2021年3月12日

醜いツイッター民の全貌解読

東京人らの傲慢さは救いがない。
 僕は東京人らにずっと失望し、また呆れ返るばかりか彼らの俗悪さ、悪質さに憎悪の念を感じる機会も相当あったが、最近のその実例は次の様なものだった。勿論彼らは全然同類ではない。
 まず自分はツイッターを発信側でも利用する様になって約3年経ったが、はっきりいってあれは愚民専用装置みたいなもので、近づかないで済めばそれに越した事はない。2chと最低民度ぶりは全く変わらない。その中で少しは芸術関連の事を言っていた奴らにちょっとした批評を返信していたら、これまた凄まじく不快な目にばかり遭った。即ち地獄なのだ。
 Mという人がいる。この人は恐らく、当人は自分を教養人の類と考えているかもしれない。しかし美術、芸術関連については素人に情けない毛が生えた程度しか知見がないので、全然会話になりえない次元であり、僕は一種の親切心で色々忠告じみた返信をしていた。何せ本当に教養に関心があったら学習機会は有難い筈だからだ。無論、これはまるで自分の勘違いだった。それに完璧に悟ったのはさっきのことだ。
 Mは論壇芸人であり、本質的に売名稼業のためツイッターに属しているに過ぎないのだ。だから彼の教養主義は振りで、単に自己喧伝の手段として演じられている偽装の手管なのだった。自分はこういう思い違いが大層多い。なぜかなら、どうも自分は生まれか育ちかいづれもかが世人の俗悪さから大差があって、自分からみると俗人達の考え方とか感じ方は当然だが全く想像の外にあるため理解は絶対にできないらしいのである。聖人君子からみればこの世は地獄に蠢く悪魔どもの集まりであろう。自分にとっても全くそうなのだ。自分はMを自分と同等程度の思慮の持ち主みたいな誤った前提を置いていたので、彼の浅ましい人間性、不道徳性、具体的にはとある重大犯罪人を褒めちぎるとかくだらない下賤な作品をやたら褒めそやすとかに一々忠告してあげていた。だって自分なら勘違い以外でそんなことはしないからだ。だが真実はそうではなかった。単に鈍いので倫理的・感覚論的判断力がない、という人がこの世にはいるらしいのである。
 いうまでもなく自分には異星人の様にしかみえない生物に、いくら自分と似た倫理観だの感覚だのを期待しようがそんなものは到底なりたたない。
 僕はこの種の非対称性、つまり僕より周りの人達が恐ろしく野蛮で、対人接触のたび彼らの甚だしい悪徳ぶりとの摩擦の被害に絶えず遭う、という経験しか、生まれて36年間、一切したことがない。自分と似た経験をしている人がどこかにいるのだろうか。聞いた事もないので自分だけ特別な生物だった可能性も十分にあると思う。僕には人類なる存在は、少なくともまだ1人の例外もなく、自分より遥かに野卑で、到底付き合えないのである。
 だったらMだって当然そうであり、何を間違ったか話が通じる前提に立っていたのが過ちの始まりだ。これで大層時間を無駄にした。ツイッターで話が通じる相手がいるなんて想像がつかない。だってどうみても全員しぬほど頭も性も悪すぎる俗物だけなのである。
 つまりこういうことだ。自分は大変な善人なので、他人を前提的によい方に捉えすぎる。この資質は、いわゆる聖人の体現しうるものなので、自分は恐らくだが聖人なのだろう。これは後世が振り返れば既に自明のことなのかもしれない。だがいづれにせよ確かに、どう見ても自分より下劣な連中ばかりが世間に溢れているので自分にはこの世は純然たる地獄なのである。
 だがそれに気づけたという事は一つの重大な進歩だ。
 今後自分は二度とMだのなんだの、ツイッターの俗悪な連中に時を取られることはなくなるからだ。自分なら絶対にやらないほど品性下劣な売名行為みたいなのをあそこの人達は常習的にやっているのだった。だから自分には最初から理解できる筈がなかったのだ。
 匿名衆愚にも全く同様のことがいえて、これまた自分には理解不能に決まっているので、彼らの客観的分析に2年以上も使われた。時間の無駄にしても計3年間も浪費されたのだからツイッターは今すぐ滅びてほしい。それだけ罪悪に満ちたサイトなど、2chくらいしか思いつかない。ピグも心底ひどい場所だったが。
 この世には知らない方が幸せな事が沢山ある。その中でもツイッターで自分がみた、人間性の汚さの山は、なるほど永久に知らない方が自分の人生を遥かに愛でるべきものにしたに違いない。ツイッター民は全員滅び去るべきであり、それだけ邪悪な言動ばかり毎日しているのだから地獄の中でも相当下の部類にいる人間達だと断定できる。