2021年8月15日

なぜことさら西日本一般では侵略罪を正当化する人々が幕末・明治の徳川氏とその忠臣への冤罪や、主権侵害その他国内外での主権侵害・民族殺戮の蛮行を美化し続けているか、その西日本勢の末裔である自称天皇一味の中古代奈良での名乗りの真意から紐解く

西日本の人達は、薩長土肥京芸ら西軍に与した郷土史をもつ人々を筆頭に、一般に、敗戦を悔いはしていても、侵略罪を反省などまるでしていない。このため、行政規模で明治150周年など侵略罪及びそれに伴う冤罪、一般市民を含む虐殺その他の加害行為という悪業でしかない証拠を、被害者である国内自治体やその末裔らの面前で、なんの反省も罪悪感もなしに奉祝などしてしまえるほどの無神経ぶり、野蛮極まりない中華思想ぶりを、自称京都・自称近畿の中世朝鮮系の渡来人都市を中心に、先住系日本人達の暮らす北海道含む東日本全域を被征服側の差別的地位に置き続けるつもりで、相も変わらず、純粋な悪意から、あからさまに示しつづけているのである。

 さらには、この侵略罪になんの罪の意識も覚えていないという点では、それを全権から主導しながら敗戦時には部下に責任転嫁しまんまと死刑や公職永久追放逃れをし、真の第一のA級戦犯でありながらいきのびた皇族も同罪以上に罪深い一門であり、かれらはもともと中国大陸ならびに朝鮮半島から日本列島へ暴力をもちいて侵略してきた弥生民族の一類だったのが現代の遺伝学的・文化人類学的・考古学的事実であるのにもかかわらず、それを神話めかした神武東征などと自ら評し、自分達皇族による日本人達への侵略罪を神道というまぎれないみずからという大量虐殺犯の人種(特に、男系論者によればその男系の血)を悪魔崇拝させる邪教の内部で美化しつづけている。

 この上に、かれら邪教神道に洗脳された民衆のあいだでは、特に幕末・明治時代の侵略罪を郷土史の文脈で自己正当化・英雄化しつづけている西日本で同胞連帯し生まれ育ちあるいはくらしている人々を中心に、天皇によるまたは天皇の権威の名のもとにおこなう侵略罪を、絶対政治として神話化する悪意も、完全な日本全体主義の形でみつかる。いいかえれば、大和王朝と称する中古代奈良県にあった政権を神聖化し、その帝国主義的侵略罪ならびに他の先住・渡来日本人その他への門地・民族・人種差別を、神道や天皇の名のもとに正当化しつつ、その際の主権侵害や民族殺戮をさも美事かのごとく語る『日本書紀』『古事記』などの神道教典を無謬のものかのよう徹底した悪意のもと被害者蔑視の文脈で使い続けようとするのだ。そしてこの悪意の延長上に出てきているのが、自称天皇が飛鳥時代に奈良県の豪族による中国風の名乗りとして発生して以来、熊襲、東夷、蝦夷、国栖(くず)、土蜘蛛、あるいは隼人、エゾなどとありとあらゆる悪意を込めた民族差別用語で、日本国各地の先住・渡来系部族らを奴隷化しようと謀った中古代から近現代までの関西人達の、今も各種文献に動かぬ証拠の残っている一般的な姿なのである。これらの悪業は今も、関西地方あるいは西日本一帯でことさら残る差別の風習である部落差別としておおかれすくなかれ続けられており、いいかえれば、西日本一般には、その種の神道原理主義、天皇中華思想に由来した悪意が果てしなく連鎖蔓延してしまい、それを王化あるいは皇民化などと称する絶対悪徳政治へ臣従する臆病さのもとで全人民に押しつけまくった結果、もはや誰も天皇という徹底した暴力を振るう邪教祖一味とかれらの悪政へ疑義を呈する余地も持てなくなってしまい、なおかつ、かれらが差別的待遇に置こうとする全ての人権の持ち主たちを、歴々と人間以下の扱いをして恥じなくなってしまったのである。
 韓国・朝鮮人差別が西日本一帯でことさら激しいとして、それにはきちんと上述した様な文化背景がある。すなわちすくなくとも神道原理主義あるいは天皇中華思想以来、この皇族と称する邪教祖一味が自分達の統治権を暴力で正当化する目的で他者・他国・他自治体の主権を侵害し、尊厳を踏みにじる目的で天皇統治圏内ではまとめて差別する対象にしたてあげてきた諸々の部族・種族のうち、明治政府が恐怖政治屋・薩長閥のもとで脅したり誘拐したり実際に民衆虐殺や統治者暗殺をしたり植民地化した地域の人々、例えば東日本諸国(現在の東日本諸県)・新潟はいうまでもなく、琉球王国やアイヌモシリ(アイヌの国、本州側のいう蝦夷共和国)、あるいは朝鮮王朝(李氏朝鮮)などがことさら関西近隣諸国のうち初期に薩長土肥京芸ら西軍から侵略罪の被害を受けた場であるが、これらの国々へ天皇一味やその手先を徳川氏の平和外交主義や内乱防止内政を全否定しながら内乱・外乱罪を犯しながら買って出ていた西軍とその末裔にあたる自治体とそこで暮らしている一般日本国民は、それら過去に於ける諸々の重大犯罪について少しも済まなさ、罪悪感を感じ取ってはいない。純然たるダークトライアド・テトラドの様な犯罪者が、被害者からの訴えを聞いてもなんの痛痒も感ぜず、終ぞ反省せず、ゆえにこの加害者への具体的制裁以外にかれらを押しとどめる方途がどこにもない様に。そこにあるのは道徳的無能であり、いわゆる野蛮さにほかならない。だからこそ京都市長・門川大作氏は天皇ともどもみずから大政奉還150周年記念プロジェクトなどかれらによる虐殺・裏切り・辱めの被害者とその子孫らの面前で自分達の過去の大悪業をほめちぎる悪魔の集合体の一端でおよそなんの追悼も反省も懺悔さえないばかりか自分達を英雄化する恥知らずの口調でできるのであるし、明治150周年記念式典あるいは平成の薩長同盟などとかれらの侵略罪被害者側にあたる国内外の人々の前で述べてしまえる自治体が西軍側で侵略罪に与した西日本の一部あるいはかれらに乗っ取られ続けている東京の中央政府(日本政府)としてにたしかにいまも複数あるのであるし、安倍晋三氏のよう進んで残虐な裏切りや侵略罪、藩庁をのっとる極左テロに満ちた幕末・明治の長州こと山口県のありさまを美化する言動をいつもの嘘八百の調子でできる、凄まじい悪党も、そこには事実、いかなる歴史的重大犯罪の被害者を辱め貶める事も適わない世界人類全体の人道の為の公事への場違いの闖入者として存在しているのである。ちなみに広島やその歴史的位置づけの政治利用者らが自分達幕末西軍或いは日帝軍側を突然被害者の座に置いて、正当防衛として国連軍から原爆投下された事をさも単なる民族虐殺かのごとく称して自分達に武力制裁として下った罪深さをごまかそうとしているのも、被曝の悲惨さは実際に存在したとしても、それを制裁行為として招いた自らの悪業、すなわちこの西軍・日帝による純然たる徳川慶喜氏や松平容保氏への裏切りによる国討ち(クーデター)とその治世下の地域での主権侵害や士族・民衆虐殺といつわりの汚名を着せての辱め、財産強奪などの蛮行、植民地強奪の悪意からきたあまたの侵略罪や現地での大量虐殺それに伴う戦争犯罪の数々というみずからの主体的に先んじておこなってきた加虐行為の方を少しも恥じず、少しも反省の念がない既往の偽善の一部を構成しているのは言うまでもない。それというのも、天皇一味と同罪・共犯で、かれら西日本の薩長土肥京芸ら西軍、途中で日帝軍への潜入を経由したその末裔らは、純然たる悪意による他者の人権侵害、主権侵害、あるいは虐殺・検閲・思想統制その他の暴力行為での侵略罪自体を、天皇一味による日本侵略罪と同様に、勝手に政治英雄化し、宗教神話化さえしているからなのである。いうまでもないが、そこにある真の目的は、卑しい自己愛を補完する目的で、他者の尊厳をとにかく徹底して辱めようとする純然たる100%混じり気のない悪意からきている暴威を使った脅迫行為だけであり、虚勢を張るだけでなく実際に大量虐殺をおこないその史実をなかったことにしようとするなど、この極悪人天皇一味とその手先を買って出ている悪魔崇拝者らの脳内にあるのは、他人の尊厳を辱める事で加虐欲を満たそうとする完全な傲慢という、悪徳の本性だけなのである。中華思想の正体とはこの種の傲慢にほかならず、それを漢字で天皇という『史記』にのち加筆された中国神話または漢語に於ける北極星の比喩でいう伝説の皇帝の名を借りて名乗り始めた自称皇族一味は、飛鳥時代にこの号を公的につかいだす674年のはじめからその傲慢という悪徳の病に感染して、以後、今に至るまで一度も治った事がない。みずから天皇の号をすてるつもりもなさそうであるから、治るつもりすらない。寧ろこの病を、祖先崇拝という形をとった大量虐殺犯の悪魔崇拝で、みずからの祖先を神格化する邪教内部で誇ってすらいる。それゆえ、自称天皇は国民投票なしに勝手に国や国民統合の象徴となのり、恥じる気配もないどころか、その無法かつ最高位に留まっていながらに、民衆の中で最も恵まれない者や諸外国でかれらの侵略罪や差別の被害を受けてきた者達へ公的な謝罪もおこなわない。無論、被害者らへ謝罪したところでかれらの税収奪目的での卑しい私利心からの命令で殺されたり公然と差別されたり、単なる自明の自治権や主権を守ろうとしただけで天皇一味とその手先から虐殺され辱められ朝敵・国賊・反日などといわれ汚名を着せられるばかりか、ありとあらゆる不遇に置かれてきた人々は永久に帰ってこないのだから、永遠に各歴代天皇は極悪罪人達であることが変わるわけではない。それどころか、天皇一味はながらく手先の右派ら一般に好き放題、憎悪演説や暴力による検閲、あるいは脅迫、強要罪、暴行罪、具体的な威力妨害、名誉毀損罪・侮辱罪その他の悪業をつねづねおこなわせ、それらについて注意をおこなわないという未必の故意をくりかえす。そして全ての不都合な悪事を手先のせいにしたてあげ自分達だけが甘い蜜を吸う、といういつもの老獪極まりない悪業を、未来永劫、超法規的絶対権力の最高位から、この列島のどこかで、かれらは街宣車を乗り回しSNSでも進歩的言論の検閲の為に躍起になっているやくざじみた手先ともども、飽くまで続けていくつもりなのである。