2021年6月8日

最近私が受けた検閲被害のあらまし

新聞に綿矢りさが有識者会議に入ってて、心からびっくりした。しかも皇室会議系の。ほかに漫画家もいたのでこれまたびっくり。

以下この節、僕の感想文だが、『インストール』は原宿のブックオフに100円で文庫あったから多分同じ値段くらいだった『蹴りたい背中』と一緒に買った。21歳くらいの頃だったと思う。で『インストール』はなんか文章が序盤ですでに卑俗で嫌な感じがしたからとりあえず気分悪くて読めなくて、それよりは文体が普通な方でましな『蹴りたい背中』のずっとあとから読んだ。気持ち悪くておえーっとなりながらも、やっと我慢して読んだのは20代後半とかだった気がする。
その『インストール』の方は風俗チャット小説で内容がとにかくひどい。文体もひどいんだけど。内容の方がよりひどいので、語りたくない。感想文だが。そんな次元ですらないと思う、真剣に。吐き気してきたけど。ちょっとだけ書くと、なんか高校生女がロボット? だったかなんか、コロ助みてーなのとチャットしながら、男を騙してる話で、凄くひどい。詐欺っぽい描写なのもひどいが、未成年が自分の性を売り物にしているのもよりひどいし、何もいいところはないと感じた。心から。しかも文章そのものもなんていうのか低俗感がひどいし、あれを出版した東京人は頭がおかしいと思う。僕の感想ですよ。素直な。心からの。携帯小説的なものとでもいいますか。あのね、僕らとか藤子F不二雄の大長編どらえもんとかのらくろとか読んでるんだよ。ノンタンとか。京都みたいにさ、けがれてないの、心が。野口雨情の地元ですよ。私。同じ出身です近所ですから。かーらーすーなぜなくのーとか。童謡うたって育ってんのね。こっち。まるで違うから。文化。京都は都会ズレがひどいね。読んでわかるよ。
 まぁ東京の出版屋なんてね、そんなもんなんですよ。岩波茂雄くらいだよ。偉いのは。売れりゃ何でもありと思ってんだ。普通。京都の女子校生ですー話題の作家ですーいうて売り出してたんだぜ。当時。すごかったよ。新聞とかテレビとかで。あれ、商売の連中です。普段の都内のさ、出版業界みなさい。ひどいから。民度が。嫌韓本なんてどんだけあったと思いますか。何か謝ったか、彼ら。何も謝ってないだろ。僕がコロナ禍五輪を狂気と一言で真実いったら速攻で検閲してくるのにだぞ、都民って。自分らは金儲けの為に民族差別満載で嫌韓とかいってたんだよ? どんだけ卑怯者の集団だと思いますか東京都って。もと都知事の『聖餐』読んでみ、石原とか強姦殺害小説屋だからな、いつもいうけどさ。そんなのが羽振りきかせてんだぞ、芥川賞って。当人も受賞者ならば、審査委員ですら。完全に害悪社会じゃないですか。作られて以来ずっと最悪の賞ですよ。これ。合理化とかじゃないからね。普通にそうなんだよ。歴史的に。芥川の自殺を利用した販促賞で。名目的には若手作家助けとかいってるけどさ。所詮が商業出版だから質が低い低い。俺が文春からやるぞっていわれても漱石が文学博士固辞したみたく拒絶するぞ。まじだからな、これ。
 まぁどうでもいいが、ノーベル文学賞もなんとなくいらねーからな、俺。ひねくれてるとかじゃなくてめんどくさいもん、授賞式いくの。その時間あったら文学書いてるわ。詩とか。哲学かんがえてるわ。素で。だってさ、罪滅ぼし賞だぞ? ダイナマイト発明者の。いらねーわ。由来からしていらねー。サルトルも拒絶してたよね。でも俺の方がより真剣に賞の実質みて拒絶するからね、下らない賞とか。なんで上から目線で貴様らごときが俺をほめてきてるんだと。俺達を貴様の殺傷道具販売罪の生贄にしてんじゃねえ、で終了です。芥川賞も同じだよ。生前に純粋な小説書いてた親友を貧乏で放置した菊池が悪いわけで。俺じゃねーし、それ。通俗作家だった菊寛のせいでしょうが。親友の名前を売名に使うのもどうかと思うし、後世の人間を貴様の罪滅ぼしに利用するなと。武士の風上に置けませんよ。当然。
 で。『蹴りたい背中』は、出版されてからまー2年くらい経ってたのか知らんけども、ブックオフで既に100円くらいだったとはおもいますが、それだけ出てたんだろうね、世の中に。原宿から買って帰って、調布の下宿ですぐ読んだ気がしますが。オタクへの変態性欲(嗜虐快楽)じみた或る種ろくでもない落ちではあるが、京都の一部にいると想定された高校生女子っぽいうぶな媚びの表現ぽかったわけです。私、全体として京都っぽいもの、平気で面と向かって嫌味言ってくる様な感じとか、都会ずれしてるようなデフォルト売春社会みたいなのが性道徳的に吐き気してくるし余りというかまったく肌に合わず、そっちの世界、祇園社会的なお座敷秩序そのものが嫌いだが、しいていえば初物ゲイシャみたいな感じを書きたい意味はわかったが。そして大いに判断を誤った事にこれを読んだ当初、僕はこれが、この作家の本領だと勘違いしていたのだ。僕が余りに善意過ぎた。いかにもありそうな話。常陸人とか基本さ、農村社会で、根が善良素朴だからね。山城人とかその真逆だしね一般に、そして実際にあった。
 そしてだ、次に出てきた『夢を与える』はアダルト(姦淫)ビデオ集団強姦小説で完全に石原慎太郎と都庁で対談するだけはある、物凄くひどく低俗かつ悪趣味きわまりない話で、読んで吐き気とかがしばらくとれなかっただけ悪い方のショックを受け、以後見限って読んでない。こっちについてはもはや解説とかできませんね、子供に教えられないレベル。思い出すのもダメ。既に真っ青だし、私。
 誰だってそんな生涯治らない心的傷害なんて何度も受けていられないのである。いまだに失神級に血の気が引いてくるし。
 はっきり言わせていただくと私の方がはるかに生まれ育ちがいいので。だってさ、たんぽぽをふーっとか飛ばしていた子供である、私。親友のあっくんと近所の川で遊んで、近くのホットスパーで買ったおそばをそこの川べりで食べてた、それが休日、とかですよ。ピクニックレベルの日常送ってんだ。武士・紳士の階級が。公務員家系ならそんなもんじゃん、中流って。そんな殆ど絵に書いた様ないなか生まれで、大学進学期に(結局美大芸大いきませんでしたがね)成人ころ都会に住んでみたら。別にそれが甚だ最上で立派ともそこまで思えないいなかよりさらに、ザ都会ザ東京とははるかに道徳も人心も崩れ落ちていて、自然も汚されまくってて、本当に酷い社会だなと感じている人からしたら。その原型にあたる京都の不良な高校生社会も含め、最底辺みたいな場を描いてある、これらの3作品が、どこまでも都会ずれしている、卑俗な作にしか見えなかったのである。考えてみてもさ、そうなるでしょ? 東京生まれ東京育ちで心が汚れてる人ならわかるよ、魂が。すれっからしならいいねーっていえるのかもしれんわ。でもこっちいなかなんでね。全然すれてません。宿命的に当然の感想というべきだ。
 僕が好きな小説って、パブリックスクールの郷紳な先生と、素直な生徒の心のふれあいを描く『チップス先生さようなら』とかなのである。まるで趣味が異なる。読んでみ。まるで違うから。善良さが。映画の方じゃないよ、小説の原作だよ。心温まるお爺ちゃんの回顧録。表面的な知識とかじゃない、貴族義務を守って公平さを重んじる、人の心を大切にする精神を伝えるのが本当に大事な教育なんだ、という教科書的なのだから。それで孫みたいな生徒がせんせーいってたずねてきておしまいだから。童話にするのはちょっと高度すぎるかもだけどさ。
 だから2chとかで水と油みたいに弾かれたし。以後も京女と、ろくに気が合った試しがないよ。僕からすっと、どこからどこまでも、本当に、相手がすれっからしにしか思えんのである。そうなんだもん、本当に。京都人ってね、通常、擦れてる方が偉いと思ってんです。僕と逆ですから、価値観。人生観。僕は素朴な人が好きなの。天然だと若干困る事もありますがね。僕と余りに相性が悪いので、京女なるものを本気で天敵くらいに感じているからね。何度心底嫌な思いをした事か、イケズなことされて。この綿矢の3作読後、京都関連とみたら忌避する様になったし。『夢を与える』の余りの下品加減とか顔面真っ青ですよ、私。親にみられたとかですらなくて。一人で読んで、わが良心を毀損する事この上なかったからだよ。しかもさ、これも本当毎度書いてるけど、2chの綿矢スレで濡れ衣されて、本当にショックうけたから。
 なんかちゃねらーのセクハラ発言を注意したら、セクハラ楽しんでたのにいうなや! みたいに、京女みたいなのが飛び出てきて、私がしぬほど濡れ衣されたんです。あれも酷い経験ですよ。その後も10年くらい名誉毀損されまくったしね。2ch中で。警察に相談しても無視されたし。心的外傷後ストレス障害どころじゃないよ。毎晩お布団で涙ながして神様に祈ってたんだから私、救ってください、お助け下さいって。

 これと逆に、僕がいいね、と感じられるのは、これも直接行ったけど、あれである。あれ。岩手。岩手県には新渡戸記念館もあれば、山猫レストランもあるけれども、岩手の文学みたいなのが好きなのだ、僕は。素朴で。宮沢賢治か。天然で善良ではないか。

 総じて綿矢作品は悪徳賛美かその容認に近い傾向があり、モラリストであるところの私には読後感が悪く、私と似た思想傾向を持つイマニュエル・カントさんに読ませても、きっと凄く眉をしかめて嫌な顔をしたと思う。僕も事実そうだ。というか僕の方がカントより繊細至極なので、今みたいに『夢を与える』読んでから15年以上たってるのに、読書時をおもいだしただけでまだ軽く吐き気というかおえーっうえーっときて、気分がズーンとわるくなり気が遠くなる様な感じがしてくるのだ。綿矢という人は、石原と同系統の、いわゆる頽廃主義の私小説的作家なのは確かである。まぁそういうガラパった作家も沢山いて、日本の場合は、文藝春秋社やそこで芥川賞を作った菊池寛らのせいで延命され、この傾向を持つ作家が謎に職業化してしまっている。私小説の様式的源流になっている自然主義(自然な感情の尊重のうち、特に告白文芸)が出てきたフランス含む諸外国では当然ながら、頽廃主義の系譜が職業化なんて全然してない。
 文学において悪徳賛美がはなはだ権威を帯びている、というはっきりした傾向を持っている文化圏は、腐敗した朝廷の元で皇族姦淫小説を書き散らした人を頽廃的世相の中でほめちぎっていた関西地方と、今の私小説がザ文学だと思われている東京地方、全世界でこのいづれかだけである。当たり前だけれども、ほとんどすべての世界はこの逆に、一般に、美徳を善美とみなし、悪徳は醜悪とみなすのである。美徳をダメにし、悪徳を善美と混同させているのは、端的にいって、関西や東京に特有の、ダメ文化的偏向で、現時点でも全盛状態な既往のダメ人間万歳的性質なのである。これを「物の哀れ」ともいう。「都会(京都に限っては自称都会)の自堕落」ともいう。
 けど、いづれにせよ、とりあえずこの綿矢という人、皇室研究専門の有識者とかでは全然ないと思う。客観的にみて、ただの風俗小説家、ここでいう「風俗」は性風俗の事に限らず、ならわしのことで、いわゆる通俗小説家と思う。わたしの一文学研究者、又その現代の書き手としてもの、或る小説を書いている人への客観評価として。真剣に。勿論、彼女は、平安朝関連の中世文学の研究者とかですらない。ということは、竹田恒泰氏も動画でいってたけど有識者会議ってもはや形骸化しているのである。竹田氏いわく既に案件は決まっていて、適当に民間からそれっぽいのを呼んでありきたりの意見いわせ、国民に「はい、(一応)やりましたよー(実際はもう決まってましたが)」て示す為の装置らしい。でもそれって本来の有識者会議ではない。意見公聴会ですらない。要は内閣の息のかかった駒である。出来レース。いかにも平安京(中世京都)的な腐敗の様式美、いや様式的醜悪である。そんなのが常態化している政府って、終わって当然である。だってまともな国でまじめな政府がそんな事、やるわけないんだから。歴代中国王朝とか、平安朝の受領政治体制とか、賄賂の田沼政治みたいに、今の日本政府、もうなっているらしい。

 これに限らず、今のスガ内閣って、なんか色々おかしいことは間違いない。一番、国際社会のみんなが驚いたというか呆れたのは、日本学術会議を大弾圧したところである。科学を否定? 近代文明を否定してんの? なにそれ? と思ったからである。でもスガさんとしては、政府に文句つけるな、という、暗君的な願望の方が優先されてしまっていたみたいだった。
 これ以後みていても、皆兵令の三浦瑠璃、国家社会主義(ナチズム)で日本企業潰し財閥論者のアトキンソン、この辺りを側近にしてるから本当におかしいなーおかしいなーと良識派・自由派はみんな感じていたはずである。その上で、スガ氏はなぜか携帯業界だけ狙い撃ちにしていた。管理価格の形成は独禁法で対処すればよいのであり、行政がやる仕事ではないだろう。なおかつ、このコロナ禍での無為無策ぶりを晒しまくって支持率が急落中である。そこでブレーンだった高橋洋一氏がツイッターモブ典型の上げ足取りで炎上させられた。彼の動画によればもともと社長さんらしく、政府には請われてボランティアで仕えていたにすぎないとのことで、あっさりおやめになった。スガ内閣は次の選挙までに、あの空気読めない枝野幸男が追ってくる可能性は低いものの、内心、焦りもあるに違いないのである。
 しかるにこの万事にみえる、ある種の通俗的な庶民政治っぽいおかしさは、最初は漢字の読めない麻生総理ネタあたりから出てきた気がするが、本気で遵法精神を理解していないし、憲法も平気で破るし、相手へ指差しニッキョーソなどと連呼したり、議論する気も基本まったくないにひとしい安倍内閣で本格化し、今となっては取り返しのつかないところまできている。特に、人口が多い商業地区になっている神奈川県の民度を反映している様な、こういう「庶民主義」な案件が、現内閣ではとても多い。例えば一言しか読めない愚民大好き回文大臣で有名な小泉進次郎も、表現規制大好きブロック大臣で有名な河野太郎も、神奈川選出の公僕である。知事もずっと黒岩祐治なる、よかれあしかれ庶民派な元アナウンサー知事で、「それいけコロナファイター!」とか言っていたし、やる事が素で幼稚な場合が多い。ちなみに海の王子であらせられる小室圭殿下も神奈川でございます。旧華族は子爵の大久保家しかいないみたいである。
 前から分かってはいたがどうも東海道を辿ってきた関西商人のたまり場みたいになっている神奈川って、そういう、ザ大衆商業社会なのが一般に確かの様だ(食料自給率は約2%、東京・大阪に次ぎ全国で3番目に低い。農水省、2005-2015平均値。2018)。一々、殆ど何から何まで、彼らとくればまるで、やる事が通俗テレビ番組みたいである。そしてそれを庶民政治で是としている節があるのだ。

 僕が見るにあと10年でこの国は亡ぶ。趨勢から見てそれは不可避だろう。
 彼ら日本国民が、一般に日用しているTwitter日本語圏なんて、日常的に言葉狩りしてくるのである。言葉の置かれる文脈とか完全に無視して、言葉面だけで。『1984』と何の違いもない。やたら褒めている言葉遣いでも、みずからの(衆愚の)悪意でその言葉が悪い言葉だと勝手に決めつけ、単語単位で黒塗りしているのって、自分はまだナチと特高警察以外しらなかった。しかしツイッター日本語圏も今、まさにそうである。ツイッタージャパン社の中の人や、その利用者である日本人一般が、日本語をおよそまったく読めなくなっているのだ。
 当然だがそこまで知的・道徳的に没落してしまっている国なんて長持ちしないだろう。他国らはまともなままなら、現日本体制はそれらの国々から色々な知謀で征服され、世界から消え去るだろう。それを含む、内部の自壊的な混乱も現に致命傷になっているのは確かだ。衆愚は自国民のうち善良か賢明な人々を進んで攻撃するのだからだ。

 問題は完全に終わった日本のその滅び方だ。武士でもなんでも死に際に立派なら全体が立派だったことになるかもしれないが、見苦しい死に際を晒していたらそれは実に立派な国だった、とは記憶されないに違いない。人類史は過酷な戦場でもある。多分現時点の流れだと、日本は世界史で最悪の国の1つだった、という形で記憶されるのではないだろうか。衆愚化して亡びてしまいました、が既定路線だとしても、どこにも現行の最悪級の日常へ、改善の予兆がないのだから。

 ツイッターは今までも余りにそこにいる人達が悪質で、暗愚で、心からうんざりしていたが、『ツイッターで言葉狩りに遭った話』で先に書いたよう2021年6月3日に突如、かれらは言葉狩りを始めた。それまでは普通だったのでおそらくだが、推測できるところ、明らかに内部で何か変化があったらしいのである。去年あたりから日本青年会議所とつるんでいるので、何かそれ関連で、言論統制のきらいがはなはだあるスガ内閣政府・自民党側と同調か共謀かしている可能性もある。
 以前、2chが、自民党ネットサポーターズクラブから似た様な攻略された際、いきなり右派的な言論がふえまくったので、なんだこれ? と思っていたらあっという間にちゃねらー全員ネトウヨ化され、右翼一色になっていった。もともと日本人なるものって一般に、「群れる為に群れる」自己目的な群衆化の習性をもつので、匿名集団での扇動に著しく弱いのである。僕の経験上、Twitter日本もあと数か月で、言論弾圧祭り、検閲祭り状態で、完全に総統万歳状態になるはずだ。繰り返される検閲の雰囲気から、どうみてもそっちへの大弾圧の実行中で、世論誘導でしかない。日本史上これと似た様な感じだったのは、安政の大獄である。当時、大弾圧を受けて殺されまくったのは尊王派(正確には尊王攘夷派)だった。

 検閲の先手を打って国連・米政府・宮内庁へ、今、国政やSNS界隈で起きている事のあらましを通達しておいた。一応、請願法に定められているので日本政府の内閣にも宮内庁へ送ったのと同じ文を送っておいた。勿論それらも消された、正確には刺客がくる前に、ツイッター上に証拠が残らないよう消したけども。しかし検閲は強まりこそすれ弱まりはすまい。すでに現内閣は、実質的にナチ化しているのだろう。一番異常なのが取材メディアの締め出しだが、僅かなりとも反論や疑義を、始皇帝状態なスガ氏の一存で、内閣周辺で握りつぶし封殺してしまうしくみになっているらしくみえる。そのことを予測しつつ、先日、スガ氏へも敢えてツイッター上で茨城県北の立場を伝えておいた。彼に最後まで良心が残っていれば、彼の師にあたる梶山氏関連への恩義で、この地域だけは何らかの形で守られるかもしれない。

 けさツイッターを開いたら既にそれらも検閲されていた。ツイッター社は今度は別の文言「老害」で言葉狩りをしていたらしい。
 無論、私がこの言葉を置いたのは、高齢者が問題行動を起こしている場面の一般的例示として「コロナ禍五輪を老人達が推進して(高齢者ほど死亡率が高いため)自分達を死なせる、それならば、この集団自殺行動を政治的にみて、暴走した老害の振舞いとみなす比喩を使う人も当然いるだろう」という至極当たり前の話で、誰か又は特定集団を中傷したわけではまるでない。しかもこの直後に壮害、若害など別の言い方による年齢別の比喩も併記していたので、特定の年齢を差別する意図など、だれもにそこにある筈がないのだ。しいていうならあなたがた都民さん、年齢とわず、この状況で五輪推進なんて全員混乱してるよ、と岡目八目の外部から教えてあげている文面なのである。
 けど、老害なんてそこらのブログだの現代語辞書にだってぐちゃぐちゃ載っている言葉で、検閲するのは明らかにおかしい。検察して見た限り、Twitter上でほかの人達もばんばん言っているのである。じゃあ「悪徳に満ちた一部の高齢者」(老害と同意)と置き換えれば、これもまた弾圧対象なのだろうか。通報する方も気が狂っているけど。
 すなわち、政治的、または個人的意図で、特定の個人による発言をわざと悪意で、弾圧している人がツイッター上には明らかにいるのである。かつ、ツイッター社は十分に愚かまたは悪意なので、そういった虚偽通報を、本来の中傷・差別ときちんと見分けることができない。ツイッターは捨ててきた。
 言論弾圧に加担する様になった媒体が生き残る事もないだろう。

 でも冒頭で書いた通り、この国の狂い方は、万事に及んでいるのだ。自分はこの危機的状況下で直感的に水戸学の文脈、いわゆる尊王論で、皇室だけは守らねばならないと考えたので、先回りして上記の文言『コロナ禍のもとでの五輪開催の可否や、眞子内親王殿下のご婚約に関する国民側の状況について』を内閣と宮内庁へ送っておいた。請願法が機能していれば皇室の誰かが読むかもしれない。
 そこに書いたのは、男系派や五輪推進派が国内を荒らしているけども、過去の伝統は女性天皇もいたし、男女同権から普通に女性天皇は認められるべきだという事である(ちなみに今日の茨城新聞によると、綿矢氏もあなたの意見を聴いてる場なのに世論引用の形で責任逃れっぽい「官僚答弁」をしていたが、女性天皇認めるべし的、ほぼ同じ意見をほのめかしてました。別に誰かが女性天皇容認だろうが、その人個人の意見だろうという話で誰も怒らないだろうに。いつもの話だが、こういう底抜けにすれているといおうか、例の権謀術数に満ちた利己主義で、自分だけは守ろうとする、ぬるぬると言い抜ける感じのずるい京都的言動が本当に好きじゃない、私は。武家統治の伝統が根底にあって、正直を尊ぶ傾向の文化なのだ、関東圏、首都圏って)。そしてまた偶然、一夫多妻では男性子孫が多かったので男系相続風にみえていたかもしれないが、現実には女性同士で継いでいた事もある(元明・元正)ので、皇家に限ってもそういう男女差別の風習はないという真理だ。また五輪推進で被害を受ける国民ははなはだ反政府的になる事が誤りないが、そのとき皇室を潰そうとする勢力も最大限の力をもつので、下手するとフランスやイギリスで起きた断頭台みたいになるが、皇室が国民へ仁慈を示していればそうなりづらいと思う。一般世論は別として、少なくとも直接処刑する公務員(刑務官)達が心理的に自らの行いに疑いを持ち、法律・政治上逆らえないとしても、最低でも全皇族の最期を、誠実な記録に残してくれるのではないか。
 なので、全ての流れをみるに恐らくほぼ間違いなくそうなるだろう事を予想し、事を慮って皇家の為の忠告として、国民に仁慈を尽くされるよう書いておいたのだ。もし天皇なるものの最期が、処刑を望む国民らへの憎しみの言葉であったら、それは自称皇家の末路としてはかなり惨めな歴史となるだろうから。