2007年7月25日

労働者の淘汰

自由主義連合国の現代人は婚前交渉の放置によって比較動物的な個体を放し飼いにして彼らの自然な増殖を誘ない、教養の低い労働者数を増強させる方便をとっていた。
 しかしながら先進国内で現に出生率が抑制されている如く、この人口淘汰法は有効性がなくはない。比較的応用理性に劣る個体群は自らの明らかな社会的不利益を世代間の教育本能で次第に自覚し、何らかの手掛りに訴えて地位を向上しようと多少あれ欲することは上記の率の統計から明らかだ。実践では妥協が付き物なのにも関わらず、十分に計画されない建築が堅固明朗な構成を伴って実現された試しは希なように、偶然の機会を伴って不完全な教育投資を前提として育った子供も又、その最終的結果における未熟は丁度不毛な土地の作物同然であるべく原則されてしまう。
 なおもこの不条理は凡そ有り得る限りの世代内階級闘争を誘引しさえする。もし、実力主義の分野が交替制であれ社会から絶えたら、我々の社会不安は窒息した恐怖政治に流される他ないだろう。
 抑圧の昇華が卓越の基礎である限り、応用理性の高い種類は何れ貴族としての道を迷いなく歩むだろう。幾らか過保護に過ぎて反抗期の至りに自己責任から転落する世襲の弊が観察されるにせよ、彼らの歩みはその利他性に於いて先ず以て正しい。充実した生育環境は優等生を養う土壌に最適化するから。