2020年10月2日

ヒトについて

自分より遥かに愚かな人を、より賢くしようと懇切丁寧に説き教えるのが、凡そ全く無駄という経験を繰り返した人は、遂に啓蒙が不可能だと悟る。
 イエスが磔刑にされたのは全くこの為だ。衆愚は何も変わらなかった。
 孔子も釈迦もイエスと全く別の考えで、愚者は治らないので放置しろといっていた。

 愚者は単に一つの事で過ちを犯す訳ではなく、遍く全ての場面で過ちを犯しがちだ。
 IQは一般的賢さを定義しようとした試みだったが、高IQの愚者を我々は無数に知っているので、飽くまで同年齢に対する相対的偏差としての目安にしかならない。異なる年齢間でIQを用いて比較する人はおよそ確実に過つ。
 若さを誇っている人、加齢を貶めている人は、一般的判断で過ちを犯しがちな愚か者だ。精神年齢とは通常、世知を含む一般的判断の高度さに他ならないので、確かにIQが高い若年者の様に飛び級の例外はあるにしても、一般的には年上の方が賢明だからである。
 経験に学ぶ者は他者の経験の重みを知らない。

 この世には天才、秀才、ギフテッドの類が存在するので、年齢主義で若造を軽視している高齢者は、自らがいかに恥ずべき行状をしていたか歴史に記録される、或いは確実に断罪されると考えてよい。あまつさえそれら利口な若者は鋭い観察によって、愚かな或いは不徳な高齢者を反面教師とするばかりだろう。

 根っから卑しい人は救われる値打ちもない。

 僕は子供の頃から、なぜ人々が理由も分からず繁殖しているのか疑問だった。
 この世は斯くも卑しい、悪意や悪徳に満ちた愚者で溢れているのに、彼らはどうしてその中にわざわざ再生産されているのか?
 周囲の人々が繁殖する様子をほぼ概括として把握した現時点でいえるのは、彼らは動物でしかない。
 動物一般は自分が繁殖する理由など考えもしない。ヒトなる生物も、ほぼ全員がその類で、要は理性が僕より遥かに低い段階で生きているのだった。
 彼らは大体、小中学生位から発情期になりだし、生まれつき一般知性が低いほどその時期は早い傾向でもあった様だが、繁殖期には完全に理性を失って行った。

 チンパンジーとゲノムの塩基配列が1.2%ほどしか変わらない哺乳類がヒトで、要は大抵は一見似た様な言葉を話しているが、それも彼らには単なる動物の叫び声と変わらないのだった。
 特に一部のメスについては完全にそうで、ロックコンサートだろうと韓流アイドルだろうと恐ろしい発狂度で発情していた。
 
 ヒトが人権をもった生まれつき等しい生物だ、という天賦人権論は、完全に中世フランス人らの妄想だったというべきだろう。少なくとも僕がみたヒト全般はこの全く逆で、たとえゲノム配列に幾らか似た部分があったとしても、大抵はチンパンジーとさほど違いがないほど手のつけようもなく利己的なのだった。

 現国連常任理事国は人権思想を真に受けた、ある種の愚者の集まりである。日帝は欧米による人種差別の被害者だったので、自らの地位を向上させる為に第二次大戦で彼らに抗った。結果、欧米は日帝を破壊する代わりに中国を仲間にせざるを得ず、人種差別撤廃を誓わざるを得なくなった。だがこれも言い訳だ。実際には欧米が利己的に行動しているだけで、その内情はやはり他のヒトと同じでチンパンジーと本質に於いて大して違いがない集団にすぎない。奴隷制でアフリカ人らを、民族差別でユダヤ人らを虐げていた欧米人一般は、今度はアジア人も被害者にしようとしたが日中の抵抗に遭い仕方なく方針転換したのだ。
 自分は今も、公然と人種差別的言動をするイギリス人だのノルウェー人だのを目の当たりにした。彼らの理屈では、日本は一応先進国になりあがったので第一世界だが、中東の人々はアフリカの人々と同じで、下等で、生まれつきIQが低く、野蛮で、侵略だの虐殺だのされてもそれは当然の報いだとの態度だった。

 しかし自分はそのアジア差別の言動をとるイギリス人だのノルウェー人だのは、僕に比べると遥かに、道徳性の面で愚かな連中だという風に感じざるをえなかった。この意味で、逆照射的に、僕は薩長土肥と呼ばれる旧西軍と皇室の、明治以後の「名誉白人ごっこ」にも大いに軽蔑感を持つ事になった。薩長土肥だの皇室だのは、共感知能および道徳面で愚かな渡来系移民の末裔であり、かつては先住日本人を差別していたのに、明治以後はアジア人差別をはじめた――さも大分出身の福沢諭吉がそうであった様に。彼ら明治元勲は一般欧米人程の低知能、不埒さだったのだ。馬鹿が権力をもったので事態が悪化した。
 或る集団での地位、および権力と、その集団内での道徳性は必ずしも比例も、相関もしていない。古代から中世関西人の間ではずっと人種・民族差別主義者が高位を占め、記紀だろうと『枕草子』だろうと庶民や地方人――その中には今の東京人こと旧武蔵国民も含まれる――を手酷く差別し、虐殺略奪していた。トランプが、しばしば差別的だとしても何の疑問もない――その集団内の政争を何らかの手段で勝ち残れば、凄まじい極悪人が最高権力を長期に渡り独占する、といった事例もある。現に昭和天皇は大量殺人後や亡国後も、王座たる象徴に収まり続けた。
 欧米諸国はこの点で虚構の上に地位を築いてきただけだ。

 単に人権が虚構であればこそ、彼ら欧米諸国は常任理事国体制を少しも変えようとしない二重基準を自己批判しないし、できない。全加入国の全人類に等しい自決権、議決権を与えたがらないのは、欧米人一般が心の底で、人種差別しているからに違いない。中国の存在で東アジアだけがその被害の一部を覆した。ヒトなる生物の実態を具にみると、最早同情する気も失せてしまう。余りに愚かしく余りにサルじみており、余りに下らなく余りに利己的でわがままだからだ!
 それで僕はヒトなる哺乳動物を遂に好きになれなかった。その中で比較的善良な存在を探しても、極希にしかいないし、やはりサルの一種に感じた。ダーウィンは賢明だった。ヒトはサルから進化したという事実は、古今人類が洞察できた範囲では極めて有益な情報で、それによって訳のわからないほど野蛮な全人類とその全史が、所詮は本能で動いている卑しさの証拠を示しているだけだと説明できるからだ。
 ヒトの中で賢明なのはごく一握りしかいない。

 古代インドでガウタマは、その愚かしいヒトに囲まれ大層悩んだ末に、遂に彼らを避けて暮らすのが正しいと述べた。これはこれまでもこれからも変わらない真理だと思う。
 ヒトは都市(ポリス)的動物だとアリストテレスは述べた。だがガウタマはこの逆に、都市を避けるのが唯一、賢明な生き方と述べた。都市は悪徳の結晶体である。賢明なヒトはその外に生きている。もしくは、大都市を避けて生きている筈だ。
 都市から得られる利益は、所詮どこまでも通俗的なものに他ならず、ヒトにとって必要十分な相互扶助を超えて都市問題が発生し、賢明なヒトの内省を乱す事になるからだ。都市は愚かさの触媒だ。都市の人々、都会人一般はその犯罪率の高さ、犯罪数の多さからもどんどん悪事に慣れ親しんでいく。ヒト社会で一般に、悪貨は良貨を駆逐する。ヒトゲノムは元々チンパンジーとさほど違いがないので、進化的により賢明な遺伝子を持つ種は少数派、故に大多数はより楽な、ヒト以前のサル的振舞いに堕ち易い。賢明なヒトは大抵、都市から一定の距離を置いた郊外に居を構えがちになるだろう。そこは都市から得られる利益も望めば手に入るが、諸々の悪疫からは基本として十分に守られている距離感である筈だ。
 確かにヒトは利便性のため社会から逃れきる事は一般に困難だが、都塵にまみれ堕落するべきでもない。

 愚かなヒトは通常、ずっとそのままだ。フリン効果(ヒト集団の平均IQが一般に時代と共にあがっている説)は微力で、文明を巨視すれば、愚かなヒトの一部が自滅し消えていく割合の方が、賢いヒトの一部が繁栄する割合より少しながら多い、という事を意味する。愚かなヒトはこの意味で反面教師に過ぎない。

 愚かなヒトが繁殖している場からは、進んで離れるがいい。その様な場は、成程、文化が悪い。性悪ばかりが繁栄している場は退廃している。
 賢いヒト、特に善良なヒトがふえている場は、将来性があるというべきだろう。時と共により良い人の割合がふえていく場だけが、社会から受ける公害度が少ない。

 卑しいヒト、悪いヒト、即ち不道徳な人が学歴を種に驕り高ぶって差別をまきちらしている様な場、そこは俗物の集まりだ。
 一般に学問こと哲学は、より道徳的な生き方をする為にある。科学はその本の部分にすぎない。
 浅学の徒は仮の肩書きでつけあがり、専門性の後光効果を乱用し他者を見下すのだ。俗物は俄かの学しかしていない、又は低知能といってもいい。
 実際、最高の哲学者は常に自分の一生の範囲ではどれほど高度に学ぼうが全知に到達できないと学習過程で認識し続けるだけだから、自分の得た知識はみたわせる学問全体の一部だろうと自覚している。
 生まれながら知能が高いほど視野が広い。

 愚かな人は平凡さを優秀さと誤認している。
 それは学習成績での平均点を、満点より優れているとみなす様な大幅な誤りだが、そういった「多数派に訴える論証」を頻用する発想が出てくる人の特徴は、不安症で周囲の他人によきにつけあしきにつけ同調する事で、万事に言い訳している傾向にある。