2010年4月8日

宇宙生態学

宇宙の底にある幾つもの法則、とは理念上のもの、と考えるのが妥当。故に普遍法則そのものは架空。完全に法則的でない現象は複数というか無限にあり、ある定常か反復した簡潔な情報量を使う個性か知能が、段階に繁雑さ低減を図るのみ。主観原則は知能か理想をこの場所学の土台で計る機能や働き。故何ら知的条件づけ(例えば定常か繰り返す環境からの刺激)がない、若しくは人間原理上の感覚原理、より普遍には感覚基盤原理がないか足らないなら、主観は知識系を持てない。一般に、子供か幼児期の経験にはこういう発生系統下の昔らしさや過ぎた去就が見つかる。つまり、弱い主観原則下では法則知は違和しつける。それらの共通感は鈍く、時には共有の文法や規則を持たないので捨て置かれる。だから主観原則そのもののたち、はかなりかとても法則学力の底となり易い。普通これは道徳場か教養界を造る。趣味論はその審美的頂きというのみ。
 複雑系下での未来予測は法則用の走りが連鎖している条件によっており、縁起的予知は計画の多重にかなりよる。これらは、理解すべき事象が目的に合う為の経路、より直には特有の感覚原理下での状態、次第で可変と明かす。要は法則知それらは直観も含めて幾つもの主観の埒から導き出された計画間の働き。