2020年8月21日

18才の自伝 第二十四章 保谷自転車屋業界の明暗

『18才の自伝 第二十三章 はじまりの朝』の続き)

 ツイッターで長文になってしまうのは問題ありそうなので、遂にブログで書く事にきりかえてみたが、書いてて思うけど、冗長性が必要な文章の場合、ツイッターだとどんどん流れていってしまうし、全体像をみるにみきれないだろうし、向いていない。たとえツリー状にしても、辿りきれないだろう。それではブログに初出なら思う存分、然るべき詳述加減を発揮できると思うので、今後この自伝は22章までよりずっと解像度があがるのではないかと予想する。んじゃ最初からそうしろよって話だったが、気づかなかった。まさかツイッターに短文厨の空気があって、細かな話書こうとすると気を使って、つい短めに省略してしまうなんて。多くの人々が見る可能性があるが、その代償も、甚だある。

  ユーチューブでいえば歯車マークでHD画質にきりかえた位の違いは出てくるかもしれないので、実際この章以後は、読み込む人にとっては興味深い、諸々の質感が、小説より事実に即して現われる、かもしれない予定だ。


 それで僕は保谷から遂にドバタに通う事になる。けれどもその頃、僕は今よりずっと世界に絶望していなかったので、いわば世間を知らなかった。もう随分しった今からみると、唯の西東京の割と小さな街をよくあれほど新鮮な目でみていたな、と逆に関心する程だ。実際自分以外の人々にこれまでどおり開陳されなければ、永遠に世界の隙間へ滑り落ち永久に失われてしまったろう諸々の委細を、なるだけこの世にあらわし、残しておくつもりだ。

 僕はあの街で先ずはじめに、以前行ったコーポ豊島(12章参照)へのルートで辿って行った。大泉学園の不動産屋さんに車で案内された時、そこから水色下宿まで来る途中で、車内からみていてスーパーがあった気がしたので、そこを見つけようとした。だが自転車(折り畳み。14章参照)でかなり行ってもなくて、結構遠くまで行かねばならない事がわかった。

それはここです。BIG-Aなるスーパー。僕が行った時もやっていた。そして一生でたった一度だけ行って、二度と行かなかった。僕はここに自転車を停め、中を見たか、何か買い物したと思う。そしてデイバッグにそれらを詰めて、帰り道に着いた。

 途中にはパン屋さんがあり、いい香りをさせていた。古語かほりだろうが、現代語かおりだろうがそこはどっちでもいいだろう。行く途中でみたら店の前には、バイト募集と貼ってあった。僕の勘違いでなければ、この日の朝1回しか、一生で通りかかっていない。

しかし僕の中には或る感慨が生まれた。それは一言でいえばメルヘン的(店名通り!)な想像で、なんか早朝のバイトらしいので、ここでドバタ行く前に毎朝働いたら素的(素敵)でいいんじゃないかな、というまたもジブリ的空想。どんだけジブリが無意識に浸透してるのか僕の世代、もしくは僕とO。金曜ロードショーの洗脳は実に凄まじいのである。あのI先生による忠告さえなければ、ここで僕は少なくともなんらかの救いを得ていたのかもしれないし、別の絶望を、あるいはその他物語を得ていたのかもしれない。その空想は僕がアニメーション映画を作ったら、あるいはゲーム作品を作ったら、やっとどこかで漏れ出すかもしれない――ものの、ドバタでオリエンテーション後最初の授業はじまる前の、18自転車に乗ったまま足ついて立ち止まったその場で、とわに魂の奥底にしまいこまれてしまった。多分、僕の幼児期の端はなから相当一貫して内向的な性格をもっと外向的に変えたかもしれないその分岐路は、仏壇の下のねずみがあけた穴から繋がるどこかで住まうアリエッティやミッキーたちみたく、幻想と現実の虚実皮膜を、虚構によって曖昧にでもしないかぎり決して表に出てこない、ある別の未来を示していたのだろう――か? 違うか。

 ところであのきえた水色下宿から通りに出る右手には読売新聞とか書いてある新聞屋があった(12章参照)。そして12章で遡れるグーグルストリートビュー(ストビュー)画像では出てないが、通りに向かって左手出口(新聞屋の向かい)には、今は住宅になっている角だが、おそば屋さんがあった。どんだけ僕はそば屋に縁しかないのか知らないが、結局住まなかったコーポ豊島の1階もだし。そもそも僕はおそばが好物である。にもかかわらず、灯台下暗しみたく一度もこの、決して新しいとはいえないご近所そば屋さんにひとりで一度も行かなかった、と思う。蛮勇がなかったんだろう。しかも僕は江戸っ子みたいにご近所さんとベタベタなれあうタイプではない、そういう極度にちかしいご近所づきあいみたいなの、僕の生まれ育ったいくらか都市化されている町内会では幼児期に「なになにちゃん、あーそーぼ」とチャイムより呼びかけ声をしていたのだが、連日遊びに行っていた以外では、そこまで普通ではない。正確に言うと、僕が1年後引き揚げる日に、両親のうち父がここでいいじゃんみたいに半強制で入ったので、僕もそこで食べたはずだけど。お店の人(普通のおじさんとおばさんが経営していた感じだった、かなり昔からやっていたのだろう)も、想像を超え親切な感じで、最初からたまに入ってたら少しは都会で保護者代わりの或る慰みみたいな親しみなどが生まれた可能性もある。尤もこの僕は人見知りの極み、でもないがそれなりの人見知りなので難しかったかもしれない。どっちにしても僕を守ってくれた大人は、この保谷で、あるいは池袋圏で基本放任のI先生以外でさえ誰もおらず、あとで書くが、下宿から通りに出て西のほうへ進んで行った場所の左手にあった或る自転車屋なんざ、素で詐欺ってきた。そして潰れた。因果応報というべし。

それはここである。もう出した。早い。予定変更してこの章で書く。多分だがここだったと思う。僕がいた時は、ここに自転車屋があったと思う。

 そして故障したブレーキを治してもらおうとここに入った僕を、詐欺って1万円要求してきた。ブレーキのチューブが途中で絡まってて、修理自体は自転車を店内に運び入れてからものの10秒くらいで終わった。

 僕が

「ブレーキ直してもらいたいんですけど」

といってから、店の中に馬券の話だかしながらラジオで競馬かけて、円形の石油ストーブにたかっていた(って事は時期は春先で寒かったのだろうか)、3、4人の不良おやじ(大体50代以降で、いかにもカネに縁がなさそうな服とうらぶれ感)のうち1人、店の主人ぽいやつが自転車屋の看板かかげてるくせ幾らかだるそうに、というか話題が中断されそれなりに億劫そうに

「(自転車)もってきてみて」

といった。それで僕が自転車を持りあげ、この段差をこえて店に入れてから、おやじさんがブレーキのチューブをちょいって引っ張り、車輪回してブレーキが利き直すまで、計30秒以内の出来事。

「1万になります」

と、目見つめながらそのおやじが言ってきた。 

 早生まれ18才のつぶらな目を。けがれを知らない、大人なる立派でなければならない存在に憲法上期待されている教育的資質と義務をなんら疑う事さえなく、人の純粋な良心をも前提条件として信じてやまない、未来の聖人、無垢なばかりか、まん丸に輝いていたその来世も前世の因業をも見通す、ただの人格主義(人を単に手段としてのみならず常に同時に目的としても扱え)を超えた光の四格(light tetrad。人格主義以外に人間主義、性善説、自己犠牲の性向を兼ね備えた性格)の目を。

 普通に考えて、タダでいいよ、となる場面である。しかしながら裏に控えているのと併せ、4人の大分たちのわるそうなおじおじいさん相手に18才少年が袋叩きにあいかねないので、しかも僕は武士道精神があるので暗にカネにきたねえやつらだなと軽い軽蔑感を感じつつ、その時はなんの抗議もせず、親もふるさとだし後ろ盾のない子供だけに素直に、水戸のマルイだかどっかで買った人工皮っぽい白に緑の帯が一本入ったあの財布からお札を取り出し、その場で払わざるを得なかった。自分より身長の高いまあまあの体格のおやじであり、冷酷無慈悲なサイコパシーに満ちたその目が若干恐ろしいのに加え、大人(というか中高年)集団で、いかにも世間知らずらしい一少年の弱みに付け込む、その堕落した人格集団とかれらの一生への避けられない侮蔑感情も加わって内心の深くでは腹立たしかったが、寧ろ、最初に頼って入った近所の自転車屋がこうなんだから、東京ってろくでもない拝金スラムじみた異文化の街で、基本がこういうものなんだろうなという風に学習した。僕が「ありがとうございました」とかいって自転車を外に運び出し、一刻でも早くその納得行かない世界を去りたかったし、喧嘩売られたら大人4対子供1で勝利も難しいので、後ろを振り返りもしなかったが、じいさん連中、そのあいだ誰も一言もいわず押し黙っていた。恐らく僕が去ってから「やったな」「もうけもんだな」とかいってたんだろ。

 あの様子だからあっという間に賭博にでもってしまったに違いない。僕がもっていれば名画集にでも化けて、未来の人類史により重要な美を展開する為の、不可欠の血肉になったかもしれないのに。そもそも僕の親の金といってもいいんだから、僕の両親になんらかの形で利子つき補償すべきではないだろうか? 彼らの一族郎党は。


 実際、また別の箇所が壊れたか不調かで、駅から東手にある

ここだったかに持って行ったとき、今度もまた東京だから1万請求してくんのが血も涙もない詐欺社会の常態かこいつら、と暗に思って行ったら、前よりは少々時間はかかっても(といっても40秒くらい)、確かチェーン外れたくらいのものだったので油までシューとしてもらえ、親切系店主おじさんらしきに「お幾らですか」っていったら、速攻で普通に「タダでいいよ」といわれた、気がする。その場で。自転車持って行って直して貰ってそれをいわれるまで多分、1分30秒以内。「え、いいんすか」みたいに僕は返したかもしれない。そういうのが僕の地元でも通常の自転車屋なので、落差がなかった。

 それで僕は呆気にとられたとまではいかないけど、あの下宿近所のほうの不良自転車屋は完全にヤクザなんだと悟った。東京人全員が詐欺師というわけではなかったのだ。こっちの良心的お店は、最近のストビュー画像でもどうやら続いてるらしい。

 

 その後18才の僕が、折に触れ観察していたら、上記画像のようあのぼったくり自転車屋のほうの店舗は「テナント募集」との張り紙が為され、不良老人どもは既に跡形もなかった。