2007年12月16日

宇宙と文明

宇宙は自体が目的。そのあらゆる性質には他の理由がない。
 誰しも自らの悟性を使って知識を構成する。我々自身が学びうるのはcategoryを構想力に従って自由に委せた世界の整理法だけだ。
 悟性は我々の力というよりは我々に与えられた恩恵と云われる。要するに人類の知能は世界を理解するよう努めうるが、結局その原理を知り得ない。我々は信じる事においてしか原理の因果を知る由もなく、ただ合理神学としてその詳細を研究しうるだけ。
 数学は合理神学、自然科学は自然神学、社会学は社会神学と言い換えうる。カントが考えた如くこれらは道徳神学たる哲学の予備学の用を担いうる。
 芸術は神学を応用する技術。我々が望みうるのは再創造の自由に過ぎない。
 精神は精神性を持つ。宗教は精神性を信仰へ導く。我々は宗教を通じて互いへの信仰を通わせる。人格・知識・判断も宗教を通じて無償交換形式を践む。
 政治とはある信念の実践でもあるだろう。我々は当代の信仰形態を通じてのみ説明ある政治を図りうる。しかしこの批判的な改革には哲学が必要。是政者は哲学者の批判を受容して絶えず政治を時代に適合させなければならない。
 経済とは技術的な文明再創造だろう。我々は学術と政治の両面を経済的に折衷しうる。経済家を通じて我々は文明建設を芸術化しうるだろう。