無用の用がなければあらゆる有意の応用はない。実用的な教育は専門学校に於けるものであるべきだ。純粋理論と応用技術とは骨の種類に関して凡そ異質な所がある。数学的には捉え切れない細かな経験則が並べての工学文化には蓄積される。
真理の探究は学問の目的である。時を経ても廃れない大道を悟るには、無為の学問に殉じる以外にない。専ら有用なものこそ最も実践的な道具である。然るに工学技術は純粋理論と飽くまで相負的な営為である。よって、学問を純粋理論のみに囲い込み、社会の最先端に直結すべき専門学校の意義をなおざりにする文化では、いずれ技術力の確保は困難になるだろう。大学院と専門学校とは理論と技術との目的について正反対の傾向を伴いながらもどちらも必要不可欠な近代教育文化の条件である。