2023年7月26日

恋愛資本論

恋に縁がない人は徹底的にないが、縁がある人には徹底的にあるものだ。
 それというのも、恋愛情緒あるいは情趣の感度に人によって違いがあるからで、恋し易い人にとって、とても簡単なふれあいだけでも一生心に残るほどの感慨がある。またその様に恋愛感度の高い人とのかかわりを、恋し易い人は殊更過敏に感じ、あるいは深い快感情報とともに記憶する傾向がある。互いに暗号コードを交換する様おそらくその種の人に、当人にとって特別な繁殖利益をみいだすためなのだろう。また少なくとも対象の性別が男性のとき妊娠危機が原理的にないので、ほかの人とのあいだにどうやら色々な恋愛関係をもってきたらしいと分かる人は、仮に過去のそれが清純なものでもほかのものでも、経験値から恋にまつわる快苦に詳しいはずとみなせ、自身にとっても好適な関係を築いてくれ易いと便宜的かつ直感的にみなせる上に、もし深い関係になってからも相手がすでにほかの人からえらばれたことのある安心感から、恋にあたいする保証、つまり繁殖利益があるらしい、と本能的に感じるからなのだろう。この恋愛上のえりごのみ性は性別にとって非対称であり、男性のときは恋愛慣れしている事に上記の理由で恋愛資本の多さがみてとられ易いが、女性のときは逆にすれている証拠とみなされ、当資本の総量から直感計算上減額されてしまいがちである。その不利な取引ルールから自身の実情を隠す為、一般女性は過去の恋愛にかかわる経験値を本能的に過少にみせかけようとする。いいかえれば女性一般にとって処女性に伴ううぶさの価値が恋愛のなかでとても高く見積もられがちであり、それは隠し子や連れ子などが明らかにいなかったり、まだ母体として不健康に傷つけられたり損なわれたり、子宮がよごされたりされておらず、十分妊娠できるほど若かったりする事の保証として、潜在的な繁殖利益を示しえるからなのだろう。

 恋愛資本は恋愛経験能力による増強を経るため雪だるま式に増え易く、恋に縁がある人のもとに、まるで蝶が花に集う様、次々恋愛とみなせる諸事が集まってくる。次第に恋愛資本の総量が大きくなると殆ど劇的な様相を呈するまでに、それらが自発的に、あるいは互いに摩擦して燃え上がる事もある。

 さまざま異にして妙なる恋愛関係のどれらも処理しきれないほど恋愛資本が集まった人には、およそ複数愛という選択肢のみが残るが、結局この人は一種の恋愛中毒になっているともいえ、しかも好きこそものの上手なれ、これを楽しむにしかず、というようそれを進んで弄んでいるか、きわめて面倒にもみえる日々こんがらがっていく人間関係とその心らの織り成す複雑さをのりこなせる人格類型のとき、余った恋愛資本の一部が、恋愛詩や恋愛劇の筋書き、恋愛漫画などの写しとして外部化され、結晶していくことがある。自由にえらべるとき物は通常、そのひとの好みを反映して持ち主に似るだろう。ある人の自由度が高い条件下で発する情報についても似た事がいえる。それらの外部化された表現情報は虚構まじりのときもあるが、当人の経験に即していたり、あるいは主観的な内心が書かれていたりすることもある。すなわち、「火のない所に煙は立たぬ」よう、恋にまつわる諸事をもろもろ多彩かつ大量に表現できるのは、当人の脳に、その種の情報量がおおかれすくなかれ余っているからなのだ。もしその表現情報が高品質で決して偶然でないなら、たしかに、その人は質の高い恋愛感情をもっている。但し、誰かに企画されたり演出されたりしていて、疑似的に偶像化されている歌舞伎などの場合、単にその当人の周りにいる人物らが嘘をつき、単に見た目や声などの優れている誰かに、高い恋愛感応能力を偽装させていることもある。

 もし誰かがまったくといっていいほど恋心に関心がなければ、進んで恋愛詩などを小馬鹿にしている場合もある。その人は脳内に恋愛関連情報が欠如しているので、自身の脳内につまった既存の味気ない人生観との強烈な違和感を少なからず感じているのに違いなく、みずから恋愛資本あつめを拒絶しているかぎりおよそ一生、恋と名のつくものに縁がないはずだろう。