2006年9月24日

維新の悪

人々は生の限り地球社会環境を優化しようとたとえ無知による悪を積極的に為す反作用によってすら務める。それは彼らの目的化した種内競争の定式であり、文明と呼ばれる。
 人知最高の性質である理性は、文明建設の為にのみ働く。しかしこの様な建設的な認識がいずれ批判に価するのは免れない。それは世界の多元的かつ多彩な形態を抑圧するような神的統視を前提としているからだ。乃ち、人間の力の均質志向を含む。もし文化と呼ばれる、飽くまで差異を主張する土着的試みに、巨視規模ではちっぽけな差分にすぎないとしても一種の経世済民の事情を見つけるならば、それは脱構築を多種共存のうちに位置づけるような義に根差す。
 西洋史文脈の構造が存在しない周縁圏で倫理を用いる仕方は、構築を文明の為に、脱構築を文化保守の批判の為に用いる事である。模範ではない。創発としての働きかけが地上には必要である。本来すべての国家において決して西洋化ではなく、自発的な成熟を催させるような維新がなければならなかった。