2011年11月27日

自由報道論

我々は独立し、過剰に憤り、偽善の利己主義に落魄れている世間を憎み、その矛盾と腐敗と文明的自己正当化の数々へ致命的欠陥を暴き続けねばならない。それ以外はbloggerを名乗ってはならないのだろう、少なくとも「本来のjournalismがもっていた機能としての社会的批判の意義」をもとうとしている彼らは。もし御用な社会的世論や個人の抑圧へ名乗ればその落ち度を責めたてるべきだったし、民主政の徳はこの最も消極的な社会矛盾の個人初の漸近修正や客観化しやすい論理的分解の連続にのみ宿る。