東浩紀が『「論争」ってほとんどの場合意味がない』とさえずっていた。
これは早まった一般化だろう。
「殆ど意味がない論争がある」なら真かと思う。真理の考察でも議題の検討でもなく、詭弁術で勝敗を決するつもりで行われているが、ある人にとって特にその技術にもみるべきものがない様なものなど。論争の中には極めて有益な物もあるだろうし、そもそも国会など、議会は公益を巡る論争が前提のしくみである。また、論争全てを一体どの様に把握しきるつもりかも定かではないにしても、そのうち殆ど――つまり過半を越えている部分が無意味と判断できるとすれば、人類はいかに異なる意見を交換するのか? 会話、対話、議論、討論、論争、論戦など、異なる意見交換の名義は、表面的な穏やかさの順に色々あって、その一体どこからどこまでが無意味とするのか?
成程、特に有意義さのない意見交換に際し、相手を論法でやりこめたところで逆恨みされるかもしれないが、是非負けるべきでない論戦もあるだろう。例えば法廷で、或る人の法益を守るべく賢明な弁護士は徹底して論戦に立つわけで、その中には国の趨勢を未来に渡って左右するもの、例えば戦争に関する裁判の類も含まれる。
論争の定義次第でもあるが、その殆どが無意味とするには根拠も不足しているし、直感的にも暴力にお墨付きを与えるだけだろう。暴力を是認する人にとって、殆どの論争がなくなれば、そこは一般論として地獄ではあるにしても、殆どの場面で問答無用の力の行使が正統性を帯びると捉えるしかなくなるだろう。
東氏はそこまで考慮し発言したわけではなく、臆断した上に恐らく単に気が弱いだけだろうが、そもそも学問の全ては論争だ。
ある意見が一切の反証可能性を満たさなかったらそれは真偽が確かめうる科学的命題ではない、とポパーには定義される。これが真偽検証の前提にあるとすると、善悪、美醜、聖俗といったより複雑か異なる次元の判定についても、論理によって考察される範囲では、その基礎に反証可能性があると考えられる。「Aは美しい」「Bは善い」「Cは聖性を帯びている」などの判定について、真偽判断の論理を使えないと、定義もできなくなってしまう。つまり様々な命題論理を使うには反証できなければならない。
よって学問の相当部分が論理の範囲にある限りは、それは否定的論拠との比較によってのみ議論がなりたつ。「Aは醜い」「Bは悪い」「Cは俗である」など、前命題を否定する論拠と、肯定する論拠を或る人の脳内で比較検討しつつ、より正しい判断を繰り返すのが学問の論理的範囲である。例えば詩や信仰それ自体は時に論理的ではないかもしれないが、その感覚論的・倫理学的考察には、命題論理が使われたりする。東氏の定義する「論争」の範囲や内容にもよるだろうが、こうして、例え反証主義の否定にしても学問は全て論争を含んでいるので――もし含んでいない部分があれば、それは寧ろ真偽を誰にも確かめ得ない宗教といえるだろう――進んで論争を避けるとは、決して科学的な態度ではない。哲学的かも疑問がある。対話術(弁証法)や、不知の自覚、懐疑主義、不可知論、あるいは単なる批判的思考その他にしても、哲学こと知恵の友愛のかなりの部分には、或る命題を否定する必要がある考え方がある。そうであれば、論争の殆どを無意味とするのは思考停止に等しいとみなす余地が出てくるだろう。
確かに君子三戒の一に、血気の定まった壮年期には争いを避ける方が賢明とした孔子の説がある(通常の権力者や商人はこの逆をし、気力の十分な壮年期に成功を収めている事に注意が要る)。
また勝敗の定まる争いを、勝てば恨まれるとして避けた釈迦の様な人物もいる。尤も釈迦も道徳的論争はしていた。自分が知っている限りで、全ての過去の思想家らの考えのうち、東氏の説に最も近いのが、その孔子の説かと思うにしても、孔子自身は官僚として政を諦め学問に耽っていたと共に、その中で弟子を説教する形で論争、或いは問答に近い事はしていた。東氏はこの孔子的教祖に理想像をみいだしているのだろうか。孔子とは逆のタイプがソクラテスで、街中で当時の教授(ソフィスト)らに論争を挑み、公然と勝つ事を繰り返したとされるのだから、もし論争の殆どが無意味であれば、不知の自覚を露わにしたソクラテスの一生の殆ども無意味という事になりかねない。彼は真理あるいは正義の探求をしていただけだろう。
要は、「論争は殆どの場合、意味がない」とするには論争の定義が曖昧でもあるし、単なる一般的その定義に於いては、この命題は真と認め難いであろう。理由は既に述べた通りだが、東氏がそうと信じる自由は残っている。
私も愚者との論争は時間の無駄と思うため避けているが、重要な論争はあると思う。
参考:「論争」
( 名 ) スル
違った意見をもつ人たちが、それぞれ自分の説の正しさを主張して論じあうこと。
(大辞林 第三版)
〘名〙 互いに論じ争うこと。言い争うこと。
(精選版 日本国語大辞典)
[名](スル)
互いに言い争うこと。
(デジタル大辞泉)