に、その無力に)悔しくてしくしくと泣いたんだから、落ち込んでたんだけど、それを遥かに下回っておちこみまくっているのは誰の目にも明らかだった。しょんぼり君だ。唯でさえルパンザサードみたいな感じなのに、更に背を曲げて分かり易く、猿回しに叩かれて反省、みたいにおちこんでるんだから、これはもう憐れみに値するといえなくもないんだけど、普段が普段の過信家オレ1位系言動だったから、その対比が鮮やかすぎ痛々しい。傍ら痛い。それで僕は触れてなかった。
 しかしここがO君の欠点なのか弱点なのか賢さなのか知らんが、あれだけ凄いね言ってた感じだったのに、いざルパンが落ちてからはなぜか励ましてすらないみたいだった。なおO君は現役で芸大1次うかったので(僕は落とされた)、2次で落ちるまでの間なんかやっぱオレ違うか、みたく暗に天狗化していた。僕はこの1次と2次の間のO君の様子もよく憶えているが、なにせ親友なので。なんか芸能人になったみたいな言動をしていたのです。今から思い出すと笑えるが(なにせ彼は多浪生になる)、やっぱ俺だけ特別な人間だから、的オーラを漂わせだして、芸大生特有のあの上から目線態度がフライングで兆してた。僕はルパン氏を詳細にみてなかったが、多分現役で1次おちたんじゃないかと思った。
 そしてこれは幾らか曖昧な部分だが、ルパン氏の前ですら、Oは芸大生オーラを2次との間でもかなりの程度発し始めた、と思う。慰めるんじゃなくて俺ツエーが逆転していた。今までのやりとりなんだったの? と僕は思う。なんでO君やルパン氏がああいう伸びたり縮んだりの態度を示していたか? 彼らはこの点では僕とは全然違う人間だったと今でも当時も感じていたんだけど、僕は芸大美大に入りたかったんじゃなく、絵を描きたかったんである。だから存在否定されたのはショックだったにしてもルパンほど落ち込まなかった。

 なぜ僕が泣いたか? 努力しても越えられない壁がある、しかも努力どころか死力を尽くしていた筈なのだが、それが不完全だったと証明されたのが悔しかったのである。もっとやれた筈、なぜそうしなかった、と自分を責めるのと、自分より強大な敵なりハードルが現に存在すると打ちのめされたにすぎない。であれば、自分より強大な敵、ハードルをのりこえる為に再び努力を開始するしかないだけだ。或いは努力以外の方法でしか越えられないなら抜け道を見つけ出す。この時点では、存在否定(お前は負け宣言)の衝撃はまだ残っていたし、学力(芸大美大入試でほぼ無視される)への誇りも随分傷ついていたが、ルパン式の「芸大入学で得られる自信」(そんなものがあるなら)なんて僕には最初から意味をなしていなかった。だから彼の絵も最初から最後まで冷静にみていたのであって、肩書きでその評価が変動なんてしなかった筈だ。じゃあなぜ彼やOがそんなピョンピョン態度をかえているのか、不可解でもあった。
 もっとずっとあとからわかった事なんだが、MやTは、やはりこのルパンと似た様な目的意識を暗にもっていた。彼らにはかれらなりの背景事情があったのでこれからわかってくるが、彼らには芸大に入る事が半ば目的化していた。でも、僕は全くそうではなく、そもそも絵を描きたかっただけ。それで全然違う道に行く。

 Oに至っては次の目的意識があった。高校美術室で2年終わりの冬頃、進路選択時に僕が美術コース行くとOにいったら、Oは少し逡巡してる様子。その時点で僕はしらなかったが、Oの地元タビト町には芸大卒現代美術家らが移住してきてO家族と懇意など、背景事情もあった。「本気で(美術の道に)行くの?」と僕が聴くと、自分も行くとOは言った。
 この時、Oはああいう食えてるか微妙すぎる(尤も当人達は真剣であり、また心に正直で、自由にみえる)芸術家像が脳裏にあり、自分の人生がそれになるのに幾らか迷いがあったのだろうと思う。そしてその当時タビトにいた美術家らは2、3名だったがみな芸大卒だった。当然彼も行くつもりになったろう。
 Oの山奥の実家は2人も下に男兄弟が控えていたので、私立大学進学の選択肢ははじめなかった。芸大一本で受験するのだから、彼はいうまでもなく1次合格で自分は大台に乗ったと思っていたのだろう。
 僕はそれらのOの背景をこの18才の夏までタビト生活の現地みたことがなかったので、体験的に知らずにいた。こうしてOの場合、当時合格率が40倍(40人に1人合格)? とかだった気がするけど、芸大油画おとされて、又急に態度がおとなしくなっていた。これもいかにも彼らしい。親しいタビト作家も当然のよう多浪していたので、彼らに慰められたのだろうと思う。
 結局このルパンにも何か背景がある。

 その日の池袋西口から暫く行った真っ暗な忍者屋敷みたいなビル街の間にある、カラオケ屋の一室で、僕が間違ってなければそのルパンもなにか歌った。しかし決して元気はなく、空元気だった。そこに僕は人生の悲哀をみていた。この自信家の絵は、芸大権威にズタボロにされるほど虚勢を塗っていたのか。ルパンは終始うな垂れており、廊下ですれ違っても心ここにあらずみたいな受け答えであり、僕は彼と親しみたいと思っておらず、仲良くないので会話してないが、
「おー、(Oの下の名前)~」
とOの名前を呼びかけて力なくなにか語るのだが、どう控えめにみても人格そのものが変わってしまっていた。
 元々ルパンを支えていたのは、周囲に褒められまくるという彼の地元での彼への絶賛の嵐で、東京都の過当競争下でそれは一切通じなかった。褒められたら喜び、貶されたら落ち込む。この通常の社会では常態的な心の持ちようが、致命傷になるなど純粋美術を志望した人の、一部しか認識していないだろう。
 その後、僕が18才だった1年間でルパンは自分の人格を改造していった様にみえた。あの現役時の過信家ぶりは最早どこにもない。
 あの日、カラオケ男子トイレで僕、O、ルパンがたまたま居合わせた時を境に、Oは自画自賛に近い自己喧伝をなんら行わなくなったルパンと、すっかり親しくなくなって行った様だった。