2023年7月31日

神の警告

自傷を繰り返しみせてくる希死念慮に満ちた狂人の娘が、少なくとも見た目において決して自分の好みともいえないだろうとき、つまり性的には扱いがたいとき、善意でこの娘を死なないよう励ますことは、一独身男性としてすべきではなかったというのだろうか?
 他の下男らの様に、この娘を婚前交渉目的に単なる性欲で扱えという下女らの、卑しい人生観とけがれた恋愛観もどき、そして物の見方の、救えない醜さ。現実にその種の軽率な婚前交渉で、狂人との愛欲ゆえに破滅した人を自分は知っている。悟った人はいう、「愛執するな」と。
 またその娘の父親が借金を重ねて家政を失敗させてきたがゆえ、善意ゆえの結婚すらできないでいた我々を却って罵倒し、懸命に娘の寄付金から事実婚資金を全力で殖やしていた僕を陥れようとするその娘の父親の、悪業の深さ。

 それとも、この娘は放置されて悪意に満ちた世間の底で死んでいくべき人なので、もともと救うことなどできず、どうせ遅かれ早かれ自滅し或いは誰か悪意のある人物に破滅させられるので、自分にはさもその娘を救えるかの様にみせかけてきた神は、人間なる最悪の存在の得体も底も知れない悪性ぶりを僕へ教えようとしたのだろうか。
「人を決して信じるな」
「人は根源的に利己的な存在で、生まれながら悪なのだ」
「人というものは邪悪な存在で、絶対救い得ないのだ」
と、極限の結論の警告のために。もしそれが神の意図なら、まだ自分も良心を持っているために半信半疑だが、確かにその人生教育上の真理の植えつけは成功したのかもしれない。僕自身が神の心を持つ以前に、まだ人の次元にあるがゆえ、人間には良い面がありそれを信じるべきだと、理想主義に幻惑されてきていたからなのだが。

 まさかその最も善良なひとにみえた憐れな娘自身が真の悪女で、11年後本性を現すや信じ難い淫魔でしかなく、うぶで罪を知らない少女らしさの全ては擬態だったとは。ようやく成長を遂げるまで、僕の人生時間の殆どを奪い、あらんかぎりの福祉と介護の全恩義をさも養分の様に利用し、死愛を名目にした単なる姦淫の悪事を図るつもりだったとは。