(『18才の自伝 第十七章 地下室のカビゴン系女子とブーイング』の続き)
この章辺りとかもう辛いから書きたくないんだが、というか全編書きたくない。何度も書きたくないな~と思っているがやらざるをえない。日本の美術界・美術教育界の裏側が誰にも分からないから。
そんなの知る必要ない? そうではないんですね。全編読むと分かる筈。しかしこの自伝がもし生まれなかったら日本の美術界・美術教育界どうなってたかと本当に恐ろしい。冒頭に挙げたいんちき画家Aの浪人生時代なんて完全にアカデミズム側の自己言及にすぎず、いってみれば日本軍に入ったヒトがわが軍の誇りを下士官養成所時代の一夜から語るみたいなもんで、しかもインチキ。なんでインチキなのかについてもこの後読み進めればきっとわかる。本当にインチキなのである。
こうともいえる。現代美術の中にも前衛系と後衛系がいて、むかしのパリでいえばマネとかモネとかセザンヌとかあの辺りが前衛の少年たちであった。青年たちであった。僕は完全無欠にこっち側に属する。無欠で。無血で。がAは完全にアカデミー側で、世間はそうは思ってねーだろうがいわばアングル辺りだ。あれがアングルかいな? 違うね。作風は違う。下品さも違う。でもポジショニングのセオリーでいってるの。当時の美術アカデミーとの位置ね。保守派にも理解できる作風ってこと。しかもアカデミズムの画家というか、ま、典型例じゃないかな。保守主義を維持しただけでなくて猥褻画に行ったみたいな。
僕のこの18才時点の、画家を目指すある青少年のいだいていた内面性の進展と、自分をとりまいていたアート業界環境なるものの、できるだけ細密な描出に絞った伝が、それに類した手記日記とか嘘ぬきでみたことないんで、世界史上でもジョイス超えたものになるだろうってのは確かな話だ。独創的着想だ。自分で言ってるの? 自分でいってますよ。だってね、僕がもしいまどっかの高校生でね、あるいは89才の老画家でね、別に画家じゃなくてもいいけど。なんだろうな。54才くらいでもいいけどさ。どっかの美術史研究してる大学教授でもいいでしょう。あるいは40代のアートファンとか。そういう人がな、もしマネ、モネ、セザンヌだけじゃなくてピカソ、モンドリアン、あと誰だろ。ロートレックとかか。ほか誰だっけ。印象派辺りの人達。ムーラン・ド・ラ・ギャレットの人とか。いるじゃん。ルノワールか。彼らのさ、自伝でも手記でも日記でも、青少年時代の微細を穿った記録とかあったら絶対歴史的価値あるべ。
当時のな、芸大美大から排除された人らだわ。彼らだって。前衛。青少年で。少なくともピカソ、あるいはルノワール以外は基本的にはそうだよ。上記。モンドリアンはオランダ側で芸大美大は行ってたけどさ。いづれにしても最低でも公募展からは一定より外にいた人らであろう。僕は、この芸大美大の裏側を見る事になった。公募展のほうは色々な経緯で、原則的に近づいていない。
つまりこういう事。僕はほぼ独学のゴッホや、完全独学のヘンリーダーガーくらい当時の芸大美大や公募展から完全に外にいるわけでもないにしても、一定の距離を置いてみている。外部監査者みたいにな。今後僕がどんだけ出世しようが、現時点では国内最大アカデミズム政略でも東京芸大の社外取締役にしかなりたくない。少し前のソフトバンクなら柳井正の位置ね。これから書くけど18当時の僕は、友達と議論し、まず芸大教授の頂点に行き、そこから旧体制を完全に解体しないといけないと考えた。孫正義ね。どちらでも合理的なほうを執る。今初めて書いたが、この社外取締役論。
別に取締役の位置から解体してもいいが、なんか僕の芸大怨嗟はAの「いかにも芸大的」なあの不躾極まりないパワハラモラハラ態度で憎悪心が復活し遂に決定的になってしまい、一時でもその頂点に君臨したら自分の魂に汚点を残すんではないかと考え直した節がある。このあとで出てくるが、多分語り全体の最後のほうで。僕とTとOは、一時、アーティストグループ(美術集団)を結成しようとしていた。結構笑える集団名が候補に出た時点からゲリラ作戦化したが。詳述は後半にゆずるが、要は、芸大解体はその基本底流にして、共通目的だった。これは教育史的必然性がある。
(Aはこの自伝を書いている2020年8月から1年ほど前、ツイッター上で僕に大変無礼千万な年齢差別に基づく侮辱的態度をとってきた。しかもこっちは丁重且つ親切に相手の要求に応えたのに、向こうからエゴサーチしてきてである。一章、及び当時のやり取りを記録したブログ参照)
僕もOもTも、いやMも、当時のドバタ油画科にいた凡そ例外ない人々が――多分50人から100人くらいはいたと思うが――芸大が目的の場所であった。然るになぜ僕をその第一の精鋭として、最たる反権威主義、反アカデミズムに転向した前衛一派が現われたか? この宿命的真相を語るのが18才自伝の目的である。
本文にもどる前に、前章で出た独自用語、独自動詞「チャラる」についてもう一度その意味を考え直しておこう。こんな動詞みた事ない。それもその筈、これをこの広き宇宙で最初に使ったのはOと僕である。造語力がありすぎる。謙遜抜きにいえば、僕とOは高校の頃からこの類の造語は連日しまくっていた。精確にいうと、18才から随分たって(この頃の体感時間は猛烈に未知情報を学習してるからだろうけど物凄く長い)、21くらいの頃、僕は高校の友TM君(なお千葉大から東北大院いった)に誘われたのでミクシー日記にいたのだが、そこにOとTも誘ったので皆いた。でなぜか僕の姉もやってたかなんかで我々のやりとりを覗いて、友情に感動したとかいっていた。友情どころではないのだが。あれは友情とかじゃなくて戦友だと思う。僕にはね。最低でも。でもそうだと思うんだ。まぁ僕が前半で一見戦線離脱した様にみえるけど。全体よめばわかるけど。よくいわれるけど、戦場の友情が一番強い。これが間違ってなければ、ゲリラ戦時代をすごしている今の我々にもなんらかの魂の次元で友誼がある。日記の中でO君の浪人時代初期を自分がふりかえり書いていた時、「(前略)O君はチャラチャラしていた。(後略)」と書いたと思われる。その種の具体的記述を僕がしたあと、O君が「たしかに僕はチャラっていた」とコメント返信した気がする。恐らく、これが全宇宙で最初にチャラが動詞化された瞬間だ。
前章で書いた通り、チャラチャラとは金属音かなんかであろう。小銭が触れ合うみたいな音をさせて、雪駄はいた江戸下町のチャラ男がペラペラした服装で遊郭通っていたのだろう。想像するに。それを形容した擬音語かなんかであろう、と適当に、無根拠で雑だが推察される。つまり粋の美学とも関連している。上記の記憶が確かなら、この宇宙系で最初にチャラるとの動詞を作ったのは他ならぬO君という事になる。僕のミクシー日記へのコメントだっただろうけど。
そしてこの粋の延長上に、東京チャラ男を演じはじめていたのが、いわば、浪人時代初期のO君だったといえなくもない。
少々哲学的な内容になるが、だが別に日常語で語るのでだれでも意味がわかる書き方をするが。軟派と硬派が対義語とすると、大抵の人達は中間の可塑派といえるだろう。可塑とは、粘土握ったら手の形になるみたいな性質、硬くも軟らかくもない状態を指す。このうちチャラさは軟派だ。
特に軟派のうちでも性的な事柄に限って語ると、ここでは男側からみて、なにせ僕とOは男子校出で、高校の頃は軟派要素とか基本、目に見えないのだが、そして我々はどちらも異性愛者だったわけだが、女比率が大の環境界隈にいきなり放り込まれた。それが美術予備校であり芸術・美術大学であった。そしたら性的なゆるさというか、最大で女とランダムにいちゃついて交尾に至る過程でグフグフクエーッケみたいなのと(これが一般の軟派な共学生男かと理解される)、逆に、性的なかたさというか、最大で女人と口も利かない修行僧みたいなのに分かれる。僕はそこまで硬派ではないものの軟派でもなかった。仮に、性的堅物さをパーセンテージ化すると、僕を75とするとO君は35くらいだったかもしれぬ。そしてなぜか、坊主だから硬度が高いとおぼわしきT君は、僕より低く50くらいだったかと思う。なお当時僕とO君は髪の毛中くらいの長さ、山下智久(後世に画像残ってるかな? つまり肩にかからないが短髪でもない)くらいの長さだった。で。この硬度をよく伝える逸話が複数ある。
そもそも文明化とは、全体として硬派に向かう運動だと私は思う。考えてもみてほしいがサルは例外なくヒトより軟派で、簡単に発情しそこらで交尾している。サル内にも硬軟はあるだろうけど明らかにヒトより貞操・純潔の観念がない。が、ヒトもサルなので完全に硬派になりきれないので繁殖しているのだ。
昔高校から帰る電車の中で、僕がそこにいないO彼女を少しからかったらO君が瞬間沸騰マジギレし胸倉つかんできた事件があり、僕が即座に謝ったのですぐ手を離し事なきを得たが、我々はこの時以外軽く喧嘩じみた状態になった試しもない。O君曰く「鈴木さんが怒ってる場面をみた事がない」ブッダだった。僕がなぜO彼女をその時その種の文脈に置いたか? 高校の時。それはOは僕が(別の高萩市から来てた或る磐女の女にどうしても頼まれて)いわばつきあわされていた女からメールがきて、絵を描く時間が奪われ返信に苦労している僕をみて、別れたほうがいいよ、とO君が言ったのが同文脈の前提にある。僕がなぜO彼女をその時その種の文脈に置いたか? 高校の時。それはOは僕が(別の高萩市から来てた或る磐女の女にどうしても頼まれて)いわばつきあわされていた女からメールが頻繁にきて、絵を描く時間が奪われ返信に苦労している僕をみて、別れたほうがいいよ、とO君が言ったのが同文脈の前提にある。それで僕はOを当時として客観的意見を言ってるんだろうと信頼していたので(実際には今頃山奥で繁殖している彼のサル的言動だったと思えなくもないが)、結果別れる事を選択。
「じゃあ君はどうなの?」みたいな含みで、O彼女をある種の性的表象みたいに形容したのである。詳細はぼかすが、「あなたの彼女は随分魅力的ですよね~!」みたいな感じの事を、当時の高校生に分かる表現でいったのである。なんと言ったかも憶えているにしても、風紀上問題がでてくるかもしれないので直接明示はしない。とかく、単にO彼女を性的表象として高評価する文脈に置いた。そしたらOはブチギレである。
基本的にね、彼女を性的魅力があっていいですね、的な文脈でどっちかといえば(Oが僕側の恋愛関係を解体した責任者として)皮肉な観点と受け取れなくもないにしても社交上褒めているのに、そこでサルみたくキーキー切れるのはなぜなのか? 結局ですね、O君は文明化がたりてないのである。性的脳内の。これは一つの例だが、ほかにも色々とO君は、性的本能に近い段階になるとサル化してしまう傾向が、既に高校の頃からありました。普段からチャラってるわけではないのかもしれないけども、彼が好きな漫画は『スラムダンク』で主人公の桜木花道で初めて漫画で笑ったといっていた。僕は花道は下品で好きでない。花道とはハル子さ~ん、とかいって、ヒロインに年中発情してるキャラである。これに対しハル子はクールな二枚目の別のキャラに惚れているという設定。ここまで漫画的構図ではないが、O君の性や恋愛面での社交性は、基底としてここからできているのではないかと思われた。
もし僕がOの立場で彼女が魅力的でいいですね、といわれたら「うん」といって黙っていると思う。したがって、予想した反応との余りの違いに、これだけ僕の印象に残り続けているわけである。O君と僕は、その後、芸大院生・美術予備校講師Gというやばキャラに「お前らにてるなぁ」と見た目でいわれるが。
まとめると、チャラさとはいわば文明化が未熟な状態だと私は思う。しかし東京都の文化ってこの逆なんですね。軽薄さが粋、最近(近現代)の流行語なら格好いいと思われている。軟派圏。江戸時代からこれは変わらない。町人の世界なので。そういう有様を関西人のなりすまし目線で描いたのが春樹。自分はかなり硬派度が高い。かといってその点で完全ブッダ(堅物さ100%の煩悩全否定派)かといえば、性欲って去勢しないかぎり性ホルモン分泌上、身体的に否定できないんじゃないの? 故に性愛行動の精神的昇華、社交的プラトニックさ、色恋面での上品さが、一般社会の限界目的ではとの中道説なのだが。
この章は中々本文にもどれない。書きたくないからだろう。怖くて。回避行動かもしれないし、そうではなく、これからチャラさの理解なしに読み進めても意味わからん部分がでてくるからしょうがないのかもしれない。
あのOと青がブーイングしてきていた、それで解散のくだらねー地下室から我々は出るんだが、ここで、僕がみた事も聞いた事もない、それか小耳に挟んだ程度はある変な概念を出してくるやつがいた。二次会とか。これとかね、何次会とか。ほんと僕この文化嫌い。東京でしかきいたことないけど。糞ですよ。ふつうにさ、飲み会ならそれ行って終わりでいいだろ。大体いきたくもねーのにいってんだ。俺みたいに、つきあいで。それで解散させろ。もうこの文でわかるだろうが、俺はもうあの時点で疲れていたのね。精神が。神経が。なにせ前日ねてないし。そのうえ練馬オヤジが怒鳴りつけてくるし、I先生が期待するし。するみたいなことをいうし。全体として疲れるでしょ。その上にな、カビゴン系のね、小太り萌え系のなんか浪人女慰める的な会話とか。俺が傷心浪人生なのにだぞ。チャラりたくもねーのに。俺はこの時点で押しつぶされかけてんの、状況に。
ただ肉体的に疲れていたわけではない。健康なので。しかも後からわかった事なんだが、どういうわけか都民ってのは一般に体力がないんである。僕より。皆ヒョロヒョロしていた。ほんとに。僕は、実は北茨城ではどっちかといえば体格は小さいほうだったんである。だが都内だとなんか逆みたいになった。
けれども自分は、もう大体わかるだろうが、実に細やかな心の持ち主なので神経が凄く疲れやすい。ずっと後からつい最近わかったんだが、最近の概念でHSP(Highly Sensitive Person)がどうとかこれ学術用語じゃないとかツイッター素人が発狂してたが、少なくともギフテッドの過度激動は学術用語では? ギフテッドも過度激動も学術用語ではないんかい? 学術用語かどうかってさ、査読論文内の引用回数主義だろ。定義が。それって真偽と関係ないんだよな。単にアカデミックな文脈で使われている傾向があるかどうか、って判断だよそれは。最低でもな、繊細人間の分析が色々出てきたのは僕にはありがたい。どうみてもね、こんだけね、今から18年も前のある日の出来事をね、逐一感覚刺激まるごと記憶してる人ってそういないと思うの。だから僕はHSPか過度激動か知らんけどさ、そのどちらでもないかもしれないが、なんらかの意味での繊細さでは群をぬいてるわけです。そういう人の神経の疲れを想像してくれ。
僕はその二次会とやらがどんななの、って感じでね、好奇心はありました。そしてここで最大の問題もある。これが僕にはこたえた。大体この予備校にいた1年間では恋愛要素が少ないかもしれないが、少年漫画的な位置づけでは度々出てくる。ここにいたのがMIという女史である(イニシャルが別キャラとかぶるのでずらした)。この人。なんかな、男社会ってのは次の様な構図が発生し易い。ヒロイン的な人物、大抵は一番の美人だが、その人の周りに男達のなんらかの心の動きみたいなのが展開する。この場合はこのMIがそれであった様に目される。MIは、漱石でいえばあれだ、美禰子。完全に。男達を翻弄する系統。この苗字は名門みたいな名前なのでなんか関連者かもしれないし挙げられないのだが、総じてそういう立場。でも当人はそういう影響度を伴ってる、暗に伴っていたとは思ってないだろうし、そもそも僕は一度も会話した事がなかったと思う。
確かにMIは、一見して非常にフェミニンな感じである。しかも背はかなり高いほうにしても、一番恐ろしいのが肌なのだ。肌がなんか赤ちゃんの肌みたいなのしている。これがおそろしい。僕も高1の時クラスメイトに急にほっぺたぷにぷにされ、赤ちゃんみたい、かわいい~とか男にいわれたが、それレベルだ。そして。
この二次会行く~とかあの西池袋の白い超高層ビルの足元で、闇の中に点々と、でもないけど、結構な街灯の明かりのともる、そのなかば暗闇混じりの世界で、ニンジャのセカイで。セカイノオワリならぬニンジャノセカイで。忍者。MIさんが二次会行く~? とかいうノリの一団にいた気がする。この集団の周りで、なにせ僕らの事だから少し離れて、お祭りロック派の埒外なので。文科系の典型例なので。その中にいつつも、中高生の頃はラルク・アン・シエルのコピーバンドもやっていたOである。イマイチのりきれなかったチャラ前座段階の感じでもあり、これは当然行くんだろうなって思ったら案の定そう流れた。
このね、MIさんの分析なんだけど。僕はこの人に、今までの人生でも総じてそうだけど、「暗に」恋心を持っていたのではないかと今にしては思う。しかしそれはいわゆる恋心ではない。暗にである。気になる、くらいね。その気になるな~くらいの感じはわかる人にはわかるだろうけど。恋のずっと前ね。精確にいうと気になる、ですらない。この時点で。MIさんも行くんだ~くらいである。しかし無意識の根底に何か反応がある様な気もする、くらい。それだから。僕はここで離脱しておけばよかった。いや離脱したらしたでなにかを後悔したから無理だったのだが、残念な事に、O参加の流れに着いてしまった。
二次会決定までにこんだけなんか複雑な思いをかかえていたの? そうなんですね。私は。そういう人なんです。一秒千年。恐らく誰もその瞬間覚えてないに違いないんだが。僕はあの暗がりの中、2、3の忍者集団で、どの派閥に着くかで人生の一部を切り取られてしまっている。帰ってもカーテンはない。
(続き『18才の自伝 第十九章 カラオケの個性達』)