2007年12月8日

南蛮文化批判

現代衆度において阿婆擦れを廃絶するのは不可能なり。唯、肝要なるはそれらを汚き卑人として、飽くまで世間の後ろ指の的とすべき一条なり。先進諸国の情勢と途上国の両方を鑑識せよ。どちらの風紀が優れて美たるかを問え。
 遊女は謂わば半開の世に狂った毒蝮を飼うに等しく、性病による悪徳の警告役なり。これらは人権にて最低度以外のいかなる尊重にも価せぬ人間の悪魔なり。悪魔を仲間にする者も遂には幸福になりえず。一切の口利きも汚れの原因となるのは思想が言動で伝染する以上当然なり。


 神は道徳を利得の原理と為されし、この原理に背くものは遅かれ早かれ淘汰さる。

 悪徳に憑かれし男子が死期を早めるのは自然なり。多妻の途上国あれどその地にては遂に近代文明を自主昇華することあたわず。いずれもみな不徳の結果なり。精力を無駄に費やすは不経済にて単に自業自得の階級没落に終わるのみ。
 精力節約の為には高雅なる方法を択んで隠徳を積むに如かず。有閑の学問芸術は最善の気晴らしにて、sportsへの昇華は心身を健全に鍛える。文明は人類自体を進化させるに非ず、人間社会を進化させるなり。服を剥ぎ言語を奪い社会体制を破壊すれば現代人も原始人類とほぼ同じ有り様にて、地獄を好まぬ理性ある我々が直臨むべくは人間社会の高尚にあり。
 阿婆擦れ地獄界の隠蔽解消はこの第一歩にて、あたかも害虫の巣ごと人間社会前面から見えないところへ押しやる方便なり。その根絶は人類自体が哺乳類から進化せぬ限りほぼ不可なり。可能なるは人間社会からの駆除に手を尽くす漸進努力のみ。

 未来には今より遥かに美しい文明機構が圧倒的膨大になり、そのような極小な醜態自体が人目に触れる事も殆どなくなり、終には獣類の過去として図書館の奥で埃を積んだ古書の一文字以外において全く忘れ去られるであろう。