2021年4月28日

SNSは人の暗面の塊

私はツイッターというSNS(私が参加した全SNSでも、最も邪悪なもので、悉く不当に誹謗された最悪の思い出しかない)で、人間という存在へ根本的に希望を失った。人なるものは、ある国の或る条件、例えば日本では匿名条件下で殆ど例外なく、最悪の存在だとそこで初めて気づいた。それが幸運だったのかは分からないが、確かな事実である。

 人なるものは絶対的に暗愚であり、それは決して治らない。

 もしかすればどこかに賢い、尊い人がいるのかもしれない。だが自分は一人も見つけられなかった。ツイッターにはひたすら愚か、ひたすら卑しい人々が大勢群れていた。それが社会の全面かはわからないが、もし縮図であるとすれば、人なるものは全く邪悪で、その根底で何一つ信用が置けず、当然の如く絶滅した方がいい存在なのが確かである。

 もしかすれば、日本語圏だけの現象かもしれない。つまり亡んで当然で、絶滅した方が世界の善にとって望ましいのは、日本国民一般だけなのかもしれない。
 外国の人々とも色々なSNSなどで接する機会があったが、確かに日本人一般より遥かに善意の人々が割合として多かった。だがそれでもやはり総じてみれば、彼らもまた生きていくに値しない生物の様に感じる事も多かった。なぜなら邪悪さや暗愚さがまさっている場面も結局は多かったからだ。

 全人類の中にはごく少数ながら、少しはましな部類がいるかもしれない。だがその勢力が余りに小さいので、どの国どの社会でも彼らは圧倒的に不利な闘いへ追いつめられている。そして大抵の場合、彼らは衆愚から虐殺されてしまう。
 日本ではその種の光景が、ほぼ毎日の様に続いている。ツイッターを眺めているとそんな蛮行しか出てこない。だが衆愚はそれを日々喜んで行っている。