他に漢字とカタカナ英語の物件名を無数につけてきた東京都民が、高輪ゲートウェイに限って「ダサい(田舎い、田舎臭い)」という差別用語で、単に他の山手線の駅名に比べて「長すぎる」だけの言葉を脳内変換して自己非難・責任転嫁するのは、東京中華思想という都民一般が宿している民族病である。都民全般は或る時期に田舎から出てきた衆愚であり、また先住人も武蔵国の頃から数えて田舎であったが、京都への劣等感を跳ね返すため必死に都会ぶる目的で、自分達の落ち度から目をそらすべく何でも自分たちの脳内でかつて属していた田舎差別へと脳内変換してしまうのである。その様な悪癖の行き着く果てが、都内で使う電気の為の原発や核廃棄物処理場を田園地帯におしつけ、自分達の食料を供給している、或るいはのどかな暮らしをする農地やその住民を蔑視する様な醜悪極まりない発想である。
この種の発想は京都にも既に中世以来みられた小中華思想を、東京で焼きなおしたものでしかない。東京中華思想も、京都中華思想も、何れも非常に卑賎な差別観でしかなく、そこには何の正当性も合理性もありはしない。そしてこの種の民族病に感染している衆愚は、京都市民にせよ東京都民にせよ、当人達が確証偏見によって現実を歪めて誤認するだけでなく、差別の派生現象として周辺の田園部に公害を日々まきちらしている。即ち、高輪ゲートウェイに田舎いという差別用語で非難をしている都民は、心の病気なのである。
その治療が精神医学、心理学的に十分考察され、実践されるべきであり、日本政府もこの民族病が公害をもたらす最悪の病のひとつである事を十分認知し、法的に差別的言行のもたらす害悪を防止する様につとめねばならない。