俗人は美醜を取り違える。それ故に俗人は不幸と忙殺を得る。聖人は美醜を見分け、趣味の善さの為に幸と余裕を得る。俗人は卑猥な悪徳を美と勘違いし、ひたすら自滅と不潔に向かう。
聖俗は交わらない。俗衆は聖者を謗る。俗衆は醜悪で不遇な生態をもっている。ゆえに聖人は俗衆の暮らす場所を避け、彼らの言動に触れるな。俗人は不幸の種であり、それは彼らの無知と理解力の低さ、愚かさによっている。俗人に説教するだけ無益有害であり、俗人の近隣に暮らしてはならない。
聖者の暮らす地域に俗衆は適応できない。聖俗は必ず住み分ける。人は聖なる地域においてのみ、真の幸福と心の安らぎをえる。俗なる地域にあって人が安らぐ事はなく、世事と取るに足りない醜悪な仕事で忙殺される。
俗衆は聖地を謗る。俗衆は地獄を愛する。故に俗衆の一生は汚い。また俗衆の末裔は地獄で生まれ、悪の下界に沈む。都会は悪のすみかである。人は聖地に聖人らと共にいる限り、俗衆の下賎な生態から守られる。
聖人は聖者をよびよせ、俗人は俗衆をよびよせる。類は友を呼び似た者同士が集まってくる。ゆえ賢慮ある人は聖者に親しめ。俗人と馴れ合ってはならない。俗人は悪業の暮らしを無意識に広め、他人にうつしている。聖俗は感染する。