鈴木雄介ブログ
2012年2月20日
内省
我々が善を求めて、その為に努力する程あざ笑う人々は自らが善悪の論理にしか生きられないのを少しも痛痒に感けていないが、現実には彼らの業にしかその実存の定義すらなかった。世界の残虐さ。
真善美という分類論、之らさえ何のことはなく、同じ物をいいあててきたにすぎない。聖はどれも完備していた。その内どれかの車輪が下がりすぎても彼らは自らを少しも邪なわだちから逃れさせ得なかったのだから。
次の投稿
前の投稿
ホーム