商人は農工業者が作った生産物を販売し差額を搾取しているだけなので、基本的に何も生産していない。だから付加価値の総額として計算されるGDPはただの搾取値である。寧ろ商業が非生産的生業だという考えは、壟断という語や、キリスト教での商人への扱い(イエス「金持ちが救われるのはラクダが針の穴を通るより難しい」)のよう洋の東西や時代を問わず広くみられる。
尤も奉仕(サービス)を商行為に含めたり、素材を販売用に陳列する技術などを広義で生産性に含めて表現している経済学上の語彙としても、この様な生産性に関する言葉の誤用があるかぎり、生産性を純粋生産性と名づけた時のみ、具体的な農林水産物、製品、商品の分を意味できる。