2020年6月7日

都民や日本人一般の公害を防止するには強制力で除去するしかない

結局こういうことだ、未来のどの時点まで行っても、俗人たちは変わらないだろう。それは東京都民らが、その傲慢の悪徳を反省できないのと同じだ。馬鹿は死ななきゃ直らない。
 そういう人達に対し、賢さを期待すること自体がおかしいのである。日本人一般に中華思想を見直せといっても不可能なのだ。
 馬鹿を馬鹿として扱い、そういう人達を操作することに集中するがいい。都民を都民として扱い、それ以外の「もっと賢明な県民」と同等だと考えてはならない。都民に原発公害など永遠に理解できないし、教えれば、啓蒙すれば理解できる筈と想定してもならない。賢明な県民ならとうにできていることだ。
 天皇家が人権について理解できる、など想像するのもおかしい。できないからこそ自分達を特別扱いさせる異様な法制度で、象徴と名乗る全体主義教祖の地位に留まっている。
 無能に有能さを期待するのは、東京人に茨城人と同じ良識を期待するのと同じである。

 自分は啓蒙主義の(多くは悪い)影響を受けていた。そして啓蒙のかなり無制限な適用が、人類一般に向けうると考えてしまっていた。これが全くの間違いなのだ。
 ツイッター民一般に長編小説を読む能力がないのは明らかであり、匿名卑怯者に自由と責任の表裏一体を教えるのはできない相談だ。
 だからこうもいえる、都民全般がいかに悪徳、悪意、無知、その他の公害をまきちらそうが、それは彼らの本性なのである。外部の人間が、彼らの悪性を治そうとしても全くの無駄。寧ろ、そういうスラム的自治体がすぐ近くから、現に原発公害、情報公害だのの犯罪をまきちらしていると捉えねばならない。
 田舎差別を「東京都民にとっての」あるいは彼らの妄想する「日本人一般にとっての」常識だと考えている都民全般に、その犯罪性を言葉によって認知させることはできない。具体的な法整備、さらには具体的な軍隊・警察・検察・裁判所などの強制力によってしか彼らの悪疫を除去できない。
 非暴力不服従を唱えたガンジーに対し、私は上記の様な立場をとる。マキャベリや法家のよう具体的強制力を、悪徳に満ちた衆愚に直接及ぼすことでしか、彼らの公害を防止できないのがこの世の現実だ。
 都民一般に良心を期待してはならない。日本人一般に良識を期待できない。しかも、永遠に。