鈴木雄介ブログ
2019年7月15日
論理は哲学全体の必要でない部分
対話術的論理、または論理的で無矛盾な言語による構成が唯一の哲学の手段とする臆見(ドクサ)は、一つのギリシア思潮(ヘレニズム)でしかない。これゆえ直感的表現とか感情表現、感覚表現によっても本来、哲学できる。哲学の中に科学主義を組み込んでいるとき、数学(特に数理論理学)に則った自然科学、社会科学と一致する知の部分に於いて論理が要求されるのであり、そもそも人類の知恵を友愛する活動全体は、この種の小集合で全てを語りえないほど広範である。
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