2007年10月31日
2007年10月29日
2007年10月28日
2007年10月27日
2007年10月26日
政治学
民衆による政体は資本経済浸透期に国家間競合の手段となったもので、必ずしも最善ではない。というのはこれに固執した同一の政体を棚上げする限り制度疲労によって堕落、衆愚化が起こりえるのであって、必ずしも長持ちするものではない。長持ちする様な政体が国家運営の目的だろう。
Aristocracyは中流的多数者による政治運営を意味する。いわばそれは高市民政。間接民主政とはrepublic aristocracyの方便だ。中流の最大数とその教養程度が最善の政体の鍵。中流最多の原理と良識に関する高い衆度が長持ちする政体をつくる。裏がえせばそれは極端すぎる富裕の格差社会が極めて短命な悪しき形態で綻び易い姿な事をも示す、ある時代段階を位階制によって能率化する場合のてだてをこえて公共を無視、競争的公害に至ってさえ各々我意を追求しているのみだから。
ある革命期における王政や共和政は余り驚く事でない。少なくとも貴族政ですらやがて世襲的に寡頭化する傾向は免れなかったし、それさえ国際協調以上の理想ではない。
貴族政をaristocracyと慣れでよぶのはAristotelesの政治学に関しては、語弊がある。寧ろAristotelesは共和論者に近いし、貴族政を少数者支配として最善とは考えなかった。大まかなスコラ哲学がAristotelesの意図をとらえそこない、勘違いされた政体名義が敷衍されてしまったらしい。
Aristoteles『政治学』にかえって再度定義しなおせば、より精確なAristotelesにとっての最善の政体はrepublic aristocracyとよぶ方がいい。このrepublicを試みる多数者が本来、aristocratic。そしてそれ自体と少数者の支配による貴族政は、言葉の本義にもとづけば分けて考えられていい。
ある国家を永続させたければ国際調和が国家運営の命題より上に来る。よって、王政‐貴族政‐共和政は場面にあたって絶えずきりかえの効くようにされるべき柔軟な手段で各々目的ではない、即ち3つの政治。Aristotelesの定義では多数者支配による共和政がこの中で最も誤りを起こしにくいが、それも参加した発言者が多いので大失敗以前に修正できるかもしれないという消極的な意味にすぎず、人類の置かれた状況へ万古不易の適応ではない。政治制度は当面の構えで文明の目的ではないといえる。王政は世襲の有無に関わらず群を抜いた最善者が見られる時に限って有効。貴族政は3つの中で最も公務が職能化し易いので効率的であり、状況が複雑ではない時に基本的な役割を持つだろう。貴族の義務: noble's oblige、とよばれるある維持された政体下ではぐくまれる特徴的高貴さもここに由来する。
よって、Aristotelesの意味での共和政が最も適しているのは変化に富み多岐に及んだ過ち易い状況という事になり、他ではない。
政体の名称図
構成員数 利他的或いは善 - 利己的或いは悪
単独者 王政 - 独裁政
少数者 貴族政 - 寡頭政
多数者 共和政 - 衆愚政
Aristocracyは中流的多数者による政治運営を意味する。いわばそれは高市民政。間接民主政とはrepublic aristocracyの方便だ。中流の最大数とその教養程度が最善の政体の鍵。中流最多の原理と良識に関する高い衆度が長持ちする政体をつくる。裏がえせばそれは極端すぎる富裕の格差社会が極めて短命な悪しき形態で綻び易い姿な事をも示す、ある時代段階を位階制によって能率化する場合のてだてをこえて公共を無視、競争的公害に至ってさえ各々我意を追求しているのみだから。
ある革命期における王政や共和政は余り驚く事でない。少なくとも貴族政ですらやがて世襲的に寡頭化する傾向は免れなかったし、それさえ国際協調以上の理想ではない。
貴族政をaristocracyと慣れでよぶのはAristotelesの政治学に関しては、語弊がある。寧ろAristotelesは共和論者に近いし、貴族政を少数者支配として最善とは考えなかった。大まかなスコラ哲学がAristotelesの意図をとらえそこない、勘違いされた政体名義が敷衍されてしまったらしい。
Aristoteles『政治学』にかえって再度定義しなおせば、より精確なAristotelesにとっての最善の政体はrepublic aristocracyとよぶ方がいい。このrepublicを試みる多数者が本来、aristocratic。そしてそれ自体と少数者の支配による貴族政は、言葉の本義にもとづけば分けて考えられていい。
ある国家を永続させたければ国際調和が国家運営の命題より上に来る。よって、王政‐貴族政‐共和政は場面にあたって絶えずきりかえの効くようにされるべき柔軟な手段で各々目的ではない、即ち3つの政治。Aristotelesの定義では多数者支配による共和政がこの中で最も誤りを起こしにくいが、それも参加した発言者が多いので大失敗以前に修正できるかもしれないという消極的な意味にすぎず、人類の置かれた状況へ万古不易の適応ではない。政治制度は当面の構えで文明の目的ではないといえる。王政は世襲の有無に関わらず群を抜いた最善者が見られる時に限って有効。貴族政は3つの中で最も公務が職能化し易いので効率的であり、状況が複雑ではない時に基本的な役割を持つだろう。貴族の義務: noble's oblige、とよばれるある維持された政体下ではぐくまれる特徴的高貴さもここに由来する。
よって、Aristotelesの意味での共和政が最も適しているのは変化に富み多岐に及んだ過ち易い状況という事になり、他ではない。
政体の名称図
構成員数 利他的或いは善 - 利己的或いは悪
単独者 王政 - 独裁政
少数者 貴族政 - 寡頭政
多数者 共和政 - 衆愚政
2007年10月25日
2007年10月24日
2007年10月23日
2007年10月22日
個人教育
集団教育はschoolの堕落したカタチである。最善の教育とは個人指導に尽きる。教育は啓蒙の言い換えであり、単に後進啓発の便宜に過ぎない。ゆとりあるエデュケイションだけが真実の知恵をもたらす。
分協業
人間は五感を分業して楽しませる。それぞれの官能の合理的洗練の為に。
文明が残すものは地球生態系の多様観への貢献以外ではあり得ない。
国産経済間の均衡を図る以外に国際主義の方途なし。国連による保護課税方式を探るべし。それには現在の常任理事国の地位を経済的に脅かし、実質負かすに如かず。非常任理事国における経済発展志向・技術社会志向は国営福祉が必要充分な範囲に限って現在的正義である。
全面的な男女同業は生来能力格差や性別能力の由来から不可能なり。分業が最も能率的なのは疑いを挟まず。協業とは寡占化による単なる人口減退の方便なりき。
文明が残すものは地球生態系の多様観への貢献以外ではあり得ない。
国産経済間の均衡を図る以外に国際主義の方途なし。国連による保護課税方式を探るべし。それには現在の常任理事国の地位を経済的に脅かし、実質負かすに如かず。非常任理事国における経済発展志向・技術社会志向は国営福祉が必要充分な範囲に限って現在的正義である。
全面的な男女同業は生来能力格差や性別能力の由来から不可能なり。分業が最も能率的なのは疑いを挟まず。協業とは寡占化による単なる人口減退の方便なりき。
2007年10月21日
2007年10月20日
文化論
過去は全て美化される。その最良のessenceを伝統と呼ぶ。
我々が現代において身近に観察しうる全ての醜悪さは必然淘汰される。よって、文化人たるもの伝統美の上限向上に集中すべきで、世俗の流行に一喜一憂してはならない。
古典を尊べ。逸りに乗るな。
我々が現代において身近に観察しうる全ての醜悪さは必然淘汰される。よって、文化人たるもの伝統美の上限向上に集中すべきで、世俗の流行に一喜一憂してはならない。
古典を尊べ。逸りに乗るな。
2007年10月19日
2007年10月18日
2007年10月14日
2007年10月12日
人類性別論
卵子間生殖可能性を考慮すれば、将来に渡る男性の地位如何との議論あり。2007年10月12日(金)、朝日新聞33面に関連記事あり。
本能は進化系億万年の蓄積であり即日に変わるまい。従って異性間が現行人類における生殖関係の基本になるのは疑いない。がその類型において上記のような特殊な場合が部分的に認可されても不思議ではない。
生存的多様性が生態系の目的ならば、やはり同性愛者にも相対変異として一定の地位は考慮されるだろう。従って特殊な例外を除いて女性限定社会というものは到来し得なく、飽く迄も男女間均衡の形態を様々に試作する経過があるのみ。
性別は進化の方便である。それが単に有性生物の競争原理を遺伝的散種のゆりかごへ導いただけでなく、人間において更にその細分化のため情緒という性質の養生に役立てられたのも疑えない。性差は情緒を羽含む社会的性格づけであり、それが好みや制度的抑圧を通じて生殖可能性の微分に役立ったのは自然である。
もし人類以降の生命体を考察に入れても、我々の実現して来た性別や性差の特徴は止揚されて活かされるだろう。
本能は進化系億万年の蓄積であり即日に変わるまい。従って異性間が現行人類における生殖関係の基本になるのは疑いない。がその類型において上記のような特殊な場合が部分的に認可されても不思議ではない。
生存的多様性が生態系の目的ならば、やはり同性愛者にも相対変異として一定の地位は考慮されるだろう。従って特殊な例外を除いて女性限定社会というものは到来し得なく、飽く迄も男女間均衡の形態を様々に試作する経過があるのみ。
性別は進化の方便である。それが単に有性生物の競争原理を遺伝的散種のゆりかごへ導いただけでなく、人間において更にその細分化のため情緒という性質の養生に役立てられたのも疑えない。性差は情緒を羽含む社会的性格づけであり、それが好みや制度的抑圧を通じて生殖可能性の微分に役立ったのは自然である。
もし人類以降の生命体を考察に入れても、我々の実現して来た性別や性差の特徴は止揚されて活かされるだろう。
2007年10月11日
2007年10月10日
大和魂の脱構築
カントの甚大な功績は真善美の間に特定の価値等級をつけずに批判体系を樹立したことだ。
よって我々の思想には西洋中心主義やアメリカ主義、中華思想に於ける理性至上論つまり善を絶対視させる合理主義、或いはまた皇室中心主義や中華思想の日本版である京都思想に由来した関西地方自己中心主義、関西結束主義や関西民族主義、東京巨人主義に於ける感情至上論つまり美を絶対視させるもののあわれ的な大和魂からの脱構築可能性が開かれている。
我々は国際福祉の建設のために文化的共生の連体を目指すべき。民族間敵対は、国際経済で便宜的に解消しうるだろう。
よって我々の思想には西洋中心主義やアメリカ主義、中華思想に於ける理性至上論つまり善を絶対視させる合理主義、或いはまた皇室中心主義や中華思想の日本版である京都思想に由来した関西地方自己中心主義、関西結束主義や関西民族主義、東京巨人主義に於ける感情至上論つまり美を絶対視させるもののあわれ的な大和魂からの脱構築可能性が開かれている。
我々は国際福祉の建設のために文化的共生の連体を目指すべき。民族間敵対は、国際経済で便宜的に解消しうるだろう。
2007年10月8日
教養と哲学の違い
哲学は極めて個人的な疑問を解く鍵となる行いであり、単なる教養学ではない。
教養学者は哲学者とは成り得ず、またおのずからその言説は異なる。真に歴史的参照に値するのは独創的な哲学者のみ。当代一流の教養はせめてもの対話に役立つだけだ。教養自体には史実上の価値はない、というのはあらゆる史脈は可変だから。
哲学者だけが教養の総合を個人的に果たして学識体系を築きうる。その結果がある学園思想の潮流を形成する。
哲学者の道徳は仲間の教養の方向づけ、のりをおおよそ決する。
教養学者は哲学者とは成り得ず、またおのずからその言説は異なる。真に歴史的参照に値するのは独創的な哲学者のみ。当代一流の教養はせめてもの対話に役立つだけだ。教養自体には史実上の価値はない、というのはあらゆる史脈は可変だから。
哲学者だけが教養の総合を個人的に果たして学識体系を築きうる。その結果がある学園思想の潮流を形成する。
哲学者の道徳は仲間の教養の方向づけ、のりをおおよそ決する。