2022年12月28日

愚かな国の暴力至上主義

ツイッターは我々に次の事を教えてくれる。
・人間は救えないほど愚かしい。
・邪悪な人間は己の愚かさを反省できない。
・人を匿名条件下に置いてしまうと、宗教心のない者はすぐさま悪用する。
・言葉に練達しない者は、当人にとっての分かり易さを賢さと混同して生きている(言葉に騙されている)

 ツイッターの中の人は一体何を恐れているのだろう? あれほど簡単に人の言葉を弾圧し、消して、人の魂まで焼いているとは。
 人の魂を焼く者は人間の生そのものを消しているのである。
 ツイ民一般は、自分達の常識を正義と混同している。それは彼らが愚かだからだ。愚かさは他人に変えられない。
 虚勢に耽る者、現世利益に耽る者、世俗の地位を得て威張り散らす者。私がみたツイッター上の人間達は一人残らずこんな連中の手先に甘んじ、それがさも人としてなすべきことかのようだった。
 大人が地獄をつくりたがるならそれは世界で最もツイッターに似ているだろう。2ちゃんねる以下の世界がある。ここでは、何も言えない。何かをいうと愚者が寄ってきてそれを通報して消してしまう。だから、誰もかも真実を言う事ができない。いえるのは衆愚の気に入る過ちか、さもなければあしき強者へのお世辞か、どちらかだ。
 真実の言葉がない国では、退廃が進む。誰もが絶望していて少しも幸せになれない。わが国が救われるなら、そのときそこにはツイッターという今のサイトはないだろう。無論2ちゃんねるだの5ちゃんねるだの、散々この国を壊乱してきた匿名犯罪サイトも消えている。
 いつまでも悪が栄え続けるものだろうか? もしそうならそこに良心をもつ存在は生きていない。生に絶望する為の場だ。恐らくツイッターを作ったジャック・ドーシーらは、手軽な金儲けのため軽いノリで言論の場を作ったのだろう。結果、本来焼くべきではないものを大量に焼いてきた。それは人の魂だ。
 既に死の海には大量の人の魂が浮かんでいるが、全て浮かばれない。魂の大量死はツイッターの中の人の深い罪しか何も示さない。

 この国に深刻な絶望が広まっている。子供の自殺率は少しも変わらないまま、もっとひどくなっている。だが、自分には理の当然にも思える、ツイッターはモブ達の日常生活を垣間見れる地獄の覗き窓になっているが、彼らが毎日やっている事といえば他人を傷つける為の人道犯罪の山か、顕示消費の自慢かだ。

 日頃の行いがこれほど悪い衆愚国なのだから、そんな場が長持ちする筈もない。日々絶望が広まり遂には崩壊が起きる。
 政府は軍国化をしたがっているがその為の金は庶民にはない。人頭税をとっても足りないので遂には命を差し出させられるだろう。以前から東大閥三浦瑠麗により設計されていた皆兵令だ。加速主義を唱えていた宮台真司が襲われた。暴漢が何を考えていたかまだ定かではないが、暴力の矛先から反知性主義の右翼なのは想像に難くない。宮台を急進左派かの様に思ったのだろう。現実には政治的に、ただの対米独立論者なのだろうが。
 不勉強なままの、極右に歯止めが効かなくなっているのだ。
 知識階級の自堕落と倫理崩壊はもう致命的なものだ。大体、宮台自体が「エログロナンセンス」時代の残党一員にすぎず、援助交際を肯定してきた人物である。少なくとも性に関する倫理観のない人にその点で、若者が何を説教されるべきだというのだろう? 修身から始めよと孔子に説教されて恥をかくだけだ。茂木健一郎一味の倫理は完全に狂ってしまい、彼が非難してきた成田悠輔とその点で変わりない。否最初から狂っていたのを何とかごまかして世渡りしてきたにすぎないのだろう。茂木は成田より狡猾に世間を生き抜いた。だがメッキが剥がれてきたら東大閥の肩書で賄賂五輪を強行する既得権の太鼓持ちだった。

 自分が生きている時代は、他の時代と実は本質で変わりないのかもしれない。現にその時代に生きていると余りの闇側の圧迫で息がつまりそうになるが、どの時代でも衆愚に囲まれた者にとってそう感じられていた筈だ。但し、信じられない程の受難なので、他の時代の人々はもっと楽だった筈と空想してしまう。
 昔の『クオリア日記』を読んでいると、茂木は自分の最初の本に割と正直なアマゾン書評を急ぎ削除に躍起になっている現場が生々しく記録されている。彼にとっては自分が褒められて当然と感じているのだ。その様な自己愛は東浩紀が浅田彰から指摘されていたものと符合する。知識人として危険な兆候だ。我々は自分の考えにも最大限懐疑的たるべきだ。何しろ、正しいと言える考えに容易に辿り着けるなら、真理で世の中は埋まっている。全く不正義や悪徳で埋まっているこの国など、永遠に生まれた筈もない。
 小林秀雄は茂木の模範なのだろう。だが小林は戦争協力者だ。しかもその罪業に反省もなかった。茂木は自分の世俗的地位に甚だ関心があるに違いない。意識的には逆の事を言っている動画や音声があるが、現実の動きを近くで観察しているとその逆ではないかと疑わしくなってくる――アマゾンのレビューを作家が消して回る事など許されるのだろうか? 村上春樹はドリーに文句をつけたか? 無駄な事だ。我々は言葉が我々に紐づけられているうちは何らかの意図を込めて言った事にされる。テクスト論以後、作家は手元を離れた言葉を必ずしも自分に紐づけておけない。だったら茂木がやった事は、単なる言論弾圧ではないのか。自分が自作を批評すれば十分の筈だ。感想は自由に持てる。上の世代の人間がやってきた事は、実にろくでもない面も沢山ある。それが事実だろう。祖先崇拝を常識かのよういう田母神俊雄は、それが信仰だと知らない。神道から全面的に洗脳されていない人には、原罪を信じている者すらいる。
 前世代の罪を拭えなければ我々も同じ罪に手を染めさせられるだろう。

 自分には人間という生命体は、誰もかれもろくな生物とは思えなかった。少しはましな人といっても一人だけで、その人としか特に会話していないが、彼女も自分と同じ様に感じている。そしてそれは真実なのだ。
 邪悪な生物であるヒトという哺乳類は、まちがいなく亡び去っていく筈だ。他の類人猿の様に。山上徹也が安倍晋三を暗殺後、世の中は少しはましになったかもしれない。いい兆候といえるのは、地獄を現出させていたツイッターの中の人が金の誘惑に負け、英雄イーロンに「言論弾圧の牙城」を明け渡した事だ。実に痛快で、事態は闇側に支配された状態から少しは動き出したのか。光明はまだ僅かだが。この人間界という地獄に終わりが来た時、自分は歓喜する事だろう。何しろ、そのヒトと称する生命体がどれほど悪事をしてきたか、どれほど自分に純粋な悪意からありとあらゆる害悪をなしてきたのかを自分は何もかもよくおぼえているからだ。ヒトは絶対に救われないだろう。あまりに悪事の総量が多すぎる。目立って繁殖しているのは俗物ばかりであり、少なからぬ悪事をして儲けた金で都会に集まり、全国の農村を差別・侮辱・搾取して暮らしている。奈良地方で飛鳥時代にはじまった中華皇帝ごっこらしい。
 これほどむなしい島嶼に偶然生まれてみると、愚かな者は絶対救われないのだと深く確信を持てる。言論弾圧の為にはどんな手だてでもとるガーファムは、少しも中国政府を非難できない。彼らの恣意的判定でどれほど我々が迷惑を受けてきた事か! 人の信頼を裏切る事は、度重なっていくほどその会社を支える国の文化背景への憎悪や、遂には怨嗟に転嫁しかねない。自由の国など大ウソだ。金儲けの国。米国の暴力に従って、日本をダメにしている連中は、単に力にはひれ伏すだけの卑怯者である。そんな事は分かりきっているが、彼らに正義など知覚できないのは明らかだから、この国の軍隊は根源的に信用ならない。自衛隊を信じている衆愚は確実に裏切られる。彼らは暴力しか信じていないのだ。