2007年3月23日

性愛論

ゴータマ・シッダールタによる男女の愛執の否定には真理の輝きが見られる。ジーザスの主張した事は博愛であり、性愛ではなかった。アリストテレスの理想は友情を目指すものだった。彼らは一様に性愛を否定していた。
 性愛が自然の侭では不可能な事。性愛が性欲に堕するとき、それは性淘汰の競争に過ぎなくなる。つまり、純愛のかたちではなくなる。それは永遠なるものにはなりえない。
 我々は結婚制約の内側でしか真の性愛の究極を成し遂げえない。
 婚約とは人間が自らを性愛の理想の為に犠牲にし、制度へ縛りつける事だ。そしてその約束の方法によって已、配偶にも愛執の不条理を超えた永久の契りを観じうるだろう。
 前世・今世・来世を通じてのめぐりあい、しあわせへの信仰が結婚制度なのだ、と考えられ得る。