2024年3月26日

同類の単位

ネオナチ成田悠輔ファンの鬼女らをブロックしたら少し気持ちが楽になった。この世には、絶対に共存できない天敵というものがいる。親殺しに発情する人でなしたちと共存は絶対できない。奴らは世界に現れた正真正銘の悪鬼であり、不倶戴天の天敵であるから、『鬼滅の刃』の様に、確実に処分するしかない。思うにナチスを支持していた極悪人達と成田悠輔ファンには本質で何一つ違いはなく、全く同一の種類だと言える。奴らの共通点は脳の中の倫理的性能が欠如し、情動に異常があるだけでなく、罪なき人々を大量虐殺する事に何の痛痒も感じないほどその脳障害が深刻だという事だ。要はサイコパス仲間なのだ。連合国の兵士はナチスがひた隠しにして証拠隠滅を図っていた強制収容所を遂に見つけると、余りの非人道ぶりに我慢ならず、その場で一部ドイツ兵を処分した。彼ら連合国軍の心情は重々理解できる。現場でドイツ兵のやっていた事は確かに人類史上最悪なので、決して許し得ない。だが、成田ファンも同じだ。

 偶々日本が戦時中でない事と言論自由が残っていた為に我々哲学者は成田悠輔批判を先駆けた。
例:ラジオ講義『成田悠輔初動征伐論』2022年8月20日、『無意識資料民主主義の企てにある資料科学主義の批判――道徳不可知論者の掘る無責任衆愚政治の墓穴』2023年1月とそのまとめブログ記事『なぜ成田悠輔氏の無意識資料民主主義は無責任衆愚政治を伴う致命的誤りにすぎないか?』2023年2月20日。

 だが一歩遅れていたら、鬼女らが発情目的に彼を権力の座に就けていたろう。そのとき本当にホロコースト級の大量虐殺が発生していた。みるがいい。こと日本女には完全に倫理のない人でなしが大量に溢れており、完全な蛮族で人権を持たない事が明らかだ。だからこそ成田の様な悪魔が繁殖してしまったのだ。米英仏ら連合国と日独伊ら枢軸国の民度の差は一歩に見えるが、大幅な差もある。その証明が成田ナチスの存在だ。決して米英仏で、単なる愚劣なネオナチにそれほど無批判に追従する鬼女が発情しまくるといった、完全に蛮族でしかない醜悪な光景が発生する事はないだろうと思える。恐らく脳の遺伝子が違う。日本はドイツと同盟を組んだ。ナチスと組んだ事に反省の色がある様には見えない。それどころか原爆を責めはしても、天皇専制や南京事件に開き直りすらしている。極悪人達はまだ国内で大量繁殖しているし、何も悪は変わっていない。成田ナチスは、日本の人権なさの動かぬ証だ。国内に人類の天敵がいる。
 NYTはマスクには攻撃されているが、それは彼がネット右翼に過ぎないせいだ。成田ナチスへ国際包囲網を敷いてくれたのは紛れなくNYTの功績で、全地球の良識を代理する媒体と言える面が確実にある。それ以前我々哲学者の内でも私しか、明白かつ緻密に成田ナチズム批判を行う勇気や威儀ある者はいなかった。ただ一人でも抵抗すべきだと私は孟子を引きながら言った。千万人と雖も吾往かん。事実、私が事前に成田ナチスの謀略の諜報と分析を終え理論的基礎を完全に論破し崩しきっていたので、NYTによる炎上時に味方を一気にふやせ手際よく攻略できた。妥協抜きに成田初動で全力で潰すという戦略も正しかった。
 全成田論文も著書も全動画も全発信も見てそのAI専制を衒う単なる新型ナチズムを批判的かつ徹底して分析したのは全世界でいまだに私くらいかもしれない。だが、諜略はその様に行うべきもので、現に、今更鬼女らがどれほど発情しても既に首相の言質すら取れたのだから、鬼の交尾陰謀は手遅れというべきだ。

 国内成田ナチストは唯の歳主義蛮族で、大量虐殺犯を気取る人間の屑の中の屑に交尾や発情淫行をしかけたいだけの人でなしの鬼共に他ならない。人権なき蛮族と共存すべきでない以上、彼女らが次の攻略対象だ。池戸万作大将軍や米山隆一聖騎士団の室井佑月派との戦いは熾烈を極めるが絶対やりぬくしかない。
 成田ナチストの目的は性行為やその擬きにすぎず、実態は脳に倫理機能が不全なチンパンジーからさほど変わらない野卑さというにすぎない。それならば、鬼女共の性欲の根源を断つべく、彼女らの性行動に先回りし、致死的な罠を普くかけるべきだ。良識派があの躍り出たイイダ・ナオコを軽蔑討伐した時の様に。

 成田ナチスに発情する事は、まともな女社会から完全かつ不可避かつ永久に排除される事を絶対意味すると普く全世界へ周知せよ。全力で全方位的に軽蔑し、全場面で大罵倒を加え、人権や人道の観点から徹底批判して成田ナチストの鬼女ファンダムの空気を常々最悪にし、内部からも外部からも解体し続けよ。
 もし鬼女ファンダムが拡大すれば全日本人はその狂ったサイコパス集団から、成田ナチズムの為に漸次、大量虐殺される。したがってサイコパス集団へ妥協は抜きだ。彼女らへ倫理観など何も期待するな。できるのは徹底した解体プログラムと社会的排除による、強制的非難や起訴と刑罰だけで、許す道理はない。