鈴木雄介ブログ
2019年8月8日
知的謙虚さは分別によっている
我々に全てがわかるということ、つまり全知は永遠にこないので、重要なのはわかる範囲とそうでない範囲をきちんと見分けることだ。我々が間違えるのはこの分別を失ったときである。例えば神性を公言し始めた教祖とか、なんらかの肩書きでとりまきらの権威になった人にみられる知的高慢さ。
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