2006年7月29日

立派さ

例えばサルどもの巣を創る事を建築と人は呼んでいる。そもそも全て、芸術は二足歩行のサルの為に企てられたお遊びだ。繁殖活動、究極では文明としてのに程あれ協調以外に、どんな生活もできない。政経と学術。あらゆる人類の偉業ですら、繁殖の合理化へ寄与するべく設らえられた機能に過ぎなかった。
 人類の大部分はお愛想程度の理性を担わされたサルに他ならない。理想、我々にとって最高幸福としてのそれですら、思想的伝播、教育により類内競戯を効率化する方便に数えうるだけだ。君が偉大なる理知に突き動かされ宇宙の原理を科学的真理の認識というカタチで獲得したと確信できて尚、理性は君自身をサルの一部から精神の究極へ向かって高める。政治による実践福祉の善の幸福も名誉も、経済活動による趣味的それでも、全て、我々はrecreationに興じる動的個体でしかない。もしも唯一、偉大なる精神の至高性に駆られた君が哲学で得られる結論に応じてサルどもを社会参加的に啓蒙教育し、それらが地球型の生命体群に宇宙への創造的適応に一定の有利を与えられるものなら、それ以外にどんな立派もない。そして只の偶発的寄せ集めたる者が立派たりうる可能性はそこにしかない。君が人間原理をどれ程採用するかに求問の範囲はよるが。