2020年12月19日

歴史から教訓を学ばず、現世の一生内での経験のみで神格に達しているかの如く思い上がった人々の本体

自分が接しえた東京・神奈川、西日本、そして静岡や富山などの人達は、歴史を軽視し、彼らやその前世代がやってきた過去の業を少しも反省している素振りがなかった。逆に自分達が現代に生きる神の如く絶対無謬で、歴史を語る者を彼らの神格――と彼ら自身で信じている極度の無知と、恥知らずの傲慢さを損なう存在とみて、方々で陰に陽に弾圧してきていた。これが私が実人生の範囲内でそれらの地域で接しえた人々について確かな実感だ。統計的に一般化できるかとは別に、私の経験中ではまだ例外がない。
 彼らは一体どう形容すればいいだろう? 勿論愚か者で遠からず彼ら自身が祖先と同じ悲惨な目にあって後悔するだろうが、その後も、彼らの将来世代が同じ過ちを避けるよすがとなる様、史書の類を残し、次世代を啓蒙しようとは決して計画できないだろうと思われた。

 もっとたちが悪いのは、彼らの一部、特に自分が接した或る愛媛人や、或る東京人らは、小説を史実と思い込み、或いは一部の作家・語り手の主観的で偏った口舌を実証的史実と完全に取り違え、うのみにしたまま、堂々と虚偽に満ちた愚かしい偏見をさもとわに不動の事実かの如く語るのだった(端から誤った認識による民族差別など)。これも実証的な歴史考証の知恵のない彼らの甚だしく、信じ難いほどの暗愚さからきているのだが、どれも自分には想像もつかないくらい低い次元に位置する知性のあり方なので、余りに呆れ記すかいもないと感じ今までどこにも書いていなかった。
 だがつい先日、先ほどまでその種の別の東京人に再び接する機会があって、今まで上述の様な連中の頭と性の悪さに、心底絶望してきたのを思い出しここに書き留めた。

 彼らは歴史に全然学べない。そうするつもりもない。そして彼らの一部がやっているのは、嘘を嘘とも感じず、平気で信じ、他人にも堂々と吹聴して回る本物の馬鹿者の行動である。

 無論、彼らは反面教師に違いない。その上、反省力も皆無の為、或る場面で生きているだけ公害でもあるだろう。例えば彼らのうのみにした嘘による偏見は彼らの処世の際の判断を常々誤らせるだろうし、それは他人にも禍をなす。また過去世代と同等より悪い致命的過ちを何度も繰り返し恥じもしないだろう。
「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」
確かにこれはそれなりに趣のある格言で、他者の集合体が歴史であれば、人間性について膨大な実験結果なので、そこで他者達がどんな目にあったかは、よきにつけあしきにつけ今から未来にわたっても本来なんらかの教訓になりうる。だがその種の蓄えなしに直接、実人生に直面する人々は、凡そ確実に類似現象に際し類似反応をし、類似の実例をうみだしていく。人類同士いくさを繰り返したり、永続した試しがない大都市へ刹那的に集まって、甚だ驕れる頽廃生活で自滅する人達が大勢いるのはこの為だ。

 何度文明が興亡してきた事か。現東京・関西文明も、そこでいばりちらしている連中が何の歴史的反省もみられないまま原発植民地主義や中華思想による華夷秩序の謀略その他大公害を正当化する人々である限り、自他の不幸の原因として遠からず消え去っていく。そして私たち冷徹な客観者の記録した史実だけが、彼らの唯一残された本体になる。