日本人一般は肩書きによって簡単にだまされ、肩書きに伴う人格や才能自体を自分の判断で評価する能力が全くといっていいほどない。試しにかれらのすき好んでみている実のないテレビのコメンテーターや人気ユーチューバーらをみるがいい。かれらのなかで「先生」とよばれる人々がいかに品性下劣でも、その地位に伴う不条理な専制権力は決して失われない。こうしてかれらは、殊に関西地方にあって建前の位階制、いわば肩書猿山ゲームの頂点に君臨する天皇一味に長らく洗脳され、絶対主義的大権下の無数の暴政を神威と思い込んできたのだろう。
日本人一般を体よく間接統治するため天皇をでくにしてきたマッカーサー含む大抵の将軍(特に勤皇の禅譲をした徳川慶喜を除く)や各首相らは、その様な思考停止の信者を操作するのに、人種差別の邪教・神道による世襲独裁の悪意が使えるとみなしていた。そして実際そうだったのだ。
かれらが一般に自分の頭で本の少しも考えられない人々、そればかりか少しでも考えようものならより悪く考えるほど性悪でもある事実は、日本国が亡ぶとき、誰にとっても自明の真理として世界史が目撃することになる。かれらはかれらが狂信する天皇による国民奴隷化への悪意を、さらにその国民の絶滅目的に悪用する何者かによって、構造として必然的に、一網打尽にされるのだからだ。
天皇とその邪教を信じない者は同時に関西人一般を信じない者でもある。したがって、その様な者は関西では「反日」「国賊」「朝敵」として神道に迫害され、殆どが死に絶えてしまい、もともと良心をもつ者はそこでは総じて生き残れなかったのである。