2010年4月16日

場所学

人類内で天才と呼ばれる形質は、表徴種とみれば全て希少で、そう評判される時代にあっては目的に合うからそう云われる。地域や文明度で天才への選好にはかなり大幅な違いがある。それは続く世代で当場所の生態構図がどう変容していくかに警鐘を鳴らしている。審美感覚は場所の中庸さへのえり好みが造るので、こういう形質は彼らがもつ生態構造内で望ましいとされる競争的優位さへの意識だけが理解する。だから生態からの選択を取り除くと、世界には美醜という観点はない。自然への感覚も、生態適所と見たそれの生き写しに過ぎない。
 生態内で行われる競争は実質的にそれが集団へ用いる個体単位での何らかの社会的功利性として外部経済度を量る役割をしている。いわば社会集団にとってのみ才がある。故この集団が望まない変異は意識的には選択されないか、選好上無視される。だから趣味の多様さは必ずやその集団が最大級の変異幅を維持したくば必要条件。趣味の自由への抑圧は、他のどんな社会生態内での対悪意よりも繊細。最低限度規制とは、公徳が許すその地域の共有した理解による。つまり集団のたちがその侭地域での次世代への選択に繋がる。業とは科学上はこの場所のたちに定義されるだろう。