2008年2月19日

友情と国

世界史の原理は、それが導く善のentropyも含めてまた究極のideaではない。単に国連に友情を多声的に勧めあうような間柄は、国風の向きではあれ人倫の完成ではない。
 結局、様々な国は彼ら自身の最高善を形相する。それは統一されざる全体。普遍性とはひとえに、ばらばらなままで自らの曲を奏でる風の中の桜花に喩えられる。それは決して理性的な秩序でもなければ混沌たる自然体でもなくて、国風の道を辿りながら各々の目的を目指す旅情らしい。我々は全く国風的な文明によってしか人倫を中庸化し続けられない。国際関係も又、文明への契機付けには成れども自体が幸福の定義を与えることはできない。
 幸福とは、人倫自体が醸す形相に過ぎない。従ってその姿は常に国情の昇華として変化していく。