2021年9月9日

なぜ関西地方、東京地方では全国差別が公然とはびこっているか、また同じく在日朝鮮・韓国人差別が始まったか、その歴史的分析

1.関西地方と東京地方での差別の風習の一起源

 関西地方人一般は嘗ても今も、記録に残るかぎり奈良時代頃までに移民してきて以来、あらんかぎりの悪意で異民族差別をしてきた。彼らは「熊襲」「隼人」「蝦夷」「東夷」「エゾ」「国栖」「土蜘蛛」「やつかはぎ」などの差別用語を公式記録として記紀や風土記内で連発し、以後、その様な人種・民族差別の風習を国内で近現代まで続けてきていた。――昭和時代になっても大阪のサントリー社長・佐治敬三が東北熊襲発言をしたり、平成時代になっても大阪府警の機動隊員が沖縄で土人発言をしたりしたのが、その種の関西地方での差別風習の典型例である。

 仙台遷都など阿呆なことを考えてる人がおるそうやけど、(中略)東北は熊襲の産地。文化的程度も極めて低い。
――サントリー社長・佐治敬三、JNN報道特集、1988年2月28日

 大阪府警の20代の機動隊員は(2016年10月)18日午前、フェンスを揺らすなどして抗議していた市民らに「触るなくそ。どこつかんどんじゃボケ。土人が」と発言した。
 その直前にも、大阪府警の別の20代機動隊員が「黙れ、こら、シナ人」と差別的発言を浴びせた。
――『社説[機動隊「土人」発言]県民を愚弄するものだ』2016年10月20日 07:56、沖縄タイムス

以上のよう佐治や大阪府警の20代機動隊員らの発言は、寧ろ関西地方の差別の風習と、それに伴う民度(文明度、関西地方の平均知徳の程度)の低さしか証明していないというべきだ。
 そもそも文化に程度が有る、そして大阪人である自分のそれと比べ他者の文化が低いとみなす、という佐治の思想は自文化中心主義に過ぎないし、奈良時代に天皇家が輸入した中華思想をいまだに信じている文化多元性について未開な人物というべきである。
 また大阪府警の機動隊員の「土人」「シナ人」発言は、なるほど関西地方の人々が弥生時代以後に入ってきた朝鮮・中国からの移民であるいわゆる弥生人・渡来人の末裔意識を彼らが持っていることと照合されるが、沖縄が琉球王国として中国大陸の諸国とは別の国であったことや、そこを鹿児島の島津家と天皇家が侵略・王家を誘拐し主権を奪ったことあるいは日帝軍が国内唯一の太平洋戦地にしたことを当の大阪人機動隊員が知っていなかったとすれば、いかにも関西風の純粋に悪意ある愚昧な差別的言動にすぎないし、知っていて言動したとすれば完全に極悪というべきである。 

 例えば京都人(山城国人)の和宮親子内親王が江戸人(武蔵国人)の徳川家茂と婚姻するに「降嫁」とか「江戸下向」などと称してきたのは、近世までもとより日本先住民族差別的な移民地区・関西地方特有のこの種の門地差別意識、地方差別意識があった証拠であるし、中世界隈での「上方」「近畿」「京都」などの関西地方人らの自称もそれらにあてはまる。天皇家らが「東京」と武蔵国の江戸をわざわざ改称した事も同じ差別意識の発露である。

 戦後、人権思想が流入するに至り、彼ら関西地方人一般が常道としてきた差別の癖は、少なからず身の置き場をなくしてしまった。
 被差別部落問題として、関西地方人達は自らの続けてきた風習を悪風と非難された。そのうえ彼らが中華思想の源にしていた天皇家は、薩長土肥京芸の自称元勲と共に、長らく天皇家自身の卑しい悪意と偏見から、差別し見下してきた東京へ進んで侵略した。江戸以来日本最大の都市、首都が東京だったのは誰の目にも疑う余地がなくなっていたため、多数決の原理の元で、関西地方人らの悪意ある地方差別は、東京中華思想にぬりかえられてしまい、ますます行き場をなくした。
 こうして関西人の一部は東京にやってくると、相も変わらず東京から全国差別をくりかえすのだ。彼らは今度は東京人になりすましたり、少なくとも表面は同化したりしながら、関西地方で使ってきた差別の文法をそのまま用いるわけである。

 結局、関西地方のなかで、それまで関西の外に生きる日本人差別として続けられてきた悪意ある華夷秩序の図式は、より非難されづらい外国人差別のうち在日朝鮮・韓国人差別という形に向けかえられることになった。
 日本人一般は外国人ではなく、在日朝鮮・韓国人そのものでもないので、狭い利己心の範囲にしか良心を適用しないほどしか思いやりをもたない人々で、しかも嗜虐快楽の嫌いがあったり、或いは少なからず見知らぬ他者なるものへの悪意があったり、全歴史認識を自国民の誰かによる加害正当化の確証偏見史観で彩るほど共知が低かったりする人らは、この新たな差別を反韓・反朝鮮思想で上書きする様になったのである。

 桜井誠氏や竹田恒泰氏ら右派論客が共通してもっているのがこの在日朝鮮・韓国人および在外朝鮮・韓国人らへの偏見や特定の事実認定からの蔑視を含む差別意識なのであろう。東京・新大久保で公然と集団で民族虐殺を煽る憎悪演説をした桜井氏が2020年都知事選で約18万票を得たり、竹田氏について東京高裁が「教育現場に出してはいけない人権侵害常習犯の差別主義者」との論評は正当性がある、とみなしたのは決して理由のないことではない。その起源といえるのが、天皇と自称している一族の持っている中華思想であり、関西地方・東京地方に片寄って有る華夷秩序意識なのが事実なのである。
 例えばサンドラ・ヘフェリン氏はドイツ・ミュンヘンからの移民だが、「これだから田舎は嫌だ」などの明らかな東京中華思想(都心中華思想)の言動をしばしばおこなう(アーカイブ)。しかしこの発言は十分に都会といえるだろう横浜の事柄へあてていわれていた(アーカイブ)。すなわち、ここにあるのは都外蔑視としての地方差別の意識にほかならない。彼女は東京中華思想に明らかに感染している。ミュンヘンはナチ本部があった地域だが、ヘーゲル以来のドイツ自民族中心主義と、東京中華思想はその本質にある自己中心性が極めて類似していて形式的にほぼ同型なので、すんなりと思想的に同化できたのかもしれない。

2.自己中心性のあまり天皇家による洗脳を解けない関西地方の人々

 ではなぜ、関西地方や東京地方では、こういった天皇・都心・皇居・御所崇拝と裏腹の地方・田舎・異民族差別主義の言動が公然と行われる傾向にあるか?
 もしゴードン・ホドソンらによる"Bright minds and dark attitudes"(2012)などでの主張――偏見が高じて保守観念論を持ち易いのは低一般知能の者――が正しければ、特にこれらの地方で、一般知能の低い人々が有意に多い事が関係している可能性がある。都会では人口密度が高くなり、それに応じて人口比として、他の地域に比べ低一般知能の人々も一か所に集まり易い。したがって高人口密度の都心部になればなるほど、低一般知能の人々も絶対数としてふえてくるだろう。彼らを世襲政体の付近で結束させているのが、中華思想だと考えていいと思われる。

 天皇家の世襲政体は、こうして、もとの模倣先の中華皇帝と同じく、低一般知能の者にふさわしい社会をつくってきた。世襲政体は人種・身分差別などの偏見からきた馬を指して鹿と為す虚構の容認が必要で、実力や実利を見分けていたら少なからず馬鹿殿・馬鹿姫らの愚行と忠臣による身代わりの自己犠牲の間で無理をきたすし、佞臣・奸臣が出てきて王皇の名を借りた専制・寡頭悪政をすることもあるので、結局はなりたたないからだ。よって低一般知能の者ははじめから肩書と実力を見分ける能力も少ない筈なので、生まれつき差別されている高位の身分へその政治的公徳の有無にかかわらず従っていればいいと思考停止でき、相対的に思慮分別のある高一般知能の者に比べ、より世襲政体に馴染み易い。
 だからこそ、関西地方や東京地方といった天皇家の居住区では、天皇家自身を祖先崇拝の形で無謬の神格化する狂信的教義や、それに伴って彼らの絶対権力・絶対権威に従わない者への差別という悪魔崇拝の構図が、特に低一般知能の者を洗脳する形で、はびこっていく。

 先に挙げた関西上方意識(京都市上京区中華思想)や東京中華思想(皇居中華思想)をもつ差別的な人々もやはり、こういった天皇家による洗脳をおおかれすくなかれ受けた人々だと考えていいだろう。そのうち関西地方の人々は、既に天皇家が東京へ侵略移住後にも、相変わらず関西上方意識に居着き続けているという意味では、中華思想という差別主義の模因(模倣因子、ミーム)に操られている状態なのである。この模因はもとは天皇家が大和王朝の絶対権力を確立するための神道政治という形で、奈良時代以降に奈良政権の権威づけに伴う宗教観念として関西圏へ広くばらまいたものだろうが、天皇家が去ってからも同地方には模因の型だけが残存してしまい、遂には自文化・自民族中心主義として、関西地方人達を自己崇拝と裏表の異民族差別へ向けて脳内から動かし続けているのである。
 明治以来令和の今まで、天皇家は東京地方人となったため、関西圏のその種の上方意識とは摩擦を生じる様になった。それまで天孫降臨・神武東征と称する侵略渡来人の末裔として天皇家は「東夷」などと首都圏・関東地方の人間と文化的社会とを、中華思想の枠組みで差別してきた。しかし彼ら天皇家自身がその「東夷」の一員となって、嘗て属していた関西圏から自身のばらまいた模因で、差別される側に入ってしまった。天皇家は純然たる悪意で、すなわち害意か、事情通かいづれかで、関西圏の外の地方人をあたまごなしに問答無用で差別してきていた。だがその稚拙な絶対政治の構図は、自ら洗脳を解けない関西地方の人々からの相変わらずの差別と偏見で、今では天皇家自身の首を絞めているのである。